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アベさんに対する銃撃について思うこと via レイバーネット

小出裕章 アベさんが銃撃を受けて死んだ。 悲しくはない。 アベさんは私が最も嫌う、少なくとも片手で数えられる5人に入る人だった。 アベさんがやったことは特定秘密保護法制定、集団的自衛権を認めた戦争法制定、共謀罪創設、フクシマ事故を忘れさせるための東京オリンピック誘致、そしてさらに憲法改悪まで進めようとしていた。 彼のしたこと、しようとしてきたことはただただカネ儲け、戦争ができる国への道づくりだった。 アベさんは弱い立場の国・人達に対しては居丈高になり、強い国・人達に対してはとことん卑屈になる最低の人だった。 朝鮮を徹底的にバッシングし、トランプさんにはこびへつらって、彼の言いなりに膨大な武器を購入した。 彼は息をするかのように嘘をついた。 森友学園、加計学園、桜を観る会、アベノマスク… 彼とその取り巻きの利権集団で、国民のカネを、あたかも自分のカネでもあるかのように使い放題にした。 それがばれそうになると、丸ごと抱え込んだ官僚組織を使って証拠の隠ぺい、改ざん、廃棄をして自分の罪を逃れた。その中で、自死を強いられる人まで出たが、彼は何の責任も取らないまま逃げおおせた。 私は彼の悪行を一つひとつ明らかにし、処罰したいと思ってきた。 私は一人ひとりの人間は、他にかけがえのないその人であり、殺していい命も、殺されていい命も、一つとして存在していないと公言してきた。アベさんにはこれ以上の悪行を積む前に死んでほしいとは思ったが、殺していいとは思っていなかった。 悪行についての責任を取らせることができないまま彼が殺されてしまったことをむしろ残念に思う。 多くの人が「民主主義社会では許されない蛮行」と言うが、私はその意見に与しない。 すべての行為、出来事は歴史の大河の中で生まれる。 歴史と切り離して、個々の行為を評価することはもともと誤っている。 そもそも日本というこの国が民主主義的であると本気で思っている人がいるとすれば、それこそ不思議である。 国民、特に若い人たちを貧困に落とし、政治に関して考える力すら奪った。 民主主義の根幹は選挙だなどと言いながら、自分に都合のいい小選挙区制を敷き、どんなに低投票率であっても、選挙に勝てば後は好き放題。国民の血税をあたかも自分のカネでもあるかのように、自分と身内にばらまいた。 原子力など、どれほどの血税をつぎ込んで無駄にしたか考えるだけでもばかばかしい。 日本で作られた57基の原発は全て自由民主党が政権をとっている時に安全だと言って認可された。 もちろん福島第一原発だって、安全だとして認可された。 その福島原発が事故を起こし、膨大な被害と被害者が出、事故後11年経った今も「原子力緊急事態宣言」が解除できないまま被害者たちが苦難にあえいでいる。 それでも、アベさんを含め自民党の誰一人として、そして自民党を支えて原発を推進してきた官僚たちも誰一人として責任を取らない。 もちろん裁判所すら原発を許してきた国の組織であり、その裁判所は国の責任を認めないし、東京電力の会長・社長以下の責任も認めない。 どんな悲惨な事故を起こしても誰も責任を取らずに済むということをフクシマ事故から学んだ彼らはこれからもまた原子力を推進すると言っている。さらに、これからは軍事費を倍増させ、日本を戦争ができる国にしようとする。 愚かな国民には愚かな政府。 それが民主主義であるというのであれば、そうかもしれない。 しかし、それなら、虐げられた人々、抑圧された人々の悲しみはいつの日か爆発する。 今回、アベさんを銃撃した人の思いは分からない。 でも、何度も言うが、はじめから「許しがたい蛮行」として非難する意見には私は与さない。 心配なことは、投票日を目前にした参議院選挙に、アベさんが可哀想とかいう意見が反映されてしまわないかということだ。 さらに、今回の出来事を理由に、治安維持法、共謀罪などが今まで以上に強化され、この国がますます非民主主義的で息苦しい国にされてしまうのではないかと私は危惧する。 原文

