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フィンランド原発 放射線量上昇で緊急事態に via Sputnik News

フィンランド南部ユーラヨキのオルキルオト原子力発電所で10日、原発内の放射線量が上昇するという緊急事態が発生した。この事態が起きたのは、現地時間の午後12時22分(日本時間19時22分)。 フィンランド放射線・原子力安全センター(STUK)のペッテリ・ティーッパナ事務局長は、「この緊急事態は、放射線モニタリングシステムが、原発内の放射線レベルの上昇を検出したことによるもの」と会見で明らかにしている。 また、同事務局長は、「周辺住民の安全は確保されており、状況は住民にとって脅威ではない」と述べている。 (略) テオリスデン・ボイマ社(TVO)のヤルモ・タンファ最高経営責任者(CEO)は、事故が起きたのは原子炉建屋内であり、通常は放射線レベルが高いため作業員がそこに入ることはないという。タンファ氏は、「そのためこの事態は、作業員に危険をもたらすものではない」とみている。 タンファ氏は、「原子炉の水のろ過システムに問題がある可能性を否定していない。原子炉内に放射性の水が入り、それが原因で警報が鳴った可能性がある。しかし、それはまだ明らかになっていない」と述べている。 原発内の放射線量がどの程度上昇したのか、タンファ氏はまだ明らかにしていない。 全文はフィンランド原発 放射線量上昇で緊急事態に 関連記事:「オンカロ」近くのフィンランドの原発で一時放射線量上昇 via TBS News オルキルオト原子力発電所には放射性廃棄物、いわゆる核のごみを地下420メートルのトンネルに半永久的に埋める計画で知られるオンカロ処分場があります。 当サイト既出関連記事:The abnormal operational occurrence at Olkiluoto nuclear power plant – the unit is stable via STUK.fi

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今明かされる極秘避難計画 子ども6千人、原発事故直後 via 朝日新聞

2011年3月中旬、東京電力の福島第一原発で事故が起きた直後、60キロほどの福島県郡山市で、子ども6千人を避難させる計画が急きょ練られた。市民にも議会にも極秘にされた。  当時市長だった原正夫氏(77)、教育長だった木村孝雄氏(74)とともに、ことし11月半ば、猪苗代湖畔の廃校を訪れ、記憶をたどってもらった。  「原発がさらに爆発したら、ここへ避難させる計画でした」と原氏。「せめて温かい食事を出せるよう、調理室にプロパンガスを運びました」と木村氏。校庭に残る雪を職員らと払い、雑草を刈った。  原発事故を想定した避難計画はなかった。計画づくりを政府から義務づけられていたのは、原発8~10キロ圏だけだった。  郡山市内は切迫していた。大震災で約2万4千戸が全半壊。3月15日にかけ、1、3、4号機の原子炉建屋が爆発し、毎時8・6マイクロシーベルトの放射線量を市内で記録した。国が追って避難指示の目安とした値の2倍超。派遣されてきた自衛隊員は防護服を着ていた。  原発の周辺から避難者が押し寄せた一方、5千人超の市民がマイカーなどで市外に避難し始めた。動くに動けない市民から、怒り、戸惑う声が殺到した。  原氏は16日、地元の参院議員、増子輝彦氏の訪問を受けた。「問題なのは(爆発していない)2号機なんですよね」 (略) 爆発がさらに続くリスクは、想定していなかった。被曝(ひばく)の影響を強く受ける子どもたちの避難は「国からの正式な情報を待っていては手遅れになりかねない」と判断した。  避難先に決めた湖南地区は西に二十数キロ。奥羽山脈で隔てられ、放射線量が低かった。旧月形小学校など五つの廃校に電気や水道を通した。子どもを運ぶバス約60台を手配した。2週間ほどの急ごしらえだった。  市内の児童は1~4年生だけで1万3千人ほど。廃校に収容できるのは、うち6千人。「市にできる限界だった」  パニックを恐れて計画は公開せず、数千万円の予算は市長の専決処分とした。事故はさらなる爆発には至らず、計画を実行に移すことはなかった。  「どのような事態になっても、教育長と私は最後まで残りますよ。そのつもりで」。原氏の言葉に、木村氏は息をのんだのを忘れない。(関根慎一、編集委員・大月規義) 全文は今明かされる極秘避難計画 子ども6千人、原発事故直後

