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排気筒解体 3度目の作業中止via NHK News Web

東京電力福島第一原子力発電所で、中断されていた高さ120メートルの排気筒の解体作業は21日に再開されましたが、装置の不具合が見つかり、再び中止されました。作業の中止はこれで3度目です。 事故で核燃料が溶け落ちた福島第一原発の1号機と2号機のすぐ脇にある高さ120メートルの排気筒について、東京電力は今月1日に解体作業を始めましたが、猛暑で作業員の熱中症が懸念されたことから中断し、7日に再開したものの、今度は排気筒を切断する装置に不具合が見つかり、台風接近の影響もあって延期されていました。21日は、排気筒の頭頂部に再び切断装置を取り付け、解体作業を再開しましたが、装置に4つある刃のうちの1つが動かず、原因を確認するため作業は再び中止されました。 […] 東京電力は、再開は22日以降になるとしています。排気筒は、原発の構内で最も高い構造物で、事故の際、放射性物質を含む気体が放出され内部が汚染されている上、水素爆発などの影響で鉄骨にひびも見つかっていて、東京電力は半分ほどのおよそ60メートルの高さまで解体する計画です。 全文

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福島・妊産婦への“原発”調査 「影響認められず」終了へ via FNN

福島県は、妊産婦への福島第1原発事故の影響を調べる調査について、2020年度末で終了する方向で検討していることがわかった。 この調査は、福島県が、県内で母子健康手帳を受け取った妊婦や、生まれてきた乳児に対する原発事故の影響を調べてきたもの。 これまでの調査の結果、流産や早産、先天奇形などの発生率は、全国の傾向と同じだったことから、専門家からは、「原発事故の影響は認められない」との意見が出されていた。 続きは福島・妊産婦への“原発”調査 「影響認められず」終了へ

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原発漫画 ファンタジー風、子供たちに説明 福岡の母親が出版 via 毎日新聞

 福岡市に暮らす3人の子供の母親、ちづよさん(45)が今月、原子力発電所の仕組みやリスクをファンタジー仕立てで説明する漫画「ゲンパッチー 原発のおはなし☆子どもたちへのメッセージ」を石風社(福岡市)から出版した。東京電力福島第1原発事故をきっかけに、ちづよさんがこれまで学んだエネルギー問題の知識と原発反対の思いを盛り込んだ。 (略)  「反原発事務所や九電のチラシは詳しいが、読むのは大人でも難しい」と感じていたちづよさんは2年半前、元々得意だった漫画で自ら原発を描こうと決意。元京都大原子炉実験所助教の小出裕章さんら専門家の話を聞き、世界の核被害を取材するフォトジャーナリスト、豊崎博光さんの著書を読むなどして、制作に取り組んだ。 完成した漫画は、折り鶴に乗って3人の少女が原子力発電所「ゲンパッチー」を見学に行くストーリー。高速増殖炉や高レベル放射性廃棄物、最終処分場問題などをユーモラスに説明し、これまで世界で発生した原発事故についても描いた。「深刻だが、子供でも関心を持って読める物語にしたかった」とちづよさんは振り返る。 小出さんが「原子力発電を使ってしまう限り、自分では無毒化できない死の灰という毒物を大量に生み出す」と解説を寄せた。A5判上製で304ページ(税別1500円)。【松田幸三】 全文は原発漫画 ファンタジー風、子供たちに説明 福岡の母親が出版

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山下泰裕会長、韓国の福島食材懸念を前向きに捉えるvia 日刊スポーツ

[…] 会議は非公開で行われ、出席した複数の組織委関係者によると飲食の議題の中で韓国代表団から、東京電力福島第1原発事故による放射能汚染を懸念し、食材の安全性や競技会場への影響について質問が出た。それに対し組織委は、国際基準よりも厳しい値でモニタリングしている食材を使うため、安全に提供できると回答した。韓国以外からは同様の質問は出なかった。 日本オリンピック委員会の山下泰裕会長は「逆にあのような質問が出て良かったと思う。他国の人も同じように思っていたかもしれない」と述べた。 全文

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ドキュメンタリー映画 原発に頼らない地域へ 模索する男性の姿、映画に シネ・ヌーヴォで31日から /大阪 via 毎日新聞

