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「子ども甲状腺がん裁判」 始まる~20代女性陳述「大学行きたかった」 via OurPlanet-TV

[…] この日の裁判では、弁護士らが訴状の要旨を陳述したほか、原告の20代女性が法廷に立ち、意見陳述した。女性は、高校生の時にがんが発覚。手術後、大学に進学したものの、再発と転移により、大学を中退。以来、治療中心の生活を送っている。放射性ヨウ素を服用する特殊な治療・アイソトープ治療の過酷さや、将来の夢を描けない苦しさを綴った陳述書を、約15分かけて読み上げた。 甲状腺がんをめぐっては、インターネットを中心に、被曝影響を主張する言説に対してバッシングが広がっていることもあり、原告は、傍聴席からは見えないよう、四角いパーテーションで囲われた中で陳述した。がんが分かった時のことや、大学を断念したことなど、苦しい経験を語るくだりでは、時折、声をつまらせたり、しゃくりあげるような泣き声となったが、声を震わせながらも最後まで読み続けた。 2回目以降の意見陳述は未定 この日は、意見陳述をした原告以外に、3人の原告が出廷。やはり傍聴席から見えないよう、パーテーションで仕切られた原告席で弁論に参加した。同席した弁護士によると、原告の陳述に聴き入りながら、3人とも涙が止まらなくなり、慟哭するようば場面もあったという。意見陳述の間中、法廷内は、鼻をすする声が終始聞こえていた。 原告の意見陳述をめぐっては、4月に行われた進行協議で、東京電力が原告の意見陳述の実施に反対を唱えており、2回目以降の予定は決まっていない。原告弁護団は弁論の最後に、原告の意見陳述を認めるよう改めて主張。被告側代理人は明確に反対はせず、裁判所に委ねると述べた。裁判所は1週間程度で方針を示す。 被曝との因果関係が争点 この裁判の最大の争点は、事故に伴う放射線被曝とがん発症の因果関係となる見通しだ。原告側は、年間で100万人に1~2人しか発症しない小児甲状腺がんが、この10年間に293人が発症したと指摘。また、子どもの甲状腺がんの最大の発症因子は放射線被曝であることから、疫学的な手法で、因果関係は証明できると主張している。 一方、原告側によると、東電側は答弁書で、原告らは被曝していないなどと反論しているという。次回の裁判は、3ヶ月後の9月7日に開かれる。 […] 原告の意見陳述要旨 あの日は中学校の卒業式でした。友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。そのとき、少し雪が降っていたような気がします。 地震が来た時、友だちとビデオ通話で卒業式の話をしていました。最初は、「地震だ」と余裕がありましたが、ボールペンが頭に落ちてきて、揺れが一気に強くなりました。「やばい!」という声が聞こえて、ビデオ通話が切れました。 「家が潰れる。」揺れが収まるまで、長い地獄のような時間が続きました。 原発事故を意識したのは、原発が爆発した時です。「放射能で空がピンク色になる」そんな噂を耳にしましたが、そんなことは起きず、危機感もなく過ごしていました。 3月16日は高校の合格発表でした。地震の影響で電車が止まっていたので中学校で合格発表を聞きました。歩いて学校に行き、発表を聞いた後、友達と昇降口の外でずっと立ち話をして、歩いて自宅に戻りましたが、その日、放射線量がとても高かったことを私は全く知りませんでした。 甲状腺がんは県民健康調査で見つかりました。この時の記憶は今でも鮮明に覚えています。その日は、新しい服とサンダルを履いて、母の運転で、検査会場に向かいました。 検査は複数の医師が担当していました。検査時間は長かったのか。短かったのか。首にエコーを当てた医師の顔が一瞬曇ったように見えたのは気のせいだったのか。検査は念入りでした。 私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。 精密検査を受けた病院にはたくさんの人がいました。この時、少し嫌な予感がしました。血液検査を受け、エコーをしました。やっぱり何かおかしい。