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A nuclear power plant in Byron, Illinois. Taken by photographer Joseph Pobereskin (http://pobereskin.com). カレンダー
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Tag Archives: 福島10年目
私と故郷と原発事故 via NHK Web特集
ディレクターの私のふるさとは、福島県浪江町。10年前の原発事故で全町避難となった町だ。原発事故直後から福島に通い、廃炉や復興の現状について番組を作ってきた私。常に感じてきたのは、ふるさとの人たちの複雑な思いを、より深く伝えたいという思いだった。実家の家族が被災した、いわば“半当事者”だから伝えられる、大事な話があるような気がしたのだ。しかし、思いがけず、“当事者”だからこそ聞けないことがある、という壁に突き当たった。その時、大きな助けになったのは、一緒に取材を行った“当事者ではない”カメラマンの存在。2人で苦悩しながら「なにを聞き、伝えるべきなのか」を模索しつづける日々だった。(名古屋放送局ディレクター 水谷宣道、映像センターカメラマン 井上秀夫) 話を聞こうとしたのは、原発作業員や役場の職員など、事故後もしょっちゅう顔を合わせ、一緒に酒を飲んでいた同級生たち。しかし、『カメラの前で本音を話せば、誰に何を言われるかわからない』と、ことごとく取材を断られた。 長年メールのやり取りを続けていた親友とは連絡が取れなくなり、友人の女性からは『原発事故避難者だと知られ、子どもがひぼう中傷を受けたら、責任は取れるのか?』と、泣きながら訴えかけられた。『結局お前はよそ者。俺らの気持ちはわからない』とも言われた。 放射能汚染、賠償、避難者へのいじめなど、様々な問題が複雑に絡み合う原発事故の被災地。取材が簡単ではないことは知っているつもりだった。それでも、ふるさとの力にもなれるのではと始めた取材で拒絶され、長年続いてきた友人関係が、一瞬で崩れてしまいそうになるのは、つらいことだった。 なんとか友人の協力を得て、同世代たちの現状を描く35分のドキュメンタリー番組を完成させた。しかし、当初伝えたいと思っていたざらざらした本音や、原発事故の複雑さが、十分伝えきれたとは思えなかった。 […] 原発事故前、2万1000人が暮らしていた浪江町。2017年に、町の中心部で避難指示が解除されたが、いま町で暮らしている人は、1600人余り(2021年3月現在)。仕事や子育てなど様々な事情から、2万人近くの当時の町民が、県内外で避難生活を送っている。 「浪江とのつながりを持ち続けたい」と、住民票を町に残したまま避難を続ける人も多かったが、今は、住民票を避難先に移す人も増えている。 事故から10年がたとうとしていたが、ふるさとの復興が進んでいるとはなかなか思えなかった。 取材への協力を頼むと、今度は、多くの人が「協力する」と言ってくれた。ある友人は「10年がたつ今なら話せる」と言い、別の友人は「話すことで自分なりにけりをつけたい」と言った。 思わぬ告白 町民を翻弄した「賠償」 先入観を持たずに、ふるさとの人々の声に耳を傾けてみようと始まった取材。テーマが少しずつ見えてきたのが、友人の父親を取材したときだった。 事故後、町の幹部として復興に取り組んできた男性は、町長選に立候補するものの落選。その後、首都圏に住宅を購入し移住した。 取材中、雑談をしていると、突然男性が語りだした。「俺をだめにしたのは賠償だ」何を言い出すのかと少し驚き聞き返すと、男性はこう続けた。 「町の人たちに『賠償をもらったからあいつは町を出た』と陰口を言われていたが、あながち間違いじゃないんだよ。