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「世界終末時計」残り2分半、トランプ発言で30秒進む via 日本経済新聞

米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」は26日、地球最後の日までの残り時間を概念的に示す「世界終末時計」を30秒進め、残り2分半とした。核兵器拡散や気候変動への対策に後ろ向きなトランプ米大統領の発言が理由という。第2次世界大戦後の冷戦期だった1953年の残り2分以来、時計の針は最も深夜に近づいた。 残り時間を決める同誌の委員会には15人のノーベル賞受賞者も含まれている。委員会は同日「トランプ氏は核兵器の使用や拡散について不穏な発言をし、気候変動についての科学的な合意を信じないと表明した」として、世界環境が悪化しているとの声明を発表した。 前回時計の針が動いたのは2015年。残り5分から残り3分に進んだ。世界の指導者に対し、核兵器削減の遅れや地球温暖化に警鐘を鳴らした。 続きは「世界終末時計」残り2分半、トランプ発言で30秒進む 当サイト既出関連記事: Humanity is just two-and-a-half minutes from the apocalypse because of Donald Trump, Doomsday Clock scientists say via Independent

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天皇陛下、書簡で交流 被爆者支援の米学者 「平和を希求、努力に感謝」via 朝日新聞

昭和天皇、現天皇陛下と、戦後日本の復興や平和運動に携わった米国人との交流を示す英文の書簡15通が、米シアトルのワシントン大図書館で確認された。米国による原爆投下で壊滅的な被害を受けた広島での支援活動が縁となり、侍従らを通じた手紙のやりとりを半世紀近く重ねていた。専門家は「戦後の日米交流と皇室の関わりを示す貴重な資料」と話す。▼31面=平和のキャッチボール 皇室と書簡をやりとりしていたのは、森林学者だったフロイド・シュモー氏(1895~2001)=キーワード=。平和主義で知られるキリスト教・クエーカー教徒で、被爆者向けの復興住宅を建てる救援組織をつくり、1949年夏に広島を訪問。天皇陛下が皇太子の時に家庭教師を務めた同教徒のバイニング夫人とも知人で、その縁もあって手紙をしたためたとみられる。 今回見つかった書簡のうち最も古いものは、昭和天皇にあてた49年7月6日付。シュモー氏が訪日前に自らの活動への理解を要請した内容だった。 (略) 書簡交流は90年代まで続いた。特に天皇陛下は、皇太子だった49年10月と88年11月の2回、東宮御所などでシュモー氏と面会し、功績をねぎらっていた。90年にシュモー氏が寄付を集め、被爆後に亡くなるまで病床で折り鶴を作り続けた佐々木禎子(さだこ)さんの銅像も備えた「平和公園」をシアトルに開設した際には、楠本祐一侍従が同4月20日付で、天皇、皇后両陛下の謝意を伝える書簡を送っていた。 全文は天皇陛下、書簡で交流 被爆者支援の米学者 「平和を希求、努力に感謝」

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外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け via 西日本新聞