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脱原発活動10年 記念講演会 岐阜の市民団体が21日 /岐阜 via 毎日新聞

東日本大震災と福島第1原発事故の発生直後から脱原発社会を目指して活動する岐阜市の市民団体「さよなら原発・ぎふ」が活動10周年を記念し、原子力廃絶を訴え続ける元京大原子炉実験所(現・複合原子力科学研究所)助教の小出裕章さんを招いた講演会「フクシマ原発事故は終わっていない!」を21日に開く。9月11日には、40回目を数える恒例のパレードを予定。いずれも幅広く参加を呼びかけている。  さよなら原発・ぎふは、2011年6月に活動を始め、実行委員は13人。3カ月に1回のパレードを続けているほか、12年には福井県の美浜原発近くから事故による放射能汚染を想定して風船を飛ばす風向き調査を実施。 (略) 小出さんは今年3月に著書「原発事故は終わっていない」(毎日新聞出版)を著した。福島第1原発で起きた事故や廃炉作業の実態、汚染処理水の問題、美浜原発で事故が起きた場合の岐阜県への影響なども語る予定という。  さよなら原発・ぎふの伊藤久司代表(63)は「この10年間で原発廃絶の必要性は明確になったが、私たちの活動はやめられない。原発事故の影響の『見えない化』を推し進める動きにあらがい、新たな活動を展開したい。家族そろって参加を」と呼びかけている。 全文は脱原発活動10年 記念講演会 岐阜の市民団体が21日 /岐阜

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原発事故は終わっていない。反原発を貫いて50年、信念の科学者が渾身の訴え―小出 裕章『原発事故は終わっていない』via Yahoo! ニュースJapan

