Tag Archives: 広島・長崎

中日ファンが「原爆落ちろ」やじ 広島戦、ネットに動画 via 東京新聞

 マツダスタジアム(広島市南区)であったプロ野球の広島カープ-中日ドラゴンズ戦で、中日側の応援席の観客が「原爆落ちろカープ」とやじを飛ばす動画がインターネットに投稿されていたことが分かった。  三月三十日~四月一日にあった開幕三連戦の一試合とみられる。動画によると、三塁側にいた観客が中日への声援を送る中で「かっ飛ばせ。死んじまえ。原爆落ちろカープ」と叫んだ。その後、やじを飛ばした観客とみられる人物はツイッターで「不愉快なやじを飛ばしてしまい、広島ファン、中日ファンの皆さん、本当に申し訳ございません。僕が言った発言はモラルを欠いています」と謝罪した。 (略) 今回の問題を受けて球団は、四日からナゴヤドームでの場内アナウンスなどで誹謗(ひぼう)中傷の発言をしないよう求める注意喚起を始めた。球団広報は「悪質な発言があったことは大変遺憾に思う」とコメントした。 全文は中日ファンが「原爆落ちろ」やじ 広島戦、ネットに動画

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『今を読む』 米シカゴ大名誉教授 ノーマ・フィールド via 中国新聞

核と人体実験 表裏一体で進展した開発    昨年12月2日は核の歴史において重要な記念日だった―。そう言われて、ぴんとくる人はほとんどいないのではないか。75年前のこの日、シカゴ大で物理学者エンリコ・フェルミ率いるチームが、制御された核分裂の連鎖反応実験に成功した。原爆開発へ決定的な一歩を踏み出したのだ。ナチス・ドイツに先を越されまいという奮闘の成果だった。 学内で一連の記念行事があった。特筆すべきは、ヒロシマ賞も受賞した芸術家、蔡國強氏の火薬を使ったパフォーマンスである。 チャペルの鐘の厳かな響きに合わせ、観衆が声を弾ませカウントダウンした。実験が行われた時刻の午後3時25分に、75に達すると、爆発音とともにバースデーケーキのキャンドルのようにカラフルなきのこ雲がもくもくと空に上った。大学ホームページに掲載された公式映像では削除されているが、拍手と歓声が湧き起こった。 大学関係者は「あの作品は、核がはらむ闇と光の双方を表現するもの」と肯定的に解釈する。一連の行事は、音楽、美術、映画上映を交えて華やかなものだったが、「いずれもビッグサイエンスの誕生を振り返る意図であり、お祝いではない」とも言われた。   (略)   カラフルなきのこ雲が立ち上った直後、近くに立つ反核活動家でもあったヘンリー・ムーアの彫刻作品「核エネルギー」の周りに学生数人が集まってダイ・インを始めた。観衆が空から地上に目線を戻した時、彼らの姿が視野に入ったはずだ。きのこ雲の下で何が起きたのか。核被害者の存在を意識するように促す行為だった。 核を巡る大学の歴史を取り上げた特別講座も開かれ、私も登壇した。そこでひもといたのは、放射性物質を使った人体実験という史実だ。 1986年の米議会報告書は、病人、受刑者、知的障害者に対する放射性物質の注射や照射などの実験が、全米各地で行われていたことを明らかにしている。シカゴ大が60年代初頭に学生やスタッフ計102人を実験台にした事例もある。62年のネバダ核実験場での「スモールボーイ」実験で放出された放射性降下物を服用させて、体外排出までの時間を計る―などの一連の実験だ。生身の人間を「核の測定装置」に使った一例である。 インフォームド・コンセントという考えは当時はまだなく、放射性物質の有害性も十分理解されていなかった、という反論もある。 しかし、マリー・キュリーにさかのぼるまでもなく、原爆開発に携わったフェルミたちは頻繁に検査を受けていた。医学界では、患者にとって利益が見込めない実験はするべきでない、という認識も既に定着していた。   (略)   かつて原爆被害者は、原爆傷害調査委員会(ABCC)で治療されず、観察の対象であり続けた。科学の「進展」には実験が不可欠であり、核と人体実験は、表裏一体だ。「自国民を守るため」という核兵器は、自国民の命と体を侵食せずには開発できない。しかも、原発を含めて核の被害は、国境も越えるのだ。 全文は『今を読む』 米シカゴ大名誉教授 ノーマ・フィールド 

