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「45キロ」の逡巡 大分からみる伊方原発/5止 「地元」の外側の疑念 9市町議会が反対・慎重 /大分 via 毎日新聞

福島第1原発事故からちょうど5年にあたる今年3月11日、「ヒロシマ・ナガサキ」の被爆者を含む原告団が、四国電力伊方 原発の再稼働差し止めを求めて広島地裁に提訴した。「被爆者は、放射能の怖さを肌で知っている」。原告団長の堀江壮さん(75)=広島市佐伯区=は話す。  堀江さんは4歳10カ月だった1945年8月6日、爆心地から約3キロ離れた自宅近くで、姉と一緒に被爆した。  核兵器廃絶を世界へ訴える一方、チェルノブイリ事故の後も「ソ連よりはるかに技術が進んでいる日本の原発は安全」という話を信じてきた堀江さんは「だま されたという思い。原爆投下で母、兄弟、自分もみんながんになった。放射性物質が出るところでは同じことが起きる」。約100キロ離れた被爆地から伊方に 疑いの目を注ぐ。    ■  従来、全国の各原発の稼働には、その原発を抱える当の市町村と、その市町村がある県の「地元同意」が必要とされてきた。だが、福島第1原発事故では福島 県以外の地域でも放射線量が上昇したため、「地元」以外の周辺自治体から、各原発の再稼働に反対の声が上がるようになった。  ところが、「地元」の範囲は、事故の後も変わらなかった。大分県は避難計画作りを求められる30キロ圏内ですらなく、発言権はほとんどない。広瀬勝貞知 事は長年原発を推進してきた通産省(現・経済産業省)の元事務次官だが、県民の心配も考慮してか、伊方の再稼働には積極的な賛否を示してこなかった。  そして愛媛県の中村時広知事が昨年10月、「事故が起きたら進退をかける」と言い切って再稼働に同意。 (略) ■  一方、伊方原発の再稼働の流れができた昨年12月から現在までに、大分県の18市町村のうち半分の9市町の議会が、再稼働の中止や慎重に考えるように促 す意見書を可決した。他の6市町でも2012〜14年の間に、再稼働の再考などを求める意見書が出されている。杵築市議会の意見書は、愛媛から船で避難者 を受け入れる計画に対し、「大地震や津波などの複合災害時に、大分への受け入れは困難」と批判した。  竹田市の首藤勝次市長は、昨年11月のブログでこう記している。「起きないはずの事故が起きた福島の事例をどう捉えているのか。(中略)『実績のある万 が一を無視して』、地域も未来も見捨ててしまうのか」。再稼働が現実になった今、大分の逡巡(しゅんじゅん)(ためらい)はさらに強くなっている。【田畠 広景】=おわり 全文は「45キロ」の逡巡 大分からみる伊方原発/5止 「地元」の外側の疑念 9市町議会が反対・慎重 /大分

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福島で被爆の元米兵、「アルミ箔を噛むような感じ」だった via ニュースソクラ (yahoo!)

