Tag Archives: 反原発運動

脱原発テントが美術館に【画像】via The Huffington Post

東京・霞が関の経済産業省前の敷地内に張られたテントが12月5日、美術館になった。立ち退きに対する対抗策として設置されたとみられる。30日、産経ニュースなどが報じた。 朝日新聞デジタルによると、テントは2011年9月以降、脱原発を訴えるグループが経産省前の国有地に複数設置した。グループは原発政策に抗議する活動のために、事務所や物置としてテントを使っている。 これに対し、国は2013年3月、テントの撤去などを求めて訴訟を起こした。2015年10月、東京高裁は「表現の自由として許容される範囲を超える」などとして、1審に引き続き、グループ側にテントの撤去と土地の明け渡し、損害賠償の支払いを命じた。 グループ側の公式サイトによると、グループ側は現在は最高裁に上告中。 (略) 「脱原発を願い、原発再稼働・原発輸出を止めたいと願う市民たちの声を、今まで以上にアピールするために、テントのうちの丸ごと1棟を、美術館としてオープンすることになりました」と説明、美術館につくりかえた思いを記した。 全文、画像は 脱原発テントが美術館に

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高知県の窪川原発は知恵で止めた 明治学院大・猪瀬准教授が著書 via 高知新聞

旧高知県高岡郡窪川町(現高知県高岡郡四万十町窪川地域)の窪川原発計画をめぐる住民の動きを研究していた、明治学院大学・猪瀬浩平准教授(36)=文化 人類学=の著書が出版された。タイトルは「むらと原発 窪川原発計画をもみ消した四万十の人びと」。東京電力福島第1原発事故を機に窪川原発を研究し、四 万十町を度々訪れた猪瀬さんは「30年前の窪川のものの見方で今を見ると、民主主義のありようなど、われわれに批判的な問題提起をしてくれる」と語る。 2011年3月11日、東日本大震災が起きた日に、猪瀬さんはタイ・バンコクで、窪川原発反対運動をリードした四万十町本堂の農業、島岡幹夫さん(77)と出会った。共に、日本の市民団体が援助するタイの農業塾に参加していた。 猪瀬さんは「津波や原発が爆発した映像をタイで見ながら、かつて窪川で原発を止めた話を、島岡さんから聞いた。震災後の世界をどう生きていくか、具体的な知恵や希望が、この話の中にあると感じた」。これがきっかけで約3年間、四万十町に通い、窪川原発の取材を重ねた。 ■ 窪川原発は1980年、当時の窪川町長が誘致を表明し、1988年まで、賛成・反対をめぐって窪川町を揺り動かした。 猪瀬さんは当時の窪川について、こう指摘する。「都市の人間が見る『町が二分された』というイメージで語ってはいけない。窪川の住民には、もともと(農作業などの場面で)折り合いを付け、関係性を決裂させない知恵があった」 また、原発に反対した「郷土(ふるさと)をよくする会」(野坂静雄会長=故人)もさまざまな立場を超えた多様性を持った組織として描き、「一枚岩じゃない強さと包括性があった」と語る。 一般的に、窪川原発の反対運動は、日本初の原発建設の賛否を問う住民投票条例を作ったことが評価される。 しかし、猪瀬さんはこの定説を「住民投票条例はあくまで最後の切り札。拙速に決めると、最悪のシステムになりかねない。窪川の住民は、地域の集会所などで原発について丁寧に学習会を重ねた。条例を使うところまでいかなかったプロセスこそ重要だった」と見る。 (略) 自分たちの暮らしは自分たちで守る―。猪瀬さんは、そんな旧窪川町民の思いをくみ取り、著書をこう結ぶ。 〈多様性をもち、それゆえに葛藤をはらみながら、決定的に決裂させなかったことこそが、窪川原発反対運動の要点であり、またそれを生み出した窪 川という地域の凄(すご)みである。背景には、原発騒動のはるか前から、窪川の農村に生きる人びとが、農業生産だけでなく、暮らし全体のあり方を議論する 場が存在していた〉 全文は高知県の窪川原発は知恵で止めた 明治学院大・猪瀬准教授が著書

