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[ヒロシマの空白] 黒い雨 解明への道筋は via 中國新聞

1945年8月6日、米国が投下した原爆が広島市上空で爆発した後、放射性物質を含む「黒い雨」が広い範囲に降り注いだ。そのこと自体はよく知られているが、被害の実態には未解明な点が多い。黒い雨の体験者を被爆者と認めた昨年7月の広島地裁判決を受け、国はあらためて降雨域などの検証に乗り出した。ただ、時間の壁は厚い。直接被爆だけではない原爆被害の「空白」は、なぜ今なお埋まらないのか。「空白」に苦しむ当事者の証言や科学的調査の歩みをたどる。(明知隼二) 新たな検証 国が検討会五つの視点 課題は山積 気象の再現 精度疑問/土壌の調査 核実験と判別困難  国は昨年11月、黒い雨の降雨域を検証するため、専門家11人による検討会を設けた。初会合で気象シミュレーションなど5項目の作業が示され、今後は公募で選ばれた研究者たちによるワーキンググループへと舞台を移す。課題は山積だ。  「技術の向上で新たな検証ができるのでは」。検討会で国の担当者が筆頭に挙げたのが、原爆投下時の気象をスーパーコンピューターで再現し、降雨域を見るシミュレーションだ。欧州では、過去100年の地球上の気象を再現するデータ整備が進む。そのうち1945年のデータを活用することが念頭にある。 […] 唯一、黒い雨の体験者を直接の対象とする検証作業が、黒い雨に関する国の健康相談事業を利用した人の調査だ。相談時の健康状態の申告内容の分析や、県のがん登録との照合を視野に入れる。かかりつけ医からの情報収集や、病歴の再検証など、いかに網羅的な調査ができるか。国の姿勢が問われる。  内部被曝(ひばく)を巡る問題について、座長の湘南鎌倉総合病院の佐々木康人・放射線治療研究センター長は「異なる意見があり、どこかで整理したい」と触れるにとどめた。委員からは「放射性微粒子の健康影響、という観点からも検討を」との意見も出ている。 発生の仕組みきのこ雲から放射性物質降る […] 原爆によるきのこ雲は上空約1万6千メートルに達したとされる。大きく分けて雲の発生源は三つあり、それぞれから放射性物質を含む雨が降ったと考えられる。まず、爆発後の火の玉から生まれた雲だ。原爆は地上600メートルで爆発後、高熱の火球となり膨らみながら上昇。徐々に冷やされ、きのこの「かさ」の部分をつくる雲となった。  一方、地上に届いた爆発の衝撃波は、土ぼこりや家屋の破片などを上空に巻き上げ、ちりによる雲を生んだ。さらに、爆心地からおおむね2キロ以内を全焼させた火災による雲も発生。きのこ雲の中~下部を形作ったとみられている。  きのこ雲には、多くの放射性物質が微粒子として含まれていた。原爆の原料ウランの分裂でできたセシウムなどの放射性物質、分裂しなかったウラン、放射能を帯びた土ぼこりやすすなどだ。  こうした放射性微粒子は雨として広い範囲に降り注いだほか、乾いた微粒子のまま空気中に拡散したとみられる。雨や濡れた地面からの放射線だけではなく、飲み水や食べ物により放射性物質を体内に取り入れたことによる内部被曝の可能性が指摘されている。 体験者の今心身 癒えぬ苦しみ 援護区域拡大へ闘い続く […]  直後の下痢やだるさ、長く続く貧血に、後年のがん―。