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被ばく研究の灯は消さない 国や自治体が「風化待ち」の中、独協医科大分室が移転してまで続ける活動の意義via東京新聞

2024年10月5日 12時00分  東京電力福島第1原発事故から13年、被災地で放射能汚染や住民らの被ばく状況を調べ、生活上の助言などを続けてきた独協医科大国際疫学研究室の福島分室が9月末で、福島県二本松市から同県浪江町津島地区に移った。被ばく防止事業を巡る市との連携協定が終わり、一時は存続の危機に。経緯を追うと、福島が置かれた現状が浮かぶ。移設に結び付けたのは「誘致」した住民や研究者たちの「原発事故は終わっていない」との思いだ。(大野孝志、写真も) ◆復興と再生のためにどうすれば良いか、真剣に考え  国道から1本入った津島地区中心部は、平日の昼間でも人影がない。除染や解体作業の白いワゴン車が時々通る程度で、目に入るのは住人が避難した空き家と、家を解体した後の更地ばかり。民家の周りの放射線量は毎時1.0マイクロシーベルトを超える所も点在し、国の除染の長期目標(同0.23マイクロシーベルト)をはるかに上回る。  「人は散りぢり、地域社会はばらばら。家が朽ちるのを見ていくしかない。子孫に負の遺産を残せないと、先祖が建てた家を断腸の思いで解体する人が多い」と行政区長の一人、今野秀則さん(77)が語る。  ほとんどが帰還困難区域の地区では、除染したごく一部に19人が暮らす。分室移設を求めた理由を今野さんは「故郷がどうなるのか、復興と再生のためにどうすれば良いか、行政区長らが真剣に考え、実態調査の拠点を置くことが大きな力になると判断した」という。 ◆38年前のチェルノブイリもまだ、福島が13年で終わるわけない  今野さんは町外に避難中だが、元の自宅敷地内に何度も地震に耐えた蔵があり、そこに分室が入る。「壊そうと思っていたから」と今野さんが提供した。独協医科大の木村真三准教授(57)が言う。「原発事故当時から、少なくとも20年は福島を見続けるつもりでいた。38年前のチェルノブイリで影響が残っているのに、福島の事故が13年で終わるわけがない」  木村氏が分室長を務める福島分室は二本松市と大学が2011年、市民の被ばく防止事業の協定を結んで設置され、市がシルバー人材センターなどが同居している建物を無償で大学に貸した。放射能濃度や被ばく量を精密に測る機器を備え、分室が研究の一環として地元の人々の内部被ばくを調べ、被ばく防止策を助言。小中学校を巡回して、放射線出前授業も続けた。  木村氏は福島の事故前から、ウクライナのチェルノブイリ原発事故被災地で疫学調査を続けてきた。東京新聞と共に現地の食べ物や福島の野生の山菜、東京湾や福島第1原発沖の海水の汚染状況も調べた。 ◆除染が終わり国指定が解除、市民の関心も低くなった  ところが二本松市は、3年ごとに更新してきた協定を、今年3月末で終えると伝えた。市健康増進課によると理由は、市内の除染が終わり放射線量が下がったとして、国の汚染状況重点調査地域の指定が解除され、市民の被ばく対策を県事業にまとめたことが大きい。福田なおみ課長は取材に「市民の放射能への関心も低くなった。分室の取り組みは一定の効果があった」と語る。  木村氏が市から協定終了を告げられたのは昨年6月。両者が協議し、二本松にいられるのは今年9月末までとなった。大学はワーキンググループを学内に設け、分室のあり方を検討。木村氏は市に代わる、新たな受け皿や建物の準備などの必要に迫られた。 ◆研究結果が国賠訴訟の資料になった縁も  「農作業や山仕事など、暮らす人の立場に立って初めて状況を科学的にとらえられ、ここで生活して大丈夫かどうかを言える。住まないとできない。