Tag Archives: 自主避難

仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地 via 東京新聞

東京電力福島第一原発事故の後、福島県内の旧避難指示区域外から逃れた人たちは「自主避難者」と呼ばれ、さまざまな支援の外に置かれた。同県郡山市から川崎市に母子避難した松本徳子さん(59)もその1人だ。自主避難者への住宅無償提供が打ち切られた後、自死を選んだ同郷の母親もいた。 「避難をした人、しない人。それぞれの選択が尊重される社会を願ってきたが、かなわなかった。不条理です」と自主避難者の現状を見つめる。(安藤恭子) ◆いないことにされる私たち  「五輪に向け、福島は今『復興』の一色。その一方、私たち区域外避難者はいないことにされ、この国は原発をやめようとしない」。3月10日夕、横浜・象の鼻パークで開かれた東日本大震災の追悼イベント。松本さんが聴衆に語りかけた。「この10年で何かが変わった、とされることには憤慨しています」  松本さんが生まれ育った郡山は、福島第一原発から約60キロ離れている。当初は避難するつもりはなかったが、震災の3カ月後、当時12歳の次女が大量の鼻血を出し、吐き気や下痢をもよおすようになった。「少しでも被ばくしない所へ」。自営の夫を残し、2011年秋に川崎市に移転した。  17年3月、自主避難者への住宅の無償提供政策が打ち切られたが、郡山には帰れなかった。「自宅の庭にはまだ汚染物が残っていたから。娘も体調を崩した怖さを覚えている」と松本さん。除染は進んでも、放射線量が高い場所や食べ物は存在する。次女は川崎で高校を卒業し、就職した。 (略) ◆声を上げられなかった人たちの分まで  16年にできた「避難の協同センター」(東京)の代表世話人に就き、自主避難者らの相談に応じてきた。17年5月、相談者の1人で郡山から母子避難していた女性が自死をした。「睡眠剤をのんだから、またね」。電話で話したのが最後だった。  女性は仕事を掛け持ちし、自分の物を切り詰めて子どもたちの学費を貯金していた。家族に母子避難を反対され、自分を責めてもいた。「頑張っていた彼女を、貧困が追い詰めた。住宅無償提供の打ち切りを決めた国や行政の選択は間違いだ」。五輪を前に自主避難者をなかったことにする「見せ掛けの復興」がうたわれている。松本さんの目には「棄民政策」と映る。 (略) 2月の地震でも原発事故の恐怖はよみがえり「このままでは帰れない」と心に決めている。戻れば、福島が大丈夫と認めることになるからだ。「子どもたちに、原発が安全なエネルギーと思ってほしくない。同じ過ちを繰り返さないため、声を上げられなかった人たちの分まで、おかしいと言い続けなければと思っているんです」 全文は仲間の自死、見せかけの復興「このまま戻れない」…原発事故「自主」避難者たちの不条理な現在地

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「今、幸せ。でも」 福島からの避難者 思い語ると「風評かも」 それでも伝えたい感謝【#あれから私は】/兵庫 Yahoo!ニュースJapan