岡崎まゆみ監督作 原発が建っている地域で、経済的な自立を目指して観賞用の植物を育て続ける男性と家族の姿をとらえたドキュメンタリー映画「40年 紅どうだん咲く村で」が31日、大阪市西区九条1のシネ・ヌーヴォで封切られる。9月20日まで。監督の岡崎まゆみさんは大阪市在住。東京電力福島第1原発事故の惨状を見て、「原発を知るために西の原発集中地域・福井県を訪れ、話を聞いて回った」と語っている。【大島秀利】 舞台は関西電力美浜原発1~3号機が稼働していた福井県美浜町。その山間部の新庄地区出身の松下照幸さんは、原発に疑問は持っていたが、原発に頼る町の人々の中で表立って声を出すことはなかった。 ところが、1991年2月、美浜2号機で熱交換器の細管が破断する事故が発生した。「日本では起こらない」と宣伝されていた事故だった。このとき、松下さんは妻、小学生の娘と一緒に夜こっそりと、原発の危険性を訴えるビラ200枚を集落各戸の郵便受けに初めて入れた。昼になって驚いた。70歳代だった松下さんの母が、集落の大通り沿いに座って「これ読んでください」と公然と配り出したからだ。信頼されていると感じ、勇気を与えられた。 (略) 松下さんは2001年、一念発起して勤めていたNTTを退職し翌年、紅ドウダンツツジの栽培・販売と野外活動施設・キャンプ場の運営を担う「森と暮らすどんぐり倶楽部(くらぶ)」を発足させた。 原発経済はゆるがないかのようにも見えたが、11年3月、福島原発事故が起きて放射性物質による汚染で福島県の広大な地域で住民が避難を余儀なくされた。 原発廃止を目指すが、「原発がなくなれば、周囲の人の職がなくなる。代わりに別の雇用を考える必要がある」と、地域のことを思い必死に模索する松下さんの姿が映し出される。 現在71歳で、町議も務める松下さんは二つのことを言う。 「40年負け続けた」 「40年負けなかった」 前者は、いくら原発に代わる政策を訴えても、今日に至るまで行政に受け入れられなかったこと。後者は、圧倒的な“原子力ムラ”の中で、原発に反対することをやめなかったことを指し、「それが誇り」と言う。 (略)  102分。シネ・ヌーヴォ(06・6582・1416)での上映は、31日~9月6日=午前11時~▽7~13日=午後3時50分~▽14~20日=午後1時5分~。一般1700円、学生・60歳以上1100円。 全文はドキュメンタリー映画 原発に頼らない地域へ 模索する男性の姿、映画に シネ・ヌーヴォで31日から /大阪

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韓国”福島の汚染水処理計画”説明を要求 via 日テレNEWS24

韓国外務省は19日、日本政府に対し、福島第一原発の汚染水問題について、浄化後の処理水を海に放出する計画があるかどうか説明するよう求めた。日韓関係が悪化する中、韓国政府は原発問題でに音声ふをけん制する構えを強めている。 韓国外務省は19日午前、韓国に駐在する日本の西永知史公使を呼び、福島第一原発の汚染水について、今後の処理計画などを具体的に説明するよう求める文書を手渡した。 文書では、汚染水を浄化した後にたまりつづける処理水について、海に放出する計画があるかどうか、日本政府の公式的な回答を求めるとしている。 続きは韓国”福島の汚染水処理計画”説明を要求

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東電は処理水、長期保管をvia Kyodo

 全国の現職市区町村長や経験者でつくる「脱原発をめざす首長会議」は18日、青森県むつ市で会合を開いた。東京電力福島第1原発で増え続ける放射性物質トリチウムを含んだ処理水について海洋放出せず、長期保管するよう求める緊急声明を出した。これまで東電は敷地内でのタンク保管は2022年夏ごろに限界となるとして、長期保管に難色を示している。  千葉県長生村の石井俊雄元村長は会合で、福島第1原発の処理水に関し「海洋放出には風評被害を恐れる漁業関係者の反発が強く、長期かつ大量になれば健康被害の可能性を専門家も指摘している」と訴えた。 原文

