Tag Archives: 広島・長崎

天皇陛下、書簡で交流 被爆者支援の米学者 「平和を希求、努力に感謝」via 朝日新聞

昭和天皇、現天皇陛下と、戦後日本の復興や平和運動に携わった米国人との交流を示す英文の書簡15通が、米シアトルのワシントン大図書館で確認された。米国による原爆投下で壊滅的な被害を受けた広島での支援活動が縁となり、侍従らを通じた手紙のやりとりを半世紀近く重ねていた。専門家は「戦後の日米交流と皇室の関わりを示す貴重な資料」と話す。▼31面=平和のキャッチボール 皇室と書簡をやりとりしていたのは、森林学者だったフロイド・シュモー氏(1895~2001)=キーワード=。平和主義で知られるキリスト教・クエーカー教徒で、被爆者向けの復興住宅を建てる救援組織をつくり、1949年夏に広島を訪問。天皇陛下が皇太子の時に家庭教師を務めた同教徒のバイニング夫人とも知人で、その縁もあって手紙をしたためたとみられる。 今回見つかった書簡のうち最も古いものは、昭和天皇にあてた49年7月6日付。シュモー氏が訪日前に自らの活動への理解を要請した内容だった。 (略) 書簡交流は90年代まで続いた。特に天皇陛下は、皇太子だった49年10月と88年11月の2回、東宮御所などでシュモー氏と面会し、功績をねぎらっていた。90年にシュモー氏が寄付を集め、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も備えた「平和公園」をシアトルに開設した際には、楠本祐一侍従が同4月20日付で、天皇、皇后両陛下の謝意を伝える書簡を送っていた。 全文は天皇陛下、書簡で交流 被爆者支援の米学者 「平和を希求、努力に感謝」

Posted in *日本語 | Tagged , | Leave a comment

被爆2世調査へ 全国規模で初、健康状態や意識 via 毎日新聞

日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は被爆2世を対象に、健康状態や意識についての全国調査を始める。結成から60年がたつが、全国規模での2世調査は初めて。思いやニーズを把握し、国や自治体への要望につなげたいという。【福島祥】   (略) 質問は、2世を対象にした健康診断を受けたことがあるか▽2世の会の活動に関心はあるか▽健康不安についての相談や医療費助成など国や自治体に実現してほしいことは何か--など14項目ある。  被爆時に一定の地域にいた人などに交付される被爆者手帳を所持している人は、3月末現在で約17万4000人。一方、被爆2世には手帳は交付されず、人数などは不明だ。  厚生労働省は「被爆の遺伝的影響を示す科学的知見が認められていない」として、2世について実態調査を行ったことはない。ただ、2世の健康不安に応えるため国は自治体を通じて無料の健康診断を実施している。今年度から血液がん「多発性骨髄腫」を診断対象に追加したが、その他のがんは対象外だ。 (略) 「回答集まるか」不安も  調査対象になる被爆2世の思いはさまざまだ。母親が広島で被爆した東京都小平市の主婦(63)は、30代で出産する時「自分の子どもに、母親の被爆の影響が出たらどうしよう」と不安だったという。現在は都の制度を利用して2世対象の健康診断を受けており、「3世も健康診断を受けられるような制度をつくってほしい」と望む。初の全国調査については「遅かった。ただ、これをきっかけに当事者だけでなく、多くの人が関心を持ってくれたらいい」と話す。  品川区に住む女性会社員(50)は、広島で被爆した父親が数年前に亡くなってから、「被爆者の体験を、次の世代に伝えなくてはいけない」と継承に関心を持つようになった。  女性は「東京被爆二世の会(おりづるの子)」の会合に参加したことがあり、会から直接、調査票が届く可能性がある。ただ、姉と、被爆者の親が亡くなったいとこはこの会に参加したことがないといい、「身近な3人の被爆2世のうち、何らかの会につながっているのは私1人だけ。全国調査をするといっても、どのくらい回答が集まるのか」と不安を口にした。 全文は 被爆2世調査へ 全国規模で初、健康状態や意識  

