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脱原発の小泉元首相が語る「経産省から抗議ない」ワケ via 毎日新聞

 「経済産業省の幹部から抗議が来るかと思ったが、一人も来ないね。なぜか。私が言ってることが本当だからだ。ケイサン(経産)省はケイサン(計算)違いをしている」  いつにも増して、小泉純一郎元首相の弁舌は滑らかで、会場を沸かせた。  2021年3月11日、東京・永田町の憲政記念館。小泉氏は自身が顧問を務める「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」主催の「福島原発事故から10年」と題したオンライン会議で講演した。 「全部ウソとわかった」  小泉氏が「抗議が来るかと思った」というのは、原発はコストが安く、クリーンで安全という、経産省の主張に対し、「この三つの大義名分は全部ウソだとわかった」と、これまで全国各地の講演で主張してきたからだ。  経産省の「計算」とは、東京電力福島第1原発事故後の15年に行ったコスト計算のことだろう。同省は安全対策や事故処理など「さまざまなコストをすべて盛り込んでも、原発は石炭火力など他の電源よりなお安い」と主張している。  これに対し、小泉氏は「最近、東電は何と言っているか。損害賠償や廃炉にカネがかかるので、国に支援してくださいと言っている。原発は安いどころじゃない」と語気を強めた。  これは東電の原発事故の賠償や除染にかかる費用が膨らんだため、政府が16年に事故処理費用の見積もりを従来の11兆円から22兆円に倍増し、東電など大手電力だけでなく、原発のない新電力にも負担を求めたことを指している。 […] 原文

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「知識がないのか、なめているのか」と規制委員長 東電柏崎刈羽原発でずさんテロ対策次々と発覚 早期再稼働は不可能に via 東京新聞

[…] 東電は、事故が起きた福島第一原発の廃炉費用を捻出するため、柏崎刈羽の再稼働による経営改善を計画。だが今年に入り、セキュリティー上の問題が次々と発覚している。 […] 規制委によると、柏崎刈羽では18年1月以降、侵入検知装置の故障が複数見つかっていたが、すぐに復旧もしなかった。また20年3月以降、故障した装置を補う代替措置も警備担当社員が実効性がないことを知りながら改善しなかった。装置は全て復旧済みで、侵入は確認されていない。 実効性がない代替措置について、更田委員長は「不正なのか、分かっていて意図的にやらなかったのか。あるいは知識が足りなかったのか。技術的な能力の問題か。それとも、なめているのか。この程度でいいんだと。委員会がつかみたいのはまさにそこです。今後の検査で時間がかかると思うが確かめる」と述べた。 […] ◆経産相「再稼働できる段階にない」  梶山弘志経済産業相は16日夜の記者会見で、「核物質防護の確保は原子力事業者の基本だ。重大な事案が発生したことは大変遺憾」と述べた。東電に原発を動かす資格があるかを問われ、「安全確保に関する組織的な管理機能の劣化を厳しく問われている状況。当然ながらこのままでは再稼働できる段階にないものと考えている」とした。(妹尾聡太) 全文

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東電・柏崎刈羽原発、核物質の防護機能喪失で初の最悪レベル「赤」評価 via TBS

新潟県にある東京電力柏崎刈羽原発で侵入を検知する設備が損傷し、去年3月以降、複数の箇所で「不正な侵入を検知できない可能性がある状態」だったことがわかりました。  原子力規制委員会によりますと、東電はそれを認識しながら30日以上放置し、社員の警備員は代替え措置に実効性がないと認識していたにもかかわらず、改善していなかったということです。  核セキュリティーに関する問題であることを理由に事案の詳細は明らかにされていませんが、原子力規制委員会は16日、安全上のリスクについて、4段階で最も深刻な「赤」とする評価を決めました。「赤」の評価が下されるのは、規制委の発足後、初めてです。 […] 動画と全文

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食品の放射性物質「濃度基準緩和に反対」市民が署名開始 via Our Planet-TV

