原発事故、起こるべくして起きた」東電元エースの告白 via 朝日新聞 (YAHOO!JAPANニュース)

かつて東京電力の幹部候補と目されていた50代の男性が、東電福島第一原発事故から約10年を経て、初めて取材に応じた。男性は、待ち合わせのホテルにスーツ姿で現れ、落ち着いた口調で語りはじめた。 【写真】「02年に発覚した原発のトラブル隠しがすべての始まりだったんです」。初めて取材に応じた男性はこう語る。発覚後、新たに社長に就いたのが勝俣恒久だった。

 「今思えば、あの事故は起こるべくして起きた。すべて過去とつながっていて、東電はそこに向けてずっと進んでいたんです」

 東電の司令塔である企画部で順調に出世街道を歩んでいた男性は事故の3カ月後、上司から事故の調査報告書のとりまとめを命じられた。しかし、男性が報告書の原案で原因に触れようとすると、会長の勝俣恒久ら経営陣からは厳しい言葉が飛んできた。

 「事実に立脚していないことは書く必要はない」

 「なんでお前が勝手に決めるんだ」

 男性は「事故は天災で防ぎようがなかったというシナリオを求めている」と感じたという。男性が報告書の原案に書こうとしたのは、過去の不祥事から事故へと至る原因分析だった。

東電では2002年、福島原発や柏崎刈羽原発(新潟県)で、自主点検の記録をごまかし、トラブルを隠していたことが発覚。当時の経営陣が退陣し、後任の社長に就いた勝俣は、原発施設での故障やトラブルを報告させる膨大なマニュアル類を整備した。ところが、現場は報告のための書類づくりに忙殺されていったと男性はいう。「細かい不具合をゼロにすることばかりに集中し、大きな視点で安全を考える余裕がなくなっていました。それで、(原発事故につながった)津波という最も肝心なリスクに向き合えなかった」

 原子力部門に根付いた「安全神話」も大きな原因と思われた。04年ごろ、男性が全社の危機管理を担う部署の担当だったときのことだ。原子力の担当者に、原発事故のリスクを尋ねたが、「そういうリスクは全部排除されていますのであり得ません。安全はすでに確立されています」と答えるばかりだった。

その東電がいま、柏崎刈羽原発の再稼働を急いでいる。数年前に東電を退社した男性が、今回取材に応じたのは、再び同じ過ちを犯してほしくないという思いからだという。「安全重視の文化が本当に東電に浸透したのだろうか。

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