【ニュースソクラ編集長インタビュー】トモダチ作戦被爆者支援を聞く 吉原毅城南信金前理事長  小泉純一郎元首相が中心になって東日本大震災の援助活動で被爆した米軍元兵士を助ける「トモダチ作戦被害者支援基金」が7月に設立された。どこからも支 援を受けられずに苦しんでいる米軍兵士を放っておけないと義援金を集めることにした。小泉氏といっしょに基金立ち上げに動いた城南信用金庫の前理事長の吉 原毅相談役に聞いた。 (聞き手はニュースソクラ編集長、土屋直也) ――米軍が東日本大震災の際に救助してくれた「トモダチ作戦」はよく覚えていますが、被爆していたなんて。 トモダチ作戦というのは、福島原発事故の直後に米海軍第七艦隊空母ロナルド・レーガンを中心とした部隊が福島沖に向かった救助行動です。津波にながされ 海面に漂う人をヘリで救助し、船の上で救助を待つ人を助け、沿岸地域で救助を待つ人達に支援物資を届けました。本当に同盟国日本のために、純粋に人道的な 気持ちから取り組んでくれた軍人、軍属がいたのです。 その時に、原発が爆発し、大量のプルーム(高濃度放射性物質)がまき散らされた。広島原爆の4000倍の物質が放出されたと、東電の海外サイトでは表明されています。 すごい数字ですが当然です。原発というのは1日に3発の広島原爆を爆発させたのと同じだけの放射性物質ができるのです。年間なら1000発分です。それが4号機まであるわけですから。 ――日本人では被爆被害はあまり聞かないのですが。 日本にとって幸運だったのは、爆発のときは西から東に風が吹いていて、90数%の放射性物質は太平洋側に流れたことです。ほんの一部が飯館村など北東に流れ、帰還困難地域になりました。 (略) ――空母内はどんな風だったのでしょう。 米軍艦隊は福島沖で救援活動をしていて、そこに高濃度プルームが直撃した。そこで活動した乗組員は「口のなかでアルミ箔を噛んでいるような感じがした」と証言しています。 これは、チェルノブイリでも同様の証言があるのですが、とても異常な感覚だと思います。 作業を終えて艦に帰ると、万一のための線量計が一斉に鳴り出したそうです。ヘリの乗務員はヨウ素剤を飲まされ、甲板員はなぜか飲まされなかったと語っています。洋服を脱げということで男も女も素っ裸になって、服はすべて袋詰めにし、シャワーを浴びまくったそうです。 (略) 海兵隊や海軍の兵士は貧しくて生活のために志願している人たちです。そういう人たちが純粋な気持ちで活動してくれました。自分たちの非常食や飲料水は全部救助に回した。そのため海水を塩分除去して料理に使ったのです。そのため知らないうちに内部被ばくしたと思われます。 ――救助活動の後の空母レーガンはその後米国に戻るのですか。 作戦のあと、母港の横須賀には戻らず、長崎に寄港します。そこで汚染したヘリを持ち帰れないということで、東電が引き取って処分しているのです。 最終的にカリフォルニア州のサンディエゴに戻るのですが、どんどん体調不良者が増えました。体調不良から軍に居られなくなった人、そして軍にとどまって いるが体調不良の人が合わせて400人。この人たちが医療費をなんとかしてほしいとサンディエゴ地裁に東電や原発製造者のGEを相手に訴訟を起こしていま す。2012年に訴訟を起こしたときの原告は3人でしたが、最近は400人になっているそうです。 ――なぜ、訴訟相手が東電なのですか。 米軍では、入隊時に米軍を相手に訴訟は起こさないと誓約させられています。それで米軍、米政府は訴えられないというので事故の責任から東電が相手になっ たということです。これに対して、東電は一流弁護士を集めて、こうした訴訟を米国で起こすのは不当と裁判そのものを邪魔する戦略を立てています。裁判が遅 延する中、すでに原告とその家族で7名が亡くなっています。 (略) ――それで、米国に小泉氏とお見舞いにいかれたのですね。 5月中旬にサンディエゴに行き、約10人の方々に話を聞きました。 「自分はいやになるぐらい健康だったのが、あの活動以来、体中の節々が痛い」と言うのです。わりに共通しているのは、お尻から血が出る、肌から血が出る といった粘膜系の弱い出血がある。女性の方では子宮内膜からの出血です。「一生妊娠できません」と言われたひともいるし、流産したひともいます。死産に なった子供もいると聞きました。 ところが、米政府からも日本政府からも補償がない。 ――米政府はなぜ、補償しないのですか。一種の労災に見えますが。 米政府は「放射線被害はなかった」という立場なのです。被爆被害は気のせいだというのです。米軍にも見捨てられた兵士たちへの募金活動なのです。サン ディエゴに訪ねたとき、小泉さんが、「日本に対して何か言いたいことはありますか」と尋ねたのです。すると、「私たちは日本が大好きです。日本のひとにも お世話になった。きょうはわざわざ日本の元総理大臣が片田舎まで来てくれて話を聞いてくれた。本当にありがとうございます」と答えました。誰ひとり恨みが … Continue reading

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国連 核禁止交渉へ勧告、採択 部会報告書 日本は棄権 via 毎日新聞