自分でも気づいていました。そして、ついに穿刺吸引細胞診をすることになりました。この時には、確信がありました。私は甲状腺がんなんだと。 わたしの場合、吸引する細胞の組織が硬くなっていたため、なかなか細胞が取れません。首に長い針を刺す恐怖心と早く終わってほしいと言う気持ちが増すなか、3回目でようやく細胞を取ることができました。 10日後、検査結果を知る日がやってきました。あの細胞診の結果です。病院には、また、たくさんの人がいました。結果は甲状腺がんでした。 ただ、医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。 手術の前日の夜は、全く眠ることができませんでした。不安でいっぱいで、泣きたくても涙も出ませんでした。でも、これで治るならと思い、手術を受けました。 手術の前より手術の後が大変でした。目を覚ますと、だるさがあり、発熱もありました。麻酔が合わず、夜中に吐いたり、気持ちが悪く、今になっても鮮明に思い出せるほど、苦しい経験でした。今も時折、夢で手術や、入院、治療の悪夢を見ることがあります。 手術の後は、声が枯れ、3ヶ月くらいは声が出にくくなってしまいました。 病気を心配した家族の反対もあり、大学は第一志望の東京の大学ではなく、近県の大学に入学しました。でも、その大学も長くは通えませんでした。甲状腺がんが再発したためです。 大学に入った後、初めての定期健診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。「治らなかった、悔しい。」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。 1回目で手術の辛さがわかっていたので、また同じ苦しみを味わうのかと憂鬱になりました。手術は予定した時間より長引き、リンパ節への転移が多かったので傷も大きくなりました。 1回目と同様、麻酔が合わず夜中に吐き、痰を吸引するのがすごく苦しかった。2回目の手術をしてから、鎖骨付近の感覚がなくなり、今でも触ると違和感が残ったままです。 手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようようになりました。 手術の後、肺転移の病巣を治療するため、アイソトープ治療も受けることになりました。高濃度の放射性ヨウ素の入ったカプセルを飲んで、がん細胞を内部被曝させる治療です。 1回目と2回目は外来で治療を行いました。この治療は、放射性ヨウ素が体内に入るため、まわりの人を被ばくさせてしまいます。病院で投薬後、自宅で隔離生活をしましたが、家族を被ばくさせてしまうのではないかと不安でした。2回もヨウ素を飲みましたが、がんは消えませんでした。 3回目はもっと大量のヨウ素を服用するため入院することになりました。病室は長い白い廊下を通り、何回も扉をくぐらないといけない所でした。至る所に黄色と赤の放射線マークが貼ってあり、ここは病院だけど、危険区域なんだと感じました。病室には、指定されたもの、指定された数しか持ち込めません。汚染するものが増えるからです。 病室に、看護師は入って来ません。医師が1日1回、検診に入ってくるだけです。その医師も被ばくを覚悟で検診してくれると思うととても申し訳ない気持ちになりました。私のせいで誰かを犠牲にできないと感じました。 薬を持って医師が2、3人、病室に来ました。薬は円柱型のプラスチックケースのような入れ物に入っていました。 薬を飲むのは、時間との勝負です。医師はピンセットで白っぽいカプセルの薬を取り出し、空の紙コップに入れ、私に手渡します。 医師は即座に病室を出ていき、鉛の扉を閉めると、スピーカーを通して扉越しに飲む合図を出します。私は薬を手に持っていた水と一緒にいっきに飲み込みました。 飲んだ後は、扉越しに口の中を確認され、放射線を測る機械をお腹付近にかざされて、お腹に入ったことを確認すると、ベッドに横になるように指示されます。 すると、スピーカー越しに医師から、15分おきに体の向きを変えるように指示する声が聞こえてきました。 … Continue reading

