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原発から5キロ、大熊町内でそば店を営んでいた。そば職人にあこがれ、28歳のときに脱サラ。同町内で妻の実家近くの土地を探し、横浜市から移住した。 「季節ごとにそば粉の産地を変え、だしのかつお節は甘みがあって臭みが少ない一本釣りしたカツオだけを使った。お客さんの笑顔が見たくて、品質にこだわった」。懐かしそうに語る顔は、どこか誇らしげだ。
東電や下請け企業の社員らが接待で頻繁に利用し、店は繁盛した。2週間先まで予約が埋まるほどだった。そう、あの日までは。
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◆「避難のストレスかな」
同じ年の12月ごろ、一人で留守番をしていると、帰宅した妻が叫んだ。「どうしたの!」。石油ストーブの暖気をこたつに送るビニールホースが焦げた臭いが充満していた。味覚と嗅覚をほぼ失っていた。 2年ほど無味無臭の暮らしを強いられた。「避難のストレスかな」と感じたが、原因は不明だ。今も治療を続けるが、料理人としての感覚には程遠いままだ。「料理番組を見ていると『おれだったらこうするなぁ』と思っちゃう。それで『あ、おれ、味が分からねぇからできないか』って。すごく切ない」。そば屋の復活は難しかった。 ハローワークで仕事を探したが断られ続けた。「年齢的に自営しかないのでは」と思い、たまたまインターネットで太鼓教室の運営者を募る広告を見つけた。
◆消えた不眠の悩み
まったく無経験だったが夫婦で太鼓を体験してみると、不眠に悩まされていた妻がその夜はぐっすりと眠れた。「太鼓も人の笑顔が見られる仕事なのかも」。13年5月、東京都町田市で太鼓教室「TAIKO―LAB町田」を開いた。
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18年、東電による精神的苦痛に対する賠償が打ち切られた。「時間がたてば傷は癒えると東電は考えているのかもしれないが、それは大きな間違いだ」
◆「全ての家を建て直して」
忘れられない光景がある。「あの日」よりもずっと前、福島第一原発での作業ミスを記者会見で謝罪した東電幹部が、その日の夕方に来店した。「下請けがどうしようもねえんだよ」と笑っていた。 未曽有の原発事故を起こしても、東電の体質は変わったようには思えない。 「福島の汚染をゼロにして、全ての家を元通りに建て直し、原発も更地にして住民に返してほしい。それが事故を起こした当事者としての責任じゃないんですか」(小野沢健太)