30代フクシマ50作業員 昨年3月は月給以上の危険手当支給 via Newsポストセブン

東日本大震災、そして福島原発事故からまもなく1年が経とうとしている。原発事故では海外メディアが「フクシマ50」の呼称を使って、現場に残った作業員の勇気と行動を称賛し、国内メディアがそれに追随した。フクシマ50の一人に、事故当時を振り返ってもらった。「今、振り返って初めて恐ろしさを感じています」

東京電力の関連会社で働く30代の中堅作業員が、重い口を開いた。

震災当日はちょうど福島第一原発近辺で作業をしていた。地震を受けて、関東地方の自宅に戻ったものの、3月13日からは東電の依頼を受けて現場周辺で待機を続け、他の作業員と交代で現場に入ったのが15日のことだった。

「うわ、屋根がねぇ……」

続きは30代フクシマ50作業員 昨年3月は月給以上の危険手当支給

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