Posted in *日本語 | Tagged , | Leave a comment

カザフ大統領 被爆地・広島訪問「今、放射能は…」via 毎日新聞

核兵器廃絶に力を注ぐカザフスタンのナザルバエフ大統領が9日、初めて被爆地・広島を訪れた。原爆慰霊碑の前で黙とうした後、原爆資料館を見学し「我々が核廃絶、核不拡散に対して共通の目的を持っていると感じた」などと語った。  原爆資料館を案内した広島平和文化センターの小溝泰義理事長によると、被爆者の遺品の弁当箱などほとんどの展示を熱心に見学し、「今の広島には放射能が本当に残っていないのか」と繰り返し尋ねたという。  カザフスタンは旧ソ連時代、セミパラチンスク核実験場で約40年にわたり450回以上の核実験が行われ、延べ120万人が被ばくしたとされる。ナザルバエフ氏は1991年の独立以降、大統領を務め、核実験場を閉鎖して核兵器を放棄したほか、中央アジア非核兵器地帯の創設を主導するなど核廃絶に取り組んでいる。 (略) 12月に訪日するプーチン露大統領にも、被爆地訪問を呼びかけたいと話したという。【竹内麻子】 全文はカザフ大統領 被爆地・広島訪問「今、放射能は…」

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

被爆地や脱原発団体から懸念の声 日印原子力協定締結 via 朝日新聞

 日印両国の首脳が11日、インドへの原発技術の移転や輸出に道を開く原子力協定に署名した。被爆地の広島、長崎や「脱・原発」をめざす市民団体関係者からは、核兵器を保有するインドとの連携に懸念する声が相次いだ。東京電力福島第一原発事故の収束も見通せない中での協定締結に批判も根強い。 「被爆者として、耐えられない」。広島県原爆被害者団体協議会の佐久間邦彦理事長(72)は、インドが核不拡散条約(NPT)に非加盟の核保有国である点を踏まえ、再処理済み燃料などが核兵器開発に転用される事態を懸念。今回の協定について「核の拡散はNPTの趣旨に反するし、再び核被害者を生むことにつながる」と批判した。 国際交流NGO「ピースボート」の活動でインドを昨年訪れ、広島での被爆体験を語った埼玉県志木市の三宅信雄さん(87)も「海外輸出なんてとんでもない」と憤る。「日本はヒロシマ、ナガサキ、フクシマの経験を原点に核をなくす努力をすべきなのに。人間では制御できないことは福島の原発事故が証明している」と話す。 オバマ米大統領が原爆を投下した国のトップとして初めて広島を訪れ、安倍晋三首相とともに核廃絶を訴えてから約半年。広島市の松井一実(かずみ)市長は11日夜に談話を出し、「核物質や原子力関連技術・資機材の核兵器開発への転用の懸念は残っている」と指摘。NPT体制への早期加入をインドに働きかけるよう日本政府に求めた。 長崎の被爆者で、長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会の川野浩一議長(76)は「協定は民生用に限るとしているが、インドがこれまで民生用に回していた核開発の能力を、軍事目的に回すことができるようになる。結果的に核兵器の増産に協力することになる」と懸念する。「核兵器を手放せば日本も協力するというのなら筋が通るが、それなしに協力するのは、被爆国としておかしい」と批判した。 長崎県内の五つの被爆者団体は連名で安倍晋三首相らに抗議文を送った。抗議文では「世界で唯一の核被害国として核兵器廃絶を訴えてきた我が国が、どうしてインドと協定締結ができるのか」と批判。核兵器禁止条約の交渉開始を求める国連での決議に日本政府が反対したことにも触れ、「このような非倫理的行為は『日本の名誉』を著しく傷つける」とし、協定の即時撤回を求めた。長崎市の田上(たうえ)富久市長も「協定への署名は被爆地として極めて遺憾だ」とする談話を発表。日本政府に対し「NPT体制を堅持しつつ、『核兵器のない世界』の実現に向けたリーダーシップを発揮するよう求める」とした。 (略) 千葉県市川市の山口兼男さん(62)は「日本は福島の原発事故と、広島、長崎の原爆を経験した。事故につながった技術を、核兵器を持つ国に提供するのはもってのほかだ」と訴えた。 11日朝に官邸前で集会を開いた国際環境NGO「FoEジャパン」の満田夏花(かんな)理事は「NPT(核不拡散条約)非加盟国のインドと協定を結べば、日本は一線を越えてしまう。核兵器を持つインドを認めることになり、NPTの空洞化につながる」と批判した。 全文は被爆地や脱原発団体から懸念の声 日印原子力協定締結

