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この国に、女優・木内みどりがいた

<14>原発について「無知」を恥じた理由 via 毎日新聞 女優の木内みどりさんを政治的、社会的行動に駆り立てた最大のきっかけは、2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故だった。それにしても、「芸能界で仕事を干されるかもしれないのに……」と疑問に思う人もいるだろう。夫の水野誠一さん(74)が、背景にある「アナザーストリー」を教えてくれた。【企画編集室・沢田石洋史】 (略) 水野さんは東京生まれだが、父の成夫(しげお)さんは同県浜岡町(現御前崎市)出身で、産経新聞の社長を務めたり、フジテレビを設立したりした財界人。1960年代、中部電力浜岡原発の地元誘致に一役買った人物でもある。水野さんは01年当時をこう振り返る。  「9人の市民が訪れ、知事選に出馬して静岡空港の建設に反対してほしいと依頼されました。山の上を切り開いて空港を造ること自体が自然破壊であり、建設予定地の上空は『飛行機銀座』と言われるぐらい航空路線が集中して危険だし採算も合わない、と。僕も空港は必要ないと思っていました。だけど、僕の一番の関心事は、東海地震が起きた時に、父が誘致に協力した浜岡原発がもつのかどうかということでした」 (略) 水野さんの父はどんな経緯で浜岡原発誘致に協力したのだろうか。 夫は浜岡原発の安全性疑い立候補  「9電力会社全てが原発を一つ造るというのが当時の国策でしたが、中部電力管内は、候補地で反対運動が起きて実現していない。そこで、ある財界人に父は『君の郷里である浜岡に造らせてもらえないだろうか。核の平和利用であり、浜岡に新しい産業が誘致され、安全も絶対確保される』と頼まれ、手を貸してしまった。そして父は、原発を誘致した『地元の恩人』として扱われてきたのです」 しかし、95年1月の阪神大震災で「安全神話」が崩れる。この年夏の参院選に新党さきがけ(当時)から比例代表で立候補し初当選した水野さんは、原発の安全性に疑問を抱くようになった。例えば、00年11月の参院経済・産業委員会で、「安全確保」などを名目に原発立地自治体への補助金をかさ上げする法案が審議されると、水野さんは国側にこんな質問をぶつけている。  「安全対策という点において従来の施策というものがやっぱり何か足りなかった、不足だったというふうにお感じになっているのか。感想をうかがいたい」  答弁内容は、99年に核燃料加工会社「ジェー・シー・オー(JCO)」(茨城県東海村)で起きた臨界事故を機に、「地域ごとの防災計画が今見直されている」などというもので、質問とかみ合っていない。  水野さんは「経済産業省や中部電力の担当者に説明を求めると、みんな口をそろえて『絶対大丈夫です。マグニチュード8の地震でも耐えうる強度がある』と言う。でも、阪神大震災では『絶対安全』と言われていた高速道路が倒壊し、『絶対』の根拠は全くなくなった。浜岡原発で大きな事故が起きると、新幹線が止まり、日本が分断され首都圏も居住できなくなり、経済は成り立たなくなる」。そう考えていたとき、知事選への出馬要請を受けたのだという。 (略)  水野さんは5月29日に立候補を正式表明。記者会見で浜岡原発についてこう述べている。翌30日の毎日新聞静岡県版は要旨を次のように伝える。  <心配なのは東海地震が起きた時。断層などの位置が正確に把握されるようになり、浜岡町は非常に危険な場所であることは間違いない。中部電力は浜岡原発は絶対安全というが、災害には絶対はなかなかありえない。知事の立場で安全性を再確認していきたい> 木内さんは「原発は選挙のプラスにならない」  夫の知事選出馬に当初反対していた木内さんが、応援することに転じた理由について、彼女は14年にウェブサイト「マガジン9」編集部のインタビューにこう答えている。  <水野は、浜岡原発を止める「いいチャンスだ」と、せっかくチャンスがあってお願いされているのに、「僕は逃げるわけにはいかない」と言ったんですよ。それはやっぱり、「人としてかっこいいな」と思ったので、わたしもひと夏、ものすごく頑張ったんです> (略) 木内さんは01年当時、原発の危険性について全く考えていなかったという。知事選の投開票日は7月29日。静岡空港の建設を推進し自民、公明などが推薦する現職が102万4604票を得て3選を果たした。支持基盤のない無所属の水野さんは、田中康夫長野県知事(当時)や堂本暁子千葉県知事(同)らの支援を受けたが、56万8008票で落選した。 「原発はあってはならない発電手段」  その10年後、福島第1原発が爆発する。木内さんは「あなたが言っていたことは本当だった。私は無関心で無理解だった」と話したという。水野さんは「3・11後の木内みどり」についてこう解説する。  「原発はあってはならない発電手段であると認識し、自身の無関心を恥じて、彼女は自ら勉強し始めました。世界から原発をなくすために自分に何ができるかを考え、行動するようになった。次第に彼女は、原発が造られる以前に日本は被爆国であり、他の国にはない悲惨な経験があったことに思いをはせるようになった。そこから原爆をなくすための行動を始めました」  その一つが、この連載で紹介した原爆絵本「おこりじぞう」の朗読会である。水野さんは続ける。  「原爆に関心を持つと、その背後にある戦争と平和の問題や、憲法9条に興味を持つようになった。戦争体験から生まれた9条がいかに重要であるか、と。彼女は一つ一つのステップを自分で納得しながら慎重に踏んで、関心を広げていく。しかも、生半可な理解ではありません。謙虚な姿勢で学んでいた。戦争反対を訴えるようになりましたが、原発反対が全ての出発点だったんです」 全文は<14>原発について「無知」を恥じた理由

