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福島第1原発事故 2審も東電に賠償命令 仙台高裁 via 毎日新聞

 東京電力福島第1原発事故で被ばくの不安にさらされ、精神的苦痛を受けたなどとして福島市や郡山市など避難指示区域外の住民52人が東電に総額約1億円の損害賠償を求めた集団訴訟の控訴審判決で、仙台高裁(小林久起裁判長)は26日、東電の責任を認め、50人にそれぞれ2万2000~28万6000円、計約1185万円を支払うよう命じた。  2020年2月の1審福島地裁判決(住民50人に計1200万円)とほぼ同額の賠償を命じ住民側の勝訴となった。 […] 裁判の長期化を望まない住民側の要求を受けた福島地裁は、19年12月、全国の原発事故を巡る集団訴訟で初とみられる和解案を提示したが、東電が拒否した。  控訴審では、住民側が1審判決を受け入れ、裁判を早期に終結させるよう求め、東電は「賠償額の目安となる中間指針に基づいて支払った以上の被害はない」と主張していた。  判決で小林裁判長は、住民らは「全く予期しない事故が起こり、被ばくに強い恐怖や不安を抱くことはやむを得ず、自主的避難等対象区域であっても、従来の一般的想定(年間1ミリシーベルト)を超える被ばくをした住民が多くいた」と判断。東電や国に対し「事故直後、地域住民に対し、的確かつ具体的な情報提供がされていた形跡はない」などと批判した。東電は「判決内容を精査し、対応を検討して参ります」とコメントした。 「苦しみ理解された」原告団  「自分たちの苦しみを分かってもらえた」。提訴から約7年。福島市に戻って記者会見した原告団は、声を詰まらせ、長い闘いを振り返った。  自主的避難等対象区域の住民であっても一般的な想定を超える放射能にさらされたと認め、1審判決を支持した仙台高裁判決。代理人の野村吉太郎弁護士は「中通りの人たちがどんな環境で、どんな思いで過ごしてきたか、1審からさらに踏み込んで丁寧に認定した判決だった」と高く評価し、東電に対して「(上告するなど)無駄な抵抗はやめてほしい」と強く訴えた。  原告側は高齢者が多く、心身ともに疲弊していることから早期解決を要請してきた。原告団の平井ふみ子団長は「中通りの住民も大変な生活をしてきたことをちゃんと認めてもらえた。東電に対しても厳しく批判していた。長い間闘ってきて、報われたような思いで裁判長の言葉をかみ締めて聞いていた。やっと心が穏やかになった」と涙ぐみながら話した。【磯貝映奈】 全文

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「私は福島を知ってしまった。だから通い続ける」~福島原発訴訟・弁護団事務局長の思いvia 論座

「生業を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟が問いかけるもの 馬奈木厳太郎 弁護士 2020年10月13日 「東電による不誠実な報告を唯々諾々と受け入れることとなったものであり、規制当局に期待される役割を果たさなかったものといわざるを得ない」  「一般に営利企業たる原子力事業においては、利益を重視するあまり、ややもすれば費用を要する安全対策を怠る方向に向かいがちな傾向が生じることは否定できないから、規制当局としては、原子力事業者にそうした傾向が生じていないかを不断に注視しつつ、安全寄りの指導・規制をしていくことが期待されていたというべきであって、上記対応は、規制当局の姿勢としては不十分なものであったとの批判を免れない」  仙台高裁の法廷に、裁判長の声が響きます。  判決言渡しが終わると、期せずして廷内に拍手が沸き起こりました。門前では、「勝訴」「再び国を断罪」「被害救済前進」の3つの旗が、歓声と大きな拍手のなか高らかに掲げられました。 […]  私たちの裁判の目的は明確です。3つのキーワードで表しています。 1つが、”原状回復”です。交通事故で家族を失ったとき、残された家族が最初に思うことは、決して「金を払え」ではないはずです。「家族を返せ」と思うはずです。現実にはそれができないので、「できないのなら、せめてお金を払え」、こういう順番のはずです。  今回の裁判も同じです。まず、「元に戻せ、原状回復しろ」が一番目の要求になります。ただ、注意していただきたいのは、ここでいう”原状回復”は、たとえば、「2011年3月10日に戻せ」ではないということです。  3月10日であれば、確かに事故は起きていません。しかし、事故の原因となった原発は存在しています。私たちは、これでは足りない、被害を生み出すことがない状態にせよと求めています。ですから、私たちのいう”原状回復”は、”放射能もない、原発もない地域を創ろう!”という意味でとらえられる必要があります。広い射程をもって”原状回復”という言葉を使っているのです。  2つめは、被害の”全体救済”です。いま約4500名の原告で裁判をしています。ここで強調したいのは、これらの原告は、「自分たちだけを救済してくれ」と言っているわけではないということです。  一般的に裁判というと、貸した金を返せとか、家を明け渡せといった請求となり、訴えた人の請求が認められるか否かだけが問題となります。ところが、この原告たちは、そういった話はしていません。「自分たちだけを救ってくれ」という話を超えた主張をしています。この裁判を通じて何を求めているのか、それは個別救済ではなく、”全体救済”を求めているのです。  具体的にいうと、「あらゆる被害者の被害を救済せよ」、「被害者のいる限り救済せよ」ということを求めています。これは判決をテコとして、全体救済のための制度化を要求しているということです。  つまり、今回の事故について国に責任があると認めさせることによって、国には被害を救済する義務がある、いわば償いをしなければならないことが明確になります。  では、どんな形で償いをさせるのか、それは様々な形で被害が出ているので、被害に見合った形で、被害に即した形でやるべきだ、生活再建や健康被害、除染、賠償など色々な問題があります。そうしたことに対する制度を作らせることを目的とした裁判ということです。  したがって、この原告の方々たちは、様々な事情から原告になれなかった人たちのため、今後被害が生ずることになるかもしれない人たちためにも、自分たちは頑張ると決意した方たちなのです。 では、どんな形で償いをさせるのか、それは様々な形で被害が出ているので、被害に見合った形で、被害に即した形でやるべきだ、生活再建や健康被害、除染、賠償など色々な問題があります。そうしたことに対する制度を作らせることを目的とした裁判ということです。  3つめが、”脱原発”です。今回の事故を受けて、被害根絶を真面目に追求しようとすると、エネルギーとしての原子力をどうするのかということに行きつかざるをえません。  「被害者をもう生みださないでほしい」と原告の方に限らず、みなさん仰います。「私たちのような被害者は自分たちで最後にしてほしい」とも仰います。これは、もう原発による事故、そうした被害者を生み出さないでほしいということです。  そうであるならば、どうそれを目指していくのか。お金の話だけでは問題は絶対に解決されません。先ほどの”原状回復”を考えないといけないし、もっと突きつめていくと原発をどうするのかということまで行くことになります。 私たちが”脱原発”を言っているのは偶然ではないのです。 […] 全文