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被爆2世、NPT準備委へ 長崎でシンポジウム via 岐阜新聞

広島、長崎で原爆に遭った人々の子らでつくる「全国被爆二世団体連絡協議会」などは8日、これまでの活動を振り返るシンポジウムを、長崎市で開いた。協議会の崎山昇会長(59)は、スイス・ジュネーブの国連欧州本部で23日から始まる核拡散防止条約(NPT)の再検討に向けた第2回準備委員会に、代表団を派遣すると明らかにした。 崎山さんは壇上で「核兵器の非人道性の最たるものが、放射線の次世代への影響。国際社会で人権保障を求めたい」と強調。核実験や原発事故で被ばくした人の子たちと、世界規模で連携する意向も表明した。自身を含む5人で代表団を組織。現地でイベントを開いたり各国の政府代表と面会したりするため、関係機関と調整を図るという。 […]   全文

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米国 原爆展、今後も協議継続 via 毎日新聞

 広島市と長崎市が2019年夏、原爆が開発された米西部ニューメキシコ州ロスアラモスの博物館で計画していた原爆展が中止される見通しになったことについて、同館責任者が30日「今後も開催実現に向けた話し合いを続けたい」と強調した。共同通信の取材にメールで回答した。  責任者は(略)具体的な方法を示さずに核兵器廃絶を訴えることに(運営する)理事会で懸念が生じた」と説明。展示内容を巡って考え方の違いがあったと指摘した。(共同) 全文は米国 原爆展、今後も協議継続 関連記事: ロスアラモスで計画、原爆展を中止 地元反発考慮か via 毎日新聞

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東京高裁、全員の原爆症認定支持 国の控訴棄却 via 西日本新聞

 広島や長崎で被爆した6人を原爆症と認めなかった国の処分は違法だとして、茨城県などの被爆者や遺族が処分取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は27日、全員を原爆症と認めた一審東京地裁判決を支持し、国の控訴を棄却した。 判決理由で後藤博裁判長は「がんなど6人の病気は、一般的に放射線被ばくとの関連性が認められる」と指摘し、被爆や発症の状況を個別に検討。「いずれも放射線によって発症が促進されたと高い確度で言える。国の却下処分は違法だ」と述べた。 続きは東京高裁、全員の原爆症認定支持 国の控訴棄却

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幻の慰霊碑、原爆も表現 「爆風キノコに似せた」 via 日本経済新聞

 世界的彫刻家イサム・ノグチ氏(1904~88年)が51~52年ごろに設計し、実現しなかった広島平和記念公園(広島市)の慰霊碑案について「爆風キノコにも漠然と似せた」と記した未発表資料があることが18日、分かった。米ニューヨークのイサム・ノグチ財団が所蔵していた。 家形埴輪(はにわ)の屋根から着想したことは明らかにしていたが、原爆を暗示していた可能性を示す資料が見つかるのは初めて。越前俊也同志社大教授(美術史)は「原爆に関する表現が厳しく抑制されていた当時の日本において、極めて挑戦的。原爆を想起させることで、警告的な意味を込めたのでは」と指摘する。 未発表資料は「ボーリンゲン・リポート・アンパブリッシュト・バージョン」。ノグチ氏が49年から日本など各国を調査旅行した際の報告書。 それによると、建築家の丹下健三氏からデザインを頼まれ、模型を作製。その際「埴輪の放物線状の形に基礎を置きながら、われわれに全てを思い起こさせる爆風キノコに漠然と似せるようにも作った」と記していた。 越前教授によると、爆風キノコは、きのこ雲ではなく、原爆が爆発し始めた瞬間のドーム形状を指すとみられるという。 後に公表された模型写真などから、計画された慰霊碑は黒御影石でできた太いアーチ形地上部と、犠牲者名簿を置く地下室などからなることが知られている。 続きは幻の慰霊碑、原爆も表現 「爆風キノコに似せた」

