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2020ヒバクシャ 高東征二さん 執念の「黒い雨」降雨図 遺志継ぐ via 毎日新聞

1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下してから75年。あの日、放射性物質を含む「黒い雨」に遭ったものの、今も国の援護を受けられない人がいる。記録報道「2020ヒバクシャ」の3回目は、病に侵されながら、国に被爆者と認めさせるため闘い続ける元高校教諭の姿を通して、黒い雨を巡る運動の歴史をたどりたい。

4月9日。4歳で黒い雨を体験した広島市佐伯区の高東征二さん(79)は市立大大学院で黒い雨の運動史を研究する向井均さん(77)を市内の自宅に訪ねた。

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<子どもを連れて行く途中ピカ、顔が熱かった。帰りに夕立のような雨に遭った。髪が抜け薄くなった>

 詳細な様子が鉛筆で数十枚にわたってつづられていた。1970年代から国に黒い雨の被害を訴えた被爆者の市民運動家、村上経行(つねゆき)さん(2011年に93歳で死去)が、県境の集落まで訪ね歩いて集めた証言の一部だ

先駆者・村上さんに誓う

国が76年に指定した援護対象区域の外で黒い雨に遭った高東さんは、高校教諭を退職後、02年に「佐伯区黒い雨の会」を設立し、援護対象を広げる運動に加わった。87人の仲間と被爆者健康手帳の交付を求める訴訟をして4年。7月29日に言い渡される判決を待つ。

全ての『黒い雨被爆者』が報われる判決を勝ち取る」。先駆者の村上さんが残した約2800点の資料を前に高東さんは誓った。【文・小山美砂、写真・山田尚弘】

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「黒い雨はもっと広い地域で降り、多くの人が内部被ばくした」。高東征二さん(79)は国が44年前に定めた援護対象区域に異を唱え、被爆者と認めさせるため、黒い雨訴訟の先頭に立ってきた。 

4月9日。広島市立大大学院で黒い雨の運動史を研究する向井均さん(77)の広島市内にある自宅で、「黒い雨降雨域図」と墨書された1畳ほどもある地図と向き合った。赤い丸印の爆心地から北西側に描かれた二つの楕円(だえん)。大きな方は、気象台の技師らが終戦直後に実施した住民百数十人への聞き取りなどの調査で黒い雨が降ったとした地域、小さな方は大雨だったとした地域だ。二つの楕円が収まる、青い線で囲われた複雑な形の「新しい小雨域」は、高東さんらが黒い雨が降ったと主張している地域を示す。

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黒い雨が流れ込んだ川の水を飲んだからか。小学3年まで体が弱く、腫れたリンパ節を3回手術した。だがその後は大病をせず、父の後を追って63年、広島大を出て県立高校の生物の教諭になった。

その2年後、作家・井伏鱒二が小説「黒い雨」を発表する。各地で四大公害病を巡る訴訟が相次ぎ、市民運動への関心が高まった。黒い雨を体験した人の救済を求める声も強まり、国は76年、終戦直後の気象台調査による「大雨雨域」を援護区域とし、指定する11障害を伴う病気と診断されれば被爆者健康手帳を交付することにした。

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85年の原水爆禁止大会で「雨があんなにきれいな卵形に降るのか」と村上さんに問いただされた気象学者の増田善信さん(96)=東京都狛江市=は、2000人以上の証言を基に4年後、降雨域は気象台調査の4倍だったとの見解を発表する。国を動かせる科学的根拠だと周囲の期待は高まった。1畳もある「黒い雨降雨域図」は、村上さんが増田さんの見解を紹介するために手作りしたものだ。

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だが、県と市の専門家会議は、援護区域外では「(黒い雨による)人体影響の存在を認めることはできない」と退ける。証言や行動記録など村上さんが残した約2800点の資料の中にあったメモには、無力感が弱々しい筆致でつづられていた。
 「『もうだめ』という気分」 
 運動はしばらく停滞する。

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それでも、15年に起こした黒い雨訴訟の原告に名を連ねた。この3年前、運動を受けて3万人超にアンケートをした県や市が、援護区域の6倍の範囲で雨が降ったとして国に区域を広げるよう求めたが退けられていた。区域外の体験者を「被爆者」と認めさせるには司法の判断を仰ぐしかない、と考えた。
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 19年春、裁判所の要請に応じて受けた健康診断で高血圧性心疾患と診断され、脳梗塞(こうそく)で2週間入院した。国が「放射線の影響を否定できない」と定める11障害の一部を伴う病気だった。「わしも被爆しとる。一日一日を大事にこの問題を追及せにゃあいけん」。病気になって芽生えた「被爆者」の自覚が迷いを消し去った。

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提訴から4年が過ぎ、88人だった原告のうち14人が鬼籍に入った。昨年10月、高東さんは法廷で訴えた。「病気だらけの人生でお金に困り、多くの人が死んだ。全ての『黒い雨』被爆者の声を代弁するため、ここに立っています」 

75回目の8月6日を迎える直前に判決が言い渡される。「原告になれんかった人も、救済される判決がほしい」。先駆者、そして多くの仲間たち……。半世紀にわたる運動の歴史に終止符を打つ。その日が必ず来ると信じている。【文・小山美砂、写真・山田尚弘】

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