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原発事故高裁判決 国は責任認め救済を急げ via 熊本日日新聞

東京電力福島第1原発事故を巡り、福島県と、隣接する3県で被災した約3650人が国と東電に損害賠償などを求めた訴訟の控訴審判決で、仙台高裁は一審の福島地裁判決に続いて東電と国双方の責任を認めた。  判決は「東電を規制する立場の国が役割を果たさなかった」と、安全軽視とも言える国の姿勢を痛烈に批判し、救済範囲を拡大。原告3550人に対し一審の倍額の計約10億1千万円を賠償するよう命じた。原発事故を自然災害ではなく人災とする原告側の主張も事実上認められ、国は完敗した。 (略) 避難者らが国や東電に損害賠償を求めた集団訴訟は、全国で約30件を数え、原告は1万人を超える。国を被告に含む13件の一審判決のうち7件は国の責任を認め、6件は否定した。判断が分かれる中、原告数が最大規模の訴訟で、国の責任が明確に認められた意味は重い。  最大の争点は、原発を襲う大津波を予見できたか、そして事故を防げたかだった。国の責任を否定したこれまでの一審判決は、いずれも国は津波を予見できたとしつつも、実際の津波は想定を大きく上回る規模で事故を回避できた可能性は低いなどとしてきた。  高裁判決は、2002年に政府機関が公表した「福島沖で巨大地震が起きる可能性がある」という「長期評価」は合理的根拠のある科学的知見であり、これを基に試算すれば、遅くとも02年末ごろまでには10メートルを超える津波の可能性を認識できたと結論付けた。東電に対しては「新たな防災対策を極力回避し、先延ばしにしたいとの思惑が目立つ」と指摘。安全よりも経営を優先した姿勢が事故を生んだ、との見方を示した。  さらに、判決は長期評価に関し、東電を規制する立場にある原子力安全・保安院が「不誠実な東電の報告を唯々諾々と受け入れ、規制当局に期待される役割を果たさなかった」と断罪。防潮堤を整備しても津波を防ぎきれなかったとする国の主張を退け、「国の規制権限の不行使は著しく合理性を欠き、違法」とした。  国の賠償責任の範囲については、長期評価を基に試算が行われれば喫緊の対策を講じなければならなくなるため、国が東電の経済的負担などを恐れて試算自体を避けようとしたと判断。一審では東電の半分とされた国の賠償責任を見直し、同等に引き上げた。  国が基準を定めた中間指針を超える賠償範囲と金額が認められた意義も大きい。指針は賠償の最低限の目安として11年8月に策定されたが、国や東電の過失を前提にしておらず、金額が低過ぎると問題視されてきた。 全文は原発事故高裁判決 国は責任認め救済を急げ