人の心が一番大事だから、現地で調べ続けたい」。木村氏は移設候補先を探し回った。  だが、事故から13年が過ぎ、各自治体は二本松市のように放射線対策を縮小傾向。他の研究機関と提携している自治体も多い。木村氏は事故当時から関係が続く、津島地区の住民らに声をかけた。  事故当時、地区内の行政区の一つ赤宇木(あこうぎ)を訪れ、高い放射線量を知らせて避難を呼びかけてから関わってきた。住民らが国や東京電力に損害賠償を求めた訴訟は続いており、木村氏が実態を明らかにしようと、地区内600軒を1軒ずつ回って放射線量を測り、訴訟の資料とした経緯がある。 精密測定のための機器の部品を運び込む作業員ら=9月、福島県郡山市で  地区の全8行政区長が大学や町などに移設を要請。さらに、木村氏は知人の伝手(つて)で郡山市内に、精密測定の機器を移せる休眠施設を確保した。津島地区では放射線量が高く、精密に測れないためだ。 ◆「放射線と隣り合わせの生活、専門家の助言は心強い」  分室の活動を支える組織的な受け皿として、一般社団法人「原発事故影響研究所」を設立。木村氏が加わっていた新潟県の福島第1原発事故検証委員会で総括委員長を務めた、池内了(さとる)・名古屋大名誉教授(79)が代表理事に就いた。活動費は寄付を募り、津島の施設の維持管理と郡山の施設の賃貸契約をし、大学に貸して調査や測定を委託することになった。  独協医科大の水野芳樹総務課長は取材に「行政区長の要請や木村氏側からの移設先候補の提案があり、当面3年間、津島地区でこれまでの活動を続けることになった」とする。法人と大学は9月、連携協定を結んだ。  今野さんはひとまず安堵(あんど)した。「私たちは放射線の素人。放射線と隣り合わせの生活が続き、汚染実態を押さえた上で地域の将来や復興を考えたい。地元の事情を理解した専門家の助言を得られるのは心強い」 ◆デスクメモ  「津波だけなら戻れたが放射能で汚染されたから帰れない」。原発事故後、孫たちの健康を思い、故郷への帰還を断念した漁師の言葉だ。政治家が被災地の今を語らなくなる中で、足元の課題と向き合って暮らす人たちが津島にもいる。研究者たちの知見が、地域の道しるべとなれば。(恭) […] ◆事故を矮小化しようとする「安全神話」に抗う 池内了氏  「法人のミッションは2つ。分室と住民をつなぐ役割と、独自活動として原発事故を広く継続して研究する場とすることだ」。原発事故影響研究所の代表理事に就いた池内了氏が語る。  東京電力福島第1原発事故で全住民が避難した帰還困難区域では、今も放射線量が高い。それでも、ごく一部が優先的に除染を進める特定復興再生拠点区域とされたほか、住民の希望を基に除染範囲を指定する特定帰還居住区域を設け、希望者の帰還を目指す。  この動きを、池内氏は「行政は帰還政策を強引に進めている」と受け止め、放射能を大したことがないとする「放射能安全神話」と懸念。「福島県内の自治体では、放射線関連事業の見直しが進み、事故を矮小(わいしょう)化させ、風化させようという国の方針を反映しているのではないか」と憂える。  だが、津島地区のように放射線量が高い地域では「住民らは専門家の測定活動を求めている」ととらえ「放射能汚染の実態を明らかにするためには綿密な測定を続けることが必要で、それは専門研究者としての義務だ」と語る。  分室の活動は、学術的な要素が大きいとともに「地元住民の要望を反映させ、健康や環境改善のため」という。法人が仲立ちして学習会や講演会、意見交換会を開くことが重要とした。 【関連記事】店先に並んだ野生の山菜から基準超えの放射性セシウム 原発事故13年、まだかなわない「出ないでくれ」の祈り【関連記事】「屋内退避」を押し付けられても「なんとしても逃げる」と原発近くに暮らす人は考える 難題ばかりの避難計画 全文