黒い雨を浴びたり、雨で汚れた野菜や水を口にした人の多くに共通する証言だ。「雨のせいとしか思えんのです」。高野さんは訴訟の原告団長を務める。  しかし黒い雨は、どこまで降ったのかも、どのように人体に影響を与えているのかも、いずれも十分には分かっていない。 黒い雨による体の変調については、陸軍軍医学校が45年10月の記録を残す。雨を浴びた古江地区(現西区)の住民6人を調査。全員がだるさを訴え、脱毛、出血斑が出たという人もいた。人数が少なく「断定し難し」としつつ、雨の影響と考える事も「可能」と記した。宇田技師らも、いずれも現西区の己斐や高須で長期間にわたる下痢が「頗(すこぶ)る多数」とし、雨の流入した井戸水の影響と推察した。  「直接被爆とは違う被爆があるはず」。4歳で雨を浴び、5年前にがんを患った谷口百合子さん(80)=佐伯区=はそう語る。訴訟には加わっていないが、国の控訴には不信を抱く。「原爆被害を、核兵器の危険を過小評価してはいないでしょうか」 検討会委員 広島大名誉教授 鎌田医師に聞く内部被曝 過小評価されてきた 体験者の言葉に耳を傾けねば 黒い雨の実態解明には何が必要なのか。長年にわたり放射線被曝による後障害の研究に取り組み、国の検討会に委員として参加する広島大の鎌田七男名誉教授(83)に聞いた。 ―黒い雨の人体への影響をどう見ますか。 影響があるはずだ。放射性物質を体内に取り込む内部被曝の可能性が過小評価されている。影響が出るには時間がかかるはずだが、その仕組みや特徴はまだ解明されていない。これまでの調査は、あまりに早く結論を導いてしまっている。 ―1988年の広島県と広島市の専門家会議でも委員を務めました。 当時は近距離で大量に放射線を浴びた人を研究すべきだとの使命感があり、それ以外の被爆を軽視していた。未熟だった。今は異なる認識を持っている。 ―なぜ考え方が変わったのですか。 原爆養護ホームの園長を務めていた頃、原爆投下後に黒い雨が降った古田町(現西区)に住んでいた女性と出会った。当時29歳で、家は爆心地から4・1キロ。出産直後で動けず、約2週間は自宅周辺の野菜や水を摂取していた。  女性は80代で肺や胃、大腸などに相次いでがんを患った。後に肺がんの組織を調べると、ウランが放出源とみられる放射線の痕跡を確認できた。内部被曝の確信を得た。 ―黒い雨の実態に迫るには何が必要ですか。 これまでは集団の傾向を調べる研究が強く、個別の症例はいわば「砂粒」のようなものだった。しかし今は医師として、臨床家の目線が大切だと感じる。被爆者のがんの増加にいち早く気付いた於保源作医師(92年に87歳で死去)は、日々の診療の中で抱いた違和感を調べ抜き、事実を明らかにした。 まずは予断なしに体験者の言葉に耳を傾けなければならない。  今回の検証が、黒い雨の体験者にとっては最後の機会となるだろう。2011年3月の東京電力福島第1原発事故の後、放射性物質が雨水だまりに集積したり、風に乗って遠方に飛んだりしていたことなど、新たな発見もあった。そうした知見も生かしながら、虚心に議論を尽くすべきだ。 かまだ・ななお 広島大医学部卒。同大原爆放射能医学研究所(現原爆放射線医科学研究所)所長、放射線被曝者医療国際協力推進協議会(HICARE)会長などを歴任。広島原爆被爆者援護事業団理事長を2017年3月に退いた。専門は血液内科学。 (2021年1月3日朝刊掲載) 全文

