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津波・原発事故 消防士10年目の証言“忘れられない言葉”via TBS

東日本大震災からまもなく10年。JNNでは「つなぐ、つながるプロジェクト」として、各番組・横断で被災地のいまをお伝えします。福島県では、震災の発生直後から消防士たちが、津波が襲った現場での救助や原発事故への対応など、前例のない活動に奔走しました。最前線で任務にあたった当時の隊員が“あの時”を振り返りました。  福島県の富岡消防署楢葉分署に勤務する笹田丞さん。震災当時、津波で被害を受けた浪江町で津波被害の救助にあたった職員のひとりです。自分の家族とは連絡がとれず、安否すらも分からない中、救助を続けた笹田さん。津波で流されそうになった男性を救助したことが一番記憶に残っているといいます。  「男性がぽつりと『こんな状況だったら俺も死んだほうがよかった。なんでこんな風になってしまったのかな』と、おぶっていた時に言われた。『とにかく命があって、よかったじゃないですか』と声をかけて救出した。10年たっても一番記憶に残っている」(当時浪江消防署に勤務 笹田丞さん)  実は震災から2週間前、笹田さんには待望の第一子となる女の子が生まれたばかりでした。  「家族に会いたいという気持ちはありますが、まずは地元の消防としてやるべきこと、果たさなければいけないことが目の前に見えていたので、そちらを優先した」(当時浪江消防署に勤務 笹田丞さん)  災害対応を終え、笹田さんと家族が一緒に暮らせるようになったのは震災から1年後でした。  「初めての子どもだったので、成長を見届けてあげたい部分が、どうしても見てあげられなかった」(当時浪江消防署に勤務 笹田丞さん)  双葉消防本部では、管内にある福島第一原発の事故への対応も求められました。遠藤朗生さんは自衛隊車両への給水の指示を受け、大熊町で活動中、3号機が爆発するのを目撃しました。  「ものすごい爆発音と、きのこ雲が上がって、大量の水蒸気らしきものが上がってきたのを、まさにこの場所で見た」(当時浪江消防署に勤務 遠藤朗生さん)  今度は4号機で火災が発生。現場近くの放射線量が高く、消防士になって初めて、「消火活動を行えずに戻る」経験をしました。  「消火をしないで帰ってくることがあり得ないことだったので、悔しいというか、やるべきだと思ったけど、線量を考えると消火しないという決断もありだったなと」(当時浪江消防署に勤務 遠藤朗生さん)  現在、富岡消防署の署長を務める遠藤さん。海に面し、原発を抱える双葉消防本部で壮絶な現場を経験しながらも、これからも地域を守りたいと考えています。  「廃炉までがまだまだ安全ではない、予断を許さないところもあるので、この地方で起きた災害には立ち向かって、この地域の安全を守っていきたい」(当時浪江消防署に勤務 遠藤朗生さん) (2021年3月3日 08:02) 原文

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エネルギーに関心高く「脱原発」支持多数 県内アンケート via 神奈川新聞

 2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の発生10年を前に、神奈川新聞「追う! マイ・カナガワ」など読者参加型の報道に取り組む全国の地方紙は、連携してエネルギー政策と原発に関するアンケートを実施した。  神奈川県内からは16~80歳以上の男女計318人が回答した。「エネルギー政策に関心がある」とした回答が90%以上を占め、「脱原発」の割合も全国平均を上回るなど、脱原発を支持する層の厚みがうかがえる結果となった。  協働企画「#311jp」の一環。年代や男女比などを考慮した一般の世論調査とは異なる。  「福島原発事故直後と比べ、原発など日本のエネルギー政策に関心があるか」との質問に対し、「持っている」「やや持っている」の項目を合わせた「関心あり」が96・8%に上った。  原発政策についての回答は、「運転延長は控え、基数を減らしながら活用すべき」「積極的に廃炉とし、脱原発を急ぐべきだ」「すぐにでも全国的に廃炉とすべきだ」の各項目を集計した「脱原発」の意見が88・7%に上り、全国平均を6・4ポイント上回った。  「再生可能エネルギーに期待するか」の回答では、「期待する」「ある程度期待する」を合わせて89・9%。  「温室効果ガスを削減するために、どのような方向性を目指すべきか」には、「洋上風力など再生可能エネルギーを増やすべきだ」が最多の81・1%。次いで、「電気自動車(EV)の普及など、需要面の変革が不可避だ」に57・5%だった。 県内「安全性」に疑問福島の教訓に  アンケートでは、「今後の原発政策についてどう考えますか」との問いに、自由記述でも回答してもらった。県内からは、「原発の『安全性』は絶対ではない」「福島の原発事故はいまだに解決していない」「核のゴミをどうするのか」などと、原発政策を疑問視する声が相次いだ。 […] 「脱原発を急ぐべき」を選んだ藤沢市のパート女性(34)は「日本のような地震の多い国は『絶対安全』なはずがない。現に福島の原発事故はいまだに解決していない」などとつづった。横浜市の自営業女性(45)も「核のゴミの行き場も決まっていない。有事の時の避難方法も曖昧。放射能は人間の手に負えない」などと訴えた。 […] 全文

