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福島第1原発事故後、広島へ移住の弁護士が初めて話したこと 低線量被ばくに警鐘 via 毎日新聞

2011年3月の東京電力福島第1原発事故に遭った弁護士の石森雄一郎さん(41)が、広島市に移住して7年が過ぎた。事故から10年を前に初めて体験を語り、年間100ミリシーベルト以下の低線量被ばくについて「健康リスクは低い」とする政府見解にも問題提起した。「原爆を経験した日本は低線量被ばくの影響を知っている。原発の再稼働が進む今こそ、国民レベルで事故と向き合う必要があるのではないか」――。【小山美砂】 (略) 「事故による混乱が続けば、弁護士の仕事は必要とされる」。泣きじゃくる広島出身の妻を説き伏せて帰郷させ、自身は事故と向き合う覚悟で福島に残った。放射性物質を恐れてマスクをつけ、地元食材への不安から外食を続けるとたちまち体重が5キロ増えた。放射線を測るガイガーカウンターを入手した。実家にほど近い福島県郡山市にある自宅の雨どいに近づけると、測定範囲を超える毎時9・99マイクロシーベルトを指した。部屋の隅でも高い数値を測定した。  無意識に「安全」を求めた。国際的な科学的知見で年間100ミリシーベルト以下の低線量被ばくによる健康リスクを証明することは難しいとする政府見解などを、心のよりどころとした。一方で被ばくを恐れて郷里からはくしの歯が欠けるように人がいなくなり、電話で連絡を取り合った妻とは言い争いが増えた。眠れぬ日々が続いた。酒にのまれる悪癖はなかったが、出張から帰る新幹線で飲んだ1本のチューハイで泥酔した。 低線量被ばく巡る政府見解に問題提起 (略) 裁判で白黒をつける弁護士の習性が、自分を追い詰めたとも思う。政府見解の支えとなっている「国際的な科学的知見」は現代科学の粋を集めた暫定的な知見とも言え、低線量被ばくと健康リスクの因果関係は未解明な部分も残っている。政府に対しても「分からないことを分かったように言うのではなく、『分からない』と伝えるべきでなかったか」と注文をつける。  広島での7年間で、原爆投下後に爆心地付近を歩いた入市被爆者にも健康被害が出ていると知った。「日本には被ばくを避けようとする意識があるはず。原発を絶対悪とは思わないが、国民全体で放射能とどう付き合うのか議論する時が来ている」。広島県内の避難者33人が国と東電に損害賠償を求めた広島地裁訴訟の原告に自身も名を連ね、低線量被ばくについて警鐘を鳴らし続けるつもりだ。 全文は福島第1原発事故後、広島へ移住の弁護士が初めて話したこと 低線量被ばくに警鐘

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震災と原発事故教訓に 双葉の「伝承館」 教員研修スタート via 福島民報

双葉町の東日本大震災・原子力災害伝承館は二十八日、震災と東京電力福島第一原発事故の記憶と教訓を教育の観点から次世代につなげる学校教員対象の研修事業を始めた。 (略)  研修事業は立命館大准教授で伝承館上級研究員の開沼博氏(いわき市出身)が発案した。年数回開催し、同館の研究員が講師を務める。館内の見学や語り部講話、双葉郡の被災地視察を通し、幅広く震災と原発事故の知識を伝える。防災や復興、放射線などに関する授業を実施した経験のある教員との交流の場も設ける。  第一回研修には県内外の小学、中学、高校の教員ら十二人が参加した。開会式が館内で行われ、開沼氏が「風評や風化を防ぐためには教育の視点が重要。伝承館を拠点に教育プログラムを構築してほしい」とあいさつした。 (略)  最終日の二十九日は、富岡町の東電廃炉資料館、Jヴィレッジ(楢葉・広野町)などを訪れる。開沼氏の「震災・原子力災害の現状と今後」と題した講義を聴く。 全文は震災と原発事故教訓に 双葉の「伝承館」 教員研修スタート 当サイト既出関連記事: 国や東電の批判NG? 伝承館語り部に要求、原稿添削もvia 朝日新聞 「撮影禁止」の福島県・原子力災害伝承館 双葉町の展示要望には応じず via東京新聞