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福島原発判決 「国の責任」かみしめよ via 東京新聞

 「国の責任」と断罪した。東京電力福島第一原発事故を巡る訴訟で仙台高裁の判決は「不誠実な東電の報告を国は唯々諾々と受け入れた」とも述べた。被災者の救済を早く前進させるべきである。  大地震が来る−それは国の地震調査研究推進本部が二〇〇二年に公表した地震の「長期評価」で予見できたはずである。東電が速やかにシミュレーションしていれば、遅くとも〇二年末ごろまでに福島第一原発に一〇メートルを超す津波が到来する予見もできた。仙台高裁の判決はこのような前提に立つ。  だが、東電は新たな防災対策を極力回避し、先延ばしした。むろん長期評価は国の知見ともいえ、国も同時に地震の危険性は認識していたはずである。ならば国は東電に対し、ただちに長期評価を踏まえた試算を指示できた。国自身で試算もできた。それなのに、やるべきことをしなかった。  東電からヒアリングした当時の原子力安全・保安院は「規制当局に期待される役割を果たさなかった」とも判決は述べている。東電との緊張を欠いた姿勢は明らかで、原発事故は「人災」であるとの原告側の言い分を事実上、認めたのに等しい。  これまで国と東電を被告とする同種の一審判決は十三件ある。そのうち六件の判決は国の責任が否定されていた。津波発生は予見できても実際の津波はもっと大きく事故が避けられなかった−などの論法だ。今回の高裁判決はそれを打ち砕き、国の責任論に決着をつけたと大きく評価したい。  かつ一審の福島地裁判決では賠償額において国は東電の半額にとどまっていたが、高裁は「責任同等」とした。国のエネルギー政策のもとで原発設置の許可、さらにそれを維持してきたのは、まさしく国であったからだ。これも重大な判断である。賠償額の算定を大きく左右する。 (略) 原発事故から九年半。国は「復興」と言いつつ、今年九月末でいまだ約四万三千人もの避難者がいる。国の責任を前提としない賠償基準は早く見直すべきである。  原告三千六百二十七人のうち既に九十二人が亡くなっている。国には反省が要る。義務として救済を急ぎ、被災者の生活再建を果たさなければならない。 全文は福島原発判決 「国の責任」かみしめよ

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ふくしま集団疎開裁判、仙台高裁棄却に関しての井戸謙一さんの見解 via 竹野内真里ファイル

井戸謙一さんは、2006、志賀原子力発電所2号原子炉運転差止請求事件で、住民側の運転差止めの主張を支持する判決を出した、正義の裁判官さんです。全国の裁判官がそうであれば、原発震災など起きなかったのです。マスゴミがニュースにしないので知られていませんが、ほとんど各地の原発で裁判は起きているのですよ!!! 以下転載**************** 皆さん  この決定は,一言で言えば,肩すかし決定です。  この決定の却下の論理は, ① 子供が福島に住み続けるのであれば,学校での教育活動を差し止めても,年1ミリシーベルト以上の被曝をするから,今の学校での教育活動を差し止める権利がない(差し止めても意味が無いということ) ② 子供が福島から自主避難するのであれば,その地での公教育を受ければいいから,その地で郡山市が教育活動をすることを求める権利がない。 というものです。  どこか,理屈がねじ曲げられている感じですね。  私達が主張していたのは,教育の義務を負っている行政が,その責任で,子供たちを避難させるべきだというものでした。 これについては,全く答えていないことがよく分かります。[…] しかし,この決定にはみるべき点があります。  継続的な低線量被曝が子供に与える危険について,正面から判断し,「児童生徒の生命,身体,健康について由々しい事態の進行が懸念される」と結論づけた点(A)です。この決定は,100ミリシーベルト以下では安全だとか,文科省が20ミリシーベルト以下は大丈夫と言ったことなどは全く言及していません。  他方で,この決定は,上記の明快な結論の後に,一転,ぐだぐだと述べた上に,「その生命,身体,健康に対しては・・現在直ちに不可逆的な悪影響をおよぼす恐れがあるとまでは証拠上認め難い」とも述べています(B)。(A)と(B)は全く論調が異なります。内容的には梦中しています。これは,3人の裁判官の間で厳しい議論の対立があったことを推測させます。  裁判所が,一つの判決の中で矛盾したことを書くことは原則としてありません。おそらく,低線量被曝の危険性が大きいことを正面から書くべきだという意見の裁判官と,書く必要はないという裁判官の間で意見の対立が有り,双方が納得する文章を作ることができなかったので,両者の文章を書くことで妥協が図られたのだろうと推測します。[…] 形式的には負けましたが,実質的に獲得したことに着目すべきだと思います。裁判所が,「児童生徒の生命,身体,健康について由々しい事態の進行が懸念される」と決定の中で明言したのです。この認識は,私達と同じです。このことは,これからの運動の大きなて梃子になりえます。そして,梃子にしなければなりません。 全文はこちら。 ◇関連記事 「狐につままれたような「ふくしま集団疎開裁判」高裁決定

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