[…] ◆ 原発事故は終わっていない。反原発を貫いて50年、信念の科学者が渾身の訴え 2021年3月11日、この日は、東京電力福島第一原子力発電所で事故が起きてから10年にあたります。地上でどれだけ過酷な事故が起きようとも、時だけは確実に、そして容赦なく流れていくことを改めて不思議に思います。 原発事故直後から、日本の政府も電力会社も原子力産業も、とにかく事故の規模を小さく見せることばかり考えていました。2011年3月11日に事故が起き、翌12日には1号機の原子炉建屋が爆発して吹き飛ぶという大惨事が起きました。国際原子力事象評価尺度に照らせば最悪のレベル7とわかっていたにもかかわらず、レベル4だと発表したのです。原発推進派の片棒を担いできた科学者たちもマスコミの取材に対して、「たいしたことはない、事故は収束に向かっている」という発言を繰り返しました。 事故が起きた時、私は京都大学原子炉実験所に勤務していました。 実験所では私が担うべき仕事があり、事故当日も放射線管理区域内で仕事に従事していました。翌日以降もその手を抜くことはできないうえ、事故の状況を正確に知るための仕事が増え、それに加え、マスコミの取材やテレビやラジオへの出演、さらに、講演会などで各地を奔走することになりました。そのため、事故後しばらくの間、休みはおろか、寝る時間すらも満足に取れない状態でした。 でも、私にとってこれは戦争なのだと思いました。国や電力会社、原子力産業など巨大な力の前では、私はあまりにも非力で、福島第一原子力発電所の事故が起きることを防げませんでした。私は原子力の旗は振りませんでしたが、原子力の場にいた人間として、事故が起きる前に原子力をやめさせることができなかったことについて大きな責任があります。国や電力会社から決して出てこない情報を、自分なりに伝えていかなければいけない、その一心でした。 2015年3月に京都大学原子炉実験所を退職した後も、自分にできることをやってきたつもりですし、これからも続けたいと思います。 ただし、人間が生き物である以上、年をとることから逃れることはできません。もちろん私もそうで、いつまでも若い時と同じように活動はできません。退職前から続けてきた講演も、私にしかできないことは何かを考えながら、より一層、厳選しようと思います。 私が講演を引き受ける際に大事にすることが3つあります。 ひとつは〝敵地〟であること。原子力推進派と公平に議論できるなら、いつでもどこでも行くつもりです。次が〝現地〟です。福島をはじめ、原発のある場所で原発とともに生きる人たちに原子力の真実を少しでも伝えたいと思っています。3つ目が〝若い人たちを相手に話ができること、です。若い世代に福島第一原子力発電所が今どうなっているのか、福島の人たちがどのような苦難を強いられているのか、そして、原子力がいかに危険なものかを伝える必要があると考えています。 東海地方のある中学校の授業に招かれた時、ある生徒から「福島の子どもたちはどうしているんでしょうか」という質問を受けました。その中学校は福島から離れていることもあり、事故について生徒たちはなかなか実感を持てないのかもしれません。それでも、授業を受けた生徒からこうした質問が出るということは、少しでも福島の事故に興味を持ってもらえた証しなのではないかと思いますし、この先も忘れないでいてほしいと願います。 2020年は新型コロナウイルスの猛威が日本だけでなく世界中を襲いました。2021年1月には2度目の緊急事態宣言が出されました。でも、日本にはいまだに解除されていない緊急事態宣言があります。それが2011年3月11日に発令された「原子力緊急事態宣言」です。 事故から10年が過ぎても原子力緊急事態宣言は解除できないままで、福島第一原子力発電所では多くの作業員が被曝の危険と闘いながら廃炉に向けた作業を続けています。事故によって生活を根こそぎ奪われた人たち、汚染地に置き去りにされた人たちは今も苦難のなか、必死で毎日を過ごしています。そうした現状を知れば、原子力など決して手を出してはいけないことがわかるはずです。 原子力を進めてきた人たちは、「原子力は絶対に安全だ」と言い続けてきました。それでも、事故は起こるわけで、そのたびに「ああ、しまった」と思ってきたはずです。それでも原子力を進めるためには、「絶対に安全だ」と言い続けるしかありませんでした。 どうしてそのような「誤った安全神話」ができてしまったのか。その理由は、いくつも挙げられていますが、決定的なのは絶対的安全への「願望」でした。要するに、事故が起きないよう、ひたすら願っていたのです。なんと愚かなことでしょうか。 福島第一原子力発電所事故が起きた後も、原子力推進派の人たちは、ひどくなってほしくない、なんとかほどほどのところで収束してほしいと「願望」していたと思います。だから、レベル4と発表し、逃げ続けていたのです。 しかし、願望で安全を確保できる道理はありません。少なくとも科学の分野にいる人間にとって、一番大切なものは事実です。願望などに依拠する限りは科学とはいえません。事故は現実に起きてしまい、被害は冷徹に進行しています。だからこそ、原子力を推進してきた人たちに、「せめて今のこの事態を直視して、しっかり考えて対処してほしい」と思います。 事故から4年半が経過した2015年9月、福島第一原子力発電所の現状を伝えたいとの思いで、『原発と戦争を推し進める愚かな国、日本』(毎日新聞出版)という本を上梓しました。悲しいことに、前著でお伝えした深刻な状況は、今も変わらず続いているのです。それなのに、日本に住む人たちから事故の記憶はどんどん薄れていっています。原子力緊急事態宣言が解除されていないことが示す通り、事故はまだ継続中で、これからも長期間にわたって続きます。そのことを国も電力会社も原子力産業も、そして読者のみなさんにも改めて知ってほしいと思います。 [書き手]小出裕章(元京都大学原子炉実験所助教) 全文

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二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織via NONUKES voice

小出裕章 フクシマ事故の現状と見通し  二〇一一年三月十一日の東京電力フクシマ第一原子力発電所事故(以降、「フクシマ事故」と表記)から九年半が経つ。国と東京電力は事故収束のための行程表(ロードマップ)を作成し、1,2,3号機の熔け落ちた炉心を掴み出し、容器に封入して福島県外へ運び出すことを事故の収束と呼び、三〇年から四〇年でそれを達成するとした。(注1)そのロードマップでは、圧力容器直下のペデスタル(台座)と呼ばれる円筒形のコンクリート壁内部に、熔け落ちた炉心が饅頭のように堆積していると想定されている。しかし、ペデスタルには定期検査の時に作業員が出入りするための通路が海溝している。私も含め原発事故を専門的に研究してきた人間は、熔け落ちた炉心がその開口部から漏出し、格納容器のステンレス内張を破壊することをずっと危惧してきた。事故から九年半の間に曲がりなりにも進んできた調査によって、熔け落ちた炉心は、予想通り、ペデスタルの通路を通って格納容器内壁とペデスタル外壁の間の空間に流出してしまっていることが明らかになっている。そのため、国と東電はロードマップの書き換えに追い込まれたが、事故の収束まで三〇年から四〇年という目標は変更していない。(注2)[…] 全文