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「戻る希望あれば除染して解除」政府が原発事故の帰還困難区域で新方針 全面解除は見えぬまま via 東京新聞

 東京電力福島第一原発事故の放射能汚染で福島県内7市町村に残る帰還困難区域について、政府は8月31日、戻って暮らしたい人の求めに応じ、2029年までに自宅などを除染して部分的に避難指示を解除する方針を決めた。被災自治体が求める全面解除への道筋は示さず、希望がなければ除染しないことになる。  対象は、帰還困難区域内で人が暮らせるよう除染や整備を進めている「特定復興再生拠点区域」から外れた地域。住民の意向を複数回確認してから、戻ることを望む人の自宅や周辺を個別に除染し、上下水道などのインフラを整備する。  全町避難が続く双葉町の担当者は「一歩前進だが、町内全ての除染と避難解除を求めることに変わりはない」。浪江町の担当者は「住民からは『戻れる状態にしてから意向を確認するべきで順序が違う』と批判があり、今後の調整も難航しそうだ」と話した。  (小野沢健太) 続きは「戻る希望あれば除染して解除」政府が原発事故の帰還困難区域で新方針 全面解除は見えぬまま

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福島の原発周辺での除染 2%で効果確認できず 会計検査院via 毎日新聞

東京電力福島第1原発事故に伴い除染作業が行われた福島県の原発周辺の約1万2800カ所で、除染後の線量が除染前の数値を下回らず、除染の効果を確認できなかったことが会計検査院の調査で判明した。環境省のガイドラインなどは、除染作業後に線量調査を行う時期を定めておらず、検査院は26日、除染効果を統一的に確認できる手法の検討などを同省に求めた。  福島県内の11市町村にまたがる地域は「除染特別地域」に指定され、2012~17年に住宅や農地、道路などで除染が行われた。[…]  検査院がデータのそろう56万1232カ所を調べたところ、全体の2・2%にあたる1万2894カ所で、除染後の線量が事前と同じか上回っていた。放射線量は時間の経過とともに自然減衰したり、降雨などで変化したりする。56万カ所の事前と事後の調査間隔は平均は245日だが、90日未満~730日以上とばらつきがあった。  環境省によると、帰宅困難区域の「特定復興再生拠点区域」で現在も続く除染作業では、作業後すぐに線量測定を行うよう改められているという。【山崎征克】 全文

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除染したはずが…福島のため池、大雨で線量上昇 なぜ? via 朝日新聞

[…]  県によると、県内には農業用ため池が約4千カ所あり、うち底の土が基準値(1キロあたり8千ベクレル)を超えた浜通りと中通りの27市町村にある989池が除染対象となっている。昨年末までに576池で除染を終え、いったんすべて基準を下回った。  しかし、県内に大きな被害をもたらした2019年10月の台風19号の後、異変が相次いで判明した。富岡町は「線量が再び上がっている」と施工業者から連絡を受け、除染を終えた町内11池の線量を確認したところ、10池で再び基準値を超えていた。最も高い池で同2万ベクレル以上だったという。  町によると、11池はおもに水田用。10池で再度の除染を約5億円で発注し、4池で対策工事が終わったという。ため池の汚染土壌除去や現場保管費用には国の復興予算が充てられる。県内27市町村は14年度から20年度までに、約562億円を国に申請した。  線量の再上昇について、町産業振興課の担当者は「19年10月の台風19号と大雨で、放射能を含んだ大量の土砂が池に混入した可能性がある」と指摘し、汚染源とみられるため池周辺の森林の除染を国に要望している。ある業者は「山に近い池では雨が降れば線量が上がる。山を除染しないと、いたちごっこになる」という。しかし、国は森林除染を原則認めていないため、市町村側の主張と平行線をたどっている。  県によると、台風19号後に15市町村の81池を国が調べたところ、伊達市、川俣町、楢葉町、富岡町の4市町にある6池で線量が基準値以上に再上昇し、すでに4池で再除染を発注した。ただ、調査は一部に限られ、全体像は不明のままだ。  南相馬市では国の調査対象外だった5池で、基準値を超える線量の再上昇を市が確認し、再除染の対象となるか、国と協議中という。環境省除染チームは水に放射線の遮蔽(しゃへい)効果があることなどから「周辺環境への影響は極めて限定的」といい、住民生活には問題がないとの立場だ。  富岡町清水地区の「椿屋(つばきや)第1ため池」は除染で線量が下がったが、再び基準値を超えたため再除染している。猪狩強区長によると、原発事故前は約5ヘクタールの水田用に使われていたという。17年に避難解除されたが住民の帰還は事故前の約7分の1の41世帯にとどまるといい、猪狩区長は「早くまた水をためて農家が使えるようにしてほしい。火災が起きた時にも使え、安心にもつながる」と訴える。(関根慎一) 全文

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福島第一原発事故10年、特別除染地域の85%で除染進まず 廃炉計画では新たな代替案が不可欠 via グリーンピース・ジャパン