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反原発ドキュメンタリーの虚構を暴く 名誉毀損に近いウソも 音楽はあの新垣隆氏 via 産経ニュース

反原発団体のプロパガンダ(政治宣伝)が活発化している。全国で反原発訴訟を繰り広げている弁護士らが“ドキュメンタリー”と称する映画を製作、渋谷の映画館で10月10日から約20日間、上映された。団体は、劇場公開を機に全国各地での学校や施設での自主上映を呼びかけており、反原発思想を広げようと画策している。どんな政治活動をしようと自由だが、取材班がこの映画を観賞したところ、誤った認識がいくつも見られた。(原子力取材班) 反原発のおなじみの面々が出演 おどろおどろしい音楽とともに始まった映画「日本と原発 4年後」は、1950年代の原子力の平和利用の歴史から説き起こし、東日本大震災と原発事故の悲惨さを映し出し、脱原発を訴える。 […] 事故時の原子力委員長だった近藤駿介氏や、元原子力委員でジャーナリストの木元教子氏ら原発推進派とされる人の意見も交えて、辛うじて“中和”を試みているが、原発の総合的な知識がない人はすぐに感化されてしまうだろう。 […] 映画は、原発事故後に発足した原子力規制委員会に対しても批判を浴びせている。 特に原発の新規制基準を「安全を約束するものか」という疑問を呈しているが、この疑問は福島の事故を反省していない言い分だ。「安全神話」を復活させたいという思いがあるのだろうか。 まず、映画は規制委の思想を理解していない。つまりこういうことだ。絶対安全であるというお墨付きを行政が与えることではないし、むしろ、それをしてはならないというのが今の規制委の考え方だ。安全に終わりはない。常に安全とは何かを考え続けることが必要だという思想だ。 取材班はこれまでに、規制委の田中俊一委員長に何度も会って、委員長の「安全観」を聞き出しており、その真意を理解している。記者会見などでも、何度も新規制基準と安全について聞かれているので、会見録をチェックしてみればよい。 映画では、田中委員長が「基準の適合性は見ているが、安全だということは申し上げない」と言っている場面が映し出されていた。 銀幕には、「田中委員長が『安全』を否定した」というテロップが出たが、それは名誉毀損(きそん)にも近いウソといえよう。   全文は 反原発ドキュメンタリーの虚構を暴く 名誉毀損に近いウソも 音楽はあの新垣隆氏 

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原発再稼働反対申し入れ 京都府・市にリレーデモ参加者 via 京都新聞

 高浜原発(福井県高浜町)から大阪市の関西電力本店までを徒歩でつなぐリレーデモの参加者らが16日、京都府庁(京都市上京区)と京都市役所(中京区)を訪れ、それぞれ山田啓二知事と門川大作市長宛てに、同原発再稼働への反対を求める申し入れを行った。 リレーデモは「若狭の原発を考える会」(事務局・山科区)が呼びかけ、約400の個人・団体が賛同している。8日に高浜原発を出発し、ルート沿いの住民を中心にデモ行進をつないでいる。 この日は、約120人が横断幕を掲げたり、シュプレヒコールを上げたりしながら大津市から京都市役所までを行進。府庁にはメンバー14人が訪れ、「府は、原発再稼働について(地元同意権を持つ)福井県と同様の権限を要求すべき」などとする申し入れ書を担当者に手渡した。 続きは 原発再稼働反対申し入れ 京都府・市にリレーデモ参加者

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韓国政府、住民投票は「誘致反対」でも盈徳原発は計画通り推進 via the Hankyoreh