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避難中の11歳男子が「アベ政治を許さない」とデモに参加した姿に涙!――木内みどり×広瀬隆対談【前篇】via ダイヤモンドオンライン

(抜粋) 広瀬 ご主人の水野誠一さんが静岡県知事選に出られたとき、浜岡原発停止を訴えていたことは知っていたのですが、水野さんと木内さんが、僕の頭の中では結びついていませんでした。 木内 14年前、水野が静岡県知事選に出たときに、候補者の妻として暑い暑いひと夏、朝から晩まで一緒に走りました。 あのとき、どこへ行っても水野が「浜岡原発を止めたい」と言うのです。すると、聞いている人たちが「厄介な話を始めたな……」とシラケて、引かれてしまうことに気がつきました。 当時の私は、原発についてまったく理解していませんでしたから、 「ねぇ、原発の話はやめましょうよ。みんなシラケるでしょう」 なんて言うほど無知でした。 広瀬 事故が起きるまで、多くの人が原発は安全だと思っていましたから。 木内 じつは、水野の父が浜岡に原発を誘致した人なのです。 当時の多くの人たちと同じように「原子力 明るい未来のエネルギー」と考えていたのでしょう。 しかし、チェルノブイリで原発事故が起きました。水野は驚いていろいろ勉強しまして、「父が生きていたら絶対に止めたいに違いない」と思い、原発に反対するようになりました。 (略) ロンドン、ニューデリーで 反原発スピーチ 広瀬 木内さんは外国も走り回っていますね。イギリスの日本大使館の前でスピーチしたという「東京新聞」の記事を見て、ビックリしました。 木内 なんだか、あれよ、あれよという間に、そういう流れになっちゃったのです。私も逃げるわけにいかないと思ってスピーチしました。 そうしたら、「東京新聞」と「中日新聞」のヨーロッパ総局長がやってきて、記事にしてくれました。 「木内みどり、英国の日本大使館の前で日本政府を批判」って。 あれから私も、覚悟しないとダメだなと思いましたけど(笑) 広瀬 筋金入りだ。そのあとはインドのニューデリー? 木内 ニューデリーで、たまたま2日間、時間が空きました。 私、何もしないのは時間がもったいないから、ニューヨークに住んで原発のことをやっている友達と、ロンドンに住んで原発のことをやっている友達2人に、「ニューデリーで脱原発運動をやっている人を紹介して」とメールをしたら、2時間後に2人とも同じ人物を紹介してくれたのです。会いにいったら、その人は日本から反原発の活動家が会いにくると思ったみたいです。 私が女優だとわかるとびっくりしていました。それで、ニューデリーでも英語でスピーチしちゃって。自分でも、変わった人生を歩んでいるなあと思います。 広瀬 行動力がありますね。 でも、木内さんだけでなく、いまの日本中の運動を見ていると、リーダーが率いる運動ではなく、どこの土地でも一人ずつが知恵をしぼって、次から次へと勝手に行動を起こして、私も追いつけないほど、集会やデモや、ハンストが行われています。 このような個々の人の、個性的な、自分の年齢と、体験からにじみ出てくる活動力が、まったく衰えないというのは、たいしたものです。 全文は避難中の11歳男子が「アベ政治を許さない」とデモに参加した姿に涙!――木内みどり×広瀬隆対談【前篇】