国際環境NGOグリーンピース・ジャパンは(東京都新宿区、以下グリーンピース)は本日、2つの新報告書『福島第一原発 2011-2021年:除染神話と人権侵害の10年』と『福島第一原子力発電所の廃炉計画に対する検証と提案 ~プランAからプランB、そしてプランCへ~』を発表しました。『福島第一原発 2011-2021年』では、福島県飯舘村南部の民家、浪江町の民家などの放射線測定調査から、再汚染が起こっている状況について報告しています。また、森林のほとんどが除染の対象となっていないことから、政府が計画を策定し除染事業を進める特別除染地域(SDA)の85%が除染されていないことが示されています。一方、『廃炉計画に対する検証と提案』では、現在の東京電力福島第一原発の廃炉計画が30~40年以内に成功する見込みは低く、代替案が求められると指摘し、具体的な提案をしています。 <報告書概要> 『福島第一原発 2011-2021年』 グリーンピースの放射線専門家チームは2011年3月26日以降、過去10年間で32回の調査を実施してきました。主な調査結果は以下の通り。 政府のデータを分析すると、政府が除染の責任を負う840平方キロメートルのSDAの大部分が放射性セシウムで汚染されたままであり、除染された面積はSDA全面積の15%程度に過ぎない。 政府の長期的な除染目標である毎時0.23マイクロシーベルトがいつ達成されるのか、その時期は決まっていない。住民は、公衆被ばく限度の年間1ミリシーベルトを超える放射線に何十年もさらされることになる。 2017年に避難指示が解除された地域、特に浪江町と飯舘村では、放射線レベルが安全といえるレベルを超えたままであり、住民を潜在的ながんリスクにさらす可能性がある。避難指示の解除を継続する計画は、公衆衛生の観点から受け入れられない。 2018年まで、SDAの除染にはのべ1300万人の除染作業員が雇用されていた。労働者のほとんどは低賃金の下請け業者であり、限定的な効果しかない除染プログラムのために、不当な放射線リスクにさらされてきた。 『福島第一原子力発電所の廃炉計画に対する検証と提案』 元ゼネラル・エレクトリック社で東電福島第一原発などに勤務していた原子力コンサルタントの佐藤聡氏(下記著者紹介を参照)に、グリーンピースから執筆を依頼した。 佐藤氏による現行の廃炉計画の問題点 3基の原子炉圧力容器に残る数百トンの燃料デブリを回収するための信頼できる計画はない。 原子炉を冷却するための水、建屋に流入する地下水の汚染、タンクに蓄積される放射能汚染水は、新たなアプローチを採用しない限り、今後も増え続ける。 燃料デブリが回収されたとしても、それも敷地外で保管するというのは非現実的。現行の計画は、現行ロードマップの30~40年という時間枠では達成不可能である。 佐藤氏による代替案 長期的に安全な格納容器を建設し、燃料デブリの除去を50~100 年以上遅らせることを含め、アプローチを抜本的に再考し、新たな廃炉計画を立てる。 中長期的には、補強を施した一次格納容器を不完全な一次境界、原子炉建屋を二次境界として、放射能を閉じ込める。それと並行して、作業員が高い放射線リスクにさらされずに作業ができるロボット技術を開発する。 放射能汚染水の増加を防ぐため、燃料デブリの冷却を水冷から空冷に変更する。さらに、福島第一原発敷地に深い堀を建設し、地下水から隔離された「ドライアイランド」にする。 グリーンピース・ジャパン 気候変動・エネルギー担当、鈴木かずえ「過去10年間、政府は東電福島第一原発の周辺住民に対して、除染をすればすべてが元通りになるかのような誤解を与える説明を繰り返してきました。しかし現実は、福島県の7割以上を占める森林は除染されていません。そのため、森林が放射能の貯蔵庫の役割を果たし、台風などのたびに、放射性物質を放出しています。放射能汚染には終わりがありません。 また、東電福島第一原発についても、政府と東京電力は、40年で廃炉作業が完了し、東電福島第一原発を更地にするとも受け取れる説明を続けていますが、技術的な観点や最終処分場の問題などからも、実現は不可能でしょう。放射線状況についても、廃炉についても、政府の説明は、欺瞞に満ちていると言わざるをえません。しかし、原発事故の被害を終わらせるためにも、また、真に原発事故を収束させるためにも、今日から、東電も政府も、放射線状況についても、廃炉についても、現実に向き合い、市民に事実を話すべきです。 以上 報告書全文 福島第一原発 2011-2021年:除染神話と人権侵害の10年 福島第一原子力発電所の廃炉計画に対する検証と提案 ~プランAからプランB、そしてプランCへ~ (英語) グリーンピース・ブリーフィングペーパー『東電福島第一原発には、プランCが必要』 関連資料 グリーンピース特設サイト『写真と証言で綴る12人の10年 福島の記録』(3月4日公開) 全文