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Cancer patients forced to testify anonymously in Fukushima nuclear disaster case via The Telegraph

ByJulian Ryall TOKYO A court in Japan this week began hearings against the operator of a Fukushima power plant over cases of thyroid cancer in children allegedly linked to the 2011 nuclear disaster. […] The people – all aged between 6 and 16 at … Continue reading

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【傍聴記】311子ども甲状腺がん裁判 via ウネリウネら

《あの日は中学校の卒業式でした。 友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。そのとき、少し雪が降っていたような気がします。》  記者は人の話を聞くのが仕事だけれど、こんなに必死になって人の話に耳を傾けたのは、久しぶりかもしれない。プライバシー保護のため、東京地裁103号法廷の中央はパーテーションで仕切られている。その仕切りの奥から、原告の方の声が聞こえてくる。 […] 午後2時の開廷から約1時間後、原告の1人による意見陳述は始まった。その声が聞こえてきた瞬間、法廷の空気は一変した。先ほどまで余裕ぶった表情で裁判に臨んでいた東電側の弁護士たちが、悄然として原告の声に耳を傾けている。 《甲状腺がんは県民健康調査で見つかりました。この時の記憶は今でも鮮明に覚えています。その日は、新しい服とサンダルを履いて、母の運転で、検査会場に向かいました。》 《私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。》  この原稿を書いている今でも、原告の声音をはっきり思い出せる。やわらかくて、丁寧で。私は福島に住んで2年余り。数は少ないが、同じ年ごろの人たちと話したことがある。その人たちと同じ声をしている。 《医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。》 《大学に入った後、初めての定期検診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。「治らなかった、悔しい」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。》  「治らなかった、悔しい」。そう言ったところで、原告の方は少し声をつまらせた。鼻をすするような声も聞こえる。それでも、陳述が止まることはなかった。声がかすれて聞き取れなくなることもなかった。この人は強い、と思った。傍聴席ではもう、みんなボロボロ涙を流していた。 《手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようになりました。》 […] 《一緒に中学や高校を卒業した友だちは、もう大学を卒業し、就職をして、安定した生活を送っています。そんな友だちをどうしても羨望の眼差しでみてしまう。友だちを妬んだりはしたくないのに、そういう感情が生まれてしまうのが辛い》   ここのところで、原告の方はもう一度、声を詰まらせた。私は心の中で声援を送ることしかできなかった。 《もとの身体に戻りたい。そう、どんなに願っても、もう戻ることはできません。この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います。》 […] 原告側の井戸謙一弁護士が立ち上がる。 「裁判長、原告側は6人全員の意見陳述の機会を求めます。きょう陳述を行った原告は6人の代表ではありません。皆さん、ひとり一人置かれた状況はちがいます。そのことを裁判官には早期に分かっていただきたい」  裁判長は被告側代理人に意見を求めた。東電側の弁護士が慎重に意見を述べる。 「(原告本人の意見陳述よりも)争点の整理が今後必要です。それを優先してほしいという考えではありますが……、意見陳述については裁判長のご判断にお任せします」  閉廷後の記者会見で、井戸氏はこう話した。 「裁判所は毎回原告の意見陳述をすることには当初から消極的でした。被告代理人も反対でした。今日も明確に『反対』と言うかと思ったら、原告の意見陳述を聞いた直後でしたから、その迫力、うったえる力が大きかったので、被告代理人は『反対』とまでは言えなかったんだと私は受け止めました」  原告の声が、東電側弁護士の耳にも届いたのか?  私はそう信じたい。東電側の弁護士も結局は一人の人間である。一人の人間としてこの日の意見陳述を聞けば、心を動かさない者はいないはずだ。そして、この声がもっと多くの人に届けば、裁判を始めてから原告たちが浴びているという全く正当化できない誹謗中傷など生まれる余地がない。私はそう信じている。 […] 全文

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311小児甲状腺がん損害賠償裁判はじまる/東京電力福島第一原発事故から11年 via 関西労働者安全センター/大阪