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講演 原発も原爆も同じ 長崎の被爆者・井原さん、来月チェルノブイリ被害国で via 毎日新聞

長崎で被爆者団体の会長を務める井原東洋一(とよかず)さん(82)が、チェルノブイリ原発事故から4月26日で32年となるのに合わせ、立地国ウクライナや大量の放射性物質が降下した隣国ベラルーシを訪ねて講演する。井原さんは「放射線による影響の深刻さは、原発も核兵器も同じ」と、原子力による被害者の結束を訴えるつもりだ。  ウクライナでは首都キエフや、被災者の強制移住先として設けられた町スラブチチに足を運ぶ。ベラルーシでは首都ミンスクを訪問。犠牲者の追悼行事や避難者らとの意見交換会に参加するほか、長崎原爆に遭った体験やこれまで続けてきた核兵器廃絶運動を語る。  被災者を支援するウクライナの民間非営利団体(NPO)などの招待を受け、4月下旬に現地入り。5月初旬に帰国する予定という。  2016年8月9日の「長崎原爆の日」。平和祈念式典で井原さんは、被爆者代表として「平和への誓い」を読み上げて「全世界の核被害者と強く連帯する」と決意を示した。東京電力福島第1原発事故の避難者らとも交流を重ね、現地の実態を伝える写真展を長崎で開いてきた。 続きは講演 原発も原爆も同じ 長崎の被爆者・井原さん、来月チェルノブイリ被害国で

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戦争も原発も根は同じ犯罪だ~ダニー・ネフセタイさん、森松明希子さん via レイバーネット