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除染請け負い1人日当3万5千円 沈む農村に沸いた特需 via 朝日新聞

 福島県の沿岸部と内陸部を分ける阿武隈山地。標高数百メートルの緩やかな山々に囲まれた高原地帯に、田村市の移(うつし)地区はある。JR山手線の内側より一回りほど小さな農村に約1850人が暮らし、特産品の葉タバコや、冷涼な気候を生かして野菜を栽培する。  2011年3月11日、地区は震度5強の地震に襲われた。中心部で小さな縫製工場を営む石井鉄雄(73)は翌日、自宅のテレビで東に約35キロ離れた東京電力福島第一原発1号機が水素爆発したことを知る。午後6時25分には原発から20キロ圏に避難指示が出され、沿岸部の住民がバスで市内の体育館に避難してきた。石井は「(移地区は)原発から離れているので、大したことないべ」と思っていた。  しかし14日以降、3号機と4号機が続けて爆発し、緊張が高まった。誰が作ったのか、「西に逃げろ」と書かれたチラシが地区に出回り、1人、また1人と逃げた。石井は「残ったのはじいさん、ばあさんだけだった」と話す。それから1週間後、地区で栽培する野菜に、国が次々と出荷制限をかけた。ホウレン草、キャベツ、小松菜……。多くの農家はその年の作付けを諦めた。混乱が収まらない中、誰もが沈む地区の行く末を不安に思った。  その年の秋ごろだった。石井は知り合いから「避難指示区域外の除染は地域住民でもできる」と聞いた。除染とは、放射線量を下げるため、地面の表土をはぎ取り、住宅の壁や瓦を洗浄し、雨どいの泥をかき出す作業だ。福島県と周辺7県の計100市町村で行われた。多くは建設会社が請け負い、国の予算4兆円以上が使われた。  調べると、除染は特別な資格がなくても受注できるとわかった。「地区を助ける収入源になる」。石井は地区の有力者に相談し、12年1月には除染を請け負う住民団体「移再生プロジェクトチーム」が設立された。放射線や除染の講習会を開き、作業は同じ年の11月から始まった。  合言葉は「楽しくやっぺない(楽しくやろう)」。メンバーは約450人、平均年齢は60歳超。作業は市が発注し、除染を行う地元の建設会社などで作る組合を通して受注した。仮払いの日当は9500円だった。「サラリーマンみたいだべ」。農家や自営業が多い地区の住民は喜んだ。 主婦の40代女性も「空いてる時間に働けるなら」と参加した。初めは放射能への不安もあったが、地区にはパートで働けるスーパーやコンビニも少なく、除染は家計の大きな足しになった (略) 主婦の40代女性はすでに300万円以上を受け取っていたが、さらに約700万円をもらった。首都圏の私立大学に通う息子の学費や、約300万円の新車の購入に使い、「最初の日当だけでも助かったのに。除染がなかったら息子は大学にはやれなかった」と感謝する。多くの人が1千万円超を手にした。「見たこともない大金が地域に降って来たんだ。『特需景気』だった」と石井は振り返る。  しかし、19年7月に開かれたチームの解散総会の時だった。石井のある告発によって、地区を潤した除染の歯車が狂い始める。(小手川太朗、飯島啓史) 全文は除染請け負い1人日当3万5千円 沈む農村に沸いた特需

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中間貯蔵予定地に妻の墓 原発に故郷追われる苦しみとは via 朝日新聞