【ジュネーブ福島良典】スイス・ジュネーブで開かれた国連核軍縮作業部会は最終日の19日、核兵器禁止条約交渉の来年中の 開始を国連総会に勧告した報告書を賛成68、反対22、棄権13の賛成多数で採択し、閉会した。「核兵器のない世界」を最終目標に据えた非核保有国主導の 取り組みが始動した。参加国の大半は総意による採決を目指したが、交渉開始に反対するオーストラリアの要請で投票に持ち込まれた。  日本は「投票による採択は、核軍縮を巡る国際社会の分断を一層進めることになりかねない」(外務省筋)との判断から棄権した。佐野利男軍縮大使は作業部 会終了後、記者団に対して「今後、(核軍縮に取り組む国々が)団結していけるように最大限の努力を図っていきたい」と述べた。  採択された報告書は「作業部会は広範な支持を得て、国連総会が法的拘束力のある核兵器禁止文書の交渉会議を2017年に開催するよう勧告した」と明記し た。投票に参加しなかった国々を含め、交渉開始を支持した禁止推進派は「核の傘」に入っていない非保有国107カ国。  その一方で報告書は、「核の傘」に依存する日本や北大西洋条約機構(NATO)加盟国など24カ国が勧告に「同意しなかった」ことを記録し、安全保障上の懸念に配慮した多国間の核軍縮交渉を前進させるべきだと主張したことを盛り込んだ。 (略) 条約で想定される要素として、核兵器の保有、使用、備蓄、配備や関連融資などの禁止や、核実験などの被害者への援助を列挙している。 (略) 国連核軍縮作業部会の報告書骨子 ・「核兵器のない世界」の達成、維持のための法的措置検討を勧告 ・国連総会に核兵器禁止条約の来年中の交渉開始を勧告 ・一部の国々は現行の枠組み重視の核軍縮の取り組みを支持 ・透明性の向上、偶発的事故など危険の削減を勧告 ・核兵器の保有、使用、備蓄、配備や関連融資などの条約による禁止を想定 ・世界の指導者に広島、長崎訪問を提案 全文は国連 核禁止交渉へ勧告、採択 部会報告書 日本は棄権 関連記事: 国連 核禁止条約 長崎、部会の勧告を歓迎 市長「日本の棄権残念」via 毎日新聞 国連 核廃絶へ一歩前進」 部会報告書、被爆者ら歓迎 via 毎日新聞

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57年の時を経てゲバラの献花を再現!オダギリジョー主演作の撮影が開始 via Yahoo! (Movie Walker)

革命家チェ・ゲバラのボリビア戦線の部隊に参加していた実在の日系人、フレディ・前村の生涯を描いた『エルネスト』(2017年秋公開)。主演にオダギリジョー、監督を阪本順治が務めることが明らかになっていた本作の撮影が8月18日より広島で始まった。 19 日にはチェ・ゲバラ達が1959年7月25日にキューバ親善使節団として来日した際に、広島平和記念公園内の慰霊碑を訪れ、献花をしたシーンの撮影が行わ れた。 (略) 撮影後には阪本監督、ゲバラ役のバレロ、そしてゲバラに興味を持つ地元中国新聞社の森記者を演じる永山絢斗が同作についての会見を行った。阪本監督は「今 回の映画で広島のゲバラの献花シーンを入れたのは、核戦争が起きるかもしれないときに、その核を実体験していたのが、広島で原爆資料館を見学したゲバラ だったからです」と思い入れのあるシーンの撮影であったことを明かした。 バレロは「世界的に有名なゲバラ役に選ばれて光栄です。フレディ・前村をキューバだけでなく、世界に知ってもらえる作品だと思います。今回の撮影で広島に 来てすぐに資料館などにいきました。悲しみのエネルギーが込み上げ、言葉にならなかったです」と作品についての思いとともに、広島で忘れがたい経験をした ことを語った。 全文は57年の時を経てゲバラの献花を再現!オダギリジョー主演作の撮影が開始

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「今を戦前にさせない」 原爆の日、中国放送がラテ欄に忍ばせた決意 via WithNews