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今も収束していない福島原発事故~再爆発防止の応急措置が続く(前)via Net-IB News

元京都大学原子炉実験所助教 小出 裕章 氏 もはや過去の出来事のように言われている福島第1原発事故。しかし今でも収束しておらず、これ以上爆発が起こることを防ぐ「応急措置」が続いている。今、福島原発では何が起こっているのか。断片的にしか情報が伝えられていない放射能汚染の実態とは。これから日本はどうしていくべきなのか。福島原発事故の全貌と今後の展望を、元京都大学原子炉実験所助教の小出裕章氏に聞いた。 水で冷やし続けてかろうじてしのぐ福島原発 […] 原子力発電を止めても原子炉を水で冷やし続けなければ、放射性残留物は発熱し続けます。原発が発電のためにつくる約300万kWの熱のうち約21万kWは放射性残留物が出す熱から発電されているほど、熱は強力なのですね。ストーブの熱を1kWとすると、ストーブ約21万台分といえばわかりやすいでしょうか。  震災が起こるまでの原発は、電力ポンプを使って原子炉を水で冷やし、熱を制御していました。しかし、地震と津波で原発すべてが停電しました。非常時に電気を届けるはずだった外部送電線も地震で壊れ、電気が届きませんでした。原発は電気をつくる設備だからと、非常用発電機も30分以上停電することはないという想定で準備されていたのです。  停電が続いたため、電力ポンプで水を回して原子炉を冷やすことができなくなりました。放射性残留物から発生した熱で原子炉圧力容器の核燃料が約2,800℃を超えて溶け、鋼鉄製の原子炉圧力容器も1,400~1,500℃で溶けてメルトダウンしました。 […] 全文

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原発裁判で住民勝訴の日は来るか? 問われる裁判官の良識と理性 via Aera