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

渡辺謙が「核兵器禁止条約」に反対した安倍政権を真っ向批判!「核を持つ国に追従するだけで意見は無いのか」via Litera

〈核の恐ろしさを体験したこの国はどこへ行こうとしているのか〉 こんな声をあげたのは世界的に活躍する俳優の渡辺謙だ。10月27日(現地時間)、国連総会第1委員会において「核兵器禁止条約」に向けた交渉を2017年にスタートさせる決議が賛成多数で採択された。しかし、この議決に対して米露英仏の核保有国などとともに反対したのが、被爆国である日本だった。 この日本の姿勢に対して、渡辺がツイッターに批判を投稿したのだ。その全文を掲載しよう。 〈核兵器禁止条約に日本が「反対」という信じられないニュースが流れました。いったいどうやってこの地球から無用な兵器を無くしていくつもりなのか? 核を持つ国に追従するだけで意見は無いのか。原爆だけでなく原発でも核の恐ろしさを体験したこの国はどこへ行こうとしているのか、何を発信したいのか〉 渡辺は国連議決の直後の10月28日にこれをアップしているが、その主張は至極まっとうなものだ。 岸田文雄外相は、反対理由として「核保有国と非核保有国の対立を一層助長する」などと述べているが、そんなものはゴマカシにすぎない。そもそも、日本はこれまでも表向きは「核廃絶」などと言いながら、実際にはまったく逆の行動をとり続けてきた。 たとえば今年5月の核軍縮の進展を目指す国連作業部会第2回会合でも、佐野利男軍縮大使は、安全保障上の問題で核が必要だとし、「核兵器を削減・廃絶するのはほとんど非現実的」と主張、条約の締結に対し反対した。 (略) 安倍首相は今年の広島・長崎の平和記念式典でオバマ訪問を「核兵器を使用した唯一の国の大統領が、被爆の実相に触れ、被爆者の方々の前で、核兵器のない世界を追求する、そして核を保有する国々に対して、その勇気を持とうと力強く呼びかけました」と自らの実績として大々的にアピールし、「世界の指導者や若者に被爆の悲惨な実態に触れてもらうことにより、『核兵器のない世界』に向け、努力を積み重ねてまいります」と宣言していた。それが裏では、この有様である。 しかし、それも当然だろう。安倍首相は官房副長官時代の2002年、早稲田大学で開かれた田原総一朗氏との学生向けシンポジウムで、「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね、憲法上は。小型であればですね」と発言、また2006年にも「核兵器であっても、自衛のための必要最小限度にとどまれば、保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」と答弁書に記すなど、その考えは“核の保有や核兵器の使用は認められるべき”というものなのだ。 全文は渡辺謙が「核兵器禁止条約」に反対した安倍政権を真っ向批判!「核を持つ国に追従するだけで意見は無いのか」

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

芸能界の荒波を生きるのんと主人公が重なり合う、戦時下における日常アニメ『この世界の片隅に』via サイゾー

映画の冒頭、現在は広島平和記念公園となっている広島市中島町一帯が広島県産業奨励館(原爆ドーム)をはじめ見事な色彩で再現され、思わず目を奪われる。原作に魅了され、5年がかりで本作を完成させたのはベテランのアニメーション作家・片渕須直監督。前作『マイマイ新子と千年の魔法』(09)では平安時代の街並みを鮮やかに甦らせた片渕監督が、今回は原爆によって一瞬で消えてしまった広島の街並みを、そこで暮らしていた人たちの息づかいと共に再現してみせる。本作を見ている自分たちは昭和18~20年にタイムスリップし、すずと一緒に戦時中の庶民の生活を体感することになる。 広島市の海沿いの町・江波で生まれ育った主人公すず(声:のん)は感受性豊かな女の子。子どもの頃に怪物に連れ去られそうになったり、祖母の家で座敷童子のような不思議な少女に出会ったりした。無垢なすずの心の中では、リアルとファンタジーが仲良く共存している。絵を描くことは得意だが、それ以外のことはボンヤリしているすずは18歳になり、縁談話が持ち上がった。断る理由もないことから、呉で軍関係の裁判所に勤めている北條周作(声:細谷佳正)のもとに嫁ぐことに。気分はまだ子どものままのすずは、同じ広島県内とはいえ顔見知りがまったくいない呉での周作一家との同居生活にはすぐには馴染めない。久しぶりに広島の実家に里帰りして、うたた寝から目覚めると「あせった……。呉へ嫁入りする夢を見とったわ」と大ボケをかまし、両親からあきれかえられる始末だ。 (略) すずが大切にしていたもの、守ろうとした世界を、片渕監督はアニメーションとして甦らせ、そしてのんが声優としてその世界に命を吹き込んだ。愛すべき日常生活がスクリーンの中に息づいている。126分間にわたるタイムトラベルを終えた我々は、70年前にすずが味わった喜びと痛みを同時に体感することになる。 全文は芸能界の荒波を生きるのんと主人公が重なり合う、戦時下における日常アニメ『この世界の片隅に』

