判決要旨を読んだうえでの感想です。枝葉末節の整合性を、事実に基づかない仮定の上に積み上げてみせただけで、肝心かなめ、弁護団が発見したとんでもない法律の空白については触れていないのはなぜでしょう。不思議です。
子どもが毎日通っている学校。親は安全な場所だと絶対的信頼を寄せて、子どもを送り出したものです。学校が安全なのは学校環境衛生基準という法律があって、絶えず、最新の情報に入れ替え、見直しがされ、厳しく管理されているからなんだということを、規則を読んでみて、私も初めて知りました。憲法、教育基本法をこどもの現場で、こんな形で具体化して、子どもの安全を保証していることに、感心しました。
教師をしていた友人に聞いてみたら、そういえば、毎年検査が入っていたね、と教えてくれました。検査項目は多岐にわたっていて、温度、黒板の明るさ、水質、その他様々な有害物質の濃度基準値が全て数値で示されています。ネットで「学校環境衛生基準」と検索すれば、出てきます。お子さんのためにも一度のぞいてみてください。
放射能がばら撒かれて12年が経つというのに、放射性物質についての基準値が書かれていないと気づいた弁護団が指摘したのが事のはじまりでした。調べてみたら、本当にないのです。こんな過酷事故を想定していなかったから当然かもしれません。五重の壁に守られているから絶対事故は起きないと電力会社と一緒になって国も豪語していたのですから。それにしても、事故からすでに12年、文科省も、国会も知らんぷりとは、信じがたい怠慢です。異常な人権無視です。3.11の事故が起きてからの、子どもを持つ親の最大の心配ごとは放射能被ばくの一点でした。多くの親子が、何の手も打たない学校を見限って県外に避難したのです。いっときの除染をしただけで、作業員の基準である年20ミリシーベルトに放置し、何の手も打たなかったから学校に愛想をつかした結果です。残った人は、学校の善意を信頼したのだと思います。
弁護団は規則に放射性物質についての基準値がないことを裁判所に教え、整備されるまで、空白のまま放置するのは、子どもの安全上、許されないとして既存の法律(環境基本法)を根拠に暫定値を試算してみせました。すると現行の年20ミリシーベルト暫定値は、環境基本法が定める基準値の7000倍の死亡率に相当することがわかったのです。そんなところで、子どもを教育することの是非を、裁判所に判断せよ、と迫ったのです。子ども人権裁判の根本的命題です。
ところが判決文には反論もなければ、批判もない。無視しました。法の番人が法の空白を見過ごして、何を根拠に子どもが保護されているのか、いないのか、どうやって判定できるのでしょうか。長々とした説明になりましたが、司法への失望はまたもや絶望的なほど深いです。
三権分立不在!と叫ぶ気力すら奪われるような昨今の裁判劣化ですが、それにもめげずに、裁判に関心を寄せてしまうのは、裁判は私にとって、その分野の専門家の意見が聞けて、その上で自分の見解を持つことが出来る、市民にとっては貴重な学びの場だからです。恐らく多くの市民にとってもそうではないかと思います。勝ち負けももちろん関心がありますが、たとえ負けても、一層真実の所在が際立って理解でき、奮い立つのです。
被ばく。晩発性故に厄介な、核推進派にとってのカクレミノにされてきた事例を、多くの人に知ってほしい。考えられる限りの公害物資を学校環境衛生基準にしっかり組み込んでいるのに、なぜ、放射性物質だけが特別扱いか。放射性物質に対して、大人の5倍から7倍弱い子どもには、せめて学校内だけでも、基準値を決めて、子どもの安全を守らせねばなりません。司法があてにならなければ、親たちがこのことに気づいて声をあげられるように、裁判で学んだ私たちが、世論喚起に本気になって取り組むことが求められていると思います。(了)