Tag Archives: 反原発運動

官邸ドローン事件で福井の男性出頭 「原発政策への抗議」via 福井新聞

東京都千代田区の首相官邸屋上で小型無人機「ドローン」が見つかった事件で、男性が「自分がやった」として福井県警に出頭してきたことが24日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁麹町署捜査本部は捜査員を福井県に派遣し、慎重に真偽を調べる。威力業務妨害の疑いもあるとみて捜査する。 捜査関係者によると、男性は福井県在住の40代とみられ、24日夜に出頭。「原発政策への抗議だ」と話しているという。 警視庁によると4月22日午前10時半ごろ、官邸職員がドローンを発見。機体には液体が入った茶色い容器が取り付けられ、微量の放射性セシウムが検出された。容器には放射能への警告を示すマークのシールが貼られていた。 続きは官邸ドローン事件で福井の男性出頭 「原発政策への抗議」

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「さよなら原発デュッセルドルフ」 日本人がドイツで設立した脱原発のための登録公益社団法人 via WebRonza

 ドイツのデュッセルドルフ市で3月14日、脱原発デモ「フクシマは警告する-世界中で脱原発を-NRW州(注1)も!」が行われた。 「再稼動反対!」 「さよなら原発!」 路面電車も走る大通りやライン川沿いの歩行者・自転車天国では、ドイツ語だけでなく日本語のシュプレヒコールも響き渡った。声の主は、これから紹介する脱原発団体「ドイツ登録公益社団法人 さよなら原発デュッセルドルフ(以下SGD)」である。 Global Pressのサイトはこちら (略)  藤井隼人さん(在独45年目)は、2011年3月11日の東京電力福島原発事故以来、50名ほどにメールで情報を流していた。特に日本では情報量が少ないうえ偏っているので、それを補いたかったという。 2012年の夏、ちょうど大飯原発再稼動反対行動が最高潮の時期だった。藤井さんから情報を受け取ったフックス真理子さん(在独29年)は、「私たちも日本にいたら参加できるのにね」と御礼を書きながら、ふと「ここ(ドイツ)で行動すればいいんだ!」と思いついた。 ノンポリで安保反対のデモにもでたことがなかった藤井さんだが、「今度ばかりは日本も方向転換をすると思ったのに、再稼動とはひどすぎる」という思いは、「嘆くだけでなく何かやろうよ」というフックスさんの言葉に、即賛成するほど強かった。 ちょうど高岡大伸さん(在独16年)からも原発に対する怒りのメッセージが届いたので、フックスさんが「個人で怒らず組織を作ろう」と誘ったら快諾してくれた。こうして3人は7月に、日本の脱原発をドイツから応援するためのSGDを結成した。 続きは「さよなら原発デュッセルドルフ」  日本人がドイツで設立した脱原発のための登録公益社団法人(要無料登録)

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韓国の環境保護活動家が、ウォルソン原発の稼動に反対 via Iran Japanese Radio

韓国の環境保護団体が抗議集会を行い、同国南東部にあるウォルソン原子力発電所の再稼動への反対を表明しました。 イルナー通信によりますと、韓国で環境保護活動家や市民が23日木曜、ウォルソン原発の周辺に集結し、安全基準を満たしていないことを理由に、この原発の再稼動への反対を表明しました。 抗議者はさらに、韓国にある原発の現在の状況は自然環境や国民の健康にとって危険なものであるとしています。 韓国人1000人を対象に行ったある世論調査の結果では、韓国人の60.8%がウォルソン原発の再稼動に反対しているということです。 続きは韓国の環境保護活動家が、ウォルソン原発の稼動に反対

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差別生む原発許さない 定年退職の小出裕章・京大助教(中日新聞) via こどもたちの未来へ

