Tag Archives: 平和記念式典

アーサー・ビナード 「広島70年式典の言葉について」(2015年11月 滋賀県近江八幡市)via Facebook

70年たって、広島では被曝体験をどのように語り継ぐかを色んな人が議論し行政も取り組んでいる。 今年、平和記念式典で語り継ぐ「演出」のようなものがあった。 これまで、今年の8月6日の式典ほど整ったものはなかった。滞りなく、つつがなく、すべてがスムーズに進んでいった。 あんまりにも整っていたから、電通か博報堂のスピーチライターを雇ったんじゃないか、と思う。うまい人がつくったキーワードは「命」。 「命」はすべてのスピーチに入っていた。少しずつ違う表現だったけど。スピーチライターが書いていることがばれないように、少しずつずらした。 市議会議長は「多くの尊い命を失った」。安倍総理大臣は同じ「とうとい」という言葉を使ったけど、漢字が違う。「一発の原子爆弾により、十数万人にものぼる幾多の貴い命が奪われ」と言った。市長は「その年の暮れまでに、かけがえのない14万もの命が奪われ」。みんな「奪われ」という動詞を使っている。 子どもたちが読んだ平和への誓いでは、「一発の原子爆弾が、建物、自然そして、たくさんの人々の大切な命を奪いました」。 全員、「命の大切さ」を言うことで、さも70年の節目の年に、命を大切に語り継ごうという演出。でも、細かく耳をかっぽじってきくと、違う意図があることに気づきます。 市長のスピーチは「私たちのふるさとには温かい家族の暮らし、人情あふれる地域の絆、季節を彩る祭、歴史に育まれた伝統文化や建物、子どもたちが遊ぶ川辺がありました。1945年8月6日午前8時15分、そのすべてが一発の原子爆弾で破壊されました。その年の暮れまでにかけがえのない14万もの命が奪われて……」と続く。 僕はクスノキの下で聞いているんだけど、松井さんがこれを読み上げた時に、広島の観光客のパンフレットを間違えて読んでいるのか、と思った。だって、これ、現在形だったら、今の広島に来てくださいね、って内容ですよね。でも「ありました」。過去形です。 これを、その通り受け止めると、広島という町は1945年8月6日まではパラダイス、こんないいところはない。広島という町は原爆投下の瞬間までは、温かい家族の暮らしと人情あふれる地域の絆があって、川辺で子どもたちが遊んでいる町だったんだよ?どうですか?この歴史認識、正しいですか?広島ってそういう町だったのかしら?僕はどうも、その時代は体験していないし、日本に来ていなかったけど、どうも僕の知ってる広島とは違うと思うんだ。広島が嫌いになったんじゃないよ。でも、1945年8月5日の広島は、家族の温かい暮らしと絆ではないような気がする。1940年も35年も30年も、どこまでさかのぼっても桃源郷の広島は見えてこない。 1945年8月5日の広島がどういう町だったかというと、日本第二の軍都です。東京が一番で、広島は西日本で一番の軍の都だった。軍の拠点です。三歩歩けば軍事施設にあたる町。平和記念式典が行われる場所が見えることころに練兵場があって、その練兵場で毎日毎日毎日毎日、他国の人を大量虐殺する練習を兵士たちがやっていて、広島で訓練を受けたやつが海を渡って、大量にアジアで人を殺したのが広島だった。広島は軍需産業で経済が回っていた。広島の経済はすべて軍需産業、人殺しの帝国の経済。温かい「貴族」の暮らしはあったかもしれない。でも、「家族の絆」なんて話をしている人は誰もいなかった。1945年8月5日の広島は「本土決戦」に備えて、一億総玉砕という言葉が飛び交っていて、そのために子どもたちを強制労働の現場に送り込んでいた。12歳、13歳、14歳の子どもたちが建物疎開という愚かな無意味な悪質な詐欺の作業をやっていた。建物疎開が何かというと、焼夷弾が降ってくると町が燃える、町が燃えると金持ちの家とか軍の施設まで燃える。それは困る。庶民の家が燃えても、庶民が全部失っても知ったこっちゃないけど、軍の施設は守りたい。そのために貧乏人の家を貧乏人の子どもに壊させるのが建物疎開。で、7000人ほどの12~14歳の広島の子どもたちが、上から軍から命令を受けて、8月6日の朝8時に、現場に入って解体作業をやっている。その子たちが全滅なんです。 誰が殺した?もちろん、原爆による大量殺戮をやった米政府が殺したんだけど、でも、それはいわば日米共同演習。松井さんだって、責任から逃れることはできないんだよ。