【ワシントン山崎健】日本の外務省が1987年、米政府に対し、核兵器の持ち込みに関する密約を含む50年代後半の日米安全保障条約改定交渉など、広範囲にわたる日米関係の米公文書の非公開を要請していたことが、西日本新聞が米情報自由法に基づき入手した米公文書で明らかになった。密約などについて米側は要請通り非公開としていた。米公文書公開への外務省の介入実態が判明したのは初めて。 「際限ない」米側不快感示す 文書は87年4月、米公文書の機密解除審査部門責任者の一人、故ドワイト・アンバック氏が作成した「機密解除に関する日本の申し入れ書」。作成から30年たち機密解除の審査対象となる50年代の米公文書について、在米日本大使館は87年1、3月、機密を解除して国務省刊行の外交史料集に収録しないよう同省東アジア太平洋局に文書で申し入れており、同局とアンバック氏が対応を協議した3ページの記録だ。申し入れは米歴史学者の調査で判明していたが内容は不明だった。 文書によると、日本側が非公開を求めたテーマは(1)「核兵器の持ち込み、貯蔵、配置ならびに在日米軍の配置と使用に関する事前協議についての秘密了解」(2)「刑事裁判権」(3)「ジラード事件」(57年、群馬県で在日米軍兵士が日本人主婦を射殺した事件)(4)「北方領土問題」(5)「安保改定を巡る全般的な討議」。(1)(2)については「引き続き(公開)禁止を行使する」との結論が明記されていた。 日米外交史に詳しい菅英輝・京都外国語大教授は(1)について安保改定時の「米核搭載艦船の通過・寄港を事前協議の対象外とした核持ち込み容認の密約」だと指摘。今も関連文書の一部は非公開だ。(2)は53年の日米行政協定(現在の日米地位協定)の改定時に、米兵らの公務外犯罪のうち重要事件以外は日本政府は裁判権を放棄したとされる問題とみられるという。 一方、(3)(4)(5)については事実上、要請を拒否する方針が記されていた。 文書によると、アンバック氏は「われわれは広範囲にわたる際限のない非公開要請には同意できない」と強調。 (略) 「これは米政府による情報公開を外国政府が統制できるのかという根源的な問いを提起している。答えは明らかにノーだ」と強い不快感を示していた。 米政府への非公開要請について、外務省は「外交上のやりとりにつき、お答えは差し控えさせていただきます」とコメントした。 全文は外務省が「核密約」非公開要請 米公文書で裏付け

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築地市場、82年の歴史に潜むゴジラの影 「原爆マグロ」はどこに消えた? via BuzzFeed

移転問題で揺れる世界最大級の卸売市場。あの大怪獣との間にある共通項は、「第五福竜丸事件」でした。 築地市場は、今年で82歳になる。 約480種類の水産物が1日あたり1676トン(2014年)取り扱われている、世界最大級の卸売り市場。その一角にかつて、「原爆マグロ」が埋められたという事実は、あまり知られていない。 あの「ゴジラ」にも着想を与えた、「第五福竜丸事件」にまつわる話だ。 (略) 汚染魚たちのことを、人々は「原子マグロ」や「原爆マグロ」と呼んだ。市場はパニックに陥り、マグロの価格は暴落。競りが不成立になるなど、被害は大きく拡大した。 広島、長崎の被爆から9年あまりしか経っていない時代だ。人々は「原爆」という言葉に強く反応したのだろう。 その年の11月に公開された映画「ゴジラ」には、こんな場面がある。電車内で、とある若い女性が不安げにつぶやくのだ。 嫌ねえ、原子マグロだ、放射能雨だ、そのうえ今度はゴジラと来たわ。東京湾にでも上がり込んできたら、どうなるの。せっかく長崎の原爆から命拾いした大切な体なんだもの。 マグロはどこに消えた 各地の汚染魚たちをそのまま流通させるわけにもいかず、いずれも、地中に埋められたり、沖合で投棄されたりした。 築地市場に第五福竜丸から水揚げされたマグロ2トンが届いたのは、被曝から約2週間後。3月16日午前3時のことだった。 当時の朝日新聞(同日付夕刊)ではその様子をこう報じている。 築地市場からは同船の魚は街灯に流れていない模様。十六日午後一時半から原爆魚の放射能の測定を行った。 放射能測定器で測定したところ、一ミリグラムのラジウムが持つ放射能と同程度の放射能が記録された。この放射能は相当強いもので、三十センチ以内に長くいると放射能の害を受けるし、またもちろん食べれば危険がある。 マグロたちは、やはりすぐに埋められた。翌朝の読売新聞「原子マグロ土葬 魚河岸はもう大丈夫」には、こんな記述がある。 都衛生局で十六日夜六時から緊急会議を開き、マグロ、サメ等大物販売所に隔離してあった原子マグロを場外駐車場に運び出し地下二メートルに埋めるとともに場内を散水車で洗い斎藤科研所員が付近一帯をガイガー・カウンターで再検査したところ全く放射能は認めず…… (略) マグロが市場内のどこに埋められたのか、正確な場所はわかっていない。 築地市場の設備課長を務める吉田順一さんは、BuzzFeed Newsの取材に「正門らへんではないかという話はありますが、明確な記録はありません」と語る。 (略) 石碑に込められた願い 原爆マグロはどこに行ったのか。いまはただ、事件を知らしめる金属プレートが、大江戸線A1出口のすぐ横に佇んでいるだけだ。 そこには、核の恐ろしさを伝える警句が、こう書き記されている。 1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被曝した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。 全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。 このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、この歴史的事実を記録するため、ここにプレートを作りました。 全文は築地市場、82年の歴史に潜むゴジラの影 「原爆マグロ」はどこに消えた? 