中日新聞・特報  2015/3/27 朝刊 京都大原子炉実験所の小出裕章助教(65)が、今月末で定年退職する。強大な「原子力ムラ」と対決してきた四十年余。その歩みは負け続きだったと 回想する。大学で教授のポストに就くことはなかったが、自らの思いには誠実に生きてきた。それは生後半年で亡くなった愛息に教えられたことでもあったとい う。福島第一原発事故の終わりが見えない中、大学を去った後も、自分にしかできない仕事を模索していきたいと語った。 今月十七日、大阪府南部の熊取(くまとり)町にある京大原子炉実験所。小出助教の研究室の書棚を埋めていた大量の本や資料などは、数えるほどに なっていた。「廊下や倉庫の書棚にあった分を含め、捨てました。どれも実験所の仕事にまつわるもの。定年と同時にその仕事はなくなります。これからの私に とっては意味のないもの」 節目を迎える感慨についても「何もないです。定年は単なる社会的制度。雇用関係が切れるだけ」。あっさりした言葉は、簡単に語り尽くせない半生の裏返しのように聞こえた。 一九四九年八月、東京都台東区の下町で生まれた。進学校の開成中学・高校時代は一日も休まない「良い子」。盛んに宣伝された「原子力の平和利用」という言葉に感化され、担い手になることを夢見た。 都市化が進む東京を嫌って東北大へ。大学のある宮城県では女川原発の建設計画が浮上していた。原発立地を都会ではなく、あまりに危険であるが故に過疎地に押しつける差別の構図を知る。大学三年の七〇年、反原発の立場に転じた。 「原発に反対するのは私自身のため。だまされた自分にオトシマエをつけるためです」。本人はこの姿勢を「徹底した個人主義」と名付けるが、独善と は一線を画すという。「地球上の命は全て掛け替えのない存在と考えるのが、私の個人主義。誰かの命を犠牲にし、差別を生む原子力は許せない」 […] 反原発運動も一時の勢いを失ったように見える。「今は福島が忘れ去られる過程にある」。どうしたらいいのか、という問いには「分かりません」とだけ答えた。 小出助教は「負け続きだった」と振り返る。ただ、助教というポストについて「実験所で最下層の地位」と認めながらも「私には大変恵まれた立場。居心地がよかった」と話す。 実験所での仕事は、所内で出る放射性排水などの処理だった。「自分の仕事をきちっとやる限り、上司は一切注文を付けず、自由にさせてくれた。私は 最下層の職員なので、命令する人もおらず、自分がやるべきこと、やりたいことに集中できた。個性を重んじる京大の校風があったからこそで、反原発を訴え続 けても最後の最後まで弾圧されることはなかった」 定年退職後、新たな定職には就かないという。生まれ育った東京にも戻らない。「信州で暮らします。暑いところが苦手ですし。妻と相談して、何年も前から決めていました」 がらんとした研究室で、小出助教は達観したように「仙人になります」とも語った。しかし俗世と距離を置くことは、そう簡単にできそうにない。「福島原発事故は、敷地の中でも外でも進行中です。完全に目をつぶることはできません」 実験所を離れれば、放射線関連の機器も使えなくなる。さらに自らの老いも実感している。しかし、淡々とこの先を見据える。 「定年なんて、本当に大したことじゃない。年を考えると、仕事はだんだん減らさざるを得ないですが、私でなければできない仕事があるのなら、引き受けようと思っています。ただ、半年先という範囲で。半年以上先は、生きているかどうか分かりませんので」 全文は 差別生む原発許さない 定年退職の小出裕章・京大助教(中日新聞)

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雨の中でも「原発ノー」の人々~4.17金曜行動レポート via レイバーネット

4月17日の金曜日、昼は官邸前で翁長知事激励・辺野古基地反対の抗議行動、夜は原発反対の金曜行動が行われた。このところ同じ日でも、官邸前で抗議行動が二つも三つも行われるようになった。安倍政権はあまりにも民意を無視して突っ走っているからだ。 夜は雨にもかかわらず、人々は立ち去ることなく声を上げつづけていた。そのなかで4月14日に関西電力の「高浜原発の再稼働を認めない」という福井地裁 の仮処分判決を受けてのスピーチやプラカードが多かった。福井からは、住民の原告団や代理人が駆けつけてスピーチをした。判決は、人々の命にかかわる「人 格権が侵害されている」とする画期的なものだ、と訴えていた。この判決は新聞では短い要約しかのっていないが、実は65ページに及ぶ長文で、原発が人間生 活とはいかに相反するかが論証されていた。 (略) 財務省前の交差点では、老人ホームからやってきた熊野亘代さん(写真)が反原発の旗をふっていた。彼女は毎週休まずにきていて、雪で中止になった日も一人 で旗をふりつづけていたという。体には寒さをしのぐために、宇宙飛行士が使う断熱材をまいていた。もう4枚目になったという。 全文は  雨の中でも「原発ノー」の人々~4.17金曜行動レポート