1万1201人投票して反対率92% 20日に郡守に誘致撤回を求める計画 23日には産業資源部訪ね要求する予定 投票率の基準めぐり議論に 盈徳郡は「住民投票の効力はない」 慶尚北道盈徳(ヨンドク)郡の住民が盈德原子力発電所誘致の賛否を問う住民投票の結果を踏まえ、原発誘致の白紙化を要求している。今月11日から12日ま で行われた民間主導の住民投票には、盈徳郡民1万1201人が参加し、1万274人(91.7%)が原発誘致に反対する意向を明らかにした。  しかし、産業通商資源部と韓国水力原子力は原発建設を予定通り推進することを表明しており、対立が続く見込みだ。住民投票以降、投票率と結果をめぐりさまざまな分析が示された。  19日、盈徳住民の説明を総合すると、住民は20日午後4時、イ・ヒジン盈徳郡守に会って盈徳原発誘致申請の撤回を求める計画だ。続いて23日には、産 業通商資源部を訪ねて盈徳に原発を建設しようとする計画の撤回を要求することにした。住民たちは、要求を受け入れてもらえなければ、原発誘致反対の署名運 動を行ったり、イ郡守に対する住民召喚も推進することも検討しているという。  住民投票が終わって一週間が過ぎた19日、盈徳のあちこちにかけられていた原子力発電所誘致を賛成あるいは反対する横断幕は、すべて消えた。賑やかだった住民投票管理委員会と推進委員会の事務所も閑散としていた。住民投票を支援していた環境活動家たちも盈徳を去った。  住民投票が終わった翌日、産業通商資源部は計画通りに盈徳に原発を建設すると発表した。原発建設実行機関である韓国水力原子力はマスコミに「チョンジ原 発と共にする盈徳百年の大計、郡民の皆さんと一緒に作っていきます」という広告を掲載した。18日には、原発建設の補償業務を担当する慶尚北道開発公社が 原発建設事業に伴う補償計画の閲覧・公告を出した。  盈徳郡の関係者は、「当初から住民投票の効力を認めていなかったため、原発誘致申請を撤回する計画はない」と述べた。  このような態度について、「政府と韓国水力原子力、盈徳郡は住民投票の結果を受け入れるべきであり、これを拒否するなら、政府や自治体主導で再投票を実施すること」を求める声が高まっている。 (略) 住民投票には1万1201人が参加し、1万274人(91.7%)が反対票を投じた。住民投票後、住民と住民投票にかかわった団体は、投票率について異なる分析を示した。住民投票推進委員会と管理委員会は、住民投票が開始されるまで投票率の基準を明確にしなかったからだ。  住民投票が終わった翌日の13日、住民投票管理委員会は「住民投票率60.3%、反対率91.7%」と発表した。住民投票のために自主的に把握して作成 した1万8581人の投票人名簿を基準にすると、投票率が「60 .3%」ということだ。環境運動連合も同日、「住民投票が成功裏に終わった。投票人名簿1万8581人のうち1万1201人が投票して、投票率60.3% となった」と明らかにした。  これとは異なり盈徳全体の投票権者3万4432人(9月基準)を基準に投票率が32.5%(1万1201人)との主張もある。  また、投票率を41%とする分析もある。これは、不在者を除く全体有権者を基準にした投票率だ。盈徳郡から選挙人名簿を提供してもらえず、不在者を把握 できなかったため、不在者7000人が投票に参加できなかったことを考えると、実際住んでいる人の40%が投票に参加したという主張だ。 全文は韓国政府、住民投票は「誘致反対」でも盈徳原発は計画通り推進

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玄海原発差し止め訴訟、原告1万人に via 佐賀新聞

佐賀など九州を中心に、原発再稼働に反対する市民が国と九州電力を相手に玄海原発(東松浦郡玄海町)全基の操業差し止めを求めている訴訟の原告数が、目標の1万人を超える見通しになった。約250人が19日、佐賀地裁に追加提訴する。 原告団は長谷川照・元佐賀大学長を団長に2012年1月、原発訴訟では全国最大規模の1704人で提訴。「再稼働反対の声が根強い世論を裁判に反映させよう」と訴訟参加者を募り、追加提訴を続けてきた。 すでに提訴している原告のうち、福岡県在住が半数以上の約5千4百人を占め、次いで佐賀県が約2千人。韓国や中国など海外からも30人が加わっているほか、作家の片山恭一さんや評論家の佐高信さんら著名人も名を連ねる。 続きは玄海原発差し止め訴訟、原告1万人に

