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「住めない場所」どう住めるように 原発事故に向き合う科学者の覚悟 via Withnews

帰れない村

東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)

「福島県内の山菜を食べても大丈夫でしょうか?」「公園で子どもたちを遊ばせても問題ありませんか?」

9月上旬、福島県二本松市で開かれた市の放射線学習会。参加者の疑問に、講師の木村真三・獨協医大准教授(53)は平易な言葉で答えていく。

「市販されている山菜や、市が開放している公園であれば問題ありません。一方、山林の放射線量については、すぐには減らないことも理解してください」

原発事故で放出されたセシウム137が、半分に減るまでの期間(半減期)は30年。

「でも、山林の場合、土壌にしみこんだ放射性物質を樹木が根から吸い上げ、葉にして落とす。その循環によって地表に放射性物質が濃縮され、30年たっても地表の線量が半分になるとは限らないのです」

生涯を通じて向き合う

2011年3月11日は、川崎市の労働安全衛生総合研究所に勤務していた。福島第一原発の事故を知った直後、放射線測定の必要性を研究者にメールし、3月15日にはNHKの取材班を連れて県内に乗り込んだ。

(略)

翌3月28日に集会場に出向いて測定すると、駐車場で毎時80マイクロシーベルト、集会所内で同25~30マイクロシーベルトもあった。

住民に数値を示し、訴えた。

「すぐに避難してください。人が住める放射線量ではありません」

以来、原発事故に生涯を通じて向き合おうと決め、8月に獨協医大准教授に就任。二本松市にある国際疫学研究室・福島分室の室長として、福島県内の放射線量などの測定を続けてきた。

どうやって住めるようにするか

今年7月には、旧津島村の住民が起こした「津島原発訴訟」に証人として出廷し、当時の状況などを証言した。

「本音を言えば、(山に囲まれた)津島には人は住めないと思う」

取材に辛そうに語った。

「でも『住めない』と言った瞬間に、津島の人を切り捨てることになる。住めない場所をどうやって住めるようにするか。そこまで行政や私を含めた科学者は責任を負わなければいけない」

全文は「住めない場所」どう住めるように 原発事故に向き合う科学者の覚悟

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