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カザフ大統領 被爆地・広島訪問「今、放射能は…」via 毎日新聞

核兵器廃絶に力を注ぐカザフスタンのナザルバエフ大統領が9日、初めて被爆地・広島を訪れた。原爆慰霊碑の前で黙とうした後、原爆資料館を見学し「我々が核廃絶、核不拡散に対して共通の目的を持っていると感じた」などと語った。  原爆資料館を案内した広島平和文化センターの小溝泰義理事長によると、被爆者の遺品の弁当箱などほとんどの展示を熱心に見学し、「今の広島には放射能が本当に残っていないのか」と繰り返し尋ねたという。  カザフスタンは旧ソ連時代、セミパラチンスク核実験場で約40年にわたり450回以上の核実験が行われ、延べ120万人が被ばくしたとされる。ナザルバエフ氏は1991年の独立以降、大統領を務め、核実験場を閉鎖して核兵器を放棄したほか、中央アジア非核兵器地帯の創設を主導するなど核廃絶に取り組んでいる。 (略) 12月に訪日するプーチン露大統領にも、被爆地訪問を呼びかけたいと話したという。【竹内麻子】 全文はカザフ大統領 被爆地・広島訪問「今、放射能は…」

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核兵器禁止条約、交渉入り決議 「核の傘」重視、日本反対 via 朝日新聞

国連総会第1委員会(軍縮)で27日、核兵器を法的に禁止する「核兵器禁止条約」について来年から交渉を始めるとの決議が、123カ国の賛成多数で採択された。核保有国の米ロ英仏などは反対したが、唯一の戦争被爆国である日本も反対に回り、被爆者らから厳しい批判が出ている。▼2面=実効性に課題、13面=考論、14面=社説、38面=被爆者憤り 反対の理由について岸田文雄外相は28日、「核保有国と非核保有国の間の対立をいっそう助長し、亀裂を深めるものだからだ」と説明した。日本政府は、決議が「米国の核抑止力(核の傘)に依存する安全保障政策と相いれない」として早くから賛成はしない方針を固めており、反対を訴えていた米国に同調して自らも反対に回った形だ。 米国は決議について「安全保障体制を下支えしてきた長年の戦略的安定性を損ねかねない」などと強く反対を表明。自らが主導する北大西洋条約機構(NATO)の加盟国にも、反対するよう文書で求めていた。 日本が反対票を投じたことについて、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が日本政府に抗議文を送るなど、被爆者らは一斉に反発している。 続きは核兵器禁止条約、交渉入り決議 「核の傘」重視、日本反対

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米、核兵器禁止条約に強く反対 国連委で推進派を牽制 via 朝日新聞