たしかに、復興のために頑張っていたときは、賠償なんてどうでもよかった。でも、何かに挑戦してだめだったとき、賠償が効いてくるんだ。俺は町長選に落ちたとき、これだけの金があれば、もう無理しなくていいかなと思った」 ためらう自分 賠償について聞く事 原発事故の被害の償いである「賠償」。土地、家屋、精神的苦痛など、さまざまな損害についての賠償が、東京電力から被災者に支払われた。 着の身着のままの避難を余儀なくされた住民たちの生活再建などに大きな役割を果たした一方で、賠償をめぐり、被災者が、「賠償金をもらい、仕事をせずに不自由の無い暮らしをしている」など、いわれなき中傷や差別を受けることもあった。 デリケートな問題で、誤解や差別につながりやすいこともあり、住民はこれまで多くを語ってこなかったが、住民のさまざまな判断に大きく影響を与えた要素であることは間違いなかった。 男性の取材を機に、私は、ふるさとの人たちに「カネ」についてきちんと聞くことで、復興とは何だったのかを考えていきたいと思うようになった。 しかし、私は、再び大きな壁にぶつかった。聞くべきと思った質問を、なかなか聞けなくなっていったのだ。踏み込んだ質問をしようとすればするほど、その刃が自分自身に向かってくるような気持ちがしたのだ。 ある夫婦に話を聞いたときのことだった。彼らが暮らしていた地区は、当初、数年後の帰還をめざす「居住制限区域」となる案を町から提示されたが、地区の区長らが変更を要望し、長期間帰ることが難しい「帰還困難区域」となった。 当時、帰還困難区域の住民のほうが、受け取れる賠償の額が多いことになっていたため、他の地域の人からは、“カネ目当て”の選択ではないかと陰口をたたかれたこともあったという。 私は夫婦に、賠償を多く得て「帰還困難区域」となることをどう思ったのか、陰で言われていたことが事実だったのか、確かめたいと思った。だが、結局聞けなかった。 私は、賠償金をもらっていた私の両親から、賠償をもらいたくてもらっているわけでもないことや、後ろめたさすら感じていること、そして、周りの目を気にして、肩身の狭い思いで暮らしていることなどを聞かされていた。それがわかっていて、答えづらいであろう問いを突きつけることはできなかった。 結局、井上カメラマンが、質問をする趣旨を説明したうえで、その問いを発した。すると夫は、しばらく考えた末、「戻れない以上、高いお金がもらえるなら、それはそれでいいなとは思った」と答えた。 同時に、戻れるなら賠償はいらないと思っていたし、愛着ある家や持ち物に値段をつけられることも嫌だったと語った。 おそらく、ふるさとに戻ることが現実的に難しいという状況に直面して、賠償金をもらうという苦渋の選択をせざるを得なかったのだろう。ふるさとの人たちが抱えてきた葛藤の一端をまたかいま見た気がした。 廃炉・除染… 原発のそばで生きるリアル 除染作業に関わる同世代の友人へのインタビューも、精神的にこたえるものだった。町では、廃炉や除染など、原発事故の後処理に、今も多くの住民が携わっていた。 被害を受けた当人たちが今も後処理に関わっている事実を、本人たちはどう捉えているのか?それは、「地域と原発」というテーマを考えるにあたり重要な問いだと、取材クルーでは考えていた。 しかし、私には聞くことができなかった。その質問には、「原発とともに暮らしてきた人たちは、結局これからも、原発に頼るしかないのではないか」という、よそ者目線の「哀れみ」が含まれる質問だと感じたからだ。 私自身これまで似たような質問をされ嫌な思いをしてきたし、この10年、同じ経験をした町の人たちも多いのではないかと思っていた。 結局、質問できない私を見かねて、井上カメラマンが聞いた。すると、その場にいた別の町民が「また、そのステレオタイプな質問ですか」と嫌みを言った。外からの遠慮のない視線にさらされ続けてきた彼らのせめてもの抵抗だったのだろう。 それでも、友人はしばらく考え込み、ことばを絞り出し、真摯(しんし)に答えた。「事故前はそれで町が潤っていたし、しょうがないよね。今はその仕事しかないし、町のこれからの経済をまわしていくためには、廃炉はやはり大事だよね」 … Continue reading
