「原発は不要」元作業員は太陽光に挑んだ 志半ばで急死 via 朝日新聞

東京電力福島第一原発で長年働いていた遠藤浩幸さんが、避難先の鹿児島市太陽光発電に挑戦したものの、完成間近で急死した。50歳だった。妻の緒美(ちよみ)さん(47)ら家族は「原発を使わず暮らせる世の中になれば」との思いを継ぎ、故郷から1千キロ以上離れた地で発電設備を動かしている。

浩幸さんは福島第一原発がある福島県双葉町で生まれ育ち、20歳のころから第一原発などで保全や補修、営業として働いてきた。町の多くの人が原発で働き、緒美さんも原発構内で働いたことがある。

2011年3月14日、浩幸さんは3号機の爆発を避難所のテレビで目撃。緒美さんと中学生の長男長女、1歳3カ月の次男を、緒美さんの親族がいる鹿児島市に避難させた。浩幸さんは「現場を知っている者でなければ作業できない」と3月末に福島に戻り、作業についた。

1分で2ミリシーベルトを浴びる高線量の現場。懐中電灯の光でネジを1本締めては戻らなければならず、線量計のアラームが鳴り続けた。数カ月で「線量がいっぱいになった(被曝(ひばく)限度を超えた)」と家族の元に戻ってきた。

自宅は第一原発から約2キロ。「福島は原発に占拠された。原発はいらないと実感した」。鹿児島市内で会社を立ち上げ、土地を確保し、緒美さんと長男、浩幸さんの両親の5人で太陽光発電の設備を造り始めた。

16年5月12日、発電出力は約330キロワットで、後はパネルをはめるだけという時だった。浩幸さんは家で突然「頭が痛い」と言い、救急車で運ばれて帰らぬ人となった。脳出血だった。次男はまだ6歳。緒美さんは「何からやっていいか、わからなかった」が、会社を受け継ぎ、義父母らとその年の秋、発電設備を完成させた。

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双葉町の家は中間貯蔵施設の予定地になり、環境省が取り壊すことになっている。今春、向かいに住んでいた義父母から「解体の連絡がきた」と聞き、緒美さんは長男と長女に「取り壊しはそのうちだから、行こう」と声をかけた。

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浩幸さんの死をきっかけに、遠藤家の墓は鹿児島市に造った太陽光発電設備の近くに移した。「追憶 東日本大震災に伴う原発事故により故郷・双葉町を追われ此処に移住する」。墓にはそう記されている。(青木美希)

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