国連総会第1委員会で議論されている「核兵器禁止条約」について、米国が14日、強く反対を表明し、各国に同調を呼びかけた。核保有国や「核の傘」の下にある国も追随。来年の交渉開始を求める決議案を提出した非保有国側は、採択に向けて米国などによる切り崩しを警戒する。 「米国は核兵器禁止条約の交渉を立ち上げる決議にノーだ。(採択されても)交渉には参加しない。他国も同じ行動をするように強く求める」。米国のウッド軍縮大使は14日の第1委員会で、各国代表団に呼びかけた。核の傘の下にある同盟国以外にも、公然とプレッシャーをかけた形だ。 (略) ウッド大使は核不拡散条約(NPT)など、「現実的で全会一致を基本としたアプローチこそが、(核軍縮が)前進するための正しい道だ」と強調。同盟国や核の傘の下にある国々も同調し、英国は「各国代表たちよ、よく考えて欲しい。全会一致が採られているジュネーブ軍縮会議(CD)や、NPTの再検討会議(で議論する我々)に加わることを求める」と禁止条約の推進派を牽制(けんせい)。オーストラリアはOEWGが核保有国が不参加のままで決定されたことを懸念。ドイツと共に「核保有国抜きで禁止条約の議論を進めても核軍縮にはつながらない」と批判した。 核保有国が禁止条約に反対する根拠とするのが核抑止力だ。ウッド大使は「禁止条約は地域の安全保障を台無しにする危険をはらんでいる。平和と安定を維持する上で、核兵器が役割を果たしている地域もあるという現実を否定できない」と主張。他の保有国も「核兵器は、我々の集団安全保障体制に欠くことができない要素だ」(フランス)、「禁止条約と、信頼性のある核抑止を両立することはできない」(英国)とした。 日本はこの日、意見を表明しなかったが、日本政府関係者は「人道的アプローチと米国の核抑止力のはざまにおかれて、被爆国として非常に苦しい立場だ」と語った。 一方、推進国を主導するメキシコのロモナコ大使は「(大量破壊兵器である核兵器の)使用を防ぎ、核爆発に伴う人道的影響を防ぐ唯一の保証は核兵器の全廃しかない」と述べた上で、NPTなど主要な核軍縮の体制が停滞する現状を打開するため、核兵器禁止の法的措置を推進すると訴えた。 推進国側が警戒するのは水面下での圧力だ。中南米のある外交官は表だった圧力は否定したが、「核禁止をすればロシアや中国は無視するが、困るのは『よい民主国家』である米英仏だとの意見が、核保有国から届いた」と説得工作があったことを明かす。別の外交官は「全会一致」を決議案に盛り込むことに言及する国が水面下で出てきていると明かす。盛り込めば一国でも反対することで、核兵器禁止条約の交渉を止めることができるため、共同提案国は切り崩しの動きに神経をとがらせている。(ニューヨーク=杉崎慎弥、松尾一郎、田井中雅人) 全文は米、核兵器禁止条約に強く反対 国連委で推進派を牽制

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“放射性物質が仮に放出の場合” 原子力規制庁が拡散予測 via NHK News Web

北朝鮮が核実験を行ったと発表したことを受けて、原子力規制庁は、仮に大気中に一定の放射性物 質が放出された場合の広がりを予測した結果を公表しました。10日夕方の時点で、東北の西の日本海まで広がると予測されていますが、原子力規制庁は一般的 に地下の核実験の場合、大気中に放射性物質が放出されることは想定されず、実際に観測されているわけではないことに注意してほしいとしています。 原子力規制庁は、午後7時前に臨時の記者会見を開きました。この中で、放射性物質の拡散を予測するシステム「SPEEDI」を使い、北朝鮮から仮に一定の放射性物質が放出された場合に広がる範囲を予測した結果を公表しました。 それによりますと、放射性物質が9日の午前9時から24時間連続で放出された場合、上空3000メートルまでの間で放射性ヨウ素やキセノンなどが10日午後6時にかけて東北の西の日本海まで達すると予測しています。 続きは“放射性物質が仮に放出の場合” 原子力規制庁が拡散予測

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核実験は、安全と平和を保障しない〜「核実験に反対する国際デー」に寄せて〜 via グリーンピース