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この国に、女優・木内みどりがいた

<14>原発について「無知」を恥じた理由 via 毎日新聞 女優の木内みどりさんを政治的、社会的行動に駆り立てた最大のきっかけは、2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故だった。それにしても、「芸能界で仕事を干されるかもしれないのに……」と疑問に思う人もいるだろう。夫の水野誠一さん(74)が、背景にある「アナザーストリー」を教えてくれた。【企画編集室・沢田石洋史】 (略) 水野さんは東京生まれだが、父の成夫(しげお)さんは同県浜岡町(現御前崎市)出身で、産経新聞の社長を務めたり、フジテレビを設立したりした財界人。1960年代、中部電力浜岡原発の地元誘致に一役買った人物でもある。水野さんは01年当時をこう振り返る。  「9人の市民が訪れ、知事選に出馬して静岡空港の建設に反対してほしいと依頼されました。山の上を切り開いて空港を造ること自体が自然破壊であり、建設予定地の上空は『飛行機銀座』と言われるぐらい航空路線が集中して危険だし採算も合わない、と。僕も空港は必要ないと思っていました。だけど、僕の一番の関心事は、東海地震が起きた時に、父が誘致に協力した浜岡原発がもつのかどうかということでした」 (略) 水野さんの父はどんな経緯で浜岡原発誘致に協力したのだろうか。 夫は浜岡原発の安全性疑い立候補  「9電力会社全てが原発を一つ造るというのが当時の国策でしたが、中部電力管内は、候補地で反対運動が起きて実現していない。そこで、ある財界人に父は『君の郷里である浜岡に造らせてもらえないだろうか。核の平和利用であり、浜岡に新しい産業が誘致され、安全も絶対確保される』と頼まれ、手を貸してしまった。そして父は、原発を誘致した『地元の恩人』として扱われてきたのです」 しかし、95年1月の阪神大震災で「安全神話」が崩れる。この年夏の参院選に新党さきがけ(当時)から比例代表で立候補し初当選した水野さんは、原発の安全性に疑問を抱くようになった。例えば、00年11月の参院経済・産業委員会で、「安全確保」などを名目に原発立地自治体への補助金をかさ上げする法案が審議されると、水野さんは国側にこんな質問をぶつけている。  「安全対策という点において従来の施策というものがやっぱり何か足りなかった、不足だったというふうにお感じになっているのか。感想をうかがいたい」  答弁内容は、99年に核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」(茨城県東海村)で起きた臨界事故を機に、「地域ごとの防災計画が今見直されている」などというもので、質問とかみ合っていない。  水野さんは「経済産業省や中部電力の担当者に説明を求めると、みんな口をそろえて『絶対大丈夫です。マグニチュード8の地震でも耐えうる強度がある』と言う。でも、阪神大震災では『絶対安全』と言われていた高速道路が倒壊し、『絶対』の根拠は全くなくなった。浜岡原発で大きな事故が起きると、新幹線が止まり、日本が分断され首都圏も居住できなくなり、経済は成り立たなくなる」。そう考えていたとき、知事選への出馬要請を受けたのだという。 (略)  水野さんは5月29日に立候補を正式表明。記者会見で浜岡原発についてこう述べている。翌30日の毎日新聞静岡県版は要旨を次のように伝える。  <心配なのは東海地震が起きた時。断層などの位置が正確に把握されるようになり、浜岡町は非常に危険な場所であることは間違いない。中部電力は浜岡原発は絶対安全というが、災害には絶対はなかなかありえない。知事の立場で安全性を再確認していきたい> 木内さんは「原発は選挙のプラスにならない」  夫の知事選出馬に当初反対していた木内さんが、応援することに転じた理由について、彼女は14年にウェブサイト「マガジン9」編集部のインタビューにこう答えている。  <水野は、浜岡原発を止める「いいチャンスだ」と、せっかくチャンスがあってお願いされているのに、「僕は逃げるわけにはいかない」と言ったんですよ。それはやっぱり、「人としてかっこいいな」と思ったので、わたしもひと夏、ものすごく頑張ったんです> (略) 木内さんは01年当時、原発の危険性について全く考えていなかったという。知事選の投開票日は7月29日。静岡空港の建設を推進し自民、公明などが推薦する現職が102万4604票を得て3選を果たした。支持基盤のない無所属の水野さんは、田中康夫長野県知事(当時)や堂本暁子千葉県知事(同)らの支援を受けたが、56万8008票で落選した。 「原発はあってはならない発電手段」  その10年後、福島第1原発が爆発する。木内さんは「あなたが言っていたことは本当だった。私は無関心で無理解だった」と話したという。水野さんは「3・11後の木内みどり」についてこう解説する。  「原発はあってはならない発電手段であると認識し、自身の無関心を恥じて、彼女は自ら勉強し始めました。世界から原発をなくすために自分に何ができるかを考え、行動するようになった。次第に彼女は、原発が造られる以前に日本は被爆国であり、他の国にはない悲惨な経験があったことに思いをはせるようになった。そこから原爆をなくすための行動を始めました」  その一つが、この連載で紹介した原爆絵本「おこりじぞう」の朗読会である。水野さんは続ける。  「原爆に関心を持つと、その背後にある戦争と平和の問題や、憲法9条に興味を持つようになった。戦争体験から生まれた9条がいかに重要であるか、と。彼女は一つ一つのステップを自分で納得しながら慎重に踏んで、関心を広げていく。しかも、生半可な理解ではありません。謙虚な姿勢で学んでいた。戦争反対を訴えるようになりましたが、原発反対が全ての出発点だったんです」 全文は<14>原発について「無知」を恥じた理由

