Tag Archives: ロシア/ウクライナ/チェルノブイリ

チェルノブイリで治療の医師講演 「福島の影響注視を」via 京都新聞

チェルノブイリ原発事故で被災したベラルーシで、医師として治療に当たった経験を持つ長野県松本市長の菅谷昭さん(73)が28日、京都市下京区のひと・まち交流館京都で講演した。事故から30年たった今も被害が収束しない状況を伝え、東京電力福島第1原発事故の教訓とするよう訴えた。 菅谷さんは1996年から約5年、ベラルーシに滞在し検診や治療に当たった。講演では昨年7月、事故後30年に合わせて現地を訪れた様子を伝えた。手術して治療した子どもたちが家庭を築いていると紹介。「悩みを抱えながら前を向いて生きている」と話した。 また、チェルノブイリ原発周辺の甲状腺がんが事故の影響と認められるまで10年かかったと指摘。福島県の現状にも触れ「甲状腺への影響を今後も注視することが大切」と強調した。 続きはチェルノブイリで治療の医師講演 「福島の影響注視を」

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福島大、ウクライナ政府と放射性物質の経路調査 via 日本経済新聞

 福島大の環境放射能研究所の難波謙二所長らは29日、ウクライナの首都キエフで記者会見し、1986年のチェルノブイリ原子力発電所事故で飛散した放射性物質が、風雨などの影響で約30年かけて移動した経路を確かめる調査を始めたと発表した。東京電力福島第1原発事故での放射性物質の拡散予測や農林水産業の復興につなげる狙い。 ウクライナ政府との合同調査で、2022年3月末まで。 (略) 調査は半径30キロ圏の立ち入り制限区域などで実施する。調査対象は事故のあった4号機の原子炉を冷やす水を蓄えていた長さ10キロ、幅2キロの貯水池など。近年干上がり始めており、沈殿していた放射性物質が大気中に舞う危険性が指摘されているという。 また、放射性物質は地下水によって付近の川に流れているとみられており、深さ20メートルの井戸を数カ所掘って地下水も調べる。 全文は福島大、ウクライナ政府と放射性物質の経路調査

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廃炉へ長い道のり、史上最悪事故のチェルノブイリ原発 via 日刊工業新聞

1986年4月に史上最悪の事故を起こしたウクライナ北部のチェルノブイリ原発では事故後30年以上たっても廃炉作業が始まっていない。昨年11月にコンクリート製の「石棺」で囲われた4号機をさらに覆う巨大なアーチ型シェルターが設置され、石棺の解体を経て廃炉作業に入る計画だが、原子炉内は大量の放射性物質が残っており、作業は長期にわたりそうだ。 5月上旬にチェルノブイリ原発を視察した世耕弘成経済産業相を案内した同原発のユリア・マルシュチ国際協力・情報課専門官は「(4号機内には)溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)などが大量に残っている。半減期が長く非常に危険なもので、しっかり管理しなくてはならない」と説明した。 今年中にシェルターの密閉作業が完了し、石棺の解体作業が始まる予定。シェルター内部にはクレーンが設置され、2023年までに石棺の解体を終える計画で、その後に核燃料や構造物を取り除く廃炉作業に入る。ただ、紛争が続くウクライナは財政状況も厳しく、作業が順調に進むかは不透明だ。(キエフ時事) ウクライナで原発依存が急上昇、紛争で石炭調達困難に 1986年にチェルノブイリ原発事故が起きたウクライナで、政府と親ロシア派の戦闘が始まった2014年以降、原子力発電への依存度が高まり、今年は電力の60%超を賄う事態となっている。ウクライナは石炭が豊富だが、主な産地は親ロ派武装勢力が支配する東部にあり、調達は難しい。ポロシェンコ政権は原発依存を続ける構えだが、NGOは原発の老朽化を懸念する。 国際原子力機関(IAEA)によると、紛争が起きる前の13年、ウクライナの原発依存度は約44%だったが、16年には約52%に上昇。フランス(約72%)、スロバキア(約54%)に次ぐ原発依存国になった。政府軍と親ロ派との散発的な戦闘が続く中、ウクライナのナサリク・エネルギー・石炭産業相は今年2月、原発依存度が62%に達したと明らかにした。   […] 紛争以降、欧州連合(EU)はウクライナ支援を続けているが、CEEBWは支援の結果、原発依存路線が強まっていると指摘。「欧州は代替エネルギー源への資金提供などを行う必要がある」と訴えている。(キエフ時事) 全文は 廃炉へ長い道のり、史上最悪事故のチェルノブイリ原発 