グリーンピース・インターナショナル(本部)事務局長 バニー・マクダーミッド 8月29日は「核実験に反対する国際デー」です。1945年以来、世界の60カ所以上で2,000回を超える核実験が実施されました。 (略) 核実験が人類と環境に与える悲惨な影響を初めて目にしたのは、私が24歳のときです。1985年、核実験に反対するキャンペーンのために太平洋に向 かって航海するグリーンピースの船「虹の戦士号」に、私は甲板員として乗船していました。私たちの最初の使命は、北太平洋のマーシャル諸島の一つであるロ ンゲラップ島の住民360人を、アメリカが行った核実験による放射能汚染から避難させることでした。 10日間にわたって、女性、男性、老人から子供までの避難を支援しました。多くの人が放射線による被ばくの影響で苦しんでいました。彼らは、先祖 代々住み続けてきた土地を離れなければなりませんでした。悲しいことに、彼らが守ってきた土地は島民に生きる糧を与えてはくれず、むしろ病気をもたらして いました。島民が負わされた悲劇と苦痛は彼らのせいではありません。誰が苦しむことになるのか、ほとんど考えもしなかった人々によってこのような悲惨な目 に合わされたのです。 実際、島民は「人類のため、世界のすべての戦争を終わらせるため」に核兵器は必要だと言われていました。大量破壊兵器が安全と平和への手段であると いう考えの裏にある愚かさは、権力者のあいだに今も残っています。太平洋での核実験はあまり知られていませんでしたが、ロンゲラップ島民の避難に関わった 私たち全員は大きな影響を受けました。しかし、明らかに、核実験を行った当事者は、地球への暴力は人間への暴力であることを、まったく問題にしていなかっ たのです。 ロンゲラップ島での救出行動の後、私たちはニュージーランドに向かいました。「虹の戦士号」はフランス領ポリネシア、ムルロア環礁の東を航海し、フ ランス政府の核実験に抗議する小型船団を組んで指揮を取ることになっていたのです。しかし、私たちの計画は誰も予想できなかった形で変更を余儀なくされま した。1985年7月10日、フランスの情報機関がフランス政府の命令を受けて、「虹の戦士号」に2発の爆弾を仕掛けたのです。爆発が起こって数分で「虹 の戦士号」は沈みました。私たちの友人で同僚のフェルナンド・ぺレイラ(写真家)は、この爆発で死亡しました。 (略) 核実験の悲惨な歴史にまつわる詳細は、多くが隠されたままです。しかし、真実が現れつつもあります。フランス国防省の機密文書は、1960年代から 1970年代に南太平洋で行われた核実験は、それまで認められていたよりもはるかに有害であったことを示しています。フランス領ポリネシアの全体にプルト ニウムが降り注ぎました。最も人口が多いタヒチ島は、最大許容量の500倍の放射能にさらされました。 核実験の犠牲者が手にすることのできた正義は、耐え難いほど遅く、不完全でした。1990年代の初め、アメリカはようやくロンゲラップ島の人々に与 えた被害を認め、長い法廷闘争の後にやっと補償金をいくらか支払うことに同意しました。核実験によって被害を受けた元軍人や市民に対して、フランス政府が 補償する可能性を認めたのも(それも複雑なプロセスで、かつ限られた地域に対してのみ)、2010年になってからでした。核実験の犠牲者の多くはいまだに 認定されずに苦しんでいます。 (略) けれども、日々の暮らしが取り返しのつかないほど大きな被害を受けても、自らの悲劇を「核廃絶のためのたたかい」に変えて生きている人々に、私は大きな感 銘を受けています。ビキニ核実験で被害を受けたロンゲラップ環礁のあるマーシャル諸島共和国は、9つの核保有国を相手取り、「核軍縮の義務を果たしていな い」と国際司法裁判所に訴え出ました。日本では、広島と長崎の被爆者の方々が『ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名』を開始しています。私たちは、彼らを孤立させてはいけません。 全文は核実験は、安全と平和を保障しない〜「核実験に反対する国際デー」に寄せて〜

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「物の怪」としてのゴジラ via Huffington Post