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福島原発事故、避難者の家計悪化顕著 関学大調査 via 神戸新聞

 2011年に起きた東京電力福島第1原発事故の避難者を対象に、生活上の課題を探ったアンケートを実施した関西学院大災害復興制度研究所(兵庫県西宮市)は27日、結果を公表した。収入や雇用状況の悪化が鮮明になり、多くが元の居住地に住民票を残したままだということも判明。同研究所は、避難先でも住所地と等しい市民サービスを受けられる新制度などを政策提言していく。(金 旻革) […] 居住地の内訳は帰還困難区域14%(100人)▽避難指示解除区域20%(140人)▽指定なし60%(417人)▽不明5%(37人)。同研究所によると、自主避難者を含む全国規模の避難者調査は初めてという。  総収入の変化では、震災前に全体の7割弱を占めた「300万円以上~2千万円以上」の人の割合が、2019年では低下=表参照。逆に震災前に2割強だった「300万円未満~収入無し」が全体の4割弱に増えた。また、新型コロナウイルスの影響が「大変ある」「少しある」と答えた人は5割超。職業は非正規雇用や無職、専業主婦が、震災前の4割強から現在は6割強になっている。  住民票の所在地については自主避難者の9割近くが現在地に移した一方、強制避難した避難指示解除区域の7割弱の人々が移しておらず、帰還困難区域の避難者の9割弱もそのままだった。主任研究員の斉藤容子准教授は「古里への思いや、避難者でなくなれば税の減免・免除などの経済支援を失う不安などがある」と分析する。また、福島県からの避難者に将来的な帰還の意向を尋ねると「戻るつもりだ」は138人(26%)、「戻るつもりはない」が341人(65%)だった。  同研究所は調査結果を受けた提言として、避難者が避難先で「準市民」資格を得る新制度▽金銭的な困窮状態に陥らない「避難時ベーシックインカム(最低所得補償)」導入▽避難者の生活の安定などを図る「原発避難者援護法」制定と「原発避難者援護基金」創設-を国に働きかける方針。斉藤准教授は「復興はまだ終わっていない。誰もが当然として逃げる権利を保持し、新しい土地で生きていける制度設計が必要だ」と強調した。 全文

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【検証・放射線】後悔…避難中の死 緊急被ばく医療「歴史に学ばず」via 福島民友新聞