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【石川】反核 叫ぶ父の船 ビキニ被ばくの第五福竜丸 建造 via 中日新聞

金沢の東山さん 冊子製作、記憶継いで  一九五四年、米国の水爆実験によりビキニ環礁で被ばくした日本の漁船「第五福竜丸」。金沢市泉が丘の東山温美(はるみ)さん(86)が第五福竜丸に関する冊子をまとめた。第五福竜丸は東山さんの父が建造を手掛けた。非核のシンボルとなった経緯も記し「小さな船の大きな反核の叫びを聞かなくてはいけない」。結びには核のない世界への思いをつづった。(高橋雪花) (略) 第五福竜丸は元々カツオ漁船「第七事代丸(ことしろまる)」として誕生し、戦後の食糧難を支えた。完成させたのは「古座造船所」。東山さんの父、植村直太郎さん=享年五十一=が当時、社長を務め、兄や親戚も船大工として携わった。その後、遠洋漁業用のマグロ漁船に改造され、静岡県焼津市の漁船となり、第五福竜丸に改名。ビキニ環礁で被ばくした。  「第五福竜丸と私の思い出」と名付けられた冊子はA5判五十四ページ。東山さんは二、三年ほど前、「もう年だから」と船の歴史を残したいと考えた。被ばくから展示されるまでの歩み、題材とした映画などの作品も掲載。本や新聞記事、当時の写真など資料を集めて仕上げた。 (略) それだけに、被ばくを耳にしたときには驚いた。父は既に亡くなっていた。「あの事代丸が…かわいそうに」。十年前には、第五福竜丸が保存されている東京都江東区の展示館へ。思いがあふれて涙がこぼれた。「第五福竜丸は自分の子のようにいとおしい。一度は廃船になって捨てられかわいそうな目に遭ったが、永住の地を得て平和を問い掛ける船となったことがうれしい」  冊子は四十部刷り、長男、長女らに配った。冊子を手に改めて思う。「若い人は特に知らないから、記憶を受け継いでほしい」 全文は【石川】反核 叫ぶ父の船 ビキニ被ばくの第五福竜丸 建造

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「若い子は精子もだめになっちゃいますよ」 原発潜入記者が見た、被ばく量ごまかしの“カラクリ” via 文春オンライン

