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スイス人ジャーナリストが見た福島とチェルノブイリ 世界最悪の二つの原発事故から何を学ぶのか スーザン・ボースさん via Actio

2012年12月、スイスのジャーナリスト、スーザン・ボースさんは福井や福島を取材するために来日した。福島は今回で4回目。チェルノブイリ原発事故被災地を長年取材してきた彼女の目に、日本の現状はどのように映ったのか。(インタビュー2012年12月9日) (通訳=アトムフリー・ヤーパン代表・高田知行  聞き手=編集部・温井) プロフィール▼スーザン・ボース(Susan Boos) スイスのリベラル系週刊新聞「WOZ」の共同編集長。ジャーナリスト養成専門校で講師も務める。1992年、ウクライナのチェルノブイリ原発事故被災地を 訪れ、95年に現地で本格的な取材を開始。96年、チェルノブイリ10周年にあわせて書籍を刊行。東電原発事故後の2011年に来日し、福島現地や市民団 体、東京電力などを取材し、昨年『FUKUSHIMA LÄSST GRÜSSEN-Die Folgen eines Super-Gaus(福島からのメッセージ~福島原発事故・大惨事で何が起きたのか)』を出版。 (抜粋) 避難については、ソ連は全体主義国家だったので、官僚や行政が住民を強制移住させました。たとえばプリピャチの5万人の住民は、80キロ先のキエフに強制避難するなど移動先も決定されていたわけです。 ただしキエフで避難民はひどく嫌われていました。なぜなら社会主義国家で住宅を得るには、政府に申し込んで何十年と待たされるからです。ようやく順 番が回ってきたと思ったら、突然プリピャチの避難者が入居してしまった。だから彼らは現地住民からひどく疎まれ、両者の間では激しい対立が続きました。強 制移住で運命を決められた人たちは非常に苦しい境遇にあったと思います。 一方、日本は民主主義国家ですからこのような強制的手段はとれません。ただし放射能で汚染された地域では、基本的に自主避難を望む人たちに対しても選択の権利ときちんとした補償がなされるべきでしょう。 見逃してはならないことは、放射線被ばくの上限値が、環境や健康など広い意味での「エコロジー」の観点から設定されたことは一度もないということで す。常に「エコノミー」、経済的な観点から「賠償・補償をどの範囲、どのコストレベルで抑えるか」の物差しが用いられるのです。 記事の一部はスイス人ジャーナリストが見た福島とチェルノブイリ 世界最悪の二つの原発事故から何を学ぶのか スーザン・ボースさん

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3・11から1年、「低線量被曝との終わりなき戦いは続く」via Swissinfo.ch

「3・11」からまもなく1年。しかし原発事故による放射線被害は改善を見ないままだ。「低線量被曝と戦う親や子どものストレスは並大抵のものではない。しかもそれに終わりはない」と、スーザン・ボース氏は語る。 ボース氏は、左派の重要なスイスの週刊新聞「ヴォッツ(WOZ)」の編集長。昨年2回福島県を訪れた。その計40日間にわたる滞在で、東京電力や福島県庁 の関係者、南相馬市や飯館村の村長、さらに多くの県内の一般市民と対話を重ね、今年1月末に福島についての本を出版している。 (中略) swissinfo.ch : そのほか、チェルノブイリと福島で、違いに驚いたことがありましたか? ボース : ウクライナでは、福島のように避難すべきかどうかを個人で悩むことはなかった。年間線量10ミリシーベルト以上の所は強制避難。つまり旧ソ連体制だったため、有無を言わせず「全員すぐに移動」と決行した。 ま た、一般市民の保護においても、ウクライナの方が優れていたと思う。例えば汚染された地域の学校では、汚染されていない地域から食品を輸送させ何年間もそ れだけを使用し、朝、昼、晩三食を学校で食べさせた。こうすれば子どもたちに、内部被曝は起こらないからだ。家では、大人たちが(貧しいが故に)家庭菜園 のものや森のキノコなどを食べていたが。 ところが福島では今でも子どもたちに地域の産物を食べさせている。それには驚いた。また現在、 食品に含まれる放射性物質の量は1キログラム当たり500ベクレルと高い。今年4月から100ベクレルに下げられると聞いたが、なぜ事故直後に100ベク レルにしなかったのか、それも理解に苦しむ。 民主主義国家の方が、個人の意思を重視するが故に原発事故が起こった場合は複雑になるのかと思ったりする。 全文は3・11から1年、「低線量被曝との終わりなき戦いは続く」

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