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【ヒロシマの空白】被爆の線引き<下>内部被曝を追う 細胞損傷の一端つかむ via 中國新聞

▽欠かせぬ長期解析  原爆のさく裂時に大量の放射線を浴びてはいない「黒い雨」の経験者や入市被爆者も、健康被害を訴えているのはなぜなのか。長年、放射性物質を体内に取り込む内部被曝(ばく)の可能性が指摘されながら、体に影響を与える仕組みの解明は進んでいなかった。その一端に迫る研究が、ようやく始まっている。  ■初の成果を発表  ラットの肺の顕微鏡写真に、黒く変色した箇所が見える。「組織が壊死(えし)した部分です」と、分析した長崎大の七條和子助教は解説する。広島大の星正治名誉教授たち日本、カザフスタン、ロシアの研究者による共同研究の一環。内部被曝による細胞の損傷を初めて具体的に捉えた成果として、昨年6月に論文として発表した。 […] マンガンは土壌や昔の民家の土壁に多く含まれる。原爆のさく裂時に放射能を帯びて大量に舞い上がり、ほこりや雨などの形で人間の体内に取り込まれたと考えられている。半減期は2・6時間。短時間で放射線をほとんど出さなくなるため、その痕跡を後から調べるのは難しかった。七條助教は「肺に沈着した微粒子の場所を特定し、その周りの細胞の損傷を確認できた意義は大きい」と話す。  被爆の健康影響はこれまで、放射線影響研究所(放影研、広島市南区)の大規模調査などを通して、直接浴びた放射線の量を基本に研究が積み重ねられてきた。国際放射線防護委員会(ICRP)が示す防護基準も、放影研のデータが基礎となっている。  人間が放射線を浴びた場合、肺に確実に急性症状が出るのは、8グレイ以上という致死量を浴びた場合に限られるとされる。これに対し、実験で内部被曝させたラットの肺の被曝線量は計算上、肺全体では0・1グレイほど。七條助教たちは、微粒子の周りの狭い範囲で極めて高い線量の被曝をしたために、細胞が損傷したとみている。今後、小腸や大腸の分析も進めるという。  この実験について、京都大複合原子力科学研究所の今中哲二研究員は「臓器全体が均一に被曝する前提に立つ現行の計算モデルでは内部被曝の影響を捉えきれない、との可能性を示す知見だ」と評価する。  ■研究環境に課題  慎重な見方もある。放射線病理学が専門の東北大の福本学名誉教授は「重要な実験だが、マンガン自体の毒性という可能性も排除しきれない。変化の原因は何か、さらに精密な解析を期待したい」とする。局所的な内部被曝が長期的ながん発生にどうつながっていくのかを解明することも、今後の課題とみる。  七條助教は内部被曝の解明を「ライフワーク」と語るが、こうした研究は広がりにくいのが実情だ。低線量被曝などを研究する大阪大の本行忠志名誉教授は、研究者の任期付き雇用の増加などを懸念する。「放射線の生物への影響を調べるには長期の観察が欠かせないが、短期的な成果を求められる環境では取り組みづらい。若い研究者への支援や、公的な研究機関による本腰を入れた研究環境の整備が必要だ」と訴える。  3歳で「黒い雨」を浴びた佐伯信子さん(78)=広島市安佐北区=は、2歳下の妹行子さんを2年後に亡くした。自身も母もがんを患ったが、「科学的根拠」の不足を理由に国から健康被害を否定されるたび「今更どうにもならないのか」と思う。直接被爆だけではない原爆被害の実態を「空白」で終わらせないため、「被爆国」を掲げる政府の被害解明への本気も問われている。(明知隼二) 全文

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「虎ノ門GHQ」が東電に介入 さらに社長が無神経発言via朝日新聞

首相官邸や霞が関の官庁街に連なる東京・虎ノ門の共同通信会館。アメリカ大使館の向かいに位置するこの9階建てビルの5階に当時の「原子力損害賠償支援機構」は本部を構えている。いまは、廃炉を支援する役割も担い、「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」という。  機構は2011年9月に発足した。賠償費用を肩代わりするだけでなく、東電に徹底したコスト削減や改革を迫り、賠償費用の返済に向けた再建計画をつくる役割が期待されていた。東電に身を切る改革を実行させ、公的資金による東電救済への批判をかわす狙いもあった。  東電からみれば、機構は国から送り込まれた「進駐軍」そのものだった。当時、東電社員たちは機構を「虎ノ門GHQ」と呼んだ。東京・内幸町の東電本店にいる東電の「天皇」とも言われた会長の勝俣恒久に対し、「虎ノ門GHQ」の「マッカーサー元帥」にあたるのは、経済産業省から機構に理事として出向していた嶋田隆だった。その後、東電の取締役として改革を主導し、経産次官になる人物だ。 […] 原文

