東京電力福島第一原発事故時に福島県内にいた、約300人の子どもたちに確認された甲状腺がん。「事故と因果関係があるのか」ー。事故当時、中学2年だった男性(25)は4度の手術を受け再発の恐れを抱えながら、その答えが知りたくて裁判を起こした。男性ら若者6人が東電に損害賠償を求めた訴訟の第一回口頭弁論が26日、東京地裁である。(片山夏子)
◆再発・転移の懸念、常に
「いつかまた転移し、体調に影響があると覚悟して生きています」。男性は福島県中部の中通り出身で、東京都内の企業で働く。薬は生涯飲み続けなければならないが、体調は良く仕事は充実しているという。 だが、再発や転移の懸念は常につきまとう。声が出なくなったり、体調が悪化して仕事ができなくなったりしたら…。「先のことは考えられない」と言う。当初は裁判に積極的ではなかったが、今は「裁判であった事実の記録を残し、甲状腺がんに苦しむ他の子の助けになれたら」と思う。 甲状腺がんと分かったのは、都内の大学に通っていた19歳の時だった。父親は医師から「悪性度が高く、広範囲に転移がある。5年もたないかもしれない」と告げられたことを、男性には言えなかった。 別の医師にも「チェルノブイリで見られたのと同じ」「原発事故関連と推察される」と言われた。父親は「がんと告げた時、息子は淡々と受け止めていた。心の中で泣いた」と話す。「福島にいてはいけなかった」。避難しなかった後悔が今も消えない。
男性は20歳で片側の甲状腺を切除。半年後に全摘したが、リンパ節への転移もあり、手術は6時間に及んだ。長時間同じ姿勢でいたため、手術後はひどい床ずれの痛みで眠れなかった。声が出ずに痛みを訴えることすらできず、チューブにつながれたまま耐えた。心が沈み、家族の言葉にも反応できなかった。「死んだ方が楽かもしれない」と初めて死を意識した。
◆「半年は避妊を」文書に衝撃
21歳の時にリンパ節への転移で3回目の手術を受け、24歳で再発。手術後の放射線治療では「半年は避妊すること」と書かれた文書をもらった。結婚して子どもがほしいと思っている男性は、子どもに影響するかもしれないと衝撃を受けた。男性は「父親が原発事故に憤りを感じたり、子どものために病院を必死で探したりした気持ちが初めて分かった」と話す。 政府や福島県は、県内で見つかっている小児甲状腺がんと原発事故の因果関係は「現時点で認められない」との立場だ。提訴後、父親は男性ら原告に向けられる差別的な空気も感じ取っている。「せっかく福島が良い方に向かっているのに水を差すな」という声や、離れていった知り合いもいた。
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男性は言う。「原発事故じゃなかったら何があるのか。何も言わなければなかったことにされ、事実が埋もれていく。価値ある裁判にしたい」