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原発の沖合で獲れたズワイガニ、召し上がりますか? via hankyoreh

【ルポ】11~12日 原発誘致賛否投票を控えた盈徳 「ズワイガニで有名な清浄地域に原発を誘致したら 損害の方が大きいんじゃないですか」 街のあちこちに賛否の横断幕 10年前の放射性廃棄物処分場誘致では住民の80%が賛成 福島原発事故の後、反対世論拡散 最近の世論調査では反対60% 賛成30% 政府・道・郡は「法的根拠なし」と投票引き止め (略) 盈徳は海辺の人口4万の小さな町だ。釜山から東海岸を第7国道に沿って北上すれば、蔚山(ウルサン)、慶尚北道慶 州(キョンジュ)、浦項(ポハン)の次が盈徳だ。東海岸にある慶尚北道の4地域(慶州・浦項・盈徳・蔚珍)のうち、唯一原発も工業団地もない所でもある。 保守的指向が強く、地方区国会議員と郡守、区議員の7人が全員セヌリ党所属だ。何年か前までは原発に友好的な地域であった。  こんな盈徳で、11日と12日、民間主導で原発誘致に対する賛否を問う住民投票が行われる。住民投票を控え、原発誘致賛否に分かれた住民間の葛藤はさら に高まっている。政府と慶尚北道、盈徳郡は法的根拠のない住民投票だとして住民に対し投票に参加しないよう説得している。 しかし盈徳郡議会(議長イ・ガンソク)は住民投票を支持し政府・地方自治体と対立する立場を表明している。 (略) 昨年10月、江原道三陟市で行われた原発賛否住民投票で反対が85%に達すると、翌月チョン・ホンウォン当時首相 は住民をなだめるために盈徳を訪問した。世論は冷ややかだったが政府はこの7月、盈徳郡盈徳邑ソク里、メジョン里、ノムル里一帯(324万平方メートル) に1500メガワット級の原発2基を2027年までに建設するという内容の第7次電力需給基本計画を定めた。追加で必要な原発2基を2029年までに盈徳 または三陟に建設するという内容まで含まれていたため世論は一層悪化した。  実際、4月8~9日の盈徳郡議会の世論調査では原発誘致反対の回答(58.8%)が賛成の回答(35.7%)より多かったが、8月12日の盈徳原発反対 汎郡民連帯の世論調査では反対(61.7%)と賛成(30.6%)となり格差はさらに広がった。先月29日の汎郡民連帯二回目の世論調査でも、反対 (60.2%)が賛成(27.8%)よりはるかに多かった。 住民投票推進委常任委員長を務める住民ペク・ウンヘ氏(52)は「日本福島原発事故以前に原発誘致賛否の住民投票をしたなら、おそらく賛成世論が多かった だろう。しかし住民たちは今は原発の安全性に疑問を感じており、政府が約束する各種支援についても、本当に約束が守られるという信頼を持っていない」と話 した。 全文は原発の沖合で獲れたズワイガニ、召し上がりますか? 韓国語原文

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“原発反対は教会のタブーになっている” 「原発から子どもを守る女の会」代表・斉間淳子さん via Christian Today