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1F勤務した様子を『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ 除染しない車両 (略) 「メーカーの社員や現場監督なら誰でも知ってる。現実的に……作業員はJヴィレッジから出てこれないんです。汚染がひどくて。車もJヴィレッジから出しちゃいけない。一度中に入れたものをそのまま素通りして出すとかって、考えられない。だから今までの値の感覚がみんなおかしくなっちゃってる。流れ作業でスクリーニングして、はいオッケー。みんな汚染してます。かなり。たとえば現場に行くとき履いた靴はもう駄目なんです。毎日新品に履き替えるわけにはいかないけど、自分はサーベイ持ってたんで、1カ月で10足は靴を替えました」(震災当日から復旧に当たっている地元の協力企業社員)  彼が憤慨しているのは、Jヴィレッジでの車両除染についてだった。  建前上、20キロ圏内に入った車両は汚染を計測し、ひどく汚れている場合は敷地内で除染を行うよう決められている。だが、私自身、20キロ圏内に放置されていたトラックが、そのまま外部に出てくる様子を数回目撃している。そのうちの1台は、私自身が引き上げ作業に関わった。 (略) 除染しても「無駄だから」 〈あんな場所に長期間停めっぱなしだったから除染するだろう。どのくらいの時間がかかるか測ろう〉  鞄にしまってあったデジタル腕時計を取り出し、ストップウォッチで計測した。1本目のタバコを吸い終わらないうちに、そのユニックはIHIの駐車場に到着した。 「なんもしないんですか?」 「無駄だから」  もう1台の車両を引き上げにいった班は、正規の除染作業を行っていた。除染は事前予約制になっており、それを無視出来なかったのだ。30分ほど待たされたが、上会社の社員はたいそうご立腹の様子で「なんでいちいち除染してくんのよ!」と、下請け作業員を怒鳴りつけていた。こうした風景は単なる例外……モラルの低い社員がごく少数存在しているだけと勘違いしていたが、1Fの復旧では日常的な慣習だったのだ。 「除染……やったところでやりきれないってことはあるんです。いま、各地で除染が叫ばれるようになって、保育園とか小学校など、いろんな場所で始まりましたけど、基本的に土壌の除染は表面付近の土を取り除き、汚染されてない土と入れ替える。家なんかは高圧の水で洗う。でも、洗ったあとの水はどうしてるんですか。テレビとかニュースでみるとただ流してるようにしかみえない。だったら今度は土が汚染し、川が汚染し、海が汚染する。完全な除染なんて無理なんです。ゴムなんか絶対除染できない。放射性物質を取り込んで、放射化しちゃうからです。木材なんかもそう。目に見えない穴に入り込んじゃう。それを表に出そうと思ったら、表面を削り取らなきゃいけない。今頃ようやくそれをやり始めた。  電力はばれたら困ると思ってるのか……半減期を過ぎて、ある程度落ち着いたタイミングでやってるのか分かりません。ほんと、なにをやってんのかな、って言いたいんですけど、(東電からは)それで出してくれと言われる。現実問題として、人や車を出さないと復旧作業が進まない。それは理解もできるけど……。 (略) 「本当の放管……ほとんどいませんよ。あいつら、放射能のプロですよ。あの汚染をみたら、とてもじゃないけど敷地内には入れない。たいてい、にわか知識のヤツを集めて、がんばってって送り出すんです。マニュアルしかわかんないのをぽんぽん送っているわけです。ほとんど知識のない人間を一時的に教育して、放管にしちゃう。純粋な……っていったらおかしいかもしれないけど、そんな人はほとんどいない。最初の頃は行ったかもしれないですね。でもいまは来ない。行ってない。怖さが分かるから行けないんです。あいつら勉強してますもん、けっこうどころじゃない。真剣に怖がってます。  一口に被曝っていうけど……免震棟でAPDもらいますよね。あれ、β線とγ線を測れます。でも放射線ってその2つだけじゃない。中性子やα線とか、出てるんですよ。α線は短い距離しか飛ばないし、紙一枚で遮れるっていうけど、股間あたりまでは出てるんですね。そんな場所で地べたに寝転んで何時間も作業するんですよ。若い子とかは精子もだめになっちゃいますよ。放管が最初に現場に行って、放射線測定するんです。でも素人みたいなのが多いから、うちの現場には、もう一回放管呼んできて放射能を測らせる。するとすごい数字が出るんです。 (略) 事故前、1Fでは最大130カウントから180カウントが汚染のリミットだったという。それ以上汚染したものはすべて、敷地内から出せなかったのだ。幅があるのはオートメーション測定器と、手作業での測定との誤差を考慮したためだという。 「事故が起きてから、これまでの基準が一瞬で変わった。一般人の年間線量限度が1ミリから20ミリに引き上げられそうなことは盛んに報道され大議論になったのに、除染の目安が突然引き上げられたことを、なぜ誰も問題にしないのか。IAEAの定める10万カウント……自分たちからみたらあり得ない数値です。これを受け入れるなら、これまで自分たちが守ってきた基準はなんだったのか……どうしても許容できない。  長い間原発で働いていた業者にとっては、500カウントだって完全アウトなのに、Jヴィレッジではつい最近まで、1万3000カウントを超えない限り、モノも人も、そのまま出していた。130カウントを基準にすれば100倍です。除染しきれなかった場合、最終的には10万カウントだったから、750倍以上です。そんな車が平気で街を走ってるんです。狂ってます」 全文は「若い子は精子もだめになっちゃいますよ」 原発潜入記者が見た、被ばく量ごまかしの“カラクリ”