Posted in *日本語 | Tagged | Leave a comment

核兵器禁止条約、交渉入り決議 「核の傘」重視、日本反対 via 朝日新聞

国連総会第1委員会(軍縮)で27日、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を始めるとの決議が、123カ国の賛成多数で採択された。核保有国の米ロ英仏などは反対したが、唯一の戦争被爆国である日本も反対に回り、被爆者らから厳しい批判が出ている。▼2面=実効性に課題、13面=考論、14面=社説、38面=被爆者憤り 反対の理由について岸田文雄外相は28日、「核保有国と非核保有国の間の対立をいっそう助長し、亀裂を深めるものだからだ」と説明した。日本政府は、決議が「米国の核抑止力(核の傘)に依存する安全保障政策と相いれない」として早くから賛成はしない方針を固めており、反対を訴えていた米国に同調して自らも反対に回った形だ。 米国は決議について「安全保障体制を下支えしてきた長年の戦略的安定性を損ねかねない」などと強く反対を表明。自らが主導する北大西洋条約機構(NATO)の加盟国にも、反対するよう文書で求めていた。 日本が反対票を投じたことについて、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が日本政府に抗議文を送るなど、被爆者らは一斉に反発している。 続きは核兵器禁止条約、交渉入り決議 「核の傘」重視、日本反対

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

保坂展人世田谷区長に「福島原発事故に対する東京の自治体の責任」について聞くvia週間女性Prime

渋井哲也 2011年3月の東京電力・福島第一原発事故後、保坂展人氏は世田谷区長選に立候補し、「脱原発」を掲げて当選した。1979年のスリーマイル島の原発事故以来、反原発運動に関わってきた保坂氏は首長として何に取り組むのか。 […] 保坂氏は「歴史的な責任を担うべきだ」と、区としてできることを模索した。例えば、区内の貸家や空きアパートを「みなし仮設住宅」に提供を呼びかけると、100軒以上が手をあげた。一時は100世帯近くが住んでいた。現在、自主避難が26世帯、避難地域から16世帯が住んでいる。  また、被災地域の子どもたちの保養を目的とした事業『ふくしまっ子リフレッシュ in 世田谷』にも取り組んでいる。区民の団体と区・教育委員会が共催で行う。 「区民から声があがった。世田谷で福島の子どもたちを受け入れたい」  さらに、世田谷区は来春までに、友好関係がある群馬県川場村のバイオマス発電所から電気を供給してもらうことになった。 「今後、交流のある新潟県十日町市や長野県の水力発電からも考えています。自然エネルギー由来の電気を多少高くても買いたいという人は多い。原発の電気はリスクのあるものとして、終わっていくものにしたい」 「。。。」「原発は安全と言ってきた議員よりも、考え方によっては自分のほうが責任が重いのではないか」と考えていたとき、30キロ圏内の人が避難しようとしていたところ、チェックポイントを通過できず避難できないとの情報が入ってきた。 「結局、その情報は確認がとれなかったが、これでは棄民ではないかと思い南相馬に行くことを決意した」 […] 今夏、オバマ大統領が被爆地・広島を訪れた。原爆を投下した国の現役大統領としては初のことだ。 「広島で核軍縮への思いは伝えていたが、核の平和利用が失敗したことまでは踏み込めなかった。はっきりと認識する必要がある」  今後は、各原発の再稼働問題に注視している。 「日本は何度も事故が起きようと、原子力産業の望むままなのか。福島事故後、ドイツは大きく転換した。原子力事故からパーフェクトに住民を守るすべはない。そのことを学んでいかないといけない。だから再稼働には反対していきたい」 もっと読む。

Posted in *日本語 | Tagged , , , | Leave a comment

新垣隆氏、英名門から世界デビュー via Asahi Shimbun Digital

作曲家・新垣隆氏(46)の新作『交響曲<連祷(れんとう)>-Litany-』が11月16日に発売されることが明らかになった。2014年“ゴーストライター騒動”で話題となった『交響曲 第1番<HIROSHIMA>』から13年ぶりに書き下ろされた新作シンフォニーとなる同作は、英国の名門クラシックレーベル・Decca(デッカ)からの世界配信も決定。騒動から2年半の時を経て、遂に世界デビューを果たすこととなった。 今作は、佐村河内守氏の依頼によって書かれた『HIROSHIMA』をめぐる騒動を受け「もう一度、自分の意志によって『ヒロシマ・ナガサキ』そして『フクシマ』に向かい合う」というコンセプトのもと、戦禍から平和への“祈り”を込め書かれたという。演奏は東京室内管弦楽団で、新垣氏が自らタクトを振ったコンサートをライブレコーディングしている。 続きは新垣隆氏、英名門から世界デビュー 

