アングル:メルトダウンから9年、遠い廃炉 福島第一原発は今 via ロイター

Aaron Sheldrick

大熊町 29日 ロイター] – ロイターはこのほど、地震による津波で3基の原子炉がメルトダウン(炉心溶融)した福島第一原子力発電所の独占取材を許された。事故から10年近く、記者がここを訪れるのは4回目だった。

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だが、原子炉格納容器内に溶け落ちて固まった燃料デブリは残ったまま。原発周辺は、今も住民が帰還できない。避難指示が解除された町もあるが、戻らない住民もいる。 

今回の取材では、汚染水の処理施設に案内された。巨大な穴の中で多核種除去設備(ALPS)と呼ばれる設備が稼働し、高濃度の放射能を含んだ水をろ過している。 

<渡された3足の靴下> 
記者が初めて福島第一原発を訪れたのは2012年。約20キロ南にあるサッカーのトレーニング施設「Jヴィレッジ」から防護服で身を包み、バスに乗って原発へ向かった。Jヴィレッジはこの3月、聖火リレーの出発点となる。 

今回は、2017年に封鎖が解除された富岡町の駅からバンで移動した。原発からは約9キロの距離で、特に何の防護措置もなかった。サッカー場400面ほどの広さがある敷地内の9割以上で放射線量が低く、特別な措置はほとんど必要ないとされている。 

それでも、第一原発の取材は容易ではなかった。敷地に入る前に靴と靴下を脱ぐように言われた。線量計、青い靴下3足、軍手、フェイスマスク、綿できたキャップ、ヘルメット、白いベストを渡された。ベストには、線量計などを入れ、通行証が外から見える透明のポケットが付いていた。 

記者は3足の靴下をすべて履き、渡されたもの一式を身につけた。ゴム製の長靴も履いた。長靴は足を踏み入れるゾーンごとに違う色のマークが付されており、何度も履き替えた。履き終えたものはポリ袋に入れ、廃棄されるとのことだった。 

小さなバスでALPSが稼働する建物に到着すると、デュポン社製タイベックの防護服で全身を固めた。手術で使うようなラテックス手袋を2枚重ね、テープで防護服に固定された。 

フルフェイスのマスクも着用したが、そのためにはメガネを外さなければならなかった。マスクをしていると声が聞き取りにくくなるため、大きな声で話すように指示された。

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暗いだけでなく、これだけ多くの機械があるのに驚くほど静かだった。放射線量が上昇し、線量計の警告音は鳴りやまなかった。 

東電の担当者は、ALPSで処理をされた透明な水が入った容器を見せてくれた。基準値内まで希釈すれば、放出しても安全だという。 

ここで事故処理に携わるのは、廃炉作業も含めて約4000人。その多くは、放射線量の高い区域に入る際に防護装備を着用している。

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原子炉建屋で重要な作業が進む一方で、がれきの一部は汚染がひどく、そのまま放置されるか、放射線量が低減するまで所定の区域に移されている。 

一般の服で作業できるエリア「グリーンゾーン」に戻り、我々は身に着けていた装備を外した。1つ1つ、正確な順番で専用の廃棄物入れに捨てていく。最初は手袋、次いでフェイスマスク。その後は別の場所で防護服と靴下を脱いだ。最後に靴下1足を残し、セキュリティラインを通過した。 

そして線量計の値を告げられた。20マイクロシーベルト。およそ歯医者で撮影するレントゲン2回分だった。

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