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29日は23に分けた排気筒の最後のブロックを専用装置で輪切りにし、クレーンで慎重に地面に下ろした。
排気筒は原発事故時、放射性物質を含む蒸気を外部に放出するベントの際に使用された。近接する原子炉建屋とともに、事故を象徴する構造物として残った。
排気筒の下側59メートルは耐震性に問題がないとして当面残し、優先度の高い他の工程を進める。
◎前例なき作業 地元企業貢献
東京電力福島第1原発で29日に完了した1、2号機共通排気筒の切断は巨大構造物を遠隔操作で解体するという世界に前例を見ない試みだった。主要な廃炉作業を初めて地元企業が請け負い、担当者は「一人一人が重圧を感じた」と振り返る。
請け負ったのは、プラント建設会社エイブル(福島県大熊町)。高難度の工事を大手ゼネコンが軒並み敬遠する中、同社だけが手を挙げた。
「(第1原発廃炉は)地元のことであり、できることなら自分たちの手で成し遂げたかった」。プロジェクトを統括した岡井勇さん(52)が受注当時の心境を明かす。
作業を困難にした一因が高い放射線量だ。排気筒に近づけず、作業員は200メートル離れたバスの中から解体装置を操作した。
作業は天候や風に左右される上、装置トラブルにも度々見舞われた。2日で終わるはずだった最初の切断は実に1カ月を要した。
「なぜうまく切れないんだ」。現場責任者の佐藤哲男さん(46)は悩んだ。
ミシンのように間隔を空けて進んでは戻る独自の切断法を考案し、解体装置の歯も数種類を試した。「成功した時も徹底的に振り返った」と言う。
交代制で1日24時間取り組んだ作業は「常に闘っている感覚」(岡井さん)だった。予定より4カ月遅れとなったが、後半はペースを上げて無災害で9カ月間の工期を終えた。
「地元企業も廃炉に貢献できる」。岡井さんは手応えを口にしながら「工程はまだまだ続く。他の地元企業と一緒に進めていく先に本当の福島の復興があると思う」と述べた。