原発訴訟で原告勝訴を決めた、たった3人の裁判長――その苦悩を描いたのが『原発に挑んだ裁判官』(朝日文庫、著・磯村健太郎、山口栄二、660円)だ。元京都大学原子炉実験所助教・小出裕章氏が評論する。 *  *  * 日本の原子力開発は「国策民営」と言われる。国が開発の政策的な枠組みを決め、その下で電力会社に原子力発電所を担わせてきた。その周囲には、巨大原子力産業、ゼネコン、中小零細企業が群がり、それらの下で働く多数の労働者も給料にありついた。日本原子力学会を中心とした学会、教育現場、マスコミ、そして裁判所も一体となり、国策としての原子力推進に加担した。その巨大な組織は時に「原子力ムラ」と呼ばれ、先の戦争の時のような巨大権力機構そのものであった。  原発は、2011年3月11日の東京電力福島第一原発の事故が示したとおり、巨大な毒物を抱えている。そのため、原子力ムラは原発を電力消費地の都会ではなく、過疎地に押し付けることにした。押し付けられそうになった過疎地の住民はもちろん抵抗した。しかし、どんなに闘っても住民の声など一顧だにしない国や電力会社の対応に困り果てた住民は、ついに裁判に訴えた。住民にとっては司法に縋(すが)るしか道がなかった。  本書の解説を書いている千葉大学名誉教授の新藤宗幸氏によると、フクシマ事故以前に提訴された原発訴訟は、国を相手にした行政訴訟が12件、建設・運転差し止めの民事訴訟が6件だったそうだ。そのうち、住民側勝訴を言い渡したのは、高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の設置許可の無効を確認した名古屋高裁金沢支部判決(川崎和夫裁判長)と、北陸電力志賀原発2号機の運転差し止めを命じた金沢地裁判決(井戸謙一裁判長)の2件だけであった。フクシマ事故以降には、関西電力大飯原発3、4号機訴訟で運転差し止めを認め、住民を勝訴させた福井地裁判決(樋口英明裁判長)も出た。それら3人の裁判長の苦悩と闘いを描いたのが本書である。 私自身は1973年に始まった四国電力伊方原発の設置許可取り消し訴訟に関わり、原告側証人として出廷もした。国側からは原子力委員会の委員や東京大学教授など、輝かしい肩書の学者が出廷した。しかし、サイエンスとしての立証では原告側が圧勝した。それでも、判決は住民敗訴であった。判決理由は、ほとんどが被告・国側の主張を羅列し、その最後に「いずれも認められる」の文字が付け加えられたものだった。  伊方訴訟は最高裁まで行き、住民の敗訴が確定した。判決は「国の審査指針は専門家が集まってつくったのだから、司法としては、見逃すことのできない誤りがない限り、行政庁の判断を尊重するという内容です」と住民側敗訴を言い渡した裁判官が本書の中で解説している。しかし、「国策民営」として原子力が推進され、その下に集まる学者の専門技術的判断を認めるというのであれば、原発訴訟は常に住民敗訴となる。 原発訴訟で住民が勝訴した裁判は数えるほどしかないし、そのすべては、高裁、最高裁で逆転敗訴とされた。つまり、原発裁判に関しては住民側の勝訴は一つもない。原子力ムラに属する国も電力会社も潤沢な資金の裏付けを持つ。それに対して住民たちはなけなしのカネと、生きるための仕事の時間すら犠牲にして裁判を闘ってきた。そして、フクシマ事故が起きた。 (略) 憲法第76条には「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」とある。最高裁の頸木(くびき)に囚(とら)われず、良識と理性に従って判決を書く裁判官、そんな裁判官が現れてくれることを私は願う。しかし、司法は紛れもなく原子力ムラの一翼を担ってきたし、フクシマ事故以降も変わろうとしていない。 全文は原発裁判で住民勝訴の日は来るか? 問われる裁判官の良識と理性

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原発漫画 ファンタジー風、子供たちに説明 福岡の母親が出版 via 毎日新聞

 福岡市に暮らす3人の子供の母親、ちづよさん(45)が今月、原子力発電所の仕組みやリスクをファンタジー仕立てで説明する漫画「ゲンパッチー 原発のおはなし☆子どもたちへのメッセージ」を石風社(福岡市)から出版した。東京電力福島第1原発事故をきっかけに、ちづよさんがこれまで学んだエネルギー問題の知識と原発反対の思いを盛り込んだ。 (略)  「反原発事務所や九電のチラシは詳しいが、読むのは大人でも難しい」と感じていたちづよさんは2年半前、元々得意だった漫画で自ら原発を描こうと決意。元京都大原子炉実験所助教の小出裕章さんら専門家の話を聞き、世界の核被害を取材するフォトジャーナリスト、豊崎博光さんの著書を読むなどして、制作に取り組んだ。 完成した漫画は、折り鶴に乗って3人の少女が原子力発電所「ゲンパッチー」を見学に行くストーリー。高速増殖炉や高レベル放射性廃棄物、最終処分場問題などをユーモラスに説明し、これまで世界で発生した原発事故についても描いた。「深刻だが、子供でも関心を持って読める物語にしたかった」とちづよさんは振り返る。 小出さんが「原子力発電を使ってしまう限り、自分では無毒化できない死の灰という毒物を大量に生み出す」と解説を寄せた。A5判上製で304ページ(税別1500円)。【松田幸三】 全文は原発漫画 ファンタジー風、子供たちに説明 福岡の母親が出版