「STOP伊方再稼働!全国集会 in 松山」で発言した日本基督教団三瓶(みかめ)教会(愛媛県西予市)会員の斉間淳子さん(「原発から子どもを守る女の会」代表)も1日、本紙に対し、「原発反対は教会のタブーになっている」と語った。 伊方原発から約10キロ離れた八幡浜市に住む斉間さんは、「牧師先生たちは原発に反対だけど、信者さんの中にはやっぱり四電(四国電力)に関わりの ある人がたくさんいるし、うちの兄なんかも四電に(働きに)行きおったしね。でも、クリスチャンだったんですよ。教会は、地域としては一つにはなれんの よ。そやから、あんまり『原発反対、原発反対』いうことを声高に教会の中で言いにくい。私を見たら、『原発に反対してるんよね』って言ってはくれるけど ね。それまでや」と話した。 1943年生まれの斉間さんは今年4月、伊方原発運転差し止め請求訴訟の意見陳述書で、40年に及ぶ伊方原発周辺の住民たちの闘いや自身の関わりを振り返りつつ、「四国電力は再稼働の申請を取り下げるべきです。また松山地裁におきましては、いっこくも早く伊方原発の運転差し止めの判決を出してくださいますようお願いいたします」などと述べている。 斉間さんはまた、『原発とキリスト教』 (新教出版社、2011年)で、「伊方原発の地元で神を呼び求める」という文章を書いている。それよると、『原発の来た町―原発はこうして建てられた 伊 方原発の30年』(南海日日新聞社、2002年)を著した夫の満さんは、2006年に天に召される2年前に三瓶教会で洗礼を受けたという。 続きは“原発反対は教会のタブーになっている” 「原発から子どもを守る女の会」代表・斉間淳子さん 関連記事:“福島の現実、伊方で繰り返してはならない” 「伊方原発をとめる会」共同代表・須藤昭男牧師 via Christian Today 伊方原発運転差し止め請求訴訟について、「ぜひ勝訴したい」と言う須藤牧師は、原発問題に対する運動について、「継続してやっていくことがとても大事。福島を忘れちゃいかん」と強調する。 「伊方原発の地元の町で行われた再稼動に関する住民はがきアンケートの結果は、『賛成27%、反対51%、どちらともいえない22%』なのです。こ の22%の人たちの心配は『仕事がなくなるのでは』ということなのです。ですから原発反対と共に、稼働停止の後はどのようになるのか、廃炉作業が完全に終 わるまでの原発の固定資産税、今までの交付金などを含めて『稼働停止後の伊方町と佐田岬の青写真』を具体的に提示するにはどうするか。このことを提示する ことのない『伊方原発運転差止』では、22%の人々の不安は解消されない。原発反対運動の中でこのことを具体的に立案するにはどうすればいいのかが今の大 きな悩み、祈りの課題です」と須藤牧師は言う。 また、「伊方原発が事故を起こせば、瀬戸内海の海の幸が壊滅的な打撃を受け、おいしいミカンは全滅、文化の香りに染む遍路道には人が途絶え、天下の名湯・道後温泉に観光客は訪れるでしょうか」と懸念する。 松山に移り住んで43年。松山は「第二の故郷」だと言う須藤牧師は、「原発の幸せは一炊の夢。本当の幸せの木(再稼動を阻止、廃炉から始まる具体的地元の経済対策)を植えなければならない。福島から学び、本当の豊かさ、幸せをもたらす施策が必要なのですよ」と言う。 須藤牧師は、2012年8月に日本基督教団松山教会で行われた「平和の集い」で、原発問題について講演している。「教会は、『主イエス・キリストの 救いを伝え、一人の人を救いに導く』、このことを絶対に忘れてはならないのです。しかし、クリスチャンは現代の預言者。牧師やクリスチャンは政治の動向、 社会の動き、社会問題と向き合うことを忘れてはならないと思います。この二つを聖書的に正しく捉えていかなければならない」と須藤牧師は語っていた。 また須藤牧師は、現在は自らの教会を挙げて原発問題に取り組んでいるわけではなく、「福島県出身・牧師須藤昭男」として取り組んでいると付け加えた。

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伊方原発:「再稼働反対」 脱原発団体メンバーら、運動を話し合う 八幡浜 /愛媛 via 毎日新聞