 埼玉県秩父に住むイスラエル人、ダニー・ネフセタイさん(61/写真)を招いた講演会が2月11日、大阪市生野区の大阪聖和教会であり、70人であふれ返った参加者が「平和」について共に考えた。東京電力福島第1原発事故で大阪市に母子避難している森松明希子さん(44)もゲスト出演。ダニーさんとの対談や会場からの活発な意見交換もあり、安倍晋三政権の下、原発事故がなかったことにされようとする動きを強く批判した。つるのはしマルシェ実行委員会主催。 ●「国のため、しょうがない」と思わされ 家具職人のダニーさんは、さまざまなジョークを交えて参加者を笑いの渦に巻き込みながら、しかし危うい世界情勢をスライドを交えて説明した。2016年11月の福岡講演を報告した拙文と重複する部分は極力省略しよう。未読の方は以下を参照していただきたい。 http://www.labornetjp.org/news/2016/1219hayasida (略) ダニーさんの友人が昨年5月に伝えてくれた、就職活動中の女子高生たちには考えさせられるものがあった。シューティングゲームにいそしんでいる後ろ姿の写真だ。自衛隊朝霞駐屯地(埼玉県朝霞市など)を訪れた一行に、作戦内容や敵戦車撃滅指示が出され、彼女たちはゲームに没頭する。戦争を身近なものとして理解させる効果がありそうだ。自衛隊も大手企業も、就職先として同列なのかもしれないが、ドローンによって遠隔地からボタン一つで「敵」を殺傷できる現代の戦争である。こうしたゲームがゲームにとどまらない感覚マヒにつながらないかと心配してしまう。 (略) 「もちろん、普通の人間は戦争を望まない。(中略)しかし最終的には、政策を決めるのは国の指導者であって、民主主義であれファシスト独裁であれ議会であれ共産主義独裁であれ、国民を戦争に参加させるのは、つねに簡単なことだ。(中略)とても単純だ。国民には攻撃されつつあると言い、平和主義者が愛国心に欠けていると非難し、国を危険にさらしていると主張する以外には、何もする必要がない。この方法はどんな国でも有効だ」 (略) ●内部被曝を無視する再稼働の恐怖 「3・11」以後、ダニーさんは戦争と原発の共通点を感じ始めた。それは、カネ。「カネになるならやる。ならなければやらない。とても単純」と告げる。 昨年100歳で亡くなった肥田舜太郎さんと3時間話したこともあるという。肥田さんは、広島で被爆しながら、すぐに被爆者の救援・治療にあたった医師で、内部被曝の恐ろしさを終生、説き続けた。米国の統計学者が40年間の乳がん死亡者を分析した結果、原発を含む核施設から100マイル(約160キロ)内の乳がん患者が顕著に増えているというデータを肥田さんから紹介され、原発は事故を起こさずとも稼働するだけで人の命を縮めるものだとダニーさんは感じ取った。稼働すれば空と海に微量ながら放射性物質が出てしまう。それが内部被曝につながったとき、人の体に変調を来す可能性が高い。日本も乳がんが増えてはいるが、要因が放射性物質に限定できないことを奇貨として政府は原発再稼働に向かっていく。ダニーさんは「本来、私たちの人権を考えるなら、調べ尽くしもせず『大丈夫だろう』と再稼働するのは犯罪に近い」と語気を強めた。 そして、軍隊の本質を3点にまとめる。まず、差別。自分が正義であり、相手は悪と規定する。「そうでなければ戦えないね」とダニーさんは実感を込めて話す。次に、人間のランク付け。軍隊では命令に従うしかない。最後に、武力解決。何か問題が発生すれば外交ではなく武力。もしパイロットになっていたら、軍隊の中で自分はどうなったか。一面がれきと化したガザの空爆跡を映し出しながらダニーさんは「間違いなく私もこれに関わっていた。自分の性格が分かるから。あの中では、やります。いい人、悪い人、関係ない」と断じる。パイロットになった当時の仲間たちを思い出しながら、「ここには悪魔も悪人もいない」と繰り返したのは、閉じられた状況に置かれた人間というものの弱さと狭量を知るからであり、だからこそ最終段階でパイロットから特殊レーダー部隊へ配置換えされた自分こそに「すばらしい人も平気で人を殺すようになる。人殺しになりたくなければ戦争を避けることだ」と言い続ける使命があると思っている。 (略) 今までやっていない活動が必ずある。既成のままでは負ける。国民の大半は無関心層だ。ダニーさんは円グラフを見せながら、1割程度の関心を持っている層に私たち「声を上げる0.1%の層」が働きかけて、そこから大地を動かそうとけしかける。「戦争反対の声を上げなければ戦争賛成に数えられる」現実を肝に銘じる時期に入ったようだ。「戦争」はまた「原発」にも置き換えられる。「3・11」後、ダニーさんは友人の輪が変わった。昔のままの人たちから、将来の見える人たちに変化したのだ。「想像力と心を使おう。