松井さんは「かけがえのない14万もの命」と言った。1945年8月5日に、もし僕がタイムマシンで戻って、桃源郷の広島に戻って、僕が広島の人たちに「みなさんの命はかけがえのないものです」と言ったらどうなる?憲兵が来て、僕が捕まってぶちこまれる。学校現場で「貴い命」という言葉は絶対言っちゃいけない言葉だった。貴い命、かけがえのない命なんて1945年8月6日の8時の時点で広島に貴い命なんて、一片もない。 貴い命があるとしたら、それは千代田区一番町1の1それだけなんだ。あとは貴くない。日本国民は貴い命じゃない。貴くなりたかったら、命を捧げて靖国神社に行くのがいいんです。貴い存在になりたかったら、1945年には、他国にいて、大量に人を殺して、国のために虐殺して、運良く死んで靖国神社にまつられたら、あなたは貴い存在になれるんです。それが唯一の貴い命になる道です。だから貴い命は大本営発表では放送禁止用語。言えない。1945年8月6日午前8時15分の時点で貴い命という言葉は言論空間には存在しない。安倍さんが「この貴い10数万もの命」と言ったけど、噓八百。思ってないし、本人も。僕らの命が貴かったら、初めから、福島県や福井県に原発は作らない。僕らの命が貴かったら、安保法制は通さない。僕らの命が貴かったら、一億総玉砕とか一億総活躍とか言えない。もし、僕らの命が貴いって、この人たちが思っていたら、ああいう「演出」にはならなかった。 […] 日本政府と日本の企業、広告代理店はみなさんが永遠に、被爆者や戦没者のことを上から目線で見るようにしかけてくる。広島の被爆者、長崎の被爆者、福島の被曝者、セミパランチスクでずーっと被曝に苦しんでいる人、こういった各地でもっともっと増えるヒバクシャを自分とは違う存在として見るようにしかけてくる。米軍の兵士たちがどうして、長崎や広島のヒバクシャと連携しなかったのか、どうして戦後あれだけの米兵が同じように放射能にさらされて被曝させられて、大連合ができなかったのかというと、米兵の一人一人の心理の中には、勝ち組と負け組という観念、これで戦争を終わらせた、大変なことを成し遂げたという勘違いにだまされて、それで現地に入ってみたら長崎の人と同じように被曝した。それでも、長崎の人の被曝と自分の被曝が同じと捉えると、自分たちがやられた、自分たちが負けた、自分たちが被害者となる。その線を越えたくない。そう思いたくない。 それをどこまで僕たちが意識するか。そこに自分たちが立てれば、歴史の認識を見抜くことができる。 安倍総理は8月14日に、8月6日のあいさつと関わる「70年談話」を発表した。 「日本では戦後生まれの世代が人口の8割を超えています。あの戦争にはなんら関わりのない私たちの子や孫に、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わすつもりはありません」 あの戦争にはなんら関わりのない子や孫。 マスコミがちょっとだけ騒いだのは、「謝罪を続ける宿命を背負わすつもりはありません」。でも、僕はここはどうでもいい。みんなが素通りする言葉に僕は衝突した。 「あの、戦争には、なんら、関わりのない、子や孫」。 僕はここにひっかかった。 あの戦争に何ら関わりのないものは、この地球上に一つもないんだ。あの戦争の影響は今も、世界中で続いている。なのに、安倍さん、あなたは総理大臣であることはあの戦争とは何の関わりもないというんですか?岸信介は満州の植民地化と関わりないんですか?あなたの副総理の麻生さんの財産は、あの戦争とは関わりがないんですか?朝鮮人の強制労働と何の関わりもないことなんですか?あの戦争と関わりのないことは一つもないんです。その最たるものが被曝。いま、福島で日本民族がむしばまれていることはあの戦争、あの原爆と直結しているんです。長崎に落とされた爆弾と同じ原理の装置で、原発が運用されているんだから。そして原発、核開発は同じ人脈、同じ顔ぶれで延々と続いている。自民党の一握りの人たちがずーっとそれを握っている。だから、安倍総理は、「気にしなくていいんだよ、忘れていいんだよ」といった。それは「忘れて被曝しなさい、忘れてみんな地獄にいきましょう。忘れて無人の地球のまわりをぐるぐる回りましょう」とそういう道筋を安倍総理は日本の未来として、示している。 […]   続きは アーサー・ビナード 「広島70年式典の言葉について」(2015年11月 滋賀県近江八幡市)