東京電力福島第一原発事故により福島県内の各地で出た大量の除染土は、原発が立地する二つの町の施設で保管されている。法律で県外処分が約束されるが、先は見えない。東京ドーム340個分に及ぶ施設の用地交渉に関わる環境省の地元責任者だった小沢晴司さん(59)には、退官した今も心に残る住民の姿がある。 おざわ・せいじ 1961年、東京都生まれ。86年、北大農学部卒業、環境庁(現・環境省)入庁。磐梯朝日国立公園管理官(裏磐梯)などを経て、2012年8月から20年7月に環境省を退官するまで、福島環境再生本部長などとして除染に携わる。同年8月、公立宮城大学教授に就任。福島大客員教授も務める。博士(環境科学)。  ――1986年に環境庁(現・環境省)に入ってまもなく、チェルノブイリ原発事故が起きました。  「事故後は世界中に放射性物質が降り、事故が起きた一帯は立ち入り禁止になりました。それで当時、上司に『日本で事故が起きたら、どう対応するのか』と質問しました。上司は『日本ではそういう事故は起こらないから、心配しなくていいよ』と言いました」 (略) ――当時、原子力はどんなイメージでしたか。  「学生時代、大学が管理する北海道幌延町の森で調査研究をしていました。町は当時、原発を運転すると出る(「核のごみ」と呼ばれる)高レベル放射性廃棄物の処理施設を誘致しようとしていました。長期管理が必要な廃棄物を生み続ける原子力は、人の手に余るのではないかと感じていました」 (略) ――当時、放射線量を下げるため、どう除染を進めるかが大きな課題でした。国直轄の除染は、17年3月までに完了した分だけでも県内11市町村の農地など計約1万8千ヘクタール、宅地2万3千件に及びました。  「12年、建物や農地の除染の同意をもらうため、環境省の職員が県内外の避難者を一軒一軒回り始めました。国の職員が回るのはこれが初めてでしたから、賠償額のもとになる避難区域の区割りの不満など、避難者からすべての苦しみを投げつけられました」  「県内外の避難先に車で行き、面会が夜や土日になることもあるなか、最初はなかなか除染の同意が得られず、職員は疲労困憊(こんぱい)になっていました。同様の仕事を長く務めてきた組織なら対応できるのでしょうが、私たち幹部にも、そんな経験はありませんでした」 (略)  ――15年からは、福島県内の除染で出た土などを運び込む中間貯蔵施設(同県大熊、双葉両町)の用地交渉も始まりました。地権者の住民らは、環境省に土地を売るか、所有権はそのままで使用料を取って貸すかの選択を迫られました。  「私が直接、交渉に行った男性は『わかりました。ただ、(建設予定地の中に)共同墓地があるので、中間貯蔵施設ができるまではお参りをしたい』とおっしゃいました。共同墓地には男性の奥さんのお骨がありました。奥さんが亡くなったのは震災後で、それでも(建設予定地の)共同墓地にお骨を置くわけです。男性は強い言葉で言ったわけではないですが、大変重い意味があるのだと思い知らされました」 (略) ――中間貯蔵施設の除染土は、45年3月までに搬出して県外で最終処分すると法律で定めています。しかし、搬出先は決まっていません。  「いまは県外に搬出する土壌を減らすため、(農地造成や公共工事に使う)再生利用を進めているところです。搬出される土壌の量がどれぐらいになるのか、わからない段階で、どこかの自治体が無条件で受け入れるようなことは、大変難しいと思います。いまは、搬出する土壌をどこまで絞り込めるか、そのプロセスを進めることが求められていると思います」 (略) ――原発事故を経験しても、日本では原発をやめられません。  「福島の事故で、原子力は事故が起きれば大変な被害が出るのだと世に知られました。そしてまた、日本では戦後、原子力を受け入れた地域がたくさんありました。反対もあり、いろんな葛藤や苦しみがあった。それでも、受け入れた地域の判断がある。その時間の経過も重いと思うのです」  「地方では人口減少が進み、地域経済が苦しくなると予想されるとき、原子力は大きな安定産業。それを選ぶ自治体の判断もあると思います。本当はいろんな選択肢があるべきかもしれませんが、選択肢はそれほど多くないのも事実です」 全文は中間貯蔵予定地に妻の墓 原発に故郷追われる苦しみとは

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福島「帰還困難区域」除染なしでも避難指示解除の仕組み導入へ via NHK News Web

原発事故に伴う福島県内の「帰還困難区域」のうち、国は地元自治体から強い意向があり、住民の日常的な生活がないことを前提に、除染をしなくても避難指示を解除できる仕組みを導入することを決めました。 (略) 国は「帰還困難区域」のうち、早期に避難指示の解除を目指すエリアを「特定復興再生拠点区域」に指定し、2023年までの解除を目標に除染を進めていますが、この「拠点区域」に指定されていない場所は解除のめどが立っていません。 こうした場所について国の原子力災害対策本部は25日、地元自治体から強い意向があること、住民の日常的な生活が想定されていないことを前提に、これまで「除染作業が十分に進んでいること」などとしていた避難指示解除の要件の一部を変更し、「必要な環境整備が実施されていること」という要件を盛り込んで、除染をしなくても避難指示が解除できる仕組みを導入することを決めました。 全文は福島「帰還困難区域」除染なしでも避難指示解除の仕組み導入へ