政治家や国には時間も予算も負けるが、人数はこちら側が圧倒的に多い。その力をつなげればいい方向に向かいます」 ●「逃げずに復興」は戦時中にそっくり (略) 「戦前戦中と同じ状況を、すでに今、全国の皆さんは目撃している。『茶色の朝』はオーバーラップする」と語る森松さんは、被爆者がつらい思いを抱えながらも原爆被害を語り続けてきたことが昨年、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)のノーベル平和賞につながったと振り返りながら、核が人の命や健康に対して影響を与える非人道性を伝えた意義を語った。しかし、福島原発事故に対して政府は「逃げずに復興」を推し進める。「空襲は逃げずに火を消せ、の戦時中にそっくりだ。福島から出ないで頑張っている姿を国民に見せることが国威発揚になる。日本人は美談が大好き」という根性称賛に森松さんは待ったをかけた。応援はありがたく、心を合わせてくれることの一体感は喜ぶべきではあっても、逃げることが身を守る一つの行為であり、核の悲惨さを理解していれば「逃げずに復興」の美しいスローガンに賛同してはいけない。「甲状腺がんの原因を追及もせず、ただ帰還政策に走るのは世界的に見ても非人道的だ」と批判した。 ●息を潜める「隠れ避難民」に思いはせ 森松さんは自分が避難できたのは被爆者たちの声のおかげと感じている。一方、被爆者たちには「核の平和利用」を認めてしまったことへの後悔があり、福島原発事故に最も胸を痛めているという。被爆2世、3世は、核の影響が甲状腺がんにとどまらず、さまざまな疾患に及ぶことを知っている。 (略) 自分は避難できたことで終わりでも、子どもが助かったからそれでいいとも思わない。同じように子どもを産み、育てた福島のママ友達がいる。「(福島を)出れる制度があれば出たかったという声は、これまで報道されたでしょうか。聞かれたでしょうか」と涙ぐんでしまうのは、福島から出られない事情があって苦悩しつつ息を潜めているママ友達やその子どもたちの顔が浮かんでしまうからだろう。2012年に施行された「子ども・被災者生活支援法」も有効に機能しているとはいえないようだ。一方、「福島の事故は終わった。一部の甲状腺がんは関係ない」と黙殺される。森松さんは「でも想像してほしい。実際、病気になってから訴えるって難しい。治療に専念しますよね。自分の子どもが病気だったら裁判とか声を上げるとかできない。福島に住んでいる人でも、平穏を装いつつ、いつ自分の子が(病気に)あたるか分からない状態にある。それを口にするのもイヤだし忘れたい。だから普通に暮らしているようにしてると思う。実際、低線量の被曝の影響は目に見えてすぐ明らかになる人のほうが少ない。でも、それを言える人が言わなくって誰が言うんですか」と思いを吐き出すように一気に語った。 将来この国を支える子どもたちの健康を第一に守ることこそ国の責務であると信じる森松さんは、だから「隠れキリシタン」ならぬ「隠れ避難民」の声なき声を代弁し、その地にとどまることも避難することも帰還することも自由に選べる「避難の権利」を求めて原発被害者訴訟原告団全国連絡会共同代表を務める。また、関西へ避難してきた人たちでつくる当事者団体「東日本大震災避難者の会Thanks&Dream(サンドリ)」の代表としても活動を絶やさない。昨年発刊した冊子『3・11避難者の声~当事者自身がアーカイブ~』には森松さんを含め多くの避難者の赤裸々な声がぶつけられている。匿名が目立つのは、表立って声を上げる難しさを表していよう。森松さんは実名で矢面に立つ。これは人ごとではない。普通の日常が突然破壊された当事者の、後世に残す教訓として読者に想像力を要求する勇気ある証言となっている。 (略) 「今度こういう原発事故が起きたら、みな立ち上がるだろう」という妙な楽観だ。ダニーさんは断言する。「浜岡原発(静岡)なら東京の近くだから変わるけど、泊(北海道)や川内(鹿児島)だったらほとんど何も変わらないと考えている」 森松さんは、自分の周囲だけでなく視野を広げる。世界の被曝を考えれば核被害の非人道性は地球規模でとらえるべきだと前を向いた。「みんな地球の住民なんだもの」。そして、戦争被爆を局限して核被害を侮りすぎていたという悔恨を吐露する。大阪に避難しつつも福島を日々ウオッチングし「放射性物質が色もなく、においもせず、低線量で被害がすぐには表れないことをいいことに、いかようにも言いくるめる姿を見せつけられている」とイラ立ちを隠さない。「次にもっと大きな事故が起きた時は」と言って今動かないのは、問題を先送りにしただけの言い訳にすぎないと戒めた。事故を起こさせない事前の闘いこそ最重要である。 全文は戦争も原発も根は同じ犯罪だ~ダニー・ネフセタイさん、森松明希子さん