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芦浜原発反対運動を回顧 市民団体が冊子、選挙戦も取り上げ via 中日新聞

県内での原発建設計画を阻止した反対運動をまとめた冊子「熊野灘そして芦浜」を、市民団体「原発なくせ三重県民会議」が発行した。町議選などの地方自治の動きと反対運動のつながりも伝え、代表世話人の唐沢克昭さん(75)=四日市市在住=は「政治とは無関係に、原発は推進も阻止もできない」と話している。 原発なくせ三重県民会議は、福島第一原発事故を受け、二〇一二年に発足。前身は「原発反対三重県民会議」で、南伊勢町(旧南島町)と大紀町(旧紀勢町)にまたがる地域に芦浜原発を建設する計画が白紙になる二〇〇〇年まで、反対運動を展開した。 冊子では、中部電力が熊野灘沿岸への原発建設計画を発表した一九六三年からの歴史を振り返っている。計画発表当時は共産党の町議がいなかった南島町を舞台に、初議席獲得に向けた選挙戦や当選後の反対運動も取り上げた。反対運動に携わった人たちへのインタビューや、福島第一原発事故後に県内で行った脱原発の活動も収録した。 (略) A4判百八ページで、千冊発行した。一冊五百円(送料別)で販売する。(問)唐沢さん=090(2262)4155 (吉川翔大) 全文は芦浜原発反対運動を回顧 市民団体が冊子、選挙戦も取り上げ

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【101カ月目の浪江町はいま】家屋解体4000軒、町内で生活する「住民」は1095人~子どもたちの姿は無く、幹線道路を行き交うのは汚染土壌運ぶダンプカー。via 民の声新聞

019/08/07 梅雨もようやく明け、福島県双葉郡浪江町にも夏がやって来た。しかし、そこに子どもたちの歓声は無かった─。今月5日、JR浪江駅から町役場、そして立野地区にある「希望の牧場」までを、2時間かけて歩いてみた。町民と会う事は無く、家屋解体と更地とダンプカーが目立った。聖火リレーの出発を7カ月後に控え、地元メディアは〝復興五輪〟を盛り上げるような報道であふれているが、現実はまだまだ厳しい。「こわす 解体」は解体予定の家屋に貼られたステッカーだが、原発事故が「こわしたもの」、「解体したもの」を見せつける浪江の夏。これが全てでは無いが、これもまた、福島の1つの現実だ。 【「イオン」で避難町民の帰還狙う】 「祈 常磐線全線再開」と書かれた七夕飾りが風に揺れるJR原ノ町駅(南相馬市)。ホームの一角には、福島駅や郡山駅、新白河駅と同じように、2020年東京五輪に向けたカウントダウンの電光掲示板が置かれている。ここから常磐線で約20分で終点の浪江駅に到着する。現在、浪江駅から富岡駅(富岡町)までは帰還困難区域を通るため代行バスが運行されているが、聖火リレーが始まる2020年3月末までに全線開通する予定。浪江駅でも工事が進められている。 改札の近くには、放射線量が掲示されている。0・294μSv/h。十数人が下車したが、放射線量を確認する人はいなかった。駅から福島第一原発までは南南東に約9キロメートル。高濃度に汚染された排気塔の解体工事が始まっている。 駅前ロータリーに出ると、バスが来た。町が福島交通に委託し、南相馬市と町を結ぶ小型の循環バスを週3日(平日のみ)運行している。運賃は無料。飛び乗ったら乗客は筆者のみだった。 数分で町役場に着いた。乗客のいないバスが南相馬市に向けて走り去った。 役場の正面には、7月14日にイオン浪江店がオープンした。これまで町内にはコンビニや仮設商店街しか無かったため、「帰還促進」の役割を担う。「常磐もの」コーナーでは、相馬市・原釜漁港で水揚げされたホッキガイやカレイが売られていた。原発や中間貯蔵施設などで働く作業員のために平日は午前6時に開店する。イオンリテール東北カンパニーによると、24時間営業の店舗を除けば、午前6時に開店するのは浪江店だけという。「売り上げや来客数は公表していない」。 […] 子どもの歓声無き夏休み】 国道114号線を西に進み、「ローソン浪江下加倉店」を右折。請戸川に架かる「加倉大橋」を渡った。この辺りで、手元の線量計は0・51μSv/h。橋を渡ると0・6μSv/hを上回った。「浪江町中央公民館苅野分館」に設置されたリアルタイム線量測定システムの数値は0・674μSv/hだった。近くには町立苅野小学校や町立苅野幼稚園があるが、子どもたちが遊ぶ声は聞こえない。 立野行政区に入ると、オリーブの栽培実験をしている畑が広がっていた。太陽光パネルもあるが、町民のは無い。常磐道の上を通ると、手元の線量計は0・7μSv/hを超えた。農地の一角に大きな看板が設置されていた。住民の大きな写真とともに、次のような言葉が添えられている。 「都市と農村の交流、地域性を生かした田圃、農村づくりの為、夢と希望の持てる豊かな地域づくりの為、人と人の触れ合いがしっかりと息づき共に支え合う絆をもとう! 立野地域環境保全会」 自然豊かな田園地帯に放射性物質が降り注いで8年。お盆を控えた夏休みだが、子どもたちに出会う事は無かった。家屋解体で更地が増え、広大な帰還困難区域も残る。7カ月後には聖火リレーが始まり、常磐線が全線開通する。「浜通りもあれだけの原発事故から立ち直った」と世界中に発信される。少しずつ前に進もうと努力している人もいる。しかし、現実は厳しい。原発事故が奪ったものの大きさを見せつけられた2時間だった。 全文