 広島での原爆投下から71年となる6日。同県内で配られた朝刊のテレビ番組表(ラテ欄)には、地元の中国放送(RCC)がナイター中継する、プロ野球・広島カープの対巨人戦の放送内容が載っています。広島にとって特別なこの日、「縦読み」に仕込まれた隠しメッセージは「今を戦前にさせない」。首位独走のお祭り気分と一線を画したこの言葉には、被爆地の声を伝え続ける地元メディアの矜持が込められていました。 8月6日は趣向が変わる「縦読み」  地元チームのスポーツ中継を担うテレビ局がファンを時折ほっこりさせる、ダジャレや自虐ジョークをちりばめたラテ欄の縦読みメッセージ。 ですが、8月6日にRCCがカープ戦を中継する際には、ガラッと趣向が変わります。 「原爆の日」にちなみ、「カープ応援できる平和に感謝」(2014年)、「86を次世代に伝える」(15年)といったように、戦争と平和への思いが込められます。 例年にも増して強い決意  そして、カープがセ・リーグ首位を独走する今年。25年ぶりの優勝に期待が高まるさなかの縦読みは意外にも、例年にも増して強い決意をうかがわせる言葉でした。 よく読むと、そもそも放送内容の文章自体が、平和を希求する熱い思いに満ちています。   今思い出す野球に希望 を託しカープの一球が 戦後復興を支えた日々 前途洋洋カープ快進撃 に沸く広島で平和の尊 さ伝えたい!語り尽く せぬ思いを胸に核兵器 なき未来まで響かせた い平和の大歓声! 「私たちの信念が試されている」  この文章を作ったのは、同社スポーツ部のテレビ中継プロデューサー、松本清孝さん(40)。 シンプルながら力強いこの言葉に松本さんが込めた思いとは? ウィズニュースの取材に、次のようなコメントを寄せています。  今年5月、アメリカのオバマ大統領が広島を訪問し、スピーチする姿を見ながら思いついた言葉を縦読みにしました。 被爆から71年がたち、広島では、被爆体験を継承する難しさが課題となっています。 被爆者の平均年齢は80歳を超え、被爆体験を直接聞く機会が確実に減少する中、どうすれば、原爆や戦争の恐ろしさを伝えていけるのか。 広島の原爆死没者慰霊碑には、”安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから”と刻んであります。 私も原爆で祖父など親族を多く亡くしていますが、原爆だけでなく、戦争の犠牲になったすべての方に安らかに眠ってもらうには、その子であり、孫である私たちの信念が試されていると感じています。 平和はあるものでなく、つくるもの。 これから先、再び戦争を起こさないためには、私たち一人ひとりが、どれだけ強く意識し、今ある平和を守っていけるかが、大切だと考えています。 そして、広島が焼け野原からの復興を歩む傍らに、カープの存在は欠かせないものでした。 カープから、復興への力を得た広島、その広島が育んだカープ。 カープは、広島にとって、ただの野球チームではなく、家族です。 カープに送る平和の大歓声を、広島の空に、永遠に響かせたい。     続きは 「今を戦前にさせない」 原爆の日、中国放送がラテ欄に忍ばせた決意

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核廃絶へ「負けてなるものか」 広島、それぞれの思い via 朝日新聞

オバマ氏と平和公園で対面した日本原水爆被害者団体協議会の代表委員、坪井直(すなお)さん(91)。平和式典の会場にも、あの日と同じように杖をついて現れた。 「プラハのあれ(演説での約束)が残っとるはずじゃ。被爆者は、あなたと一緒にがんばる」。大統領にそう語りかけた時を振り返り、「核廃絶は今から、と心に火が付いた。感謝しとりますよ」と話す。 がんや心臓病を患う。今夏、核兵器禁止条約の制定を世界の国々に呼びかける署名活動を始めた。「負けてなるものか。オバマさんとともに道を歩みたい」(神沢和敬) ■オバマ氏との対面が実現した森重昭さん 被爆死した米兵捕虜の実態を調べた功績が評価され、オバマ氏との対面が実現した被爆者の森重昭(もりしげあき)さん(79)。午前8時15分、広島市中区の捕虜収容施設跡地に設けた慰霊銘板に手を合わせた。「無念の死を無駄にせぬよう、大統領とともに核廃絶に邁進(まいしん)します」 (略) ■9・11テロで息子を失った伊東次男さん 広島の原爆で兄(当時12)を亡くし、米9・11テロで銀行員の息子(同35)を失った伊東次男(つぎお)さん(81)。オバマ氏を迎えた平和公園に米国側から招待された被爆者の一人だった。 この日、平和式典に参列。兄と長男に「核のない世界をめざすとオバマさんが言ってくれたよ」と心の中で語りかけた。「今年はよい報告ができました」 全文は核廃絶へ「負けてなるものか」 広島、それぞれの思い

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Abe Denies Possibility of Mulling Nuclear Weapon Possession via Jiji press

 Hiroshima, Aug. 6 (Jiji Pres)–Japanese Prime Minister Shinzo Abe on Saturday flatly denied the possibility that the country will consider possessing nuclear weapons. “It’s impossible for Japan to possess nuclear weapons or even consider holding them,” Abe told a press … Continue reading

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福島で原水禁世界大会始まる 「悲劇二度と」アピール採択 via 京都新聞