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水道水販売で風評払拭へ 原発事故被災地の福島・浪江町 via 東京新聞

東京電力福島第1原発事故の被災地、福島県浪江町が7日、町の水道水を詰めたペットボトルの販売を始めた。水源は町内の地下水で、放射性物質の影響はない。口当たりが軽い軟水で、復興支援に訪れた人々の間で水道水の味が評判だったことが販売のきっかけ。安全性とおいしさをPRして風評払拭につなげる。  セシウムなど放射性物質は、地表近くにとどまるため水源のある地下深くには浸透しない。取水場で24時間、放射性物質の検査を実施しており、これまで全て検出限界値未満だった。 全文は水道水販売で風評払拭へ 原発事故被災地の福島・浪江町

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アカマツ形態異常…「植物ホルモン」濃度低下 放射線影響解明へ via 福島民友新聞

東京電力福島第1原発事故の帰還困難区域のアカマツに放射線の影響とみられる形態異常が確認されていることについて、福島大は2日、放射線の影響でアカマツの植物ホルモンの濃度が低下したことが原因と考えられるとの研究成果を発表した。 福島大環境放射能研究所のヴァシル・ヨシェンコ教授(56)と難波謙二所長(55)、ロシア農業放射線生態学研究所の研究者らでつくる日ロの研究チームが、環境科学の学術誌「サイエンス・オブ・ザ・トータル・エンバイロメント」に発表した。研究チームは今後、放射線が植物ホルモン濃度に影響するメカニズムの解明を目指す。  ヨシェンコ教授らは、大熊、浪江両町の帰還困難区域内の4地点に福島市を加えた5地点で、放射線影響を受けやすいとされる針葉樹であるアカマツの形態異常の発生率を調べてきた。  今回の研究では、5地点のマツを正常な形態のグループや、垂直に伸びる幹がない形態異常のグループなどに分けた上で、それぞれの植物ホルモン濃度などを調べた。 その結果、植物ホルモンの一つ「オーキシン」の濃度は福島市の正常のマツが最も高く、外部被ばくと内部被ばくを合計した被ばく線量が1時間当たり3.5~6.5マイクログレイ(3.5~6.5マイクロシーベルトに相当)だった帰還困難区域のマツは濃度がその半分程度だった。福島市の形態異常のマツも同様に濃度が低く、研究チームは「オーキシン濃度の低下により形態異常が増加すると説明できる」としている。 続きはアカマツ形態異常…「植物ホルモン」濃度低下 放射線影響解明へ

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被災地の墓石店が見続けてきた原発事故 墓の復旧・新築を経て今は via Withnews