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フクシマ事故と東京オリンピックvia 小出裕章

 2011年3月11日、巨大な地震と津波に襲われ、東京電力・福島第一原子力発電所が全所停電となった。全所停電は、原発が破局的事故を引き起こす一番可能性のある原因だと専門家は一致して考えていた。その予測通り、福島第一原子力発電所の原子炉は熔け落ちて、大量の放射性物質を周辺環境にばらまいた。日本国政府が国際原子力機関に提出した報告書によると、その事故では、1.5×10の16乗ベクレル、広島原爆168発分のセシウム137を大気中に放出した。広島原爆1発分の放射能だって猛烈に恐ろしいものだが、なんとその168倍もの放射能を大気中にばらまいたと日本政府が言っている。  その事故で炉心が熔け落ちた原子炉は1号機、2号機、3号機で、合計で7×10の17乗ベクレル、広島原爆に換算すれば約8000発分のセシウム137が炉心に存在していた。そのうち大気中に放出されたものが168発分であり、海に放出されたものも合わせても、現在までに環境に放出されたものは広島原爆約1000発分程度であろう。つまり、炉心にあった放射性物質の多くの部分が、いまだに福島第一原子力発電所の壊れた原子炉建屋などに存在している。これ以上、炉心を熔かせば、再度放射性物質が環境に放出されてしまうことになる。それを防ごうとして、事故から7年以上経った今も、どこかにあるであろう熔け落ちた炉心に向けてひたすら水を注入してきた。そのため、毎日数百トンの放射能汚染水が貯まり続けてきた。東京電力は敷地内に1000基を超えるタンクを作って汚染水を貯めてきたが、その総量はすでに100万トンを超えた。敷地には限りがあり、タンクの増設には限度がある。近い将来、東京電力は放射能汚染水を海に流さざるを得なくなる。 もちろん一番大切なのは、熔け落ちてしまった炉心を少しでも安全な状態に持って行くことだが、7年以上の歳月が流れた今でも、熔け落ちた炉心がどこに、どんな状態であるかすら分からない。なぜなら現場に行かれないからである。事故を起こした発電所が火力発電所であれば、簡単である。当初何日間か火災が続くかもしれないが、それが収まれば現場に行くことができる。事故の様子を調べ、復旧し、再稼働することだって出来る。しかし、事故を起こしたものが原子力発電所の場合、事故現場に人間が行けば、死んでしまう。国と東京電力は代わりにロボットを行かせようとしてきたが、ロボットは被曝に弱い。なぜなら命令が書き込まれているICチップに放射線が当たれば、命令自体が書き変わってしまうからである。そのため、これまでに送り込まれたロボットはほぼすべてが帰還できなかった。[…] 発電所周辺の環境でも、極度の悲劇がいまだに進行中である。事故当日、原子力緊急事態宣言が発令され、初め3km、次に10km、そして20kmと強制避難の指示が拡大していき、人々は手荷物だけを持って家を離れた。家畜やペットは棄てられた。それだけではない、福島第一原子力発電所から40~50kmも離れ、事故直後は何の警告も指示も受けなかった飯舘村は、事故後一カ月以上たってから極度に汚染されているとして、避難の指示が出、全村離村となった。人々の幸せとはいったいどのようなことを言うのだろう。多くの人にとって、家族、仲間、隣人、恋人たちとの穏やかな日が、明日も、明後日も、その次の日も何気なく続いていくことこそ、幸せというものであろう。それがある日突然に断ち切られた。避難した人々は初めは体育館などの避難所、次に、2人で四畳半の仮設住宅、さらに災害復興住宅や、みなし仮設住宅へ移った。その間に、それまでは一緒に暮らしていた家族もバラバラになった。生活を丸ごと破壊され、絶望の底で自ら命を絶つ人も、未だに後を絶たない。  それだけではない。極度の汚染のために強制避難させられた地域の外側にも、本来であれば「放射線管理区域」にしなければいけない汚染地帯が広大に生じた。 […]  フクシマ事故は巨大な悲劇を抱えたまま今後100年の単位で続く。膨大な被害者を横目で見ながらこの事故の加害者である東京電力、政府関係者、学者、マスコミ関係者など、誰一人として責任を取っていないし、処罰もされていない。それを良いことに、彼らは今は止まっている原子力発電所を再稼働させ、海外にも輸出すると言っている。 原子力緊急事態宣言下の国で開かれる東京オリンピック。それに参加する国や人々は、もちろん一方では被曝の危険を負うが、一方では、この国の犯罪に加担する役割を果たすことになる。 全文