東京電力福島第1原発事故後に設定された食品中の放射性セシウム基準値をめぐり、食品や土壌の測定活動を行っている市民測定所の全国ネットワーク「みんなのデータサイト」は2月27日から、食品に含まれている放射性物質の濃度基準を緩和しないよう政府に求める署名活動を開始している。自民党や政府が食品の基準値緩和に向けて検討を始めたことを受けたもの。3月9日、記者会見を開いた。 事務局長の小山貴弓さんは会見で「私たちは100ベクレル(Bq)を許容するものではなく低ければ低いほうが良いと思っているが、1000ベクレル(Bq)に引き上げられてしまうのであればせめて100ベクレル(Bq)を死守したい」と訴えた。 今回の署名は、自民党の東日本大震災復興加速化本部が食品の出荷制限の在り方を検討するプロジェクトチームを設置したとの報道を受けて始めたもの。1キログラム当たり100ベクレル(Bq)という現在の基準値が、コーデックス委員会(CODEX)の基準値1000ベクレル(Bq)まで10倍緩和される可能性が高まっていることから、署名活動を行うことにしたという。 小山さんは、「線量の高い食品を出荷できるようにするのが福島の復興につながるという論理は非常におかしい。」と批判。基準値を上げることで風評被害が払拭されるとの主張に対しては、事故当初、暫定基準値として500ベクレル(Bq)という高い基準が採用された上、十分に計測も行われなかったことが、食品の安全性に対する国民の不信感を招いたと分析。再び基準値をあげることで、生産者・出荷する方々にとってもマイナスの影響が大きくなると指摘した。 さらに「現在もまだ原子力緊急事態宣言下にあり、100ベクレルも「がまん値」」と批判。[…] みんなのデータサイト食品基準に反対する厚生労働大臣宛て署名 […] 北海道から長野県、山梨県まで15都道県のうち、検査検体数が少なかった東京都や神奈川県、北海道など8都道県では基準値超えのきのこはなかったが、7県の検体から基準値超えのきのこが検出された。その中には、出荷制限区域に含まれていない宮城県気仙沼産や長野県の立科村、斑尾温泉、群馬県の川場村なども含まれており、気仙沼のコウタケは1キログラムあたり1833ベクレル(Bq)あった。 きのこ類の汚染は、時間が経過して土壌の汚染が低下しても、かならずしも、同じように低下しない傾向があるという。出荷制限区域も2012年と比べて増えている。 全文と動画

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「核被害に10年の節目はない」東電前で抗議行動 via Our Planet-TV

[…] 集会を呼びかけたのは、原発事故後、毎月11日に東京電力本店前で集会を開いてきた「たんぽぽ舎」など反原発を訴える市民グループ。通算90回目を迎えた節目の東電前集会には、市民約500人が参加し、「福島原発事故は終わっていない」「誰も責任とってない」「被害者を見捨てるな。原発やめろ」などと声をあげた。 8歳のときに福島県いわき市から東京に避難してきた鴨下全生さんはマイクを握り、「3月11日は地震や津波が起きた日だけど、僕ら原発事故被害者にとっては被害の始まりの日。」「核被害に10年の節目などありません。むしろ10年の節目でだといってすべてを過去のことにしてしまいたいのは東京電力や国」だと批判した。 鴨下全生さんのスピーチ 3月11日、僕が福島を離れなくてはいけなくなった日です。 10年前の今日もしも福島に原発がなかったら今頃ぼくは福島の高校で卒業式を迎えていたのだと思います。多分浜通り独特の方言で仲間たちとふざけあって先生からは「東京にいっても無理すんなよ」なんて肩をたたかれていたかもしれません。 でも10年前の3月に8歳だった僕は突然、東京の子になりました。そこから母と弟の3人での避難生活が始まりました。からかわれるから訛りは自分で消しました。いじめられることも、避難していることも、福島に生まれたことも隠しました。そうやって僕は福島でも東京でもない中途半端な東京の子として育ちました。 でも2年前、はじめてローマ教皇に自分の苦しみを伝え、激しく励まされてから、僕は自分を隠すのをやめ、発言をしていくことに決めました。 ここのまま黙っていたら数100万人の被害がなかったことにされてしまう。この世の中にはあまりにも多くの理不尽なことが転がっていることを知りました。僕はそんな理の通らない状況が嫌だったのです。 そして1年半前、日本に来たローマ教皇の前で僕は一人の避難者として原発事故で被害を訴えました。 広く東日本に降り注いだ放射性物質は今も放射線を放っています。汚染された大地や森が、元どおりになるには僕の寿命の何倍もの歳月が必要です。だからそこで生きていく僕たちに大人たちは汚染も被曝もこれから起きうる被害も隠さずに伝える責任があると思います。嘘をついたまま、認めないまま、先に死なないでほしいのです。 被曝の害は未だにまだその一部しか見えません。すべてが明らかになるにはおそらく何十年も先になるでしょう。核被害に10年の節目などはありません。セシウム137の半減期は30年です。 3月11日は地震や津波が起きた日です。ですが、僕ら原発事故被害者にとっては被害の始まりの日。そしてその被害は僕たちが死んだ後も続いていくのです。核被害に10年の節目などありません。むしろ10年の節目だといってすべてを過去のことにしてしまいたいのは、東京電力や国だと思います。 全文