東日本大震災の発生から11日で10年を迎える。「節目」という言葉が使われることもあるが、福島第一原発事故の影響で9年前に福島市から兵庫県に避難移住した松尾誠さん(40歳、仮名)は、「節目という言葉に違和感がある。『原発事故は今も続いている』。でも、こう言うと福島で暮らす人にとっては、『風評』ととられかねない。年々、思いを話すのが難しくなりました」と複雑な心境を吐露する。それでも取材に応じたのは、故郷から遠く離れた土地で温かく迎えてくれた人たちに思いを告げたいから。「本当に兵庫に来てよかった。10年目に思うことは地元のみなさんへの感謝です」とほほ笑む。  朗らかに笑い、冗談も大好き。だが、震災の話題になると表情が曇る。  「もう二度と家族に会えないかもしれない。本気でそう思いましたね」  郷里から届いた地元新聞に目を落としながら松尾さんがつぶやいた。脳裏には10年前の光景がよみがえる。 […] ◆まだ避難してるの  え、まだ避難してるの―。  10年がたち、郷里からそんな言葉を間接的に聞いたことがある。避難していた人たちの中にも福島に戻る人が出ている。  しかし、「まだまだ線量が高いところがあるし、除染が済んでいないところもある。何より原発の廃炉作業はいまだ途中で、今年2月の地震でも格納容器の水位が低下した。水を入れて冷やし続けないと、また爆発するかもしれない。怖くて戻れません」と話す。  一方で、そこに生きている人がいる。「当時、自分たちは30代。動きやすかったから避難できたけれど、動けなかった人もいる。もちろん、なんともないと思った人もいる。そんな人たちが、自分が言っていることを聞いたらと思うと。こういうことを話すとき、いつも頭のどこかに悲しい顔が浮かびます」  復興、原発、風評、避難、風化―。さまざまな問題が絡み合い、どの言葉も安直に言えない状況は、時間がたつにつれ、より鮮明になっている。  「自分は今、幸せです。でも、いつも心に引っ掛かりがある」 ◆「自主避難者」  松尾さんが暮らした福島市の地域は、国の避難区域には指定されなかった。そのため自主的に避難した松尾さん一家は、国の「避難者」の数に入っていない。あくまで「自主避難者」だ。  「避難する権利」を勝ち取ることや事故の責任を明確にするため、松尾さんは東京電力や国を相手にした集団訴訟の原告に名を連ねている。  「裁判結果に一喜一憂したくなかったし、振り回されたくない思いで、最初は原告にならなかった。けれど、これからも災害は絶対に起きる。どこかが第二の福島になるかもしれない。そのためにも、あの時、何が起きたのか。津波は予見できなかったのか。裁判を通してはっきりさせないと、何もなかったことになってしまう。将来のために、これだけはやっておきたい」  冗談交じりに「ひっそりと暮らしたい」という人が、真剣な面持ちで言った。 ◆親の将来考え  5年前、松尾さんは記者に言っていた。  「なくしたものや手放したもの、手に入るはずだったもの。そればかり考えてきたけれど、5年たってやっと、ここで得られたもののことを思えるようになった」  今、改めて心境を問う。  「自分の将来、そして、遠く離れたところで暮らす親や実家の将来を考える日々。どうしたものか」  そして、「ただ、家族で暮らす当たり前の大切さは、今もずっとかみしめています。これも当たり前ですけど、妻と一緒に子どもが一人前に育つのを見守るのが最優先です。当たり前ですけどね」と笑った。 全文

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少数派だからこそ声を 原発事故で避難生活送る森松さんvia朝日新聞

 目に見えないものとの戦いで平和な日常が突然奪われていく。「まるで原発事故後をなぞるようだ」。今年、新型コロナウイルスが感染拡大していく様子を目の当たりにしながら、そんな思いを強くした。  感染者や医療従事者らへの差別やいじめ。2011年3月の東京電力福島第一原発事故後に起きた、福島県の人たちへの心ない行為と重なって見える。「この国は何も変わっていないのではないか」 […] それから9年半たった。自身は大阪市内で事務職として働く。夫は月に1回、福島から夜行バスに乗って会いに来る。「まさかこれほど長い別居生活になるとは思わなかった」  幼い頃は父親と別れるたびに泣いた子どもたちも中学生と小学生になり、涙を見せなくなった。福島県内の放射線量は徐々に下がっているが、事故前の状態には戻っていない。「野球とサッカーに打ち込んでいる子どもたちを、何の心配もなく外で活動させられる状況ではない」  住んでいた郡山市は福島第一原発から60キロ離れており、強制的に避難を求められる区域でもなかったため、避難せずに住み続けている人の方が多数だ。自分なりの選択で避難を決めたとたん、社会の「少数派」になった。「本当は誰にでも起こりうる。少数派だからこそ、多数派以上に声を上げていかなければ」との思いに揺らぎはない。  「放射能から逃れ健康を享受することは、基本的原則です」。18年3月19日、スイス・ジュネーブの国連人権理事会に赴いて意見を述べた。持ち時間は2分。原発事故による被害者をもう一人も出したくないという思いを英語で訴えた。  同年7月には、参議院特別委員会に参考人招致された。仕事の合間を縫い、東京電力や国に損害賠償を求める集団訴訟の関西原告団代表を務める一方、体験を少しでも伝えたいと講演活動を続ける。  来年3月で原発事故から10年がたつ。「私たち家族だけでなく、多くの人がまだ各地で避難を続けている。原子力災害による被害を『なかったこと』にされたくない」(白木琢歩) 全文

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<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(5)分からない不安 via 東京新聞