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「使い回し」「コピペ」…首相の広島記念式典スピーチ、ネットで話題に via msn産経ニュース

広島市で6日に開かれた被爆から69年の平和記念式典で、安倍晋三首相が行ったスピーチの冒頭部分が昨年とほぼ同じ内容だったことから、インターネット上で「使い回し」「コピペ(文章の切り貼り)だ」と批判を集めている。 安倍首相は「人類史上唯一の被爆国として、わが国には『核兵器のない世界』を実現していく責務がある」などとあいさつ。読み上げた文章を昨年と比較すると 「68年前の朝」が「69年前の朝」となり、「せみ時雨が今もしじまを破る」という表現がなくなった以外は、冒頭3段落が一字一句同じだった。今年は43 年ぶりに雨の中で式典が開かれていた。 続きは「使い回し」「コピペ」…首相の広島記念式典スピーチ、ネットで話題に

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原爆追悼式典「うんざりだ」via NHKニュース

広島と長崎に投下された原爆について、イスラエル政府の高官が、「日本による侵略行為の報いだ。独り善がりの追悼式典はうんざりだ」などとインターネット上に書き込んでいたことがわかり、現地の日本大使館が、イスラエル外務省に抗議しました。 これは、イスラエル政府の高官で、近く首相府のインターネットを使った広報戦略の責任者に就任する予定だったダニエル・シーマン氏が、みずからのフェイスブックに書き込んでいたものです。 この中でシーマン氏は、今月6日に広島で行われた原爆の犠牲者を追悼する平和記念式典について、「独り善がりの追悼式典にはうんざりだ。広島と長崎での原爆 投下は、日本が侵略行為の報いを受けただけだ。日本が追悼すべきは帝国主義や大量虐殺で犠牲となった中国人や韓国人だ」と書いていました。 この書き込みは、現在、削除されていますが、現地の日本大使館は、イスラエル外務省に抗議しました。 一方、首相府は、NHKの取材に対し、「書き込みは政府の立場を代表するものではない」と釈明し、シーマン氏は停職処分になっています。 続きは 原爆追悼式典「うんざりだ」

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広島市長「原爆と原発は別」 平和宣言 区分け重要性盛る 本紙インタビュー via MSN産経ニュース

広島市の松井一実市長は「原爆の日」の8月6日に営まれる同市の平和記念式典で読み上げる「平和宣言」に、原爆と原発事故は別物との認識を明確にし たうえで、エネルギー政策に関する内容を盛り込むことが26日、分かった。産経新聞のインタビューに応じた松井市長は「核兵器反対がなかなかうまくいかな いから、(原発の)放射能被害で参りましょうかという、駆け引きには使わないでほしい」と述べ、原爆と原発を同一視して論じることに不快感を示した。 松井市長はインタビューで、福島第1原発事故の被害者について「放射能被害に対しての心配は分かる」と理解を示したうえで、原爆と原発の違いに言及。「人 殺しのための絶対悪の核兵器と、人間のエネルギー造成のために使う技術は、きちっとした区分けが重要。一緒にしないでくださいということ」と説明した。 また、原発について「問題があってもずっとやれということではない。国民の経済生活やエネルギーの確保、料金問題などを考え、再生可能エネルギーとのバランスをどうしていくか。政府がそこをしっかり国民に説明して解決すべき問題だ」と述べた。 松井市長は平成23年4月に就任。過去2回の平和宣言でも「脱原発」に踏み込まず、「市民の暮らしと安全を守るためのエネルギー政策を一刻も早く確立すること」を求めてきた。 続きは 広島市長「原爆と原発は別」 平和宣言 区分け重要性盛る 本紙インタビュー

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放射能被害二度と 原発避難者と被爆者署名活動 広島 via 神戸新聞News

福島原発事故の避難者と広島の被爆者の男性が連日のように、そろって原爆ドームの前に立っている。福島県南相馬市から広島市に避難している衣山(き ぬやま)弘人さん(54)は、原発の是非を問う国民投票の署名を集める。胎内被爆者の三登(みと)浩成さん(66)=広島県=は、被爆者健康手帳を手に観 光客のボランティアガイドを続ける。立場も取り組みも違う2人だが、「放射能の被害を二度と出してはいけない」と口をそろえる。(土井秀人)衣山さんは福島第1原発から18キロ離れた場所で妻と小学生の子ども2人と住んでいた。東日本大震災発生の翌日、家族で南相馬を離れ、山形など5カ所を転々とした。広島にやってきたのは「子どもが差別を受け、被爆地だからこそ放射能への理解があると思ったから」と言う。 署名活動のきっかけは昨年の平和記念式典への参加だった。今も苦しむ被爆者の姿を知り、「私たちも放射能に故郷を奪われた。苦しみを繰り返さないため、できることをしたい」と思った。 続きは放射能被害二度と 原発避難者と被爆者署名活動 広島

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福島・浪江町長が広島式典出席へ 原発事故「原爆と共通」via Doshin

東京電力福島第1原発事故で全町避難を余儀なくされている福島県浪江町の馬場有町長が、8月6日に広島市で開かれる平和記念式典に出席することが10日、関係者への取材で分かった。 馬場町長が申し入れ、広島市も受け入れる方向で調整している。広島市によると、原発事故後、福島県の自治体の首長が式典に出席するのは初めて。 続きは福島・浪江町長が広島式典出席へ 原発事故「原爆と共通」

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