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今週の本棚 沼野充義・評 『フクシマ6年後 消されゆく被害 -歪められたチェルノブイリ・データ』=日野行介、尾松亮・著 via 毎日新聞

 (人文書院・1944円) 「民主主義の危機」を追及  原発事故による自主避難者が帰れないのは「自己責任」だと言い捨てて、物議をかもした政治家がいる。しかし本書を読むと、これは政治家個人の「失言」などではなかったことがよくわかる。自主避難者を「自分で勝手に避難した」人たちのように扱い、帰れない人たちを復興の邪魔になる存在として切り捨てていく。放射線の健康への悪影響をできるだけ少ないものに見せて、避難者の帰還を急がせ、原発事故のことを早く忘れてもらう--そういった一連の原発政策を強力に推し進めてきた側の本音が、はっきり出たということではないか。  そのようなことを考えさせる、説得力のある誠実な本である。共著者の一人、日野氏は毎日新聞社会部で活躍した気鋭の記者。これまで一貫して原発事故とその被災者の問題に取り組んできた。もう一人の尾松氏は、ロシア研究者で、チェルノブイリ原発事故の5年後にロシアで制定されたいわゆる「チェルノブイリ法」に詳しい。それぞれの専門を生かし、互いに補強しあう共同作業となった。 […]  日野氏はさらに、福島県で行われてきた健康管理調査の「闇」に切り込む。日野氏の取材によれば、県の側は「なるべく被害を見えなくする制度設計」につとめてきた。そして、それを支えたのは、福島県で小児甲状腺がん患者が多く見つかったにもかかわらず、「被曝(ひばく)の影響とは考えにくい」などと言い張る医学の専門家だった。ここで日野氏は尾松氏に協力を求める。福島原発の事故の影響を否定する人たちがいつも重要な論拠としていたのが、「チェルノブイリの知見」だからだ。  今度は尾松氏の研究者魂が奮い立った。そして日本ではあまり知られていないロシア政府による報告書などの文献を精査したところ、福島原発の影響を否定する側が挙げている甲状腺がんに関わる「増加時期」「年齢層」「被曝量」などについての説明が、いずれもチェルノブイリの知見に基づいているどころか、それを歪(ゆが)め、都合のいいところだけを取っているに過ぎないことが明白になったのである。もちろん、こういったことについてはさらに詳細な、(曲学阿世(きょくがくあせい)のエセ医学者ではない)専門家たちによる検討が必要だが、少なくとも、チェルノブイリ事故の被害調査の結果がねじまげられ、恣意(しい)的に解釈された結果、福島原発事故による健康被害を過小評価する口実として使われているということだけは、確かである。 […] 全文は 今週の本棚 沼野充義・評 『フクシマ6年後 消されゆく被害 -歪められたチェルノブイリ・データ』=日野行介、尾松亮・著

