月110時間を超える長時間労働で過労死認定――忘れられつつある福島第一原発で今も働く作業員の実態 via 週プレNews

■未明から暗くなるまでの長時間労働だった

「残業代も払ってもらえずに働き、夫は汗まみれのままで亡くなりました。二度と夫のような過労死が起きないようにしてほしいと思います」

亡くなった猪狩忠昭さん(当時57歳)の妻は11月7日、夫の労災認定を発表した記者会見で涙をふきながらこう話した。

福島第一原発では今も、毎日約5000人の作業員が働いている。汚染水や核燃料の取り出しなどの課題が指摘される一方で、東電は作業環境が改善したことを強くアピール。そうしたなかでの過労死だった。原発事故後、長時間労働での過労死認定は初めてとみられる。

[…]

その後、17年に東電は、原発構内で使う全車両に通常の車検並みの点検を18年9月までに実施すると発表。それに伴って、猪狩さんは月~金曜日は原発、土曜日は会社で車両整備をする生活になった。

原発に向かう日は、午前4時半に会社の事務所でタイムカードを押し、一般道を1、2時間かけて通勤。防護服に着替えてミーティングをし、午前8時過ぎには整備場で作業を始めた。帰りは事務所に戻って事務作業や残った整備をし、退社するのは午後6時から7時だったという。

作業環境も厳しいものだった。何しろ原発構内の車は放射能汚染がひどい。そのため全面マスクに防護服、二重の手袋という重装備。猪狩さんは、整備の手間がかかる大型車や消防車のような特殊車両を担当していた。

そうした状況を遺族が知ったのは、猪狩さんが亡くなった後だ。妻は言う。

「最初の2年くらいは原発に行っていることも知らなかったんです。その後、朝早くなることが増えたときに大丈夫かと聞いたら、朝が早い分お昼の休憩が長くて仮眠も取れるから大丈夫だよって。安心させたかったのでしょう」

実際は、休憩所に行くには放射能汚染のチェックをしたり防護服を着替える必要があるため、昼は1時間も休めなかった。

妻は、猪狩さんの整備士仲間からこんな話も聞いている。

「その方は『普通はあんな車は直さない。オレなら放り出しちゃう。でもあいつはできるからやっちゃうんだ』って言ってました。夫はその人に『オレがやるしかないんだ』って話していたそうです。そこまで責任感を持って仕事してたんだなって思いました」

■東電と会社の冷たい対応に不信感が増した

猪狩さんは亡くなる1年前に心臓の血管の手術を受けている。手術はうまくいき体調もよかったが、亡くなる1ヵ月くらい前から体がつらいと不調を訴えるようになった。同僚は、亡くなる3日ほど前、階段の上り下りもつらそうだった猪狩さんを見たという。

「作業前には毎日、血圧や体温を測って記録していました。血圧が高かったのは会社も知っていたはずです」と妻は言う。

[…]

「後で東電の記者会見のことを知ってびっくりしました。『病死』って発表した時間、私は夫の亡骸(なきがら)にも会っていなかったんです。それに東電は『ご家族の皆さまにお悔やみを申し上げます』と言っていましたが、今でも直接何かを言われたことはありません」

東電と雇い主のこうした対応に不信感を募らせた遺族は、「フクシマ原発労働者相談センター」などの協力を得ながら情報を集めた。そしてタイムカードの記録から月平均110時間を超える残業があったことを突き止め、今年3月、いわき労働基準監督署に労災を申請したのだ。

申請が認められたのは一周忌直前の10月16日。妻は記者会見で、「夫のがんばりを認めてもらい、ほっとしています。夫のお墓に『お疲れさまでした』と伝えました」と話し、声を詰まらせた。

いわきオールは週刊プレイボーイの取材に対して代理人弁護士を通し、「適切な労務管理・従業員の健康管理を行なっていたと認識しております」と回答。東電は記者会見で、「これからも安全最優先で環境整備をしながら、しっかり(作業を)進めていきたい」とだけ述べた。

原発事故から7年半が経過し、東電や政府はしきりに福島第一原発の労働環境が改善したことを強調している。本当に変わったのだろうか。『週刊プレイボーイ』49号(11月19日発売)では、福島第一原発で働く現場の生の声もレポート、彼らが今抱える不安を伝えている。

 

全文

This entry was posted in *日本語 and tagged , , , . Bookmark the permalink.

Leave a Reply