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「シェーナウの想い~自然エネルギー社会を 子どもたちに~」via Youtube

この映画は、ドイツ南西部、黒い森の中にある小さなまちシェーナウ市の住民グループが、チェルノブイリ原発事故をきっかけに 「自然エネルギー社会を子どもたちに」という想いから、ドイツ史上初の「市民の市民による市民のための」電力供給会社を誕生させるまでの軌跡を綴るドキュ メンタリーです。 <映画詳細> 製作:Fuss e.V. (Der Förderverein für umweltfreundliche Stromverteilung und Energieerzeugung Schönau im Schwarzwald e.V.; シェーナウ・環境にやさしい電力供給のための支援団体) 製作年:2008年 上映時間;60分 監督:フランク=ディーチェ / ヴェルナー=キーファー *シェーナウ市:ドイツ連邦共和国バーデン=ヴュルテンベルク州レラッハ郡に属す都市。ドイツの行政単位では市となるが、人口約2500人なので日本の感覚では町や村に近い <ストーリー> ドイツ南西部にあるシェーナウ市。2500人の小さなまち。チェルノブイリ原発事故の影響は、ここシェーナウ市にもおよびました。そこでシェーナウ市の親たち数人が子どもたちを守るため「原子力のない未来のための親の会」(親の会)を結成しました。 まず始めたのが、街中に放射能から身を守るための情報を発信する情報スタンドを設置することでした。また原発依存から脱却するためには、エネルギー使用の意識変化も重要であると考え「節電キャンペーン」や「節電コンテスト」を行いました。  さらに住民グ ループは、シェーナウ市と独占的に契約を結んでいたラインフェルデン電力会社(KWR)に対し、原発に頼らない電力供給、エコ電力の買い取り価格の引き上 げ、そして節電を促すために基本料金を引き下げ使用料金を引き上げる比例料金制度を提案しますが、冷たくあしらわれてしまいます。 そこで住民グループ(親の会)は「それなら自分たちで電力会社をつくってしまおう!」と立ち上がり、シェーナウ電力会社(EWS:Elektrizitätswerke Schönau)を発足させます。 彼らはKWRを相手に2度にわたる住民投票を勝ち抜き、シェーナウ市の電力供給の認可を勝ち取ります。しかし、電力供給を実現するためには、当時KWRが所有していた電力網を買い取る必要がありました。 シェーナウ市と の電力供給契約を失ったKWRは、この電力網の引き継ぎにあたって不当なまでに多額の価格を提示します。それでも住民グループは諦めませんでした。社会目 的に積極的に融資をするGLS銀行や広告会社の無償の協力、さらには人々の善意の寄付のおかげで無事電力網を手にするに至りました。 1997年、EWSは念願の電力供給を開始します。チェルノブイリ事故をきっかけにした親の会の発足から、操業に至るまで実に10年もの歳月が流れていました。 苦労も喜びも分かち合い、皆で共に支えあい、励ましあい、そして時には息抜きもしながら、EWSで働く人たちは、今日もドイツにいるたくさんの人たちに原発に頼ることのない自然エネルギーをメインとしたエコ電力を供給しています。 ビデオは「シェーナウの想い~自然エネルギー社会を 子どもたちに~」via Youtube

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訃報:ギュンター・グラスさん87歳=独作家 via 毎日新聞