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[写真] 原発衛星都市プリピャチ via ロシアNOW

プリピャチは、ごく普通のソ連の都市だったが、そこでの淀みない生活は、1986年4月26日に断ち切られた。1986年4月26日、チェルノブイリ原子力発電所で事故が発生した。事故の以前と当時のプリピャチの姿を写真で辿ってみよう。    キエフから90キロメートルの地点に位置するプリピャチは、とても若い都市だった。それは、2キロメートルしか離れていないチェルノブイリ原発で働く人々のための町として1970年に創建された。プリピャチは、ソ連に存在していた20の原発衛星都市(アトモグラード)の一つ。    この町は、7万5千の人口を想定して造られた。チェルノブイリ原発事故以前で直近の1985年に実施された住民調査によれば、プリピャチには、約4万8千人が暮らしていた。   それは、住民の年齢という点から観ても非常に若い都市だった。市民の平均年齢は、たったの26歳で、当時の住民の話では、その町では結婚式が頻繁に行われていた。新婚夫婦のための特別のサロンの建設も開始されたが、事故と避難のためにこの計画は頓挫した。   (略)    エネルギー産業労働者の町プリピャチの建設は、ヴラジーミル・レーニン名称チェルノブイリ原子力発電所の建設と同じく、1970年に始まった。   (略)   チェルノブイリ原発の事故すなわち4号炉での爆発は、1986年4月26日の未明に起こった。爆発の犠牲となったのは、二人だったが、その後、放射線症により何十人ものチェルノブイリ原発の作業員が亡くなった。 全文と写真は[写真] 原発衛星都市プリピャチ

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写真展 本橋成一さん、チェルノブイリの今写す 中野で28日まで /東京 via 毎日新聞

中野区在住の写真家で映画監督、本橋成一さん(77)がチェルノブイリ原発事故の被災地で撮影した写真約20点を「Space&Cafeポレポレ坐」(同区東中野4)で展示している。本橋さんは同原発事故による被災者の写真集「ナージャの村」で1998年に土門拳賞を受賞しており、12年ぶりにベラルーシ共和国の被災地を訪ねた。併設する映画館「ポレポレ東中野」では、本橋さんが新たに撮影したドキュメント映画も上映中。いずれも28日まで。  約20点の写真は、本橋さん監督の映画「ナージャの村」(97年)や「アレクセイと泉」(2002年)の舞台となったチェチェルスク地区で撮影した。  映画に登場した少女や青年の現在の姿を写しているほか、強制移住の指示を受けた村で暮らす村民の姿もとらえた。また、「高濃度汚染地域」を示す大きな看板、泉を囲む朽ちた柵などからは、住人が去った集落の寂しさが伝わってくる。 (略)  展示は午前10時~午後6時、入場無料。ドキュメント映画は一般1500円、60歳以上と大学生以下1200円、高校生以下700円。問い合わせはポレポレタイムス社(03・3227・1405)。 全文は写真展  本橋成一さん、チェルノブイリの今写す 中野で28日まで /東京

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チェルノブイリ事故から31年 原発解体へ準備進む via 東京新聞

 【モスクワ共同】旧ソ連ウクライナで1986年に起きたチェルノブイリ原発4号機の爆発事故から26日、31年となった。4号機は昨年11月に耐用年数100年の鋼鉄製シェルターで覆われ、原発解体の作業着手に向けた準備が進む。解体、廃炉までに少なくとも数十年はかかる見込みで、未曽有の原発事故がもたらした放射性物質との闘いは世代をまたいで引き継がれることになる。 (略) ベラルーシのルカシェンコ大統領は「チェルノブイリの惨事に国境はない」と強調した。 全文はチェルノブイリ事故から31年 原発解体へ準備進む

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原発事故被災地の絆強める ベラルーシ在住日本語教師 via 福井新聞

26日で発生から31年が経過するチェルノブイリ原発事故の被災地ベラルーシ。現地で日本語教師を務める古沢晃さん(43)=山形県村山市出身=は、東京電力福島第1原発事故が起きて以降、福島県と同国の学生が交流する機会をつくるなど、被災地同士の絆を強める活動に取り組んでいる。 「元々、チェルノブイリの事故は自分と関係ないと思っていた」という古沢さん。しかし福島の事故後、現地の友人は「私たちは悲劇で結ばれている」と義援金を募り、折り鶴で励ましてくれた。その思いに応えたいという気持ちが活動の原動力 続きは原発事故被災地の絆強める  ベラルーシ在住日本語教師 関連記事 ベラルーシ派遣団決意 いわきでオリエンテーション via 福島民報 今夏、ベラルーシ共和国を訪れる「日本・ベラルーシ友好派遣団2016」のオリエンテーションは4日、いわき市生涯学習プラザで開かれ、浜通りの高校生が派遣への決意を新たにした。 高校生とスタッフ約40人が出席した。一人一人が自己紹介した後、ベラルーシ国立大日本語講師の古沢晃さんがベラルーシについて紹介した。相馬中央病院医師の森田知宏さんが外部被ばくと内部被ばくの違いなどの知識を解説した。 5つの班に分かれて、ベラルーシの高校生に日本の風土や文化、歴史などを紹介する方法を話し合った。 NPO法人アース・アイデンティティ・プロジェクツの主催、NPO法人ハッピーロードネットの共催。7月20日に出発し、文化・研修施設で現地の高校生らと交流しながらチェルノブイリ原発事故からの復興状況などを学ぶ。8月4日に帰国する。  