原水爆禁止日本国民会議(原水禁)などが主催する原水爆禁止世界大会が30日、福島市で始まった。東京電力福島第1原発事故の被災者や原爆の被爆者 ら約750人(主催者発表)が参加し「福島の悲劇を二度と繰り返さないためにも、原発も核もない平和な社会の実現に向けた運動を進める」とのアピールを採 択、市内をデモ行進した。 (略) 原水禁の川野浩一議長(76)は「核と人類は共存できない。原発を含めた全ての核を否定し、平和を守り抜く」とあいさつした。 全文は 福島で原水禁世界大会始まる 「悲劇二度と」アピール採択

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峠三吉 “原爆日記”広島市に 「世界の記憶」再申請へ via 毎日新聞

「原爆詩集」の基の貴重な資料 「強力な後押しだ」と歓迎  広島市は28日、「にんげんをかえせ」の詩で知られる峠三吉(1917〜53年)の原爆体験を記した日記など被爆直後の資料2点が近く広島市に寄託さ れ、原爆資料館で保管すると発表した。同市と広島文学資料保全の会は共同で、この日記を含む原爆文学資料をユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記 憶」(世界記憶遺産)に再申請する。著名な「原爆詩集」の基となった貴重な資料だけに、保全の会の池田正彦事務局長は「強力な後押しだ」と歓迎している。  1点は大学ノート2冊をとじた日記帳で45年1月1日〜11月19日のできごとがつづられている。もう1点は「メモ−覚え書−感想」と記された同年8月から9月15日までの随意日記。  原爆詩人の峠は、爆心地から約3キロの広島市翠町(現南区翠)の自宅で被爆した。日記には投下の瞬間を「畑や家並みの其処(そこ)其処より音なく火焔(かえん)閃(ひら)めき白煙の斜めに立昇るが瞬間眼に映りぬ」と記した。  二つの日記などを基に、峠は連合国軍総司令部(GHQ)の言論統制下にもかかわらず原爆被害を告発する私家版の「原爆詩集」(51年)を発行。同書は今夏、岩波文庫に収められるなど改めて注目を集めている。 日記は2002年、共産党に寄贈されたが、一般公開されていなかった。今回、広島側から再申請のために協力を求め共産党が快諾。ユネスコは資料に多くの人がアクセスできるよう求めており、資料館が保管することで、公開の可能性が広がりそうだ。 続きは峠三吉 “原爆日記”広島市に 「世界の記憶」再申請へ 

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被爆資料 抜けた頭髪、変色 被爆の実相、進む劣化 広島・原爆資料館 via 毎日新聞

広島市中区の原爆資料館に展示された被爆資料の一部で、変色などの劣化が進んでいることが分かった。被爆直後に抜けた頭髪 の色が金髪に近くなり、「黒い雨」が残る白壁が展示の額の中でずれてきている。同館は1955年の開館以来初めて、展示室の湿度と温度の変化を記録し、資 料の種類によって展示や保管場所を変えるなど環境改善に乗り出す。資料館は被爆遺品など約2万点の資料と約7万点の写真を所蔵し、被爆の実相を広く伝える ため、うち約400点を展示している。  本館にある「抜けた頭髪」は、当時18歳の女性が爆心地から約800メートルの自宅で被爆し、15日後に抜け落ちたとされる。当初は黒々としていたが、今では金髪のようになった。  1959年に公開された日仏合作映画「ヒロシマ・モナムール」に開館直後の資料館が映り、黒々とした頭髪も確認できる。80年代に資料館の被爆資料を撮 影した写真家・土田ヒロミさん=東京都品川区=も「今のような明るい色ではなかった」と証言する。資料館は「当初、日が当たる場所に展示され、湿・温度の 変化にさらされたことが原因ではないか」と推測する。  また、資料「白壁に残った黒い雨の痕」(縦97センチ、横80センチ)は、爆心地から約3・7キロの民家の壁の一部。原爆投下直後に降った放射性物質を含む黒い雨の痕が残る。67年の寄贈以降、額装で展示され続け、わずかだが額の中でずれが生じている。  過去に白壁の資料を調査した奈良文化財研究所の高妻洋成・保存修復科学研究室長は「深刻な状況ではないが、展示方法を見直した方が良い」と指摘する。  同館の資料のうち、焼け焦げた弁当箱や水筒など金属類と衣服、写真フィルムなどは一律に温度20度、湿度50%の収蔵庫で保管している。しかし、展示室は天候の影響や人の出入りで室温が激しく変化し、環境を一定に保つのは難しい。 続きは 被爆資料 抜けた頭髪、変色 被爆の実相、進む劣化 広島・原爆資料館

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