 ドイツメディアによると、長編小説「ブリキの太鼓」で知られるドイツのノーベル賞作家、ギュンター・グラスさんが13日、独北部リューベックで感染症のため死去した。87歳だった。 現ポーランド北部グダニスク(旧ダンチヒ)生まれ。1956年に詩人としてデビューし、59年に出版した「ブリキの太鼓」で、成長が3歳で止まっ た少年から見たナチス社会のゆがみを描き、世界的な名声を得た。「ブリキの太鼓」は映画化され、80年の米アカデミー賞外国語映画賞に輝いた。99年に ノーベル文学賞を受賞。主な作品に「猫と鼠(ねずみ)」、「犬の年」などがある。 戦後左派言論人の代表格として知られ、社会民主党を支持。同党主導のブラント政権(69〜74年)がソ連、東欧との和解を進めた東方外交を支援し た。ナチスの罪を批判、反原発運動を進め、移民の受け入れを主張するなど左派のシンボルだったが、2006年に自伝的小説「タマネギをむきながら」で、 17歳の時にナチス親衛隊の軍事組織(武装SS)に所属したことを告白し、厳しい批判にさらされた。 続きは訃報:ギュンター・グラスさん87歳=独作家 関連記事: Günter Grass, German Novelist and Social Critic, Dies at 87 via The New York Times

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これから「核発電所」と呼びませんか? via 村上さんのところ

読者:1999年文庫本化された『村上朝日堂はいかにして鍛えられたか』。この中で村上さんは、「原発ではないほかの発電技術を開発することが経済大国としての日本だ。一時、経済は衰退するかもしれないが、原発のない国として尊敬される」というようなことを書かれていました。 (略) 村上:僕に言わせていただければ、あれは本来は「原子力発電所」ではなく「核発電所」です。nuclear=核、atomic power=原子力です。ですからnuclear plantは当然「核発電所」と呼ばれるべきなのです。そういう名称の微妙な言い換えからして、危険性を国民の目からなんとかそらせようという国の意図 が、最初から見えているようです。「核」というのはおっかない感じがするから、「原子力」にしておけ。その方が平和利用っぽいだろう、みたいな。そして過 疎の(比較的貧しい)地域に電力会社が巨額の金を注ぎ込み、国家が政治力を行使し、その狭い地域だけの合意をもとに核発電所を一方的につくってしまった (本当はもっと広い範囲での住民合意が必要なはずなのに)。そしてその結果、今回の福島のような、国家の基幹を揺るがすような大災害が起こってしまったの です。 これから「原子力発電所」ではなく、「核発電所」と呼びませんか? その方が、それに反対する人々の主張もより明確になると思うのですが。それが僕からのささやかな提案です。 全文は これから「核発電所」と呼びませんか? 

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人模様:ヒロシマで脱原発デモ50回−−滝史郎さん via 毎日新聞

先月、市民団体「さよなら原発ヒロシマの会」の脱原発デモが2012年10月の開始から50回の節目を迎えた。運動を支える同会事務局長の滝史郎・広島大名誉教授(69)は「相手が大きいからこそ粘り強く続けていかねば」と話す。 反原発運動に関わり始めたのは、福井大で教えていた1970〜80年代。原発建設計画を巡り、立地予定地で推進派と反対派が激しく対立する様子を目にしてきた。「親戚同士が口をきかないケースさえあった。まるで社会崩壊。悲惨ですよ」と振り返る。 91年4月に広島大へ移り、運動から遠ざかったが、東京電力福島第1原発事故が再び関わる契機になった。「何もしないわけにはいかない」と、漫画家の故中沢啓治さんらと共同呼びかけ人になって会を結成。反原発を訴え続けてきた。 (略) 「脱原発を政治決着させるには、圧倒的多数の世論が『ダメ』と声を上げる必要がある。熱が冷めないための努力を続けていくしかない」【吉村周平】 全文は人模様:ヒロシマで脱原発デモ50回−−滝史郎さん

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特集ワイド:続報真相 大人は福島原発事故の責任を取れ 京大原子炉実験所助教・小出裕章さん最終講義 via 毎日新聞