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汚染土壌で栽培した野菜、収穫へ〜飯館村・帰還困難区域 via OurPlanet-TV.org

原発事故後、年間50ミリシーベルトを超える高い放射放射線量が計測されたため、帰還困難区域に指定されている飯館村の長泥地区で今年から、除染土壌を再利用し、農業を再開しようと実証事業が本格化している。 「覆土なし」の汚染土畑をメディアに初公開農地再生計画では従来、除染土の上に汚染されていない土を50センチほどかぶせて、野菜や花を栽培するとされてきた。ところが今年8月、突如、汚染されていない土はかぶせず、汚染土壌にそのまま野菜を育てる計画があることが判明。実際、8月19日に、汚染した土壌に直接、モロッコいんげんとキャベツの種植えが行われた。 その畑が今月6日、メディアに初公開された。線量計で計測したところ、表土50センチほどで毎時0.5マ〜0.7マイクロシーベルト。放射線管理区域を超える高い放射線量にガイガーカンターからはピーピーという緊張感のある音が鳴り響いた。 […] 「汚染土壌の受入れ」〜苦渋の決断を迫られた住民原発事故後、政府が行った避難区域の見直しにより、「帰還困難区域」に指定された地域は、放射線量の高さを理由に当初、避難指示を解除する予定はなかった。しかし2016年に方針を変更。帰還困難区域の一部を「特定復興拠点」に指定して除染を行い、避難指示を解除する方針が打ち出されたのである。 だが長泥地区の「特定復興拠点」として政府から示されたのは、、集会所周辺のわずか2ヘクタールほど。村は拠点の範囲を拡大しようと国と交渉したが、認められることはなかった。 そんな中で、拠点の拡大と引き換えに、環境省から持ちかけられたのが汚染土壌の受入だった。村内の除染土を受け入れれば、その場所を再生のうちとして拠点に組み入れ、除染も行うというものだ。地元住民は当初、故郷への汚染土持ち込みに躊躇していたが、原子力規制委員会の委員長だった田中俊一氏や伊達市の市政アドバイザーを務める多田順一郎氏らがたびたび地域に入って説得にあたり、徐々に受け入れに傾いたという。 […] また長泥地区の行政区長を務める鴫原新一さんは、「除染土を自分たちの部落に入れるのは本当に悩んだ。」「除染も何もしないでただ放っておいたのでは、自分の土地が荒れてしまう」と苦渋の決断を強いられた背景を振り返り、高齢化が進む中、一歩でも二歩でも前に進みたいという気持ちが、地域住民の合意につながったとの述べた。 次回から会議は公開へ また注目を集めている「覆土なし」土壌での野菜栽培については、「安全が基礎となって進めてほしいということで、汚染土の受け入れを決めた」「(汚染土を活用した栽培は)慎重に考えていきたい」と、除染土での野菜栽培に否定的な見方を示した。また「50センチの砂だけでは、作物や農産物を作るのは難しい」とした上で、汚染土とまぜずに、元の土壌と同じような肥沃な土壌が蘇るよう、県や関係者に協力を仰ぎたいと期待を寄せた。 […]同協議会をめぐっては非公開なうえ、議事録も公開されていないため、審議のあり方に批判があがっていたが、8月に突如、「覆土なし」での野菜栽培が進められていることが判明。議事録や会議の公開を求める声が高まっていた。 次回の開催日程は未定だが、この会議の中で、栽培した野菜の分析結果なども公表される見通しだ。なお今回の協議会で公表された実証時血権による野菜の分析結果によると、「覆土あり」の農地で栽培収穫したかぶに含まれている放射性セシウムは、根の部分が1キログタムあたり1.1ベクレル、葉は2.3ベクレルだった。 全文と動画

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政府の廃炉対応は「不真面目」 規制委前トップの直言via朝日新聞