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震災10年福島〜非日常を撮り続けてvia TBS News

東京電力・福島第一原発事故で、拡散された、放射性物質。 福島市内の除染はほぼ完了し、かつて町中にあったフレコンバッグも、目立たなくなった。しかし、除染土壌の多くは、市内に点在する「仮置き場」に、移動されただけで、市民の目の前に、今も存在する。 取り戻されたかのような「日常」の中、ふと現れる「非日常」の世界。こうした風景を、撮影し続けた、赤城修司さん。撮り溜めた写真は、70万枚を超えた。彼の目に、復興に沸く社会の姿はどう映るのか。 2011年3月11日、あの日から、間もなく10年。「原子力緊急事態宣言」は、今も継続中だ。 制作:TBSテレビ ディレクター:天野環 (2020年12月20日放送 JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス)

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福島第一原発「廃炉」を選んだ政府と東電…10年が経った今の「ずさんな実態」via gendai.ismedia.jp

町田 徹 原子力政策を一度ただすべき 格納容器内の水位と気圧の低下、そして地震計の故障放置――。 2月13日夜に東北地方を襲った強い地震は、40年かかるとされる東京電力・福島第一原子力発電所の「廃炉」作業を続けることのリスクを改めて浮き彫りにした。「廃炉」は、同原発の設備を解体・撤去のうえ除染して事故前の状態に戻し、人々の故郷への帰還を可能にするという触れ込みだ。 短期間でリスクを大幅に低減できる「石棺」化や「水棺」化の方が安全かつ経済的で現実的だという専門家たちの声を無視する形で、政府・東電が原状回復は可能だと言い張るために断行した国家プロジェクトである。 原子力の分野では、他にも難問が山積みだ。使用済み核燃料の処分地捜しは緒に着いたばかりだし、目玉の高速増殖炉もんじゅの廃炉が決まったにもかかわらず、実現性に疑問符が付く核燃料サイクル計画全体の見直しはほとんど進んでいない。 その一方で、再び原子力を日本のエネルギーの中心に据えようという議論が勢い付いている。ゼロカーボン発電として、原発の再稼働の加速や新設・増設の容認を求める声が経済界から噴出しているのである。 人類史上最悪の原子力事故となった福島第一原子発事故の教訓は、いったい何だったのか。3月11日は、あれから10年の節目にあたる。今一度、原子力政策をただすべき時ではないだろうか。 福島、宮城両県の一部で最大震度6強を記録した地震から一夜明けた先月14日、原子力規制委員会は、廃炉作業中の東電・福島第一原発の5、6号機と廃炉が決まっている福島第二原発の1号機で、使用済み核燃料の貯蔵プールから水が溢れ出したと発表した。東電は、漏れた水はわずかで、いずれもセキの中にとどまっており、外部への影響はないとしていた。 が、廃炉作業下の福島第一原発が依然として不安定な状態にあることを浮き彫りにするトラブルは続いた。 ずさんな廃炉作業の実態が露呈した 最初は先月19日。東電が1、3号機の原子炉格納容器の水位が低下していると発表した。13日の地震により、格納容器の損傷部分が拡大、原子炉建屋内に漏れ出る水量が増えたらしいというのだ。 同社は、原子炉への注水は継続しており、格納容器の底に溜まっているデブリ(溶融核燃料)の冷却には問題がないとしたものの、同社自身が認めているように格納容器の損傷が拡大して漏れ出る水量が増えた可能性がある以上、楽観はできない。 水位が低下を続けると、デブリが露出してデブリから発生する塵が外部に漏れ出てくる可能性や、格納容器内の圧力低下によって汚染されたガスが拡散するといった深刻な懸念があるからだ。 […] 次いで、先月21日の朝、1号機の原子炉格納容器の圧力が低下していることが判明。翌22日の朝には、周囲の気圧と同程度まで下がり低下が止まったという。やはり13日夜の地震によって10年前の事故で損傷した部分が何らかの影響を受けて、気体が外に漏れていると、東電はみていた。 そして、開いた口が塞がらない話が、2月22日に開かれた原子力規制委員会の会合で発覚した、3号機で昨年3月に設置した地震計が2台とも故障しており、取得できたはずの貴重な震度データを取得できなかったというのである。東電は故障を知りながら交換していなかったという。 福島第一原発での東電の杜撰な「廃炉」作業を見るにつけ、チェルノブイリ発電所事故で「石棺」化という封じ込め策を採用した旧ソ連の判断にはそれなりの合理性があったと改めて思い知らされる。 […] 全文