原発の危険性を40年以上にわたって指摘してきた京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)の小出裕章助教(65)が今月末の定年退職を前に、2月27日、実 験所内の自主講座で最終講義をした。豊富な知識と分かりやすい語り口から小出さんは、東京電力福島第1原発事故以降、全国での講演やラジオ番組へと引っ張 りだこだった。最終講義のテーマは「原子力廃絶までの道程(みちのり)」。その詳細をお届けしたい。 (略) 福島原発の現状をこう切り出した。「事故の収束なんてとんでもない。肝心な現場が見えず、溶け落ちた核燃料などの炉心は、いまだにどこにどのよう な状態で存在するのか分からない。人が近づくと即死するほどの放射能があるからです。こんなに過酷な事故は、発電所では、原発でしか起こらない。4年たっ ても原子炉の現場に立ち入ることができないのです」 膨大な「汚染水問題」で政府が対策に本腰を入れたのは2013年夏だったが、小出さんはその2年前の11年5月、ラジオ番組で地下に遮水壁を張り 巡らせるよう主張していた。講義では、そこで働く作業員にも目を向けた。「この4年間は、核燃料をこれ以上溶かさないようにしようとひたすら水をかけ続け た。水は当然、汚染水になり、50万トンもがタンクに詰められている。今や、敷地内は放射能の沼のような状態。そこで苦闘する7000人近くの労働者は、 きちんとした仕事をしようとすれば大量に被ばくしてしまうため、タンクからの水漏れの対応すら難しい。現場を担っているのは下請け労働者たちで、放射能を 閉じ込める作業を今後何十年も続けなければならない」 (略) 小出さんは言葉を大切にする。「放射性廃棄物」と言わず、「放射性廃物」と呼ぶ。放射性物質はその毒のために棄(す)てられないという考えからだ。 所内で「当番の月」が回ってくると、実験で出た「放射性廃物」の廃液などの処理を担当し、水から丁寧に放射性物質を捕捉しては、ドラム缶に詰める作業など を地道に続けてきたのだった。 ところが、その努力もむなしく思えるほど福島事故で放射性物質が飛び散った。「避難指示区域よりもはるかに広い東北や関東の一部地域が、放射線管 理区域の基準以上の汚染レベルになった。これは、日本政府が示した事実であり、風評でも何でもない。そこに人々が普通に暮らしている。それなのに誰も処罰 されず、責任を取ろうとしない」 最も強調したのは「この広大な土地に子どもたちが生きている」ことだった。「残念ながら私には時間を戻す力はない。こんな事態を許してしまった私 たち大人はどんなことをすべきか。私がやりたいのはたったひとつ、これです」。子どもたちを被ばくから守る構図の柚木ミサトさんのイラストを示した。 (略) だが「自分の愚かさに落とし前をつけるため」と、原子炉実験所という原子力の専門の場に残った。「原子力の廃絶を目指したが、原子力を進める組織はあまりに巨大で、私は敗北を続け、ついに福島事故が起きてしまった」 落とし前は「つけられなかった」と考えている。「福島事故を契機に原子力廃絶に向かうならばまだしも、福島のことがまるでなかったかのように、原発を進めてきた人は責任を取らず、この国は原発の再稼働、新設、輸出へと動いている」からだ。 小出さんは原子炉実験所での41年間を助教のまま終える。教授にも、准教授にも昇進しなかった。でも反原発を公然と掲げる小出さんに学内での「迫 害」はなかったと断言する。それは「京大の独創性を重んじる学風に関係するかもしれない」とみる。「(職務さえ果たせば)ずっとやりたいことができた。全 国で闘う仲間たち、熊取6人組の仲間にも恵まれた」と話を終えた。 (略) 6人組のうち福島事故の汚染・被ばく調査をする今中哲二助教(64)が現役のしんがりだ。1年後には定年退職を迎え、京大原子炉実験所という学問の現場か ら全員がいなくなる。小出さんは「今中さんの退職前には、最後の安全ゼミを私が呼びかけます」と力を込めて宣言した。それは「6人組の火は、簡単には消え ない」と告げたように聞こえた。【大島秀利】 全文は特集ワイド:続報真相 大人は福島原発事故の責任を取れ 京大原子炉実験所助教・小出裕章さん最終講義

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