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木内みどりさんに聞いた (その1)「脱原発」のため、 私がやれることは何でもやる via マガジン9

福島第一原発の事故後、各地の脱原発集会やデモで、司会やスピーチに飛び回っている女優の木内みどりさん。「脱原発のためなら、私にできることは 何でもやる」と語る、その強い思いの源泉はどこにあるのか。3・11以前を振り返りつつ、お話しいただきました。 (略) 木内 きっかけは3・11です。福島第一原発事故後、何が起きているのか、原発がどうなっているのかもまったくわからなくて外出もできず、悶々としていた時期 があったんですね。そのときに「たね蒔きジャーナル」(MBSラジオ)の小出裕章さんのお話を聴くようになって、そこだけおいしい酸素があるみたいに感じ て、毎日聴いていたんです。iPhoneにも落として、何度も何度も繰り返し聴くうちに事の次第がだんだんわかってきて、それと同時にテレビのニュースも 新聞もあまり信じられなくなり、ウェブでの情報を拾うようになっていったんですね。 そうして半年くらい経った頃でしょうか。小出さんが、原発政策は「国を挙げてやってきたことだから、騙されてもしようがないけれど、騙されたあなたにも 責任がある」と。「騙されたことを認識しないと、また騙される、また事故が起きる」ということをおっしゃっていて、その言葉にハッとして「私にも責任があ るんだ」というふうに自覚したんです。 というのは、私の夫の水野誠一は、2001年の静岡県知事選に出ているんですね。私はそのときは政治のことなんか何もわからないし、最初は「絶対嫌 だ!」と大反対したんですけれど。どうして彼が県知事選に出たかったかというと、彼の父親の水野成夫は、静岡県の浜岡町(現在は御前崎市の一部)の出身 で、フジテレビを設立したり、産経新聞の社長をつとめたりしたのですが、1960年代に浜岡原発の誘致をするときに協力した人なんです。ところがチェルノ ブイリの原発事故が起きたことで、息子である水野は「浜岡だって危ないんじゃないか」と危機感を持って勉強をし出したんですね。 (略) 木内 はい。静岡空港建設反対と浜岡原発停止を言ったんですが、浜岡の話をすると、場がシラーっとなって、人がすーっと引くのがわかるんですよ。私もそのとき は原発のことをまったく理解していなかったから、側で聞いていて「また難しい話をし出した」みたいな。「ねえ、浜岡の話題はやめない?」なんて言っていた くらい、わかっていなかったんですよね。 結局、選挙は現職にダブルスコアで負けて、そのとき身に沁みたのは、有権者のみなさんの県政への無関心ぶり。私は原発の話はしなかったけれど、福祉政策とかいっぱい訴えたんです。でも、全然手ごたえがなくて、この無関心ぶりはすごいなって。 (略) 木内 事故が起きてから「ああ、本当に起きちゃったんだ…」と。そこに小出さんの「あなたにも責任がある」という言葉が心に響いて、静岡県知事選のときに、も う少し原発の問題を理解して動いていたら、ちょっとは違っていたかもしれないという思いが、一気にわき上がってきたんですね。「私にも責任がある」って気 づいてしまったんだから、「できることは全部やるぞ」と決意したのが、今やっているいろいろな活動のはじまりです。 (略) 木内 ツイッターで発信したり、脱原発集会に参加したりしているうちに「司会をしてください」とか「官邸前抗議でスピーチをしてください」とか、そういう機会がだんだん増えていきました。 その流れで、この4月にロンドンの日本大使館前での脱原発集会で、英語でスピーチというのを大胆にもやってしまったんですけれど(笑)。その脱原発集会 では、キャサリン・ハムネットという著名なデザイナーもスピーチをして。30年くらい前、彼女が来日したときに私は雑誌で対談をしているんです。そのとき 彼女がプレゼントしてくれたTシャツには「WORLDWIDE NUCLEAR BAN NOW」というメッセージが大きなロゴで書いてあって、かっこい いTシャツなんですけれど、当時はそのメッセージが全然わからず、わかろうともせず着ていたんですよ。 それで3・11後に、「あっ」と思ってTシャツを見てみたら、「全世界のすべての核を今すぐ禁止せよ」という意味だったことに気がついたんです。そこで また、彼女がこれをくれた30年前に、今やっているように全身全霊で反対運動をしていたら、原発をめぐる状況はどうなっていただろうという思いが、ますま す自分の中で強くなっていったんです。 (略) あとはアメリカに「NUCLEAR HOTSEAT」という大きなウェブサイトがあって、これはスリーマイル島の原発事故後に立ち上がったサイトなんですね。そこが3・11の3年目に、ポッドキャストで福島特集を世界に発信するというプロジェクトを組んだんです。それで小出さんや山本太郎さんや水野の他、私も「インタビューに答えてください」と言われて、「私ごときが」とためらったのですが、自分の気持ちを喋ればいいんだと思ってお話ししました。 編集部 木内さんの、脱原発を訴える活動は、日本国内だけでなく、世界にも広がっているんですね。 … Continue reading