「あなたの復興の節目はいつですか?」あの日から10年 福島で聞いた via 東京新聞
あの日から10年が過ぎた。東日本大震災と東京電力福島第一原発事故で被災した福島県の人たちは、何かの区切りを迎えたのだろうか。取材班は現地で出会った人に「あなたの復興の節目はいつですか」と尋ねた。避難指示解除を節目と言う人、自宅で寝られる日を願う人、「考えられない」と怒る人―。復興へ、それぞれの歩みがある。(福岡範行、片山夏子、小野沢健太、神谷円香) ◆南相馬市 南部の小高区の避難指示が2016年に解除。山間部に帰還困難区域が残る。佐藤愛華さん(23歳)、アルバイト、原町区在住(小高区出身) 日常で震災という言葉も出る、普段から感じる。常に一緒に生きていくし、まちも常に変化していく、10年でぽん、じゃない。忘れるわけじゃなく。自分も大人になって変わったというより、子どもの時に避難生活をして、震災の影響を受けながら成長してきた。思い出せばつらいこともあるし、震災がきっかけでつながった縁もある。節目っていうのは、これからもないと思います。 […] 荒佳幸さん(42歳)、タクシー会社専務、鹿島区在住 節目、あるんですか?と聞きたい。汚染水の問題にしても、区切りができていないから節目にならない。もう10年なんだ、と。国が区切りをつけてほしい。あと5年、10年でどう変わる?もとには戻らない。タクシー会社は身内の会社で、跡継ぎがいないからと頼まれて1年以上考え4年前に転職した。昨年12月20日から3月11日まで休んでいないですよ。コロナで出張も減り、頑張っても前年比1割は減る。タクシー業界は大変。人手も足りない。今の仕事、充実はしていないです。3月12日はやっと娘の卒業式で、会社に行かないかな。 安部あきこさん(74)、生鮮食品販売の小高マルシェ会長、小高区 節目、はないね。10年だからうんぬんじゃない。今後もおそらくない。今のままの生活で。こんなに10年は早いのかという感じ。小高区浦尻の家は高台にあり、津波被害もなく地震でもコップ一つ割れなかった。2月の地震でもそうだった。避難指示で、初めは相馬市の息子が婿養子に入った家にいたが、いづらくなり鹿島区の仮設住宅へ。震災は語り継ぐしかない。10年は一区切りかとも思いながら、またどうなるかは分からない。 […] 女性、郡山市在住、津波で父親を亡くした節目なんてない。けじめをつけるなんて、あり得ない。忘れちゃいけない、踏ん切っちゃ駄目。そうでしょう。たくさんご遺体がまだ見つかっていない。この辺の地面にもご遺骨がまじっていて、その上を歩いているかもしれないんですよ。意味が分からない。 […] 木村紀夫さん(55)、被災経験を発信する大熊未来塾運営、いわき市在住 どこかで線を引くことは考えたことがない。発信の方法は変化しているが、家族3人を亡くしたことや、経験を伝えることへの思いは全く変わらない。10年たった「3.11」は、みんなに思い出してもらえるタイミングだったな、という感じ。(大熊町沿岸部の自宅は津波で被災し、父王太朗(わたろう)さん(77)と妻深雪(みゆき)さん(37)、次女汐凪(ゆうな)さん(7)=年齢は当時=を亡くした)男性(77)、大川原の復興住宅在住前の家に行って、新しい生活をしたい。19年6月にここに来たけど、復興住宅は仮住まいだよ。自分のうちに戻りたくて帰っているんだ。先祖代々の土地から離れるわけにはいかない。避難指示が解除されても、上下水道が整ってなくて帰れない。町の整備の計画はあるけど、見通しはあくまで見通し。また、延びっかもしんねえ。 […] 滝本英子(えいこ)さん(67)、滝本電器店経営 溶融核燃料(デブリ)は(取り出し完了までの期間が)長すぎる。