(抜粋) とはいえ、共通点として個人的に強く印象に残ったのは、ゴジラがもたらす圧倒的な「災厄」のイメージだ。初代ゴジラにも共通するが、それはそれぞれ の作品が作られた時代を反映している。最初の『ゴジラ』は1954年、つまり終戦から9年後に公開された。朝鮮戦争に伴う特需もあって急速に復興が進む中 だが、まだ戦争の記憶が鮮烈だったころだ。つまり、ゴジラがもたらす「災厄」はまぎれもなく戦争をイメージさせるものとなっている。作中で逃げ遅れた母子 の母親が子に向かって「もうすぐお父様のところへ行くのよ」と語りかけるシーンは多くの日本人が戦争中の空襲を思い出しただろうし、水爆実験により生まれ たとの設定は当時問題となっていたビキニ環礁での核実験を反映したものだ。ガイガーカウンターで放射能を測定するシーンは原爆の被害を思い出させただろ う。 今回の『シン・ゴジラ』公開は2016年、つまり2011年の東日本大震災から5年後にあたる。300万人が死に多くの都市が灰燼に帰 した戦争に比べれば、震災の被害は大きいとはいえないが、平穏な暮らしに慣れた現代の私たちに与えたインパクトは十二分に大きかったといえるだろう。ゴジ ラが呑川を遡上するシーンで見られた、ボートを押しのけて水が押し寄せるシーンは、震災時に数多く記録された、津波の記憶を鮮烈によみがえらせる。逃げ惑 う人々、避難所で過ごす人々、政府の対応のもたつきも記憶に新しいし、放射性物質拡散のようすを示した図は震災によって引き起こされた原発事故の際に私た ちが見たものとよく似ていた。 作り手の意図はともかく、両作品に共通して私が感じたのは、ゴジラの破壊神としての圧倒的な力が、観客の心の 反映でもあるのではないかということだ。それは戦争や大地震、原水爆や原発事故のような、大きな被害や衝撃を与えた災厄が、数年を経過し、記憶として昇華 されていくことであり、また、それでもなお残りかつ逆に増幅する不安や恐れ、不満やいらだちを象徴するものでもあり、同時にままならぬ現状をすべて破壊し てしまいたいと願わずにいられない衝動のあらわれでもある。 (略) 最初の『ゴジラ』と『シン・ゴジラ』の双方に共通する「戒め」の要素はおそらく、最も恐ろしいのは人間そのものだという点だろう。ゴジラが水爆実験 で生まれたという出自自体がそのことを如実に示しているが、他にもある。『ゴジラ』においては、戦車の砲撃や戦闘機のミサイル攻撃がまったく通じなかった ゴジラを倒した「オキシジェンデストロイヤー」を開発した芹沢博士が、核兵器に勝るとも劣らない威力をもつと思われるその技術の兵器転用を恐れ、自らの命 とともにそれを葬り去る。『シン・ゴジラ』においては、ゴジラを倒すために東京に核兵器を落とすという恐ろしい決断を国連が平然と下す。 ゴ ジラはそれ自体が人間には理解不能な災厄であると同時に、それよりさらに恐ろしい人間の内なる「闇」を映し出す鏡のような存在でもあるわけだ。両作に共通 する「ゴジラは東京に現れたあの1頭だけではないかもしれない」という示唆は、このような「闇」が完全には消すことのできないものであり、今後も人類が自 らの一部分として共存し、戦い続けなければならないものであるということを象徴している。 しかし同時に、人間の叡智と勇気を最終的には信頼 するという点も、両作に共通している。科学や自然が福音と災厄の両面を人間にもたらす両刃の刃であるのと同様、人間自身もまた、光と闇の双方を内包してい る。多くの災厄が人間自身の所業に起因するのと同時に、どんな苦難も悲嘆も人間は乗り越えることができ、実際そうやって私たちの社会は発展してきたという ことだ。そして巨大な災厄を乗り越えるため人々が頼るものが武力ではなく、科学の力と、現場の人々の協力と努力であるというのはある意味実に日本的ではな いかと思う。

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