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【燃やされ消される「原発事故対応」】福島市「保存期限過ぎたので廃棄」 山形県に避難した市民説明会の記録 「保存場所無い」 via民の声新聞

福島第一原発事故以降の行政文書が福島県や県内市町村で続々と廃棄処分されている問題で、福島県福島市が2011年12月、山形県山形市や米沢市に原発避難した市民を対象に開いた説明会の記録も、「保存期限を過ぎた」として廃棄されていた事が分かった。説明会でどのような質問や意見が出されたのか。当時の行政文書は原発事故の区域外避難者(いわゆる〝自主避難者〟)がどのような状況だったのか検証する材料になり得るが、市は特別扱いせず捨てていた。原発事故後の行政の対応が燃やされ消されていく実態が改めて浮き彫りになった。 【市長発言も確認出来ず】 […]  当時の担当職員が作成した「まとめ」のような文書がパソコンに保存されていた、として開示されたが、A4判1枚(両面印刷)しかなく、日時や参加人数(山形会場は50人、米沢会場は30人)は分かるものの、当日の福島市からの説明内容は箇条書きにされているだけで、具体的な内容は分からない。原発避難した市民からどのような質問や意見が出たのかも「主な意見」として挙げられているだけ。 「渡利を特定避難勧奨地点として指定してほしい」、「測定の結果、線量が高くても除染が開始されるまでは待つだけ。どう考えるのか」、「食品にベクレル表示をしてほしい」などと書かれているが、それらの声に市側がどのように回答したのかは分からない。 説明会には当時の瀬戸孝則市長も出席。瀬戸氏は福島民友のインタビュー(2021年2月28日掲載)で「私が行って、福島市の現状を説明してきた。『帰ってきてほしい』ということを話した」、「50人くらいの集まりだったと思うが、反応はあまりなかった。質問はちょっと出たと思う」などと述懐しているが、瀬戸氏が具体的に何をどのように語ったのか、検証も出来ない。 […] 【「データ化の動き無い」】 震災・原発事故対応を記録した行政文書が永年保存されずに廃棄されている問題は、これまでも何度か取り上げて来た。2019年9月には、福島市議会で村山国子市議(日本共産党福島市議会議員団)が「未曽有の原発事故は、市の事務においても困難と混乱を極めた。後世に伝え教訓にするためにも原発事故関連文書を保管していくべきである」と代表質問で言及したが、福島県や他の県内市町村も、浪江町など一部の自治体を除き「5年で廃棄」の方針を変えていない。 「震災・原発事故関連の行政文書の取り扱いについて、対応に変化があるかと問われれば、変化はありません。どの程度保存するかは各部局の判断になります。規程に基づいて重要度を判断するのは各担当部局なんです。震災・原発事故関連の行政文書に関して、市としての統一ルールのようなものはありません。永年保存するべき?私個人は一理あるような気もしますが、どうしても量的な問題もあります。なるべく残して欲しいとアドバイスはしますが、強制までは出来ません」 福島市総務課文書係の担当者は取材に対し。そう答えた。 場所の問題で廃棄さざるを得ないのであれば、スキャンしてデータとして保存すれば良いのではないか。この点についても担当者は「行政文書をデータベース化して保存するという動きはまだ、具体的にはありません」と話した。 「いまのところは紙での保存ですから、そうなるとどうしても場所の問題が生じます。仮に保存場所が潤沢に確保出来るのであれば、全ての文書を永年保存出来るかと思います。ただ、私たちとしてはあくまでも重要度で判断して欲しいと考えています。場所を言い訳にはしたくない。私も個人的にはなるべく残すべきだとは考えていますが、データベース化まではまだ至っていないです。出来るだけ取り入れたいとは思いますが…。紙で保存する事も大切だと思いますし。サーバーも絶対では無いですしね。電磁的保存の課題もあると思います。紙の信頼性や視認性もあります」 行政文書は市民の財産。ましてや震災・原発事故という未曽有の複合災害の記録は全て保存されるべきだろう。だが、現実は燃やされ消されていく。これが10年目の現実だった。 全文

