(抜粋)
ツイッターなどでの局批判、そして米国で制作した原発ドキュメンタリーなどが波紋を呼んだ堀さんは、2013年3月18日NHKに、4月1日付での 退職届を提出した。J-CASTニュースは29日、都内で退職直前の堀さんにインタビューし、退職までの経緯、そして「これから」について話を聞いた。
原発事故は、取材するほど「人災」という部分が見えてくる
信念を貫いた硬骨の人――そんなイメージを抱いて待ち合わせ場所に赴いた記者だが、実際に会った堀さんは「イケメンアナ」の印象そのままのにこやかさ。一方でひとたびインタビューが始まると、ほぼまる1時間、熱っぽくメディアの未来を語り続けた。
――福島・原発をめぐる問題について関心を抱いたきっかけは?
堀 震災のちょうど2~3週間前、当時担当していた番組で、福島の一次産業を取材していました。当時の福島では、農作物のブランド化を進め てTPP参加に立ち向かうことを目指していました。ところがその直後に震災、そして原発事故があり、その生活は奪われてしまった。取材した身として悔しく て……イデオロギー的な反原発とは別に、もう2度とこんなことが起こってはいけない、ということを発信していきたいと思ったんです。
一方で原発事故は、取材するほど「人災」という部分が見えてくる。政府や電力会社、そしてパニックを恐れ、伝えるべきことを伝えられなかったメディ アのあり方。事故を通じて、日本が抱えるさまざまなひずみ、問題が見えてきた。これは取材するしかない、福島が復興する日まで関わらなくてはいけない。そ う決心しました。――退職にいたる経緯は?
堀 ツイッターでの発言など、僕の行動は局内でもハレーションを招くようになりました。特にUCLAで制作した映 画「変身」は、かかわっていた市民メディア「8bit News」に投稿された動画、そして僕自身の取材を合わせたドキュメンタリー作品でしたが、NHKはそれを「反原発映画」ととらえた。「内容が問題ではな い」としてはいますが、結局米国で予定されていた上映会は中止です。
こういうことがこれからも続くと思うと、もうNHKでは仕事はできない、NHKにいても自分の信じる発信はできないと感じました。幸い今はインターネットもあるし、いろんな発信ができる。そうして帰国から3日後、退職届を出しました。(略)
市民メディア「8bit News」が今後の拠点
――堀さんは2012年6月、評論家の宇野常寛さんらとともに、市民メディア「8bit News」を設立、運営主体としてNPOも立ち上げました。今後の活動は、この8bit Newsを軸にしたものになる?
堀 8bit Newsは、市民記者による動画ニュースを中心としたウェブサイトです。開設直後には一般の女性が、当時まだマスメディアがあまり報じていなかった官邸前 の脱原発デモの様子を撮影して投稿、1週間に10万再生を記録し、その後、相次いでテレビも取り上げるようになりました。また、会社を辞めて福島第1原発 の作業員になった方による、労働環境についての内部告発も掲載し、こちらも新聞などに取り上げられました。
全文は「NHKにいても、自分の信じる発信はできない」 退職した堀潤さん、メディアの未来語る
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