2011(平成23)年3月14日午前、東京電力福島第1原発から北に約24キロ離れた相双保健福祉事務所(南相馬市)。原発から20キロ圏内の病院に入院していた患者や施設の入所者を乗せたバスが慌ただしく到着した。  車内には寝たきりの患者や認知症とみられる入所者のほか、座席から転げ落ちて頭から血を流している高齢者の姿も。緊急被ばく医療のチームの一員として広島大から派遣された救急医の谷川攻一(63)は、壮絶な避難の実態を目の当たりにした。  患者らは事務所を経由して各地の避難所に移ったが、途中で亡くなる人が出た。原発事故前から日本の緊急被ばく医療の仕組みづくりに関わってきた谷川は、放射線の影響を避けるための避難が人命を奪う要因となったことを悔やんだ。  「原発事故が自然災害に複合して起こること、原発事故で病院全体が避難を強いられる事態になることに備えてこなかったのが一番の反省点」。谷川はこれまでの緊急被ばく医療を振り返り、こう述べた。「日本の緊急被ばく医療は、過去の歴史を真摯(しんし)に学んでこなかった」 スリーマイルと新潟  1979年、米・ペンシルベニア州でスリーマイルアイランド原発事故が起きた。機器の故障と操作ミスで核燃料が溶け、圧力容器の底に落下した重大事故。徐々に避難区域が拡大され、病院も一時避難を検討する事態となった。  谷川は言う。「病院関係者が当時の記録を残している。入院患者の避難の準備をしないといけない一方で、スタッフが逃げて少なくなっていった。実際に避難には至らなかったが、福島の事故直後の1週間のような状況だった」。福島をほうふつとさせる事態が、その32年前に起きていた。  福島の事故の4年前にも、緊急被ばく医療の盲点に気付く機会があったという。2007年の新潟県中越沖地震だ。東電柏崎刈羽原発で火災が発生し、原子力災害が自然災害に伴って起こりうることが示された。「原発周辺の病院や介護施設が避難しないといけなくなった時、どうするか。あの時が、対策を講じる最後のチャンスだった」。谷川は「事故は起きないだろう」という安全神話が背景にあったと考えている。 全文は【検証・放射線】後悔…避難中の死 緊急被ばく医療「歴史に学ばず」

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所沢の作家、原発問題に挑む 市ゆかりの22人 作品展 文化センターで来月6日まで via 東京新聞

(抜粋) 市内在住者の作品や、市内開催の展示会に出品された作品計44点を展示。 志水児王(じおう)さんと飯田博之さんが共同制作した「崩壊音楽」は、トランクケース状の立体物に放射線量計を置き、線量に応じて異なる音を奏でるという。  加茂昂(あきら)さんの油彩画「福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ」では、東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域の荒涼とした風景が描かれた。  入場無料。西武新宿線航空公園駅東口から徒歩約10分。問い合わせは市文化芸術振興課=電04(2998)9211=へ。 (加藤木信夫) 全文は所沢の作家、原発問題に挑む 市ゆかりの22人 作品展 文化センターで来月6日まで

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原爆小頭症を内部告発したABCC女性職員via News 23

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政府の廃炉対応は「不真面目」 規制委前トップの直言via朝日新聞