Posted in *日本語 | Tagged , , | 2 Comments

核実験は、安全と平和を保障しない〜「核実験に反対する国際デー」に寄せて〜 via グリーンピース

グリーンピース・インターナショナル(本部)事務局長 バニー・マクダーミッド 8月29日は「核実験に反対する国際デー」です。1945年以来、世界の60カ所以上で2,000回を超える核実験が実施されました。 (略) 核実験が人類と環境に与える悲惨な影響を初めて目にしたのは、私が24歳のときです。1985年、核実験に反対するキャンペーンのために太平洋に向 かって航海するグリーンピースの船「虹の戦士号」に、私は甲板員として乗船していました。私たちの最初の使命は、北太平洋のマーシャル諸島の一つであるロ ンゲラップ島の住民360人を、アメリカが行った核実験による放射能汚染から避難させることでした。 10日間にわたって、女性、男性、老人から子供までの避難を支援しました。多くの人が放射線による被ばくの影響で苦しんでいました。彼らは、先祖 代々住み続けてきた土地を離れなければなりませんでした。悲しいことに、彼らが守ってきた土地は島民に生きる糧を与えてはくれず、むしろ病気をもたらして いました。島民が負わされた悲劇と苦痛は彼らのせいではありません。誰が苦しむことになるのか、ほとんど考えもしなかった人々によってこのような悲惨な目 に合わされたのです。 実際、島民は「人類のため、世界のすべての戦争を終わらせるため」に核兵器は必要だと言われていました。大量破壊兵器が安全と平和への手段であると いう考えの裏にある愚かさは、権力者のあいだに今も残っています。太平洋での核実験はあまり知られていませんでしたが、ロンゲラップ島民の避難に関わった 私たち全員は大きな影響を受けました。しかし、明らかに、核実験を行った当事者は、地球への暴力は人間への暴力であることを、まったく問題にしていなかっ たのです。 ロンゲラップ島での救出行動の後、私たちはニュージーランドに向かいました。「虹の戦士号」はフランス領ポリネシア、ムルロア環礁の東を航海し、フ ランス政府の核実験に抗議する小型船団を組んで指揮を取ることになっていたのです。しかし、私たちの計画は誰も予想できなかった形で変更を余儀なくされま した。1985年7月10日、フランスの情報機関がフランス政府の命令を受けて、「虹の戦士号」に2発の爆弾を仕掛けたのです。爆発が起こって数分で「虹 の戦士号」は沈みました。私たちの友人で同僚のフェルナンド・ぺレイラ(写真家)は、この爆発で死亡しました。 (略) 核実験の悲惨な歴史にまつわる詳細は、多くが隠されたままです。しかし、真実が現れつつもあります。フランス国防省の機密文書は、1960年代から 1970年代に南太平洋で行われた核実験は、それまで認められていたよりもはるかに有害であったことを示しています。フランス領ポリネシアの全体にプルト ニウムが降り注ぎました。最も人口が多いタヒチ島は、最大許容量の500倍の放射能にさらされました。 核実験の犠牲者が手にすることのできた正義は、耐え難いほど遅く、不完全でした。1990年代の初め、アメリカはようやくロンゲラップ島の人々に与 えた被害を認め、長い法廷闘争の後にやっと補償金をいくらか支払うことに同意しました。核実験によって被害を受けた元軍人や市民に対して、フランス政府が 補償する可能性を認めたのも(それも複雑なプロセスで、かつ限られた地域に対してのみ)、2010年になってからでした。核実験の犠牲者の多くはいまだに 認定されずに苦しんでいます。 (略) けれども、日々の暮らしが取り返しのつかないほど大きな被害を受けても、自らの悲劇を「核廃絶のためのたたかい」に変えて生きている人々に、私は大きな感 銘を受けています。ビキニ核実験で被害を受けたロンゲラップ環礁のあるマーシャル諸島共和国は、9つの核保有国を相手取り、「核軍縮の義務を果たしていな い」と国際司法裁判所に訴え出ました。日本では、広島と長崎の被爆者の方々が『ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名』を開始しています。私たちは、彼らを孤立させてはいけません。 全文は核実験は、安全と平和を保障しない〜「核実験に反対する国際デー」に寄せて〜

Posted in *日本語 | Tagged , , , , , , | Leave a comment