再稼働阻止全国ネットワーク全国相談会・交流会が31日、八幡浜市松蔭地区公民館であった。全国各地の脱原発団体メンバーら約110人が参加し、運動の進め方を話し合った。 「STOP!伊方原発・南予連絡会」の八木健彦事務局長は、南予各地での映画上映や四国電力への抗議デモなど、伊方原発3号機の再稼働に反対してきたこれまでの活動を報告。既に中村時広知事が再稼働同意を表明したが、「地元同意を巡る戦いは終わっていない」と強調した。 「川内の家」の岩下雅裕さんは、再稼働した九州電力川内原発1、2号機(鹿児島県薩摩川内市)での取り組みについて、「必死で頑張ったが2連敗。伊方にバトンタッチしたい」と期待を示した。 続きは伊方原発:「再稼働反対」 脱原発団体メンバーら、運動を話し合う 八幡浜 /愛媛

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避難中の11歳男子が「アベ政治を許さない」とデモに参加した姿に涙!――木内みどり×広瀬隆対談【前篇】via ダイヤモンドオンライン

(抜粋) 広瀬 ご主人の水野誠一さんが静岡県知事選に出られたとき、浜岡原発停止を訴えていたことは知っていたのですが、水野さんと木内さんが、僕の頭の中では結びついていませんでした。 木内 14年前、水野が静岡県知事選に出たときに、候補者の妻として暑い暑いひと夏、朝から晩まで一緒に走りました。 あのとき、どこへ行っても水野が「浜岡原発を止めたい」と言うのです。すると、聞いている人たちが「厄介な話を始めたな……」とシラケて、引かれてしまうことに気がつきました。 当時の私は、原発についてまったく理解していませんでしたから、 「ねぇ、原発の話はやめましょうよ。みんなシラケるでしょう」 なんて言うほど無知でした。 広瀬 事故が起きるまで、多くの人が原発は安全だと思っていましたから。 木内 じつは、水野の父が浜岡に原発を誘致した人なのです。 当時の多くの人たちと同じように「原子力 明るい未来のエネルギー」と考えていたのでしょう。 しかし、チェルノブイリで原発事故が起きました。水野は驚いていろいろ勉強しまして、「父が生きていたら絶対に止めたいに違いない」と思い、原発に反対するようになりました。 (略) ロンドン、ニューデリーで 反原発スピーチ 広瀬 木内さんは外国も走り回っていますね。イギリスの日本大使館の前でスピーチしたという「東京新聞」の記事を見て、ビックリしました。 木内 なんだか、あれよ、あれよという間に、そういう流れになっちゃったのです。私も逃げるわけにいかないと思ってスピーチしました。 そうしたら、「東京新聞」と「中日新聞」のヨーロッパ総局長がやってきて、記事にしてくれました。 「木内みどり、英国の日本大使館の前で日本政府を批判」って。 あれから私も、覚悟しないとダメだなと思いましたけど(笑) 広瀬 筋金入りだ。そのあとはインドのニューデリー? 木内 ニューデリーで、たまたま2日間、時間が空きました。 私、何もしないのは時間がもったいないから、ニューヨークに住んで原発のことをやっている友達と、ロンドンに住んで原発のことをやっている友達2人に、「ニューデリーで脱原発運動をやっている人を紹介して」とメールをしたら、2時間後に2人とも同じ人物を紹介してくれたのです。会いにいったら、その人は日本から反原発の活動家が会いにくると思ったみたいです。 私が女優だとわかるとびっくりしていました。それで、ニューデリーでも英語でスピーチしちゃって。自分でも、変わった人生を歩んでいるなあと思います。 広瀬 行動力がありますね。 でも、木内さんだけでなく、いまの日本中の運動を見ていると、リーダーが率いる運動ではなく、どこの土地でも一人ずつが知恵をしぼって、次から次へと勝手に行動を起こして、私も追いつけないほど、集会やデモや、ハンストが行われています。 このような個々の人の、個性的な、自分の年齢と、体験からにじみ出てくる活動力が、まったく衰えないというのは、たいしたものです。 全文は避難中の11歳男子が「アベ政治を許さない」とデモに参加した姿に涙!――木内みどり×広瀬隆対談【前篇】

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