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朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核をどう見るかー小出裕章 via オクロス

朝鮮民主主義人民共和国の核の件、皆さん冷静にならなければいけません。 朝鮮には熱出力で25メガワットのごく小さな原子炉しかありません。 京大原子炉実験所の原子炉は熱出力で5メガワットでした。 日本でも世界でも標準的な原子力発電所は100万キロワットです。 これは電気出力で、熱出力は300万キロワット、メガワット単位で示せば3000メガワットです。 つまり、朝鮮が持っている原子炉は、日本の原発の原子炉の100分の1以下という小さなものです。その原子炉を動かしてどれだけのプルトニウムができるかについては、昔計算して書いたことがあります。もう20年以上前のものですが添付します(注「核兵器に反対する物理学会の会準備会通信」第2号、1994年6月26日) 仮に朝鮮が原爆を作れたとしても、その数は知れています。 朝鮮戦争は1953年の休戦協定が結ばれただけで、未だに終戦していません。 その一方の当事国である米国は気に入らない国があれば、地球の裏側までも攻め込んで政権を転覆させる国であり、米国を相手に戦争中である国はハリネズミのようになるしかありません。俺は強いんだぞ、攻撃してくるならやっつけてやるぞと言うしかありません。 朝鮮が原爆を作ったということすら、私はいまだに懐疑的です。でも、マグニチュード6.1の地震をもし爆弾で引き起こすとすれば、通常の爆弾では無理です。本当に、先日の地震が自然のものではなく、人工的なものだとすれば、原爆だろうと思います。水爆を作るためには重水素が必要ですし、起爆剤としての原爆も必要です。そうした材料や技術を朝鮮が持っているとは、私は思いません。 ただ、問題は、そんなことではなく、朝鮮半島の分断を終わらせ、平和を回復することです。お互いに敵を威嚇することなどやってはいけません。朝鮮の分断に誰よりも責任のある日本は、まずそのためにこそ力を払うべきです。それなのに、米国の尻馬に乗り、「あらゆる選択肢がある」などと安倍さんは言うのですから気が狂っています。 また、本当に危機だというなら、日本国内の原発をまず停止すべきなのに、地下鉄をとめてみたり、迎撃ミサイルを配備してみたり、警戒警報を出して見たり、ひたすら危機を煽ることだけやっています。ひどい国ですし、ひどいマスコミだと思います。   全文

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長野県小諸市、御代田町が後援の「反原発」講演会で政治活動 via iza

長野県佐久地方の市民有志が企画した元京大原子炉実験所助教の小出裕章氏による「反原発」の講演会が27日、佐久市で開かれた。 講演をめぐっては、佐久市が「政治目的に該当する」との理由で後援の取り消しを決定していたが、小諸市と御代田町は後援の方針を改めていなかった。 一方、会場では、参加者に対し「安保関連法に反対するママの会信州」という市民団体が作成した「共謀罪ってなあに?」と題した、講演の趣旨と関係のないリーフレットを配布。壁に掲示されたチラシには「Welove原発のない世界」と「反原発」を訴えるスローガンが掲げられ、「政治活動」と受け取れかねない状況だった。 会場は定員450人を上回り、別室ではビデオ上映が行われた。小出氏は講演で、原子力政策の歴史や東京電力・福島第一原発事故の経過などを紹介した。なお、会場の使用時間が限られているとして、参加者による質問の機会は与えられなかった。 自治体の後援がありながら政治的主張のあるリーフレットの配布や掲示をしたことについて、主催者代表の桑田温美さんは「講演は原発について学ぶのが目的。中身の判断は各自がすることだ」と説明した。 また、配布物について、小諸市と御代田町からは事前のチェックがなかったとし「行政のバックアップに感謝している」と述べた。 産経新聞の事前の取材に対し、佐久市教委は「政治的主張が明確な催しに行政が関与するのは適当でない」と指摘。施設の利用は容認しているとして「『表現の自由』を侵してはいない」と説明した。一方、小諸市と御代田町の両教委は「特定の政党名もなく政治的活動に当たらない」として、催しに政治性はないとしていた。 原文

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