福島県いわき市から愛知県豊川市に移って二年、三年とたち、根本美佳さん(51)の生活は軌道に乗り始めた。ただ、小学校に通う一人娘の未結(みゆう)さんの体を案じる気持ちは消えなかった。 「いわきで被ばくさせたかもしれない」と思っていたからだ。特に心配だったのが放射性ヨウ素による甲状腺内部被ばく。チェルノブイリ原発事故で甲状腺がんが多発した原因とされる。 いわきの自宅は福島第一原発の南五十キロ。避難区域から外れた。自主避難を選択したが「娘の体は大丈夫」と確信を持てなかった。  政府は二〇一一年三月二十三日、緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム(SPEEDI)の推計結果を公表した。同日までに甲状腺内部被ばくが一〇〇ミリシーベルトに達した可能性のある地域は原発から南にも広がり、根本さんの自宅近くまで伸びた。  汚染の拡散前に避難すれば被ばくは防げるはずだった。しかし十一日の震災後、停電で原発の情報が入らなかった。給水場などに行くため未結さんと屋外に出る時間も多かった。避難の開始は十五日。原発で既に三度の爆発が起きていた。  避難を選択したことで、「娘といわきの友だちを引き離した」と負い目があったが、避難が遅れたという後悔も持ち続けてきた。  実際の被ばく線量はのどに測定器を当て、甲状腺に集まる放射性ヨウ素の量をつかむことで確認できる。しかし政府が調べたのはなぜか千八十人だけ。未結さんは対象から漏れた。 続きは<ふくしまの10年・母と娘 自主避難という選択>(5)分からない不安

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「復興必ず果たせる」 ローマ教皇 原発避難者らへ祈りvia 東京新聞

来日中のローマ教皇(法王)フランシスコは二十五日、東京都内で東日本大震災被災者との集いを開き「多くの人々が被った悲しみと痛み」への祈りを呼び掛けた。地震、津波、東京電力福島第一原発事故の「三つの大規模災害」と呼び「放射線の長期的な影響など継続的な問題」があると指摘しながら、復興は力を結集すれば「必ず果たせる」と訴えた。  震災によって大勢の死者・行方不明者が出て「日本全土と全国民に影響を及ぼした」と指摘。今も仮設住宅で暮らし、自宅に帰れない人々がいると強調した。  原発事故で福島県いわき市から東京に自主避難した高校二年の鴨下全生(まつき)さん(17)は教皇に先立ち自らの体験を語り「僕たちの苦しみはとても伝えきれない。だから残酷な現実でも目を背けない勇気が与えられるように共に祈ってください」と話した。教皇は演壇で目をつむり、約二十秒間の祈りをささげた。会場には被災者や支援者ら計約三百人が集まった。  教皇は、田畑や森林が汚染され長期的な問題を突き付けられている人が少なくないと強調。「惨劇に遭った被災者」が必要な支援を受けられるよう呼び掛けた。  原発事故に関し「科学的、医学的な懸念に加え、社会構造を回復するという途方もない課題がある」と指摘。「地域社会が再び築かれ、人々が安全で安定した生活を送れるようにならなければ福島の事故は完全解決されない」と述べた。  また「立ち止まり、振り返ることも大切だ」として、過度の科学技術への依存を戒めた。  集いでは鴨下さんのほか、岩手県宮古市の津波で園児を亡くした幼稚園園長、加藤敏子さん(60)や、被災者の心のケアを続ける福島県南相馬市の住職、田中徳雲さん(45)も証言した。 […]  小学二年の時に起きた原発事故で、福島県いわき市の自宅は放射線量が急増。避難先の東京都内の小学校では、すぐにいじめが始まった。転校したが、いじめは続く。鉛筆で太ももを刺され、階段から突き落とされたことも。「このまま死ねたら相手の立場を悪くできるかな」とも考えた。  出自を伏せて中学に進むと、平和で幸せな生活が訪れた。しかし、親友にすら真実を明かせず、原発問題を討論する時も「一般的」な意見しか言えなかった。本当の自分を誰にも見せられない-。鬱屈(うっくつ)した気持ちで心が砕けそうだった昨年、支援団体に勧められ、教皇に手紙を出した。返信で届いたのは謁見の招待状だった。 […] 再会の場となった二十五日の集会。少し緊張した面持ちで「親愛なるパパさま」と切り出し、避難生活で「死にたいと思うほどつらい日々が続いた」と改めて証言。「原発は国策。維持したい政府の思惑に沿って賠償額や避難区域の線引きが決められ、被害者の間に分断が生じた。傷ついた人同士が隣人を憎み合うように仕向けられてしまった」と述べ、こうした被害を乗り越えられるよう祈ってほしいと訴えた。集会後、「思いは伝わったと思う」と報道陣に答えた鴨下さん。教皇からは「覚えていますか」と尋ねられたといい、「自分の方が聞くところなのに。感動した」と興奮気味だった。 全文