シンプルな因果関係 なお120ページの訴状(公開版)が、311甲状腺がんこども支援ネットワークのホームページに掲載されている。 311甲状腺がんこども支援ネットワーク訴状(公開版) 下に紹介する弁護団長の話にも出てくる問題の「福島県県民健康調査」批判に多くのページが割かれているのでぜひ一読いただければと思う。 また、裁判開始に合わせるように岩波書店発行の雑誌「科学」2022年4月号が【特集】原発事故と小児甲状腺がんを掲載している。その巻頭エッセイ 提訴にあたって因果関係の立証の困難さも指摘されているが、因果関係や環境保健が専門の者にとっては、科学的因果関係の立証がこれほどシンプルな事例は珍しい。 雑誌「科学」2022年4月号 その答えは「被ばく」-井戸謙一弁護団長(2022/1/27記者会見) そもそも小児甲状腺がんというのは100万人に1人か2人という極めてまれな病気です。福島県の子どもの数は三十数万人ですから、福島県では2、3年に一人でるかでないか、です。 ところが、原発事故後の福島では、福島県県民健康調査で266名、それ以外で27名、あわせて293名の小児甲状腺患者がすでに発生しています。 原告たちはそのひとりになってしまい、思い描いていた人生を狂わされ、なぜ自分が十代でがんにならなければならなかったのか、考え続けてきました。 しかし、いくら考えてもその答えは「被ばく」しか考えられないのです。 あの2011年3月中旬以降、被ばくをきびしく注意してくれるおとなはいなかったし、被ばくなんて気にしないで今までどおりの生活をしていました。それぞれが相当量の被ばくをしたと考えられます。 しかし、今の福島では、自分のがんの原因が被ばくではないか?などとは言えません。医者に質問すれば頭から否定されます。質問しないのに、きみのがんの原因は被ばくが原因ではないからね、と言う、そういう医者もいます。 周りの人たちにそういう疑問を口にすれば、福島の復興に水を差す、風評加害者としてバッシングされます。彼らは甲状腺がんに罹患したことさえ隠して生活してきたのです。 しかし、将来の不安は高まるばかりです。 六人とも甲状腺の半分を手術で摘出しましたが、そのうち四人は再発し、甲状腺全部を摘出しました。甲状腺を全部摘出すると、残った甲状腺組織をやっつけるために放射性ヨウ素の入ったカプセルを内服するRAI治療という過酷な治療を受けなければなりません。そのカプセルに入っている放射性ヨウ素はなんと、すくなくとも10億ベクレル。さらに甲状腺がありませんから、生涯、ホルモン剤を飲み続けなければなりません。再発を繰り返し、四回も手術を受けた若者がいます。再手術の可能性を医師から指摘されている若者もいます。肺転移の可能性を指摘されている若者もいます。全員が再発を恐れています。進学にも就職にも支障が出ています。将来の結婚、出産なども不安です。 このまま泣き寝入りするのではなく、加害者である東京電力に自分たちの甲状腺がんの原因が被ばくであることを認めさせ、きっちりと償いをさせたい、思い悩んだ末、彼らはそう決意し、提訴するという重い決断をしました。 しかし彼等が提訴の決断をしたのはそれだけが原因ではありません。 同じ境遇の300人近い若者達が同じように苦しんでいるだろう、だれかが声をあげればその人達の希望になる、そしてできればその人達ともいっしょに闘いたい。さらに、原爆の被爆者の方々が、被爆者健康手帳をもらって生涯にわたって医療費や手当の支給を受けているように原発事故による被ばく者にも支援の枠組みをつくってほしい。そこまでつなげたい、と彼らは願っています。 国や福島県が小児甲状腺がんと被ばくとの因果関係を認めていないなかで、裁判所にこれを認めさせるのはむずかしいのではないかと考えられる方がおられるかもしれません。 しかし、100万人に一人か二人のはずだった病気が数十倍も多発しているのです。そして、甲状腺がんの最大の危険因子が、被ばくであることは誰もが認めることです。教科書にいの一番に書いてあります。 そして原告らは確かに被ばくをしました。 最近、福島県県民健康調査では必要の無い手術をしているという過剰診断論が流布されていますが、原告らのがんは進行しており過剰診断では有り得ません。 したがって、原告らのがんの原因が被ばく以外にあるんだということを(被告が)証明しない限り、原告らの甲状腺がんの原因は被ばくであると認定されるべきであると我々は考えておりますし、その考えは裁判所にも十分ご理解していただけるものと考えています。 6名の若者は本日闘いの第一歩を踏み出しました請求金額は全摘の若者4名が1億円に弁護士費用1000万円、片葉切除の若者2名は8000万円に弁護士費用800万円。 長い闘いになります。本当はひとりひとりが皆さんの前で顔と名前を出して、その気持ちを訴えたいのですが、いまの福島、いまの日本に現状ではそれをすることはできません。 今後も匿名で訴えることとなりますが、その点はぜひご理解をお願いしたいと思います。最後にメディアの皆さまには、福島の事故は終わった、福島事故による健康被害者はゼロだなどという政府にウソのプロパガンダに惑わされることなく、この現実を日本中、世界中の人々に幅広く伝えて頂きたくお願い申し上げる次第です。ありがとうございました。 311子ども甲状腺がん裁判提訴会見(ノーカット版)より 全文

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Cancer patients seek damages from Fukushima nuclear plant via AP