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3.9~11は「つながろうフクシマ!さようなら原発大行動」via さようなら原発1000万人アクション

さようなら原発1000万人アクションでは、東日本大震災・福島第一原発事故から2年となる3月11日にかかる3日間を「つながろうフクシマ!さよ うなら原発大行動」と位置づけて、首都圏で集会や講演会を開催し、全国にも同時アクションを呼びかけます。(開催情報など、ぜひご一報ください)。また、首都圏や福島で開催される集会にも協力します。 ※このページは新しい内容が決まり次第、更新されます。 ■三月九日大集会へのアピール ■Appeal3.9 ●3月9日 (土)「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」 ●3月10日(日)「0310原発ゼロ☆大行動」 ●3月11日(月)「つながろうフクシマ!さようなら原発講演会」 ●3月23日(土)「原発のない福島を!県民大集会」 ●3.9~11「全国のアクション」 […] 3月9日(土)「つながろうフクシマ!さようなら原発大集会」 日時:3月9日(土)11:00~ 会場:東京・明治公園 (JR「千駄ヶ谷駅」5分、地下鉄「国立競技場駅」2分) 動画「明治公園への行き方」 ※2011年9月19日の集会のときにつくっていただいたものです。 内容:11:00 開場(出店ブース開始) 12:00 オープニングライブ 日本音楽協議会(日音協) 【第一部】司会:上泰歩さん、菱山南帆子さん 12:25 リレートーク 小島力さん(福島県葛尾村) 満田夏花さん(eシフト) 伴英幸さん(原子力資料情報室)、 Misao Redwolfさん(首都圏反原発連合) 富山洋子さん(日本消費者連盟) 花田惠美代さん(元祝島島民・祝島島民の会からのメッセージ代読) 金城吉春とアシビナーズ(踊りと歌「エイサー」) 大石光伸さん(東海村から) 東井玲さん(浜岡から) 小野有五さん(北海道から) 山田清彦さん(青森から) 芝口正武さん(福島県浪江町)から 13:25 集会オープニングライブ リクルマイ 【第二部】 14:00~15:00 集会 司会:木内みどりさん 黙祷 <集会発言者> 鎌田 慧さん … Continue reading

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