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原発事故 チェルノブイリ31年、福島6年 帰れぬ街カメラで追う 「人々を分断」 中筋さん、原爆資料館で講演 /広島 via 毎日新聞

旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故から26日で31年。チェルノブイリと東京電力福島第1原発の事故があった福島を撮り続ける写真家、中筋純さん(50)=東京都八王子市=による講演会がこのほど、中区の原爆資料館であった。通常は立ち入り禁止のエリアで撮影した写真を紹介しながら、「福島でもチェルノブイリでも罪なき人々が分断されていくのを感じ、とても心苦しかった」と率直な言葉で語った。【竹内麻子】  中筋さんは2007年から計6回、チェルノブイリを訪れた。原発の中で撮影した写真に写る「十字架」は、放射線量が高い場所で今も遺体を捜せない作業員のために作られたもので、毎日花が手向けられているという。廃炉の予定について担当者に尋ねると、「100年くらいかかる。(遅れたら)その後はわからない」と言われた。中筋さんは「福島は楽観的な計画を立てているが、核が破綻すると人間の手に負えないと感じた」と振り返る。 (略)  チェルノブイリと福島を訪れ、「普通の人々の暮らしが一瞬で消え去り自然が領域を広げる。同じような風景にたびたび出会った」。一方で、違いも感じる。チェルノブイリは町ごと移動して除染を諦めたが、福島では今も除染作業が進められ、海岸や野球場に汚染土などを詰めたフレコンバッグが並ぶ。  3月末にも多くの地域で避難指示が解除され帰還可能となったが、「賠償を打ち切ったというだけ。それより前に解除された所も帰還は全然進んでいない」と、事故から6年がたつ福島の現状を語った。  「原発事故の影響は見えにくい。事故後の時間を何とか写真に写し込み、記憶の風化をとどまらせたいと思った」と、写真を撮り続ける理由を語る。  今秋まで埼玉や静岡など全国各地で、巡回写真展「流転 福島&チェルノブイリ」を開催している。 全文は原発事故 チェルノブイリ31年、福島6年 帰れぬ街カメラで追う 「人々を分断」 中筋さん、原爆資料館で講演 /広島

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福島県で急速に増え始めた小児甲状腺がん via JBPress