悩んだ末の墓じまい「立派な行為」 東日本大震災から間もなく10年。福島県には住民がまだ1人も帰れない「村」がある。原発から20~30キロ離れた「旧津島村」(浪江町)。原発事故で散り散りになった住民たちの10年を訪ねる。(朝日新聞南相馬支局・三浦英之)  石材業も原発事故で避難 「墓石の仕事に携わっているとね、よく見えるんですよ。震災や原発事故がどういうものか」 末永一郎さん(64)はそう言うと、悔しそうに「ふっ」と息を漏らした。かつては旧津島村の手七郎集落で石材業を営んでいた。今は約35キロ離れた大玉村で家業を再開している。 (略) 5年過ぎ増えた「墓じまい」 震災後、年を経るごとに仕事の内容が変わった。当初の2、3年は、お墓の復旧に忙しかった。激しい揺れで墓石が倒れたため、重機を使って、それらを元の状態へと直していった。 4、5年すると、津波で身内を亡くした遺族が新たにお墓を求めるようになった。主に沿岸部で暮らしていた住民で、末永さんも20以上のお墓を納めた。 そして震災から5年が過ぎると、「墓じまい」の注文が多くなった。故郷は帰還困難区域内にあって帰れない。避難先への定住を決めた避難者は、新たな土地に家を建て、先祖が眠るお墓を移す。古いお墓は更地にするが、墓石は放射線量が高くて持ち出せないため、20以上の墓石が末永さんの旧作業場に積み上げられたままになっている。 悩んだ末の決断「立派な行為」 「墓じまい」は、故郷に戻らないことの意思表示でもある。「(集落の行政区長でもある)末永さんにとって、それは寂しいことではないですか」と問うと、末永さんは首を振った。 「いえ、そうは思いません。むしろ立派な行為です。誰もが悩んだ末に決断したことなのですから」 全文は被災地の墓石店が見続けてきた原発事故 墓の復旧・新築を経て今は

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【検証・放射線】安全と危険の間 防護の管理目標に幅、社会と溝も via 福島民友新聞

「放射線防護は状況に応じた管理目標を幅を持って示し、安全と危険の間に線を引かない考え方を取る。明確な安全基準を求める社会との溝が埋まらなかった」。国際放射線防護委員会(ICRP)委員の甲斐倫明(65)=大分県立看護科学大教授=は、東京電力福島第1原発事故後の放射線を巡る議論を振り返った。  2007年勧告、採用  ICRPは、放射線による被ばくを管理、制御することで人の健康を守るための基準をつくり、提言する国際機関。原発事故後、政府が避難指示や除染などを行う際の基準として採用したのはICRPの「2007年勧告」だった。  原発事故のような異常事態を「緊急時被ばく状況」、身近な環境中に放射線を出す物質が管理を実施する前から存在する状況を「現存被ばく状況」と定義。放射線を計画的に管理することができる、いわば平常の状態は「計画被ばく状況」としており、それぞれ20~100ミリシーベルト、1~20ミリシーベルト、1ミリシーベルト以下と、被ばく線量の管理目標の範囲がある。  甲斐は「その時々の状況に応じて可能な放射線防護対策はある。それぞれの数値は、被ばく線量を抑える目安として幅を持たせ、各国はこの範囲の中で具体的な管理目標を定めるという仕組み。しかも、なるべく元に近い状態を目指すのが本来の趣旨」と説明する。しかし、原発事故まで放射線と向き合ってこなかった国内の受け止めは違った。  緊急時の対話の在り方 (略) 100ミリシーベルトは、被ばくによる臓器などへの影響が現れず、集団での影響を観察できなくなる下限の数値、20ミリシーベルトは放射線業務に従事する人に定められた年間被ばく線量、1ミリシーベルトは一般人を対象に平常時に管理する被ばく線量。あくまで目安であり、健康影響や危険性の境界を示す数値ではなかった。  だが、社会は状況に白黒を付ける基準を求めた。不安を解消しようと「100ミリシーベルト以下は大丈夫」と説明した専門家もいた。すると被災地の本県などから「平常時は1ミリシーベルトだろう」「20ミリシーベルトでも高い」という議論が起こった。甲斐は当時の状況を「非常時には、安全だというよりも、危ないから気を付けろという話が届きやすい。理解してもらうのは難しかった」と語る。 全文は【検証・放射線】安全と危険の間 防護の管理目標に幅、社会と溝も

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被ばくの実態、米国にも 「核実験」テーマに映画製作へ 南海放送・伊東ディレクター /愛媛 via 毎日新聞