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二つの国策、幸せ奪った 福島の89歳女性「繰り返さないで」via 中日新聞

東京電力福島第一原発事故でふるさとを追われた避難者の中には、戦前から戦中にかけて旧満州に渡り、終戦後に壮絶な経験をした人たちがいる。満蒙(まんもう)開拓団と原発。福島市の岸チヨさん(89)は二つの国策に翻弄(ほんろう)され、穏やかな暮らしを奪われた。 「おまえたちの最後を見届けて、俺は手りゅう弾で自決する」。一九四五年九月五日早朝の旧満州・下学田開拓団。ソ連軍が進駐してくるという話が広まり、父は家族全員に毒薬を飲むよう告げた。岸さん一家九人は福島県上川崎村(現二本松市)から四二年三月に現在の中国黒竜江省に入植したが、終戦で暮らしは一変した。 十五歳だった岸さんは友人に最後の別れを告げようと自宅を抜け出した。すると集落のあちこちから「この薬ではすぐに死ねないぞ」という声が聞こえてきた。軍が集落に同じ毒薬を配っていたようだった。急いで自宅に戻ると家族は既に毒薬を飲み、嘔吐(おうと)を繰り返していた。 必死に解毒剤を飲ませて看病した。だが、母だけはそれを拒み、小さな声で言った。「親不孝者…」。十五日間苦しんだ末、一筋の涙を流して亡くなった。姉は知人の家で睡眠薬を飲み、火を放って自死。一歳のめいは足手まといとならないよう、父に首を絞められて殺された。 岸さんら生き残った開拓団員は入植地を追われ、大陸を逃げ惑った。「熱病がまん延し、毎日のようにおじさんやおばさんが死んでいきました。寒さでカチンコチンに凍った赤ちゃんの遺体を抱きしめ、泣き叫ぶお母さんも見ました。でも、それが当たり前の光景。涙も出ない。戦争は人間を人間でなくしてしまったんです」。中国東北部沿岸の港へたどり着き、四六年九月、引き揚げ船で日本へ帰還した。 一家が再起を懸けてほかの元開拓団員らと入植したのが福島県津島村(現浪江町)だった。電気も水道もない山林地帯に小屋を建て、田畑を切り開いた。やがて岸さんは結婚。二女に恵まれ、町内で幸せな余生を送るはずだった。 二〇一一年三月十一日。東日本大震災で福島第一原発を津波が襲う。浪江町には避難指示が出された。親戚宅や旅館を転々とした後、約五年間仮設住宅で暮らし、一七年春に福島市内の長女夫婦宅へ移った。 続きは二つの国策、幸せ奪った 福島の89歳女性「繰り返さないで」

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