自分たちにとってはここ(大熊町)に出店したことが節目。小さいながらも再開できた。ここまで再生しようと頑張っている人。人と人の絆、思い、捨てたもんじゃない。何が本当の節目でというのが分からなくなってきている。こうしなくちゃ、ああしなくちゃって流されて。いまだに、受けた傷が。傷にはしたくないんだけど。地震だけだったらあそこ(町内の元の店)で仕事をやっていたのに。 […] 女性(72)、無職生きている限り節目とは思えない。15カ所を転々として寒さがこたえる郡山市の仮設住宅で5年以上過ごし、昨年に戻ってきた。この苦しさを、過ぎたことにできる日は来ないと思う。女性(81)、無職(早口で怒ったように)夫に先立たれて一人きりで避難生活してきた。今でもテレビで原発事故のニュースが流れると消してしまう。節目とか言う前に、まだ原発事故のことを考えられない被災者がいることを知ってほしい。 […] 早川篤雄さん(81)、宝鏡寺住職 […] 全文
「核被害に10年の節目はない」東電前で抗議行動 via Our Planet-TV
[…] 集会を呼びかけたのは、原発事故後、毎月11日に東京電力本店前で集会を開いてきた「たんぽぽ舎」など反原発を訴える市民グループ。通算90回目を迎えた節目の東電前集会には、市民約500人が参加し、「福島原発事故は終わっていない」「誰も責任とってない」「被害者を見捨てるな。原発やめろ」などと声をあげた。 8歳のときに福島県いわき市から東京に避難してきた鴨下全生さんはマイクを握り、「3月11日は地震や津波が起きた日だけど、僕ら原発事故被害者にとっては被害の始まりの日。」「核被害に10年の節目などありません。むしろ10年の節目でだといってすべてを過去のことにしてしまいたいのは東京電力や国」だと批判した。 鴨下全生さんのスピーチ 3月11日、僕が福島を離れなくてはいけなくなった日です。 10年前の今日もしも福島に原発がなかったら今頃ぼくは福島の高校で卒業式を迎えていたのだと思います。多分浜通り独特の方言で仲間たちとふざけあって先生からは「東京にいっても無理すんなよ」なんて肩をたたかれていたかもしれません。 でも10年前の3月に8歳だった僕は突然、東京の子になりました。そこから母と弟の3人での避難生活が始まりました。からかわれるから訛りは自分で消しました。いじめられることも、避難していることも、福島に生まれたことも隠しました。そうやって僕は福島でも東京でもない中途半端な東京の子として育ちました。 でも2年前、はじめてローマ教皇に自分の苦しみを伝え、激しく励まされてから、僕は自分を隠すのをやめ、発言をしていくことに決めました。 ここのまま黙っていたら数100万人の被害がなかったことにされてしまう。この世の中にはあまりにも多くの理不尽なことが転がっていることを知りました。僕はそんな理の通らない状況が嫌だったのです。 そして1年半前、日本に来たローマ教皇の前で僕は一人の避難者として原発事故で被害を訴えました。 広く東日本に降り注いだ放射性物質は今も放射線を放っています。汚染された大地や森が、元どおりになるには僕の寿命の何倍もの歳月が必要です。だからそこで生きていく僕たちに大人たちは汚染も被曝もこれから起きうる被害も隠さずに伝える責任があると思います。嘘をついたまま、認めないまま、先に死なないでほしいのです。 被曝の害は未だにまだその一部しか見えません。すべてが明らかになるにはおそらく何十年も先になるでしょう。核被害に10年の節目などはありません。セシウム137の半減期は30年です。 3月11日は地震や津波が起きた日です。ですが、僕ら原発事故被害者にとっては被害の始まりの日。そしてその被害は僕たちが死んだ後も続いていくのです。核被害に10年の節目などありません。むしろ10年の節目だといってすべてを過去のことにしてしまいたいのは、東京電力や国だと思います。 全文