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<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(2)失職恐れ、線量隠すvia 東京新聞

原発作業員の被ばく線量の上限は「五年間で一〇〇ミリシーベルト」かつ「年間五〇ミリシーベルト」と法令で決められている。重大事故最中の東京電力福島第一原発(イチエフ)でも事故直後以外はそのルールが適用され、実際には年間二〇ミリシーベルトとする下請け企業が多かった。 その値を超えそうになると、作業員はイチエフを出ることになる。雇用先が他の仕事を確保できていればいいが、小さな下請け企業ほど状況は厳しく、解雇者が出た。 […] 厚さ五ミリほどの鉛板を箱型に成形して下着の胸ポケットに隠し、線量計を鉛箱の中に入れて現場に出た。この作業員は線量の低い場所に線量計を置いていく手法も併用。鉛箱は上部が開いていたため、効果は小さかったという。 線量計を適切に着けているかチェックは強化されたが、線量隠しが起きた根本原因の改善はなされなかった。作業員たちは「高線量と低線量の仕事を合わせて発注したり、除染など他の仕事を確保し、安定してイチエフで働けるようにしてほしい」と訴えた。 全文

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<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(3)人海戦術 3号機囲う via 東京新聞

(抜粋) 「高線量のがれきがある建屋上部に行くほど、線量がどんどん上がる。放射線量は低くても二八ミリシーベルト。(被ばくを低減する)タングステン入りベストを着て現場に駆け上がり、ボルトを一個締めて駆け降りるのがやっと。作業は移動を含めて十五分。うち作業ができるのは五分とか。被ばく線量上限は三ミリシーベルトに設定されたが、あっという間に上限に近づく。人海戦術でやるしかなかった」  作業員の言葉通り、3号機原子炉建屋の放射線量はすさまじかった。使用済み核燃料プールのある五階で毎時五〇〇ミリシーベルト、一階の格納容器搬入口で最大値の四七八〇ミリシーベルトを記録している。別の作業員も「一カ月もたたないうちに人が入れ替わった。毎週のように送別会をしていた」と語る。  囲いが完成した後、四年がかりで建屋上部のがれきなどが遠隔操縦の重機で丹念に取り除かれた。囲いを土台として使用済み核燃料を取り出す装置が設置された。取り出しは八割近くまで進んだ。 全文は<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(3)人海戦術 3号機囲う

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東電が軸の原発再編再浮上、中間貯蔵施設に悩む関電に「貸し」が引き金 via Diamond online

原子力発電所の使用済み核燃料を一時保管する青森県むつ市の中間貯蔵施設について、大手電力でつくる電気事業連合会は、原発を保有する各社で共同利用する方針を打ち出した。これは事実上、関西電力の“救済策”である。(ダイヤモンド編集部 堀内 亮)  電気事業連合会は、東京電力ホールディングス(HD)と日本原子力発電の合弁会社、リサイクル燃料貯蔵(RFS)が青森県むつ市に建設中の中間貯蔵施設を共同利用する方針を打ち出した。その翌日の2020年12月18日、関西電力の森本孝社長は、東京・大手町にある経団連会館で記者会見に臨んだ。  電事連が掲げるRFSの中間貯蔵施設の共同利用について問われると、森本社長は険しい表情を崩さずに「地元(青森県、むつ市)のご理解が得られた上で、積極的に参画したい」と慎重に答えた。 続きは有料サイト東電が軸の原発再編再浮上、中間貯蔵施設に悩む関電に「貸し」が引き金

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東電の免責「ありえない」 焦る銀行団、飲み会にずらりvia 朝日新聞