聞き手・福地慶太郎2020年11月18日  東京電力福島第一原発事故の直後、原子力を推進した科学者として国民に謝り、その後は全国の原発の安全対策を審査する組織のトップとなり、再稼働を認めた。いま、ふるさとの福島県で復興に携わる田中俊一さん(75)には、政府の廃炉への対応は不真面目に映る。 […]  ――原発事故の3週間後、田中さんを含む原子力の専門家16人が連名で、事故の発生を国民に陳謝し、事故の悪化を防ぐため、原子炉や使用済み燃料プールの冷却機能回復など異例の緊急提言を行いました。  「ああいう重大な事故が起きたということは、『原子力の平和利用』を進めてきた科学者の社会的責任として、陳謝が必要だと考えました。そして、国全体が一丸となって取り組むべきことを早く示す必要があると判断しました」  ――2011年5月には福島県飯舘村に入り、有志で除染を始めました。  「やらないほうが楽だと思いますが、やはり、何かしなきゃという人生観ですね。11年5月、汚染されて避難が必要な状況で、中に入れるのは飯舘村ぐらいでした。飯舘村は(避難指示が出てすぐではなく、計画的に避難する)計画的避難区域に指定されたから入れたのです」  ――12年9月、全国の原発の安全対策を審査するために発足した原子力規制委員会の初代委員長に就任しました。直前の国会では「(就任を)大変悩みました」と明かしています。  「規制というのは、原発を動かすのが前提です。『原発はやめるべきだ』という空気が社会で強まった状況で、規制に対する信頼を本当に取り戻せるのか、と考えました」  ――それでも、「国民が納得できる規制に取り組むことが日本のためだ」と説明しました。  「国会事故調査委員会は、原発事故前は専門性の欠如などから規制当局が電力会社の『虜(とりこ)』になったと指摘しました。その点は払拭(ふっしょく)でき、規制委への一定の信頼は得られたんじゃないかと思いますが、それは皆さんが判断することです」 ――被災地を支援する一方、規制委員長として全国の6原発12基に再稼働に必要な許認可を出しました。  「規制委の役割は、原発を止めることじゃないんです。二度と福島のような事故を起こさない。その条件として、電力会社から見ると厳しい(安全対策の)要求をします。その影響で、国内の多くの原発が廃炉になりました。規制委員長のころは所掌外だったので言いませんでしたが、私は個人的には原発なしで日本はやっていけないと思っています」  ――その理由は。  「まずエネルギー資源がないですよね。再生エネルギーの割合は増えたけど、まだまだ。原発の運転が見通せない日本は、石油や石炭の割合が高く、(温暖化対策に後ろ向きと認定された国が選ばれる不名誉な)化石賞をもらいました。原発のリスクと温暖化のリスクをどう考えるのか、です」 […] ――原発への国民的理解と事故防止はどうつながるのですか。  「国民的な理解がないままだと、良い人材は集まらないんです。私が原子力を学び始めたころは、大学でも工学部の中で優秀な人たちが集まっていました。いまはなかなか集まらない。社会的な位置づけを明確にするべきです。そのためには、きちっとした議論が必要です」 ――福島第一の処理済み汚染水の処分方法について、議論が続いています。  「私は規制委員長のころから、(国の基準を守って海に)捨てるしかないと言ってきました。廃炉作業で出るほかの廃棄物と比べると、処理水のリスクは小さなものです」  ――他の廃棄物とは。  「最たるものは、(核燃料が溶け落ちた)デブリの始末でしょう。高レベル放射性廃棄物に近い建屋の構造物などもあります。(今年、半分に解体された)排気筒もそうです。福島県は、廃棄物はすべて県外に持ち出すように言っていますが、できるはずがありません」  ――なぜですか。  「どこも受け取るはずがないからです」  ――政府と東電の工程表には「30~40年で廃炉を完了する」とあります。  「それもできません。30~40年後は誰も責任がないから、そう書いているだけです」  「あの場所が更地になるようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、更地にはできません。敷地の一部は出入りできるようになるかもしれませんが、原子炉建屋のまわりはほとんど人が出入りできない土地になると思います」  ――地元はどう受け止めたらいいですか。  「あまり愉快ではないかもしれないですが、それはしょうがないと思います。できないことは、できないんですから。それなのに、デブリを取り出して更地になるように言うのは罪だと思います」  ――いまの政府は、更地にできるように言っているように見えますか。  「そう見えます。パフォーマンスをしていて、非常に不真面目ですよね」  ――現在は飯舘村の復興アドバイザーです。茨城県の自宅と飯舘村から借りた住宅を行き来しながら、村で活動しています。 […] ――一方で、除染土を含む農地で栽培された野菜の安全性を不安に思う人もいます。  「不安に思うなと言うほうが無理だと思います。それを踏まえ、前に進めていくんです。実証事業の内容、検査結果を大いに報道してもらって、少しずつ心の不安を解消してもらうしかないと思っています」(聞き手・福地慶太郎) 全文

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福島原発・汚染水、県議会「安全確認できた」…不適切な測定方法か、測定不能な測定器使用か via Business Journal