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「東京の台所」大平一枝さんの新刊2冊を計15名に via 朝日新聞デジタル &

(抜粋) 原爆開発に関わった 科学者たちへのインタビュー  その夜、お風呂上がりに大平さんは缶ビール片手にソファに座り、テレビのニュース番組を眺めていた……。新刊その1『届かなかった手紙』は、そんな光景から始まります。2016年、オバマ大統領が広島を訪問していた夜のことでした。たまたま替えたチャンネルで、原爆開発「マンハッタン計画」に関わった女性科学者のインタビューをテレビで見たのが、取材のきっかけでした。 「オバマは広島訪問で謝罪する必要はありません。それが戦争というものです。けれども私も体が許すなら、日本に行きたかった」 そんな言葉に興味を持ち、ネットで検索すると、同じその女性科学者、リリー・ホーニグさんの、「私たちはかつて、市民を殺す必要はないと、対日原爆投下反対の署名をしました」と発言していた過去のインタビュー動画を見つけます。 大平さんは、原爆開発学者による反対署名という初めて知る事実に驚くとともに、こんな疑問を抱きます。 「彼女はあの時代に、どんな動機で科学者になり、どんなきっかけで原爆作りに参加し、投下を知ったときどんな気持ちで、今日までどう生きてきたんだろう。あの人にも親がいて、きっと子どももいて、暮らしがある。その真ん中に科学という仕事があり、過去にそれが戦争に使われたことを、どう受け止めているんだろう……」 事実に突き動かされるようにして米国取材に旅だった大平さんは、原爆を開発しながら、直前に日本への投下を強く反対したユダヤ人科学者、レオ・シラードの存在を知り、知られざる科学者らの心の葛藤をたどることに。本書にはその葛藤とともに、高齢の科学者たちを訪ね歩くという、時間との闘いも加わった大平さんのアメリカ取材の様子が、克明に記録されています。 全文は「東京の台所」大平一枝さんの新刊2冊を計15名に

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ノーベル賞イシグロ氏の原点 母が語った長崎の地獄 via 神戸新聞NEXT

2017年ノーベル文学賞の英国人小説家カズオ・イシグロ氏(63)が大きな影響を受けたと語った母の被爆体験。イシグロ氏の叔母で神戸市中央区に住む森永和子さん(88)が神戸新聞の取材に応じ、姉がイシグロ氏に語ったとみられる被爆の様子などを詳細に語った。(井上 駿) イシグロ氏は受賞後の講演で、母の石黒静子さん(91)=英国在住=が長崎で被爆したことを明かし、作家を志してすぐ長崎と戦争をテーマにした作品の執筆を始めたことに触れた。 長編デビュー作「遠い山なみの光」は、長崎出身で英国に暮らす主人公エツコが、原爆復興期にある故郷で出会った母子との交流を回想する。イシグロ氏は幼少期を長崎で過ごし「原爆の影の下で育った」とする。母から被爆経験を聞いて育った影響が作品にも色濃く残る。 73年前、静子さんと森永さんはともに女学生で、長崎の兵器工場に学徒動員されていた。空襲の回数が増えるにつれ工場の機械を近くのトンネルに移し、兵器を造り続けたという。 1945年8月9日午前11時2分、爆心地から5・7キロ離れたトンネル内の疎開工場にいた森永さんは、爆音に見舞われた。しばらくして、体中の皮がはがれ、うめき声を上げる重傷者が次々にトンネル内に運ばれてきた。 (略) 「姉も私も被爆者であることを隠してきた」と森永さんは明かす。昨年、イシグロ氏が文学賞に輝き、平和賞を「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」が受賞。イシグロ氏が自身の創作と母の被爆体験に触れたことについて「核兵器は悪。私たちは語ることができなかったが、カズオが母の悲惨な経験に向き合って生み出した作品を多くの人に読んでほしい」と力を込める。 全文はノーベル賞イシグロ氏の原点 母が語った長崎の地獄 

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