大津智義、編集委員・大月規義、古賀大己2021年1月6日 「。。。」 震災時は、中国への視察で不在だったものの、帰国してから社内を取り仕切っていくのが、東電会長の勝俣恒久だ。02年、原発のトラブル隠しで首脳陣が総退陣する一大不祥事の後を任され、社長に就いた人物だ。その後も原発の検査データの改ざんや新潟中越沖地震などの修羅場をくぐり抜けてきた勝俣は、頭の回転が速く、「カミソリ勝俣」とも呼ばれていた。  事故の収束後の責任問題も見すえて動いていた。東電内では、法務部門を中心に顧問弁護士の意見を仰ぎ、原子力損害賠償法が定める電力会社の「免責規定」が使えるか否かの検討を始めていた。  1961年にできた原賠法では、原発事故が起きた場合、過失の有無にかかわらず電力会社に賠償させる「無過失責任」と、賠償に上限を設けない「無限責任」という、極めて重い責任を電力会社に負わせている。大蔵省(現財務省)が巨額の財政負担を懸念したことや、広島、長崎への原爆投下から15年ほどの当時、世論への配慮もあった。ところが、その世界でもまれな無限責任を定めた同法第3条にはただし書きがある。  「その損害が異常に巨大な天災地変又は社会的動乱によって生じたものであるときは、この限りではない」。つまり、理由によっては、例外的に電力会社の責任を免除するという、いわゆる免責規定だ。  勝俣は東日本大震災による津波は、この「異常に巨大な天災地変」にあたる可能性が高いと考えた。つまり、想定外の津波で起きた事故だから、自分たちに無限責任はないというわけだ。「あの条文を読めば、誰だって免責が適用されると考える」。東電の関係者は今でも口々にそう語る。 東京電力の福島第一原発事故から3月で10年を迎えます。事故後に実質国有化された東電はいまも、自立再生の道筋が見えないままです。なぜ、こうした状況になっているのか。まず最初に、東日本大震災を引き金とした原発事故の責任問題をみます。事故直後から様々な当事者たちの間で激しい攻防が繰り広げられていました。 「。。。」

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「知っていたら、外に出さなかった」原発事故から9年半も、残る後悔via 朝日新聞

Hideyuki Miura 東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之) 子育て後、児童クラブの指導員に […] 福島市で避難生活を送る浪江町の元臨時職員佐々木加代子さん(58)は、野山で遊ぶ子どもたちの写真を見ながらつぶやいた。 […]山間の集落は大自然に囲まれている。野原を散策したり、川で遊んだり、雪合戦をしたり。十数人の子どもたちも周囲の大人に見守られ、タケノコのようにすくすくと育った。 震災後やってきた防護服の人たち 震災時は老朽化した建物が危険だったので、児童クラブにいた子ども6人を車2台の中へと避難させた。激しい揺れで泣き叫ぶ子どもたちに「大丈夫よ」と声を掛け、午後6時にはなんとか家族に引き渡すことができた。 問題は次の日だった。原発が危機的な状況に陥り、沿岸部から多くの浪江町民が津島へ避難してきた。津島の子どもたちは大人に交じり、屋外で避難者の世話や炊き出しを手伝った。「お手伝い、頑張って」。そう声を掛けたことを思い出すと、今も胸が張り裂けそうになる。 「子どもたちを守れなかった。『放射能が危ないから、子どもたちは家から出てはダメよ』。そう声を掛けるべきだったのに……」 2日後の3月14日、外で炊き出しをしていると、全身を防護服で包み、厚いマスクを着けた男性たちがやってきて、「何をしているのですか、家の中に入りなさい!」と大声で怒鳴られた。周囲の大人たちはポカンとし、何が起きているのかわからなかった。 知っていたら、外には出さなかった あの時、国や東京電力は津島が危険だと知っていたのではないか、と思う。 「なぜ教えてくれなかったのでしょう? もし知っていたら、私は子どもたちを絶対に外には出さなかった。彼らが将来病気にならないかどうか、事故から9年半が過ぎた今でも心配でならないのです」 全文

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<ふくしまの10年・イチエフあの時 続く苦闘編>(1)ホースに穴 思わぬ敵via 東京新聞