文=菅谷仁/編集部  東京電力福島第1原発のタンクに溜まり続けることで、問題となっているトリチウムなどを含む汚染処理水。政府は10月末にも関係閣僚会議を開き、汚染処理水の海洋放出を決める方針だったが、地元の漁業団体の反発などで先送りとなった。 そんな渦中の11月10日、福島県議会避難地域復興・創生等対策特別委員会のメンバーが第1原発に訪問した。その際に、トリチウム水の線量を測定している風景を切り取った写真が物議を醸している。トリチウム水の線量を測定している風景を切り取った写真に関して複数の研究者から「これは誤った測定方法だ」「誤解を招く」との指摘が相次いでいる。 写真で県議らは空間線量などのγ(ガンマ)線を測定する機器を使っている。だが、処理水に含まれるトリチウムはβ(ベータ)線核種であり、この測定器ではもともと放射線量は計測されないからだ。 (略) 「処理水の安全性について、その場にいた全県議が科学的に確認することが出来ました。写真は、処理水の安全性を確認した神山悦子県議(共産党)江花 圭司県議(自民党)です」(原文ママ、以下同)「江花圭司県議が放射線数値を測る機器を持ち、渡部優生県議(県民連合)、瓜生信一郎県議(県民連合)が処理水ボトルを持っています」「ちなみに、処理水ボトルの放射線量は、0.12マイクロシーベルト、対比する市販の家庭用ゲルマニウム温浴ボール1.38 マイクロシーベルトでした」「ちなみに『処理水ボトルの水は飲めるのか?』と聞いたところ、東電の説明では『煮沸すれば飲める』とのことでした。煮沸の理由としては『元々は雨水や地下水であり、このまま飲むと雑菌でお腹を壊す』という説明を受けました。確かに、そりゃそうだ」 (略) 実際問題として、廃炉現場に携わる政府関係者や東電関係者からは「今のような遅々として進まない廃炉作業の現状下で、再び東日本大震災のような大規模災害が発生し、大津波が襲来した場合、前回の原発事故に並ぶ破滅的な結果を招く可能性がある」「タンク増設のリソースを、廃炉に回し事故の元凶である燃料デブリの取り出しに注力しなければ、根本的な二次災害の不安払しょくにはならない」などとの声も聞かれる。処理水をどうするのかは、まさに廃炉の最前線にとって喫緊の課題なのだ。トリチウムはβ線核種  そうはいっても福島第1原発に貯蔵されているトリチウム水は原子力規制委員会が規制する放射性物質であり、正確な測定と誤りのない情報発信は必要なはずだ。 トリチウムはβ線核種だ。放射線にはα線、β線、γ線の3種類がある。一般的に電磁波であり極めて透過性の高いγ線は厚さ10センチの鉛板でなければ遮蔽するのが難しい。一方、α線は原子核なので紙1枚でも通過できない。β線は電子なのでプラスチック板で遮ることが可能だ。 つまり水面の線量を図るのならまだしも、β線を発しているトリチウム水を、県議会が測定しようとしたようにペットボトルの外側から正確に測定することは難しいのだ。 また、県議会メンバーが測定に利用しているアロカTCS-172シンチレーションサーベイメータは「高感度環境γ線測定器」でありβ線を測るのには適していない。 (略) 「測定器は当方が当日貸し出したものです。ご指摘のように、この測定器はトリチウムのβ線を計測するのは適していません。当方としては、ALPSでセシウムなどのγ線核種がしっかり除去できているということをご理解いただくために、機器を貸し出させていただきました。今回の測定の趣旨は、トリチウム水が周囲に高いγ線を発しているということはなく、周囲のバックグランドと同じ程度の線量であることを示すためのもので、トリチウム水自体の線量を測定するものではないと考えております」 県議会、東電ともにトリチウム水の安全性を強調したかったのだろうが、このアピール方法では誤解や邪推を招く可能性が高いのではないだろうか。いずれにせよ科学的に正確な立証と誤解のない情報発信を重ねない限り、風評被害の払拭は難しいだろう。 全文は福島原発・汚染水、県議会「安全確認できた」…不適切な測定方法か、測定不能な測定器使用か

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「相談相手がほしい」福島原発の避難者アンケート via 日刊スポーツ

「相談相手がほしい」。関西学院大災害復興制度研究所が実施した東京電力福島第1原発事故の避難者アンケートの自由記述欄には、他者とのつながりを求める声が目立った。自主避難による別居が原因で、新型コロナウイルスの給付金を受け取っていないケースがあることもうかがえた。 自由記述欄には「精神科に通院している。元の場所へ帰りたい」「狭い部屋に住んでいるが、子どもが大きくなり、ますます手狭でストレスが大きい」といった切実な悩みが記されていた。 避難者全体を対象にした問いで、近所と「ほとんど付き合いがない」の回答は、事故前の5・9%から現在は21・6%に増加していた。 新型コロナの給付金を巡っては「世帯主が受け取っているので渡してもらえていない」「『反対を押し切って避難したのだから、給付金の権利はない』と言われた」との記載があった。 続きは「相談相手がほしい」福島原発の避難者アンケート

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