米政府が戦後、太平洋で繰り返した核実験による被ばくの実態を米国人に知ってもらいたいと、南海放送(松山市)のディレクター、伊東英朗さん(60)が、米国での上映を目指して映画の製作準備を進めている。  「核実験による放射性物質は米本土にも降り注いだ。事実を知れば、市民はアクションを起こしてくれるはず」と伊東さん。映画は自身が手掛けてきたドキュメンタリー「X年後」シリーズの第3作で、実現に向け資金を募っている。米国で議論を巻き起こし、世界的な社会運動につなげたい狙いだ。 (略) 2012年公開の映画「放射線を浴びたX年後」第1作では、1946~62年に太平洋で行われた100回以上の核実験の被害を伝えた。「第五福竜丸以外にも被ばくしたマグロ漁船乗組員は数十万人以上存在する」と指摘。2015年には第2作を作り、上映会や語り掛け活動で核の恐ろしさを訴え続けている。  今年1月には、核実験に関わり被ばくした英軍の元兵士や遺族を英国で取材。当時の体験を話す彼らの証言により、被害の実態や被ばくがもたらす長期間の影響をより鮮明に浮かび上がらせた。 CFで資金調達  「核実験による被ばくの問題は、世界でほとんど知られていない。伝えることで許せないという意識を持ってほしい」と伊東さん。資金集めは1000万円が目標で、クラウドファンディングのサイト「READYFOR」で12月25日まで募っている。実現すれば日本でも上映したい考えだ。 全文は被ばくの実態、米国にも 「核実験」テーマに映画製作へ 南海放送・伊東ディレクター /愛媛

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【検証・放射線】後悔…避難中の死 緊急被ばく医療「歴史に学ばず」via 福島民友新聞

2011(平成23)年3月14日午前、東京電力福島第1原発から北に約24キロ離れた相双保健福祉事務所(南相馬市)。原発から20キロ圏内の病院に入院していた患者や施設の入所者を乗せたバスが慌ただしく到着した。  車内には寝たきりの患者や認知症とみられる入所者のほか、座席から転げ落ちて頭から血を流している高齢者の姿も。緊急被ばく医療のチームの一員として広島大から派遣された救急医の谷川攻一(63)は、壮絶な避難の実態を目の当たりにした。  患者らは事務所を経由して各地の避難所に移ったが、途中で亡くなる人が出た。原発事故前から日本の緊急被ばく医療の仕組みづくりに関わってきた谷川は、放射線の影響を避けるための避難が人命を奪う要因となったことを悔やんだ。  「原発事故が自然災害に複合して起こること、原発事故で病院全体が避難を強いられる事態になることに備えてこなかったのが一番の反省点」。谷川はこれまでの緊急被ばく医療を振り返り、こう述べた。「日本の緊急被ばく医療は、過去の歴史を真摯(しんし)に学んでこなかった」 スリーマイルと新潟  1979年、米・ペンシルベニア州でスリーマイルアイランド原発事故が起きた。機器の故障と操作ミスで核燃料が溶け、圧力容器の底に落下した重大事故。徐々に避難区域が拡大され、病院も一時避難を検討する事態となった。  谷川は言う。「病院関係者が当時の記録を残している。入院患者の避難の準備をしないといけない一方で、スタッフが逃げて少なくなっていった。実際に避難には至らなかったが、福島の事故直後の1週間のような状況だった」。福島をほうふつとさせる事態が、その32年前に起きていた。  福島の事故の4年前にも、緊急被ばく医療の盲点に気付く機会があったという。2007年の新潟県中越沖地震だ。東電柏崎刈羽原発で火災が発生し、原子力災害が自然災害に伴って起こりうることが示された。「原発周辺の病院や介護施設が避難しないといけなくなった時、どうするか。あの時が、対策を講じる最後のチャンスだった」。谷川は「事故は起きないだろう」という安全神話が背景にあったと考えている。 全文は【検証・放射線】後悔…避難中の死 緊急被ばく医療「歴史に学ばず」

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