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「原発事故は町を歴史ごと切り取った」避難先で妻が鬱に、変わり果てた自宅…避難者たちの想いと決意 via Abema Tims (YAHOO!JAPANニュース)

しかし、現在も約3万6000人が避難生活を余儀なくされている現実を忘れてはならない。帰りたくても帰れない人、帰らないと決めた人、故郷に帰る人。彼らはこの10年で何を思い、どんな道を歩んできたのだろうか。 「もう二度と戻れないかなって思った」  浪江町出身の堀川文夫さんは、地域に根付いた塾を営み、子供たちには日ごろから原発の危険性を伝えていた。 […] 「よそ者だから。仕事もしないで、ぶらぶらしているように周りから見られているような目がなんとなく痛くて。妻が鬱になった」  故郷を追いやられた悲しみ。何十年も積み上げてきた信頼や人間関係の喪失。堀川さんの心も次第に荒んでいった。  浪江の自宅に一時帰宅した際、堀川さんは変わり果てた家の様子をカメラに収めていた。 「3月11日のお昼ご飯の跡だ。猫の足跡がいっぱい。動物の入った跡がいっぱいある。壁は亀裂が入っている。これが我が家だ。もう二度と帰れないでしょう」 「自分の人生であり、両親の人生であり、祖父母の人生。私たちの長い歴史があそこにあった。その歴史ごと切り取られたのが原発事故だった。人間の生死という重い問題はあるが、津波だけだったら私たちの歴史が切り取られることはなかった。そういう怒りもあるし、悔しさから何から何まで……」  避難先で思い出すのは、幸せだった故郷の暮らしと子供たちの笑顔だ。もう二度とあの生活には戻れない。堀川さんは深い失意に苛まれていた。そんなある日一筋の光をもたらすきっかけが訪れた。塾に避難した教え子の一言だった。 「神奈川県に避難した子供の一人がこう言った。『先生、俺にとって震災は悪いことばかりじゃなかったよ。これがあったから会えない人と会えた。これがあったからできないことが経験できた。だから俺にとって悪いことばかりじゃなかった』と。それに私はガーンと頭を叩かれたように思えた。『お前、いつまで引きこもってるんだよ』みたいに。子供たちは4月から新しい生活を始めなきゃならなかったじゃないか。『何やってんだよ』と言われたように思えた。そこから一気に動き出せた」 […] 堀川さんは「自分がどのような人生を浪江で歩んできたか。新しい地区の人たちにもわかってもらおうと必死でやった」と話す。その思いは次第に地域の信頼へと変わり、そして富士市に新たな塾を設立した。  避難先で自分の居場所を見つけた堀川さん。しかし、それでも生まれ育った故郷を忘れることはないという。 「避難先に根を下ろせば下ろすほど浪江との縁が薄れていく寂しさはある。故郷ですから」  堀川さんに「10年経つが今も避難している感覚なのか」と聞くと「そうだ。みんな帰りたいと思っている。帰らない選択をした人も、帰れないと思っている人も帰った人もみんな帰りたいと思っている。それだけは間違いないと思う」と答えた。 […] 全文

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原発事故、起こるべくして起きた」東電元エースの告白 via 朝日新聞 (YAHOO!JAPANニュース)