By Mari Yamaguchi […] It is the first group lawsuit filed by Fukushima residents over health problems allegedly linked to the disaster, their lawyers say. One plaintiff, identified only as a woman in her 20s, testified from behind a screen … Continue reading

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Why not new nuclear power? via Mark Z. Jacobson

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甲状腺がん手術4回「因果関係知りたい」 原発事故当時中2の男性 対東電訴訟、26日口頭弁論 via 東京新聞

東京電力福島第一原発事故時に福島県内にいた、約300人の子どもたちに確認された甲状腺がん。「事故と因果関係があるのか」ー。事故当時、中学2年だった男性(25)は4度の手術を受け再発の恐れを抱えながら、その答えが知りたくて裁判を起こした。男性ら若者6人が東電に損害賠償を求めた訴訟の第一回口頭弁論が26日、東京地裁である。(片山夏子) ◆再発・転移の懸念、常に  「いつかまた転移し、体調に影響があると覚悟して生きています」。男性は福島県中部の中通り出身で、東京都内の企業で働く。薬は生涯飲み続けなければならないが、体調は良く仕事は充実しているという。 だが、再発や転移の懸念は常につきまとう。声が出なくなったり、体調が悪化して仕事ができなくなったりしたら…。「先のことは考えられない」と言う。当初は裁判に積極的ではなかったが、今は「裁判であった事実の記録を残し、甲状腺がんに苦しむ他の子の助けになれたら」と思う。 甲状腺がんと分かったのは、都内の大学に通っていた19歳の時だった。父親は医師から「悪性度が高く、広範囲に転移がある。5年もたないかもしれない」と告げられたことを、男性には言えなかった。 別の医師にも「チェルノブイリで見られたのと同じ」「原発事故関連と推察される」と言われた。父親は「がんと告げた時、息子は淡々と受け止めていた。心の中で泣いた」と話す。「福島にいてはいけなかった」。避難しなかった後悔が今も消えない。  男性は20歳で片側の甲状腺を切除。半年後に全摘したが、リンパ節への転移もあり、手術は6時間に及んだ。長時間同じ姿勢でいたため、手術後はひどい床ずれの痛みで眠れなかった。声が出ずに痛みを訴えることすらできず、チューブにつながれたまま耐えた。心が沈み、家族の言葉にも反応できなかった。「死んだ方が楽かもしれない」と初めて死を意識した。 ◆「半年は避妊を」文書に衝撃  21歳の時にリンパ節への転移で3回目の手術を受け、24歳で再発。手術後の放射線治療では「半年は避妊すること」と書かれた文書をもらった。結婚して子どもがほしいと思っている男性は、子どもに影響するかもしれないと衝撃を受けた。男性は「父親が原発事故に憤りを感じたり、子どものために病院を必死で探したりした気持ちが初めて分かった」と話す。 政府や福島県は、県内で見つかっている小児甲状腺がんと原発事故の因果関係は「現時点で認められない」との立場だ。提訴後、父親は男性ら原告に向けられる差別的な空気も感じ取っている。「せっかく福島が良い方に向かっているのに水を差すな」という声や、離れていった知り合いもいた。 […]  男性は言う。「原発事故じゃなかったら何があるのか。何も言わなければなかったことにされ、事実が埋もれていく。価値ある裁判にしたい」 全文

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Nuclear tragedy in the Marshall Islands via Bulletin of Atomic Scientists

By Sally Clark We were innocent 21-year-olds entering an organization called the Peace Corps in 1969. We came from all over the United States, some wanting to dodge the draft, but most of us were embracing a desire to help … Continue reading

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The U.S. Must Take Responsibility for Nuclear Fallout in the Marshall Islands via Scientific American

By Hart Rapaport, Ivana Nikolić Hughes on April 4, 2022 In many ways, Russia’s aggression against Ukraine has resurfaced our global nuclear history. […] As governments across the world consider their own roles in lessening the risk of nuclear war, the United States cannot excuse … Continue reading

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Cancer patients seek damages from Fukushima nuclear plant via abc news

A Tokyo court has begun hearings in a lawsuit seeking nearly $5 million in damages for six people who were children in Fukushima at the time of its 2011 nuclear power plant disaster and later developed thyroid cancerByMari Yamaguchi Associated … Continue reading

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