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裁判感の忌避申し立て 尋問却下で被告 山形地裁via山形新聞

東京電力福島第1原発事故後、福島県から自主避難して米沢市の雇用促進住宅に入居した世帯が、無償貸与打ち切り後も家賃を払わず住み続けているとして、管理する独立行政法人が住人に立ち退きなどを求めた訴訟の第10回口頭弁論が18日、山形地裁であった。準備書面の提出を経て結審したが、被告側は本人陣音を却下した裁判感を担当から外す忌避を申し立てた。 […] 訴状によると、2017年3月末に無償貸与が打ち切られた後も雇用促進住宅に家賃を払わずに住み続けているのは「他の避難者との公平公正の観点から容認できない」として、8世帯(うち2世帯は退去)に立ち退きと家賃の支払いを求めている。被告側は契約相手は福島県で、原告の請求は不当としている。 全文

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原発避難の16歳、ドイツの学校で法王への手紙朗読 via Yahoo! ニュースJapan (Alterna)

鴨下全生(まつき)さん(16)は、東電福島原発事故後の避難生活で死にたいと思ったほどの苦悩を記し助けを求める手紙を、フランシスコ法王に送り、3月20日にバチカンで謁見することができた。その前後にドイツで8ヶ所の学校に招かれ、手紙を朗読した鴨下さんに、生徒たちからは激励や感謝の言葉がかけられた。鴨下さんは「ドイツには民主主義がちゃんとあり、高校生が活発に議論していてすごいと感じた」と語った。(独アヘン=川崎陽子) […] 遠くの中学校に進学してからは、避難者であることを隠し続けたのでいじめられなくなり、友人もできて毎日が平和になった。その一方で、親友を作りたくても本当の自分を語れない自分が許せなくなり、次第に心が砕け散りそうになっていった。こうした一連の体験と思いの丈をつづったローマ法王宛ての手紙が、バチカンでのフランシスコ法王謁見につながり、日本やフランスの新聞が報道してくれた。 鴨下さんは、法王謁見の前後にドイツで8ヶ所の学校から招かれ、10代の550人余りの生徒たちが法王に宛てた手紙に感銘を受けた。手紙の最後の部分は、鴨下さん自身が日本語で読み、拍手喝采を浴びた。 「僕の本当の望みは、きっと、ごく普通に隠し事の無い社会で平和に暮らしたいということだけなのだと思います。でも、原発事故被害者は、今の日本の社会の中で、何かに目をつぶり、耳を塞ぎ、口を閉ざさなければ、安全に生きていけません。こんな歪んだ世界から、どうか僕たちを助けてください」 どの学校でも、この手紙のドイツ語訳を朗読したいと挙手する生徒たち、朗読を聴きながら泣いている生徒たちや、授業が終わって全生さんに感謝と励ましの言葉を直接伝えにきた生徒たちがいた。「ドイツの報道では知ることができない当事者の貴重な体験談を、本人から聞けてよかった」という感想が、圧倒的に多かった。 学校訪問は主に、ドイツ北部のハインリヒ・ベル財団シュレスヴィヒ・ホルシュタイン州支部が毎年開催している「アクション週間:チェルノブイリとフクシマ後の未来のために」という行事の一環だった。母と弟と共に招かれた鴨下さんは、1986年に起きたチェルノブイリ原発事故の被害者であるベラルーシ人とウクライナ人と一緒に、学校や議会、市民団体などを訪問した。 アクション週間に参加した学校は様々で、放射線と内部・外部被曝の授業の一環として、中三の物理の教師たちが毎年参加しているギムナジウム(小5から高3まで一貫の進学系公立校)もあった。日本が大好きな知的発達がやや遅い生徒たちの学級からも招かれ、手作りのお菓子でもてなしてもらった。 どの学校でも盛んに手が上がり、原発事故に関する豊富な予備知識に基づいた質問や、健康被害や避難生活を気遣う発言の数々に、鴨下さん母子は感心するばかりだった。 ギムナジウムの高校生が、エネルギー政策に関して討論をする形式の授業もあった。壇上で、地方議会の議員、農家、環境保護団体および住民の代表という役割の生徒たちが、風力発電パーク建設の是非についてそれぞれの立場から討論をし、聴衆の生徒たちは一般市民の役で、討論の前と後で挙手による賛否の意思表示をした。途中で、鴨下さん母子とチェルノブイリ原発事故被災者の体験談や質疑応答も交えた討論の後で、風力発電パーク建設に賛成の生徒の数が増えたことがわかった。 鴨下さんは「ドイツには民主主義がちゃんとあり、僕と同じくらいの年齢の高校生が活発に議論していて、すごいと感じた」と話す。 ドイツで、鴨下さんは法王謁見についての質問にこう答えた。 「たとえどんな誹謗中傷を浴びても、本当のことを堂々と語りたいと思ってきました。でも、お父さんが避難者裁判の原告団団長なので、僕が発言しても『親に言わされて可哀想な子』と思われたり記事を書かれたりしてしまうため、ずっと匿名で発言してきたのです。悪いことをしたわけでもないのに、まるで犯人のように名前も顔も隠して。そんな人の証言を、誰が信じてくれるでしょうか。だけど、ローマ法王に謁見できて、自分がちゃんとした意見を持って発言していることを知ってもらえたので、これからは隠さずに発言していこうと思います」 日本に戻った鴨下さんは、この決意を着実に実行に移している。 全文