かつて東京電力の幹部候補と目されていた50代の男性が、東電福島第一原発事故から約10年を経て、初めて取材に応じた。男性は、待ち合わせのホテルにスーツ姿で現れ、落ち着いた口調で語りはじめた。 【写真】「02年に発覚した原発のトラブル隠しがすべての始まりだったんです」。初めて取材に応じた男性はこう語る。発覚後、新たに社長に就いたのが勝俣恒久だった。  「今思えば、あの事故は起こるべくして起きた。すべて過去とつながっていて、東電はそこに向けてずっと進んでいたんです」  東電の司令塔である企画部で順調に出世街道を歩んでいた男性は事故の3カ月後、上司から事故の調査報告書のとりまとめを命じられた。しかし、男性が報告書の原案で原因に触れようとすると、会長の勝俣恒久ら経営陣からは厳しい言葉が飛んできた。  「事実に立脚していないことは書く必要はない」  「なんでお前が勝手に決めるんだ」  男性は「事故は天災で防ぎようがなかったというシナリオを求めている」と感じたという。男性が報告書の原案に書こうとしたのは、過去の不祥事から事故へと至る原因分析だった。 東電では2002年、福島原発や柏崎刈羽原発(新潟県)で、自主点検の記録をごまかし、トラブルを隠していたことが発覚。当時の経営陣が退陣し、後任の社長に就いた勝俣は、原発施設での故障やトラブルを報告させる膨大なマニュアル類を整備した。ところが、現場は報告のための書類づくりに忙殺されていったと男性はいう。「細かい不具合をゼロにすることばかりに集中し、大きな視点で安全を考える余裕がなくなっていました。それで、(原発事故につながった)津波という最も肝心なリスクに向き合えなかった」  原子力部門に根付いた「安全神話」も大きな原因と思われた。04年ごろ、男性が全社の危機管理を担う部署の担当だったときのことだ。原子力の担当者に、原発事故のリスクを尋ねたが、「そういうリスクは全部排除されていますのであり得ません。安全はすでに確立されています」と答えるばかりだった。 その東電がいま、柏崎刈羽原発の再稼働を急いでいる。数年前に東電を退社した男性が、今回取材に応じたのは、再び同じ過ちを犯してほしくないという思いからだという。「安全重視の文化が本当に東電に浸透したのだろうか。 […] 全文

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廃炉作業の東電社員が内部被曝…放射性物質付着の手袋で顔に触れる via 讀賣新聞

東京電力は11日、福島第一原子力発電所の廃炉作業をしていた50歳代の男性社員が内部被曝ひばくしたと発表した。体内に取り込んだ放射性物質は微量で、今後50年間の被曝線量は最大0・43ミリ・シーベルト。健康に影響のないレベルだという。  男性社員は10日、高濃度汚染水がある建物内で配管を点検していた。装着していた全面マスクのくもりを取ろうとした際、誤って放射性物質が付着した手袋で顔に触れ、鼻から吸い込んだとみられる。 原文

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東京電力社長、3.11取材拒否 福島来県せず、訓示はオンライン via 福島民友

 東京電力は10日、原発事故後に福島第1原発などで行ってきた3月11日の社長訓示について、今年はオンライン形式とし、終了後の報道陣の取材に応じないと公表した。原発事故後、東電の社長が3月11日に本県を訪れず、取材にも応じないのは初めて。原発事故から10年が経過する中、小早川智明社長自らが説明責任を放棄した形となり、東電の当事者としての責任感が薄れていることが浮き彫りになった。https://6b7aca71034c82c69b2d2ce5ac088ec8.safeframe.googlesyndication.com/safeframe/1-0-37/html/container.html?v=1-0-38  東電は5日、新型コロナウイルス感染拡大防止に向け、今回の社長訓示をオンライン形式で行うと発表。福島民友新聞社などは東電に対し、小早川社長に当日のオンライン取材の対応を申し入れていたが、10日に「限られた時間の中、オンライン取材に応じれば報道各社への対応に差が出る」と拒否回答があった。  東電の社長は例年、3月11日に廃炉作業の最前線となる県内の各現場を訪れてきた。震災が起きた午後2時46分に黙とうし、事故の教訓や本県復興に向けた思いを社員に訓示した後、報道陣の取材に応じるのが通例だった。東電を巡っては、福島第1原発3号機の地震計を故障したまま放置するなど安全対策を軽視する動きも目立ってきている。 原文

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