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水爆実験が残したもの マーシャル諸島で暮らした映画監督が伝えたいこと via 毎日新聞

大川史織さん(32)は南洋・マーシャル諸島を舞台にしたドキュメンタリー映画を製作して戦争の爪痕を伝えてきた。マーシャルには米国が水爆実験を行ったビキニ環礁があり、3年間移住した際には、今も現地の人々の心身に深刻な影響を及ぼしていることを感じたという。核兵器がもたらすものを見つめてきた大川さんの思いを聞いた。【聞き手・竹内麻子】

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戦争の記憶伝える理由

 7歳の時にビキニの水爆ブラボー実験を体験した60歳(当時)の女性は「いつも体調が悪くたくさんの薬が手放せない」と話していました。死産を何度も経験し、養子をもらったそうです。おしゃれで笑顔がすてきな女性でしたが、いくら核をなくしてほしいと訴えても変わらない現状に無力感を覚えているようでした。その姿が印象に残っています。

 この地が核実験場にされた理由の一つは、戦時中にマーシャルを統治していた日本が戦争に負け、戦後に米国の統治下となったためです。私は、マーシャルに残された砲台や日本語の歌に触れて「なんで何も知らなかったのだろう」と感じました。そういった過去を忘れてしまった日本で教育を受けた立場から、マーシャルに残る戦争の記憶を伝える映画を作りたいと思いました。

 大学卒業後の3年間、マーシャルに移住しました。いまだ放射能に汚染されている地域があり、核実験の影響は続いています。ふるさとに帰りたいかどうか、補償を受けられるかどうかなどで、人々の間に分断がうまれ、見えないけれど深い痛みを抱えています。その痛みが被ばく体験の継承がされにくい要因にもなっているようです。

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核兵器の使用はもちろん、全面的に実験も禁止する核兵器禁止条約はとても意義深いと思います。ただ同時に、条約ができるまでの背後にある、個人が強いられてきた犠牲を知り、自らのこととして受け止め、想像することが求められていると感じます。

 人類史上で原子核が発見されてから100年あまりで、すでに何万発もの核兵器ができてしまい、誰も未来に責任が持てない状態です。核政策は国と国の話であっても、犠牲となるのは必ず個人。今や核と無関係に生きられる人はほとんどいません。

 個人の体験がより広く共有された上で、なぜ社会が核を容認してしまっているのか、もっと根本的なところから一人一人が考え直し、日常的に語っていく必要があるのではないでしょうか。

全文は水爆実験が残したもの マーシャル諸島で暮らした映画監督が伝えたいこと

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