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『サマショール』遺言プロジェクト

福島原発事故から10年。 人類は放射能と共存できるのか? 二人のフォトジャーナリストが撮り続けた フクシマの終わることのできない物語。 ​映画『遺言 〜原発さえなければ』からつづく待望の第六章。 放射能に汚染され、すべての村人が避難した福島県飯舘村。震災から6年後、避難指示が解除されることになった。仮設住宅で暮らす元酪農家の長谷川健一さんは、ふるさとに戻るのか、決断を迫られる。そこで原発事故から30年が過ぎたチェルノブイリへ旅に出る。目にしたものは、人の消えた町と森に還った廃屋。しかし長谷川さんは、立入禁止区域に暮らす「サマショール(自主帰還者)」に出会う。それは未来の自分の姿…。   汚染された大地で「放射能との共存」を強いられる生活だが、それでもふるさと。100年後、200年後には子孫がこの地に戻るかも知れない。 その日のために今日も畑に蕎麦の種を撒く。「原発に負けないで 頑張ってください」。原発事故を苦に命を落とした酪農家仲間の『遺言』と、意志を受け継ぐ飯舘村のサマショールたちの第六章。 もっと読む。

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<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(1)外に出るな 汚染されている via 東京新聞

東京電力福島第一原発から北西に三十キロ以上離れた福島県飯舘村前田地区。ここで乳牛約五十頭を飼い、地区の区長もしていた長谷川健一さん(67)は東日本大震災四日後の二〇一一年三月十五日夕、地区の住民を集会場に集めてこう伝えた。 「家の外にはできるだけ出ない方がいい。畑の野菜も汚染されてっから、食べちゃなんねえ」。長谷川さんは、原発が極めて厳しい状態だと、東工大大学院で核物理を学び、役場で農政担当をしていた杉岡誠さん(44)=現村長=から聞いていた。 […] 汚染蒸気は風に乗って飯舘村がある北西方向に向かい、運悪く降っていた雨と雪とともに村内一円に降り注いだ。隣接する南相馬市や浪江町から避難してきた人たちもいた。昼ごろから放射線量が急上昇。前田地区では毎時一〇〇マイクロシーベルトを超えていたと後に知った。 「飯舘の酪農は駄目になるかもしんねえな」。長谷川さんは覚悟し、翌十六日朝、長男や孫らを千葉県の弟宅に送り出した。自身は牛の世話があるほか、区長としての務めもあり、妻の花子さん(66)と残った。苦しい年月の始まりだった。 全文

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Five Years On-Voices of Fukushima via Peace Boat

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