聞き手・福地慶太郎2020年11月18日  東京電力福島第一原発事故の直後、原子力を推進した科学者として国民に謝り、その後は全国の原発の安全対策を審査する組織のトップとなり、再稼働を認めた。いま、ふるさとの福島県で復興に携わる田中俊一さん(75)には、政府の廃炉への対応は不真面目に映る。 […]  ――原発事故の3週間後、田中さんを含む原子力の専門家16人が連名で、事故の発生を国民に陳謝し、事故の悪化を防ぐため、原子炉や使用済み燃料プールの冷却機能回復など異例の緊急提言を行いました。  「ああいう重大な事故が起きたということは、『原子力の平和利用』を進めてきた科学者の社会的責任として、陳謝が必要だと考えました。そして、国全体が一丸となって取り組むべきことを早く示す必要があると判断しました」  ――2011年5月には福島県飯舘村に入り、有志で除染を始めました。  「やらないほうが楽だと思いますが、やはり、何かしなきゃという人生観ですね。11年5月、汚染されて避難が必要な状況で、中に入れるのは飯舘村ぐらいでした。飯舘村は(避難指示が出てすぐではなく、計画的に避難する)計画的避難区域に指定されたから入れたのです」  ――12年9月、全国の原発の安全対策を審査するために発足した原子力規制委員会の初代委員長に就任しました。直前の国会では「(就任を)大変悩みました」と明かしています。  「規制というのは、原発を動かすのが前提です。『原発はやめるべきだ』という空気が社会で強まった状況で、規制に対する信頼を本当に取り戻せるのか、と考えました」  ――それでも、「国民が納得できる規制に取り組むことが日本のためだ」と説明しました。  「国会事故調査委員会は、原発事故前は専門性の欠如などから規制当局が電力会社の『虜(とりこ)』になったと指摘しました。その点は払拭(ふっしょく)でき、規制委への一定の信頼は得られたんじゃないかと思いますが、それは皆さんが判断することです」 ――被災地を支援する一方、規制委員長として全国の6原発12基に再稼働に必要な許認可を出しました。  「規制委の役割は、原発を止めることじゃないんです。二度と福島のような事故を起こさない。その条件として、電力会社から見ると厳しい(安全対策の)要求をします。その影響で、国内の多くの原発が廃炉になりました。規制委員長のころは所掌外だったので言いませんでしたが、私は個人的には原発なしで日本はやっていけないと思っています」  ――その理由は。  「まずエネルギー資源がないですよね。再生エネルギーの割合は増えたけど、まだまだ。原発の運転が見通せない日本は、石油や石炭の割合が高く、(温暖化対策に後ろ向きと認定された国が選ばれる不名誉な)化石賞をもらいました。原発のリスクと温暖化のリスクをどう考えるのか、です」 […] ――原発への国民的理解と事故防止はどうつながるのですか。  「国民的な理解がないままだと、良い人材は集まらないんです。私が原子力を学び始めたころは、大学でも工学部の中で優秀な人たちが集まっていました。いまはなかなか集まらない。社会的な位置づけを明確にするべきです。そのためには、きちっとした議論が必要です」 ――福島第一の処理済み汚染水の処分方法について、議論が続いています。  「私は規制委員長のころから、(国の基準を守って海に)捨てるしかないと言ってきました。廃炉作業で出るほかの廃棄物と比べると、処理水のリスクは小さなものです」  ――他の廃棄物とは。  「最たるものは、(核燃料が溶け落ちた)デブリの始末でしょう。高レベル放射性廃棄物に近い建屋の構造物などもあります。(今年、半分に解体された)排気筒もそうです。福島県は、廃棄物はすべて県外に持ち出すように言っていますが、できるはずがありません」  ――なぜですか。  「どこも受け取るはずがないからです」  ――政府と東電の工程表には「30~40年で廃炉を完了する」とあります。  「それもできません。30~40年後は誰も責任がないから、そう書いているだけです」  「あの場所が更地になるようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、更地にはできません。敷地の一部は出入りできるようになるかもしれませんが、原子炉建屋のまわりはほとんど人が出入りできない土地になると思います」  ――地元はどう受け止めたらいいですか。  「あまり愉快ではないかもしれないですが、それはしょうがないと思います。できないことは、できないんですから。それなのに、デブリを取り出して更地になるように言うのは罪だと思います」  ――いまの政府は、更地にできるように言っているように見えますか。  「そう見えます。パフォーマンスをしていて、非常に不真面目ですよね」  ――現在は飯舘村の復興アドバイザーです。茨城県の自宅と飯舘村から借りた住宅を行き来しながら、村で活動しています。 […] ――一方で、除染土を含む農地で栽培された野菜の安全性を不安に思う人もいます。  「不安に思うなと言うほうが無理だと思います。それを踏まえ、前に進めていくんです。実証事業の内容、検査結果を大いに報道してもらって、少しずつ心の不安を解消してもらうしかないと思っています」(聞き手・福地慶太郎) 全文

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