二〇一一年十一月ごろから東京電力福島第一原発(イチエフ)では、汚染水処理で使うホースに小さな穴が開く水漏れが相次ぎ、その対応に悩まされた。 トラブルを起こした原因はイネ科の雑草チガヤだった。 「敷地内の至る所にあるホースは仮設で、みんなむき出し。冬は凍結するから、保護材を巻いとかないとヤバイと言ってたんだ。早くから巻いていたら、防げたかもしれない。しかし雑草に突き破られるとはね」。事故前から働くベテラン配管作業員の男性はため息をついた。 1〜4号機の建屋地下にたまった高濃度汚染水は除染装置などで処理された後、一部は冷却水に再利用。残りはタンクにためられる。この循環ループは約四キロあり、使われたホースは十数キロにもなる。 本来なら保護した配管で結ぶところだが、一刻も早く汚染水処理を始める必要があったため、ホースは保護カバーもつけず、無造作に草地の地面にじか置きされた。 […] (片山夏子、山川剛史が担当します) 全文

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<つなぐ思い 震災10年>(4)原発事故 影響忘れない 「ホットスポット」点在 東葛地域 via 東京新聞

 東京電力福島第一原発事故で、比較的高い放射線量が観測された「ホットスポット」が点在する東葛地域。事故から十年近くたっても、放射性物質に汚染された指定廃棄物の処分方法が決まらず、柏市は県内市町村別で最多の千六十四トンを保管し続ける。住民たちは今なお、健康被害の救済や、脱原発を呼び掛ける活動に取り組む。  被ばくによって生じる小児性甲状腺がんの疑いを調べるため、エコー検査をする市民団体「関東子ども健康調査支援基金」は、茨城県守谷市の常総生協に事務局を置く。共同代表を務める木本さゆりさん(51)=松戸市在住=と佐藤登志子さん(49)=我孫子市同=は「子どもたちをどうすれば守れるのか。それが活動の出発点」と振り返る。  事故当時、木本さんは長男が小学校三年生、長女が二歳、佐藤さんは長男が小学校二年生。県内の一部浄水場で乳児の摂取制限の指標値を超える放射性物質が検出されたため、松戸市などで応急給水が行われたり、小学校校庭で土壌汚染が判明したりしていた。各地で自然発生的に行動を起こした母親らがつながって「放射能から子どもを守ろう関東ネット」を結成、二〇一三年に基金が発足するきっかけとなった。  同年十月以来、茨城、千葉、栃木、埼玉、神奈川の五県と東京都で、震災時に十八歳以下だった人を優先対象に巡回検診を行い、二〇年二月までの受診者は延べ一万九百七十人に及ぶ。現在は新型コロナウイルスの感染防止対策で休診中だが、今年三月の再開を目指して準備を進めている。防止対策を施した「模擬検診会場」を設営し、受け付けの様子を紹介する画像を作成、運営協力団体に発信するなどの工夫もこらす。 休診期間中には、受診者のうち、病院での治療を勧めた人を対象にアンケートを実施。三人が甲状腺の手術をしていたことが分かった。木本さんは「原発事故との因果関係は不明だが、検査の必要性があらためて分かった」と話す。各地からは検診再開を望む声が寄せられている。 (略) 東葛地域で脱原発を訴える住民グループが最も注目しているのは、国から再稼働が認められ、およそ八十キロしか離れていない日本原子力発電の東海第二原発(茨城県東海村)だ。  再稼働を巡り、同原発から三十キロ圏内の市町村で実施された住民説明会を、東葛でも開くよう求めている団体の一つ「エナガの会」代表の若井正幸さん(63)=柏市同=は「私自身は再稼働に反対。ただ、それ以前に賛否を議論する判断材料を提供したい」と話す。  会は震災後、国会周辺でのデモに参加したJR常磐線沿線の住民ら十人で一五年に結成。一九年は九千人以上の署名を集め、東葛六市に提出、二〇年十一月には要望・質問書に対する回答を各市から得られた。 (略) 全文は<つなぐ思い 震災10年>(4)原発事故 影響忘れない 「ホットスポット」点在 東葛地域

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