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原発避難、国と東電に賠償命令 京都地裁判決 via 日本経済新聞

 東京電力福島第1原発事故の影響で避難を強いられたとして、福島県などから京都府に避難した住民174人が国と東電に慰謝料など約8億4660万円の損害賠償を求めた訴訟の判決で、京都地裁は15日、国と東電の責任を認め、110人に対する約1億1千万円の支払いを命じた。全国で約30ある同種の集団訴訟では5件目の判決で、国の責任を認めたのは3件目。 津波対策を巡る国と東電の責任の有無や範囲のほか、原告の大半を占める自主避難者が事故前に住んでいた避難指示区域外での低線量被曝(ひばく)の危険性が主な争点。 浅見宣義裁判長は、政府の地震調査研究推進本部が2002年に公表した「長期評価」に基づき、国が津波をある程度予見することは可能で、東電に対して対応を命じなかったのは違法と指摘。避難指示に基づく避難でなくとも、個人ごとの当時の状況によっては自主的に避難を決断するのも社会通念上、合理性があると判断した。 原告側弁護団は原告のうち64人の請求が棄却された点などを不服として控訴する意向を示した。原子力規制庁は「関係省庁で判決内容を踏まえ、対処方針を検討することになる」とコメントし、東京電力ホールディングスも「判決内容を精査し対応を検討する」としている。 昨年3月の前橋地裁と同年10月の福島地裁の判決では、国と東電の責任を認めたが、同年9月の千葉地裁は東電にだけ賠償を命じ、国への請求は退けた。今年2月の東京地裁判決は東電の責任を認めたが、国は被告になっていなかった。 […]         全文

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自主避難者を集計に含めず、福島など3県分 via 読売新聞

復興庁が毎月公表している東日本大震災の避難者に、福島、宮城、神奈川県の自主避難者が含まれていないことがわかった。  復興庁は東京電力福島第一原発事故による自主避難者を含めて報告するよう求めているが、3県は自主避難者への住宅無償提供が今年3月末で打ち切られたことに伴い、除外していた。専門家らは「原発事故による避難実態の過小評価につながる恐れがある」と懸念を示している。  復興庁は、避難者について「原発事故による自主避難者を含む」「震災前の住居に戻る意思がある」などと定義。都道府県の報告を基に全国の人数を集計している。10月12日時点の全避難者は8万1866人いた。 […]     全文

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「一番の犠牲者は子ども」 原発・区域外避難者訴訟 本人尋問で3人訴え via 東京新聞

[…] 尋問で女性は、長女が避難先での高校受験に「希望が持てない」と漏らしたことや、長男が小学校で「福島に帰れ」と言われたことを明かした。「それでも親は子どもの健康や環境を守る責任がある。自立するまで避難生活を続けたい」と述べた。  二〇一一年十一月、福島市から野田市に妻子と避難した菅野貴浩さん(55)は「国と東電は、ただでさえ狭い日本に人の住めない土地を作ってしまった。地域に残った人、出た人がいて、再び戻っても昔のように仲良くなれない」と嘆いた。  別の女性は避難を巡って夫と意見が食い違い、離婚。避難先で心身の健康を崩したといい、「原発事故で家を奪われ、自主避難を選んだ思いを理解して」と涙ながらに訴えた。  次回口頭弁論は来年一月十八日で、原告の本人尋問が行われる。(美細津仁志)   全文

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