「臭い物に蓋」をしては後で大問題に、チェルノブイリの経験生かせ 想定外の多さ 福島県の県民健康調査検討委員会のデータによると、「甲状腺がんまたはその疑い」の子供が183人。そのうち145人にがんの確定診断が下っている。 確定診断はないが、がんの疑いで手術や検査を待っている子が、さらに38人いると解釈できる。さらに3巡目の検診が行われている。 まだまだ増えるということだ。 これは異常な数なのか。甲状腺の専門医たちもおそらく想定外だったと思う。国立がんセンターによると、2010年の福島の小児甲状腺がんは2人と試算している。 1巡目の検査は、2011~2013年にかけて、2巡目は2014~2015年にかけて行われた。現在は3巡目。 数年で「正常」が「甲状腺がん」になるか 大事なポイントはここ。2巡目の検査で「甲状腺がんまたは疑い」とされた子供は68人の中に、1巡目の検査で「A判定」とされた子供62人が含まれているということだ。 62人のうち31人は、「A1」で結節やのう胞を全く認めなかった。全くの正常と言っていい。「A2」は、結節5.0㎜以下、甲状腺のう胞 20.0㎜以下のごく小さな良性のものである。 甲状腺がんの発育は一般的にはゆっくりである。これが1~3年くらいの短期間に、甲状腺がんになったことは、どうしても府に落ちない。 被曝ノイローゼと言われた時があった チェルノブイリへ1991年から医師団を102回送って支援してきた。ベラルーシ共和国の小児甲状腺がんの患者数は、1987~89年では毎年1~2人だったのに、90年は17人、そして91年以降激増していくのである。 ベラルーシを中心に、ウクライナ、ロシアなどで6000人の甲状腺がんが発生した。 皆が「何かおかしい」と思い始めた当時、WHO(国際保健機関)は、「チェルノブイリ原発のメルトダウンの直接的な健康被害はない。多くは、被曝ノイローゼだ」と言っていた。 1990年代前半、ベラルーシの甲状腺がんの第一人者、ミンスク大学の故エフゲニー・デミチク教授が、放射線ヨウ素I-131が飛散し、それが子供の甲状腺がんを増やしているという論文を、国際的総合科学ジャーナル「NATURE」に発表した。 デミチク教授の息子ユーリーも、甲状腺外科医を目指していた。父親の教授から「息子を日本で勉強させてほしい」と頼まれた。 (略) 甲状腺外科学の第一人者のユーリーはどう思うかと聞いた。 「日本のスクリーニングは精度が高い。検診をしたために見つかった可能性が高い。スクリーニング効果の可能性がある」と言うのだ。 「ただし…」とユーリー・デミチクは言い出した。 「2巡目の検査で、がんが16人見つかっていることは気にかかる。今後さらに、がんやがんの疑いのある子供が増えてくれば、スクリーニング効果とは言い切れなくなる」 2巡目の検査で、ついに甲状腺がんが増加して44人となった。ユーリーが心配していたことが起きている。 ユーリーは「もう1つ忘れないでほしい」と言った。「ベラルーシ共和国では、放射線汚染の低いところでも甲状腺がんが見つかっている。福島県がI-131の汚染量が低いからと言って、安心しない方がいい」と言うのだ。 子供の甲状腺がんは転移が多い もう1回確認をとった。「甲状腺がん検診で見つかったがんについて、日本では、見つけなくていいがんを見つけたという意見もあるが、どう思うか」と聞いた。 「子供の甲状腺がんは、リンパ節転移する確率が高いのが特徴。ベラルーシ共和国で手術せず様子を見た例と、手術をした例とでは、子供の寿命は格段に違った。手術すれば、ほとんどの場合、高齢者になるまで健康に生きることができる」 「見つけなくていいがんを見つけた、なんて言ってはいけない。見つけたがんは必ず手術した方がいい。数年経過を見たこともある。すると、次にする手術は大きな手術になった」 (略) このユーリーの言葉と、重なる意見を言っている日本の専門家がいる。福島県立医大の教授、鈴木眞一氏。 県立医大で行った手術の72人の子供に、リンパ節転移があった。加えて、甲状腺外浸潤や遠隔転移を入れると、子供の甲状腺がんの92%が、浸潤や転移していたというのだ。 鈴木教授も、ユーリーと同じ考えだ。検診をやり、早期発見するようにし、見つけたらできるだけ手術をすること。これが大事な点だ。 「放射線の影響は考えにくい」と言い切れるか 北海道新聞によると、日本甲状腺外科学会 前理事長の清水和夫氏は、1巡目の検査で、せいぜい数mmのしこりしかなかった子供に、2年後に3cmを超すようながんが見つかっていることを挙げ、「放射線の影響とは考えにくいとは言い切れない」と言っている。 これもユーリー・デミチクと同じ考えである。彼は、甲状腺検査評価部会長を辞任した。こういう「空気」に負けない科学者がいることは心強い。 (略) きちんとしたデータも取らずに、福島県の県民健康調査検討委員会は「放射線の影響は考えにくい」と総括している。 チェルノブイリ原発事故と比べると、I-131の放出量が少なかった。チェルノブイリでは、小さな子供たちにがんがみつかったが、福島県では小さな子供にがんが多くはない。これが理由だ。 … Continue reading

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