2011年3月に発生した東京電力福島第1原発事故を機に、広島県府中町の貞金末乃さん(79)は忌まわしい記憶の封を解いた。広島への原爆投下後に降った放射性物質を含む「黒い雨」を国が定めた援護対象区域の外側で浴び、影響の疑われる病に侵されたが、差別や偏見が及びかねないと口をつぐんでいた。しかし、「もう誰も被ばくさせたくはない」。沈黙を破ったのは、事故当時、福島県に隣接した宮城県丸森町に次女の家族が暮らしていたからだった。
11年3月12日、福島第1原発の水素爆発を伝えるテレビ画面に貞金さんは凍り付いた。北西に約50キロ離れた丸森町には、自宅から7人の子どもを伴って逃れた次女夫婦が避難所に身を寄せていた。電話がつながったのは、その2日ほど後だ。当時小学5年だった孫の男の子がうれしそうに「外に出たらつながった」と話すのを、叱りつけた。「被ばくするかもしれない。外に出ないで」。頭をよぎったのは、黒い雨を浴びた1945年8月6日だった。
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重なった「原発事故」と「原爆投下」
以来、貞金さんは変わった。次女夫婦の家族は12年に丸森町へ戻ったが、日常を一変させた原発の事故と原爆の投下を重ね合わせるようになった。福島第1原発事故で空気中に拡散された放射性物質の濃淡は必ずしも同心円状に広がらず、高い放射線量を示す「ホットスポット」が東日本の広い地域で見つかっている。ただ、直後から国は「直ちに人体に影響が出るレベルではない」との見解を示した。似ていた。黒い雨による健康被害について、国は「科学的に立証できない」として、区域外で雨に遭った住民らへの援護を拒んできてはいなかったか――。
「被ばくの恐ろしさを伝えなければ」。15年11月、兄を含む区域外で雨に遭った住民63人とともに広島県・市を相手取り、被爆者健康手帳の交付などを求めて広島地裁に提訴。追加提訴した人も含め計84人の原告団の一人として声を上げる。20年7月の地裁判決は住民全員を被爆者と認めたが、県市が国の意向に沿う形で控訴した。
原発事故から10年、広島高裁判決はこの夏に言い渡される。「黒い雨による被ばくが認められれば、原発事故に遭った人たちにも救済の手が届くのではないか」。何人も被ばくさせてはならない。その思いを込める。【小山美砂】
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