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国内の原発を今後どうすべきか?原発事故10年 NHK世論調査 via NHK News Web

2021年3月2日 21時25分 東京電力・福島第一原子力発電所の事故から10年となるのを前に、NHKでは世論調査を行い、国内の原発を今後、どうすべきか尋ねたところ、全国では、「増やすべきだ」は3%、「現状を維持すべきだ」は29%、「減らすべきだ」は50%、「すべて廃止すべきだ」は17%でした。 NHK放送文化研究所では福島第一原発事故から10年になる前に原発や防災に対する考えを探るため去年の11月11日から12月18日にかけて、全国と岩手、宮城、福島3県の16歳以上4800人を対象に郵送法で世論調査を行い、65.4%にあたる3140人から回答を得ました。 このうち、全国は2311人、福島県は320人でした。 国内にある原発を今後どうすべきか? 原発事故のあと、原子力規制委員会は事故を教訓にした新しい規制基準を策定し、その審査に合格して再稼働した原発は、これまで全国で9基となっています。 また、廃炉となった原発は、東京電力の原発を除き11基となっています。 国内にある原発を今後、どうすべきか尋ねたところ、▽「増やすべきだ」は全国が3%、福島県が1%、▽「現状を維持すべきだ」は全国が29%、福島県が24%でした。 ▽「減らすべきだ」は全国が50%、福島県が48%、▽「すべて廃止すべきだ」は全国が17%、福島県が24%でした。避難計画策定の対象範囲 […] 対象をおおむね30キロとしていることについてどう思うか尋ねたところ、▽全国では「範囲を広くすべきだ」と「30キロ圏内で妥当だ」が、ともに45%だったのに対し、▽福島県では「範囲を広くすべきだ」が58%、「30キロ圏内で妥当だ」が31%で、全国よりも福島県の方が、「範囲を広くすべきだ」という人が多くなっています。 […] 事故への不安を感じているか 原発で周辺の住民に影響を及ぼすような事故が起きるかもしれないという不安を感じているか尋ねたところ、▽「大いに感じている」、「ある程度感じている」は、全国であわせて85%、福島県で89%、▽「あまり感じていない」、「まったく感じていない」は、全国であわせて14%、福島県で10%となりました。 […] 全文

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原発ゼロへ。勝負はすでについている via 幻冬舎Plus

菅直人 福島原発も全国の原発の問題も、もう先延ばししない――。急成長する再エネの今を追いながら、原発全廃炉への道筋をまとめた『原発事故10年目の真実 〜始動した再エネ水素社会』(菅直人著、2/25発売)。3.11で総理大臣だった著者が、180度方針転換をしてからこの10年でしてきたこと、わかったこととは。日本のエネルギー問題の全貌と、未来への希望が見える本書から、試し読みをお届けします。 (略) 私は総理在任中はもとより、退任後も、少なくとも年一回は福島第一原発の現地視察を続けている。毎年現地に行くと外見はかなり変化してきているのが分かる。最も大きな変化は、敷地内にぎっしり並ぶ、汚染水を貯蔵するタンク群だ。事故を起こした原発は爆発で破壊された建屋が修復されてきた。そのほか新しい建物も増えている。 しかし、メルトダウンし、さらにメルトスルーを起こした1号機から3号機の内部は、事故直後からほとんど変わっていないはずだ。核燃料が溶け、他の金属物質と混ざった「燃料デブリ」と呼ばれる放射性廃棄物が、格納容器の底などに大量に残されていることは確認されている。しかしデブリは人間が近づけば短時間で死に至るほどに放射線量が高く、格納容器内に人が入って作業することは不可能だ。事故から10年が経過した今日でも、ロボットなどでデブリの位置や形状を調査している段階である。 ここに原発事故の恐ろしさがある。通常の火災や爆発事故であればどんな大規模なものでも、10年も経過すれば、爆発物はなくなり、瓦礫は撤去され、装置のあった敷地は更地に戻され、新しい建造物ができているだろう。 しかし福島第一原発では10年が経過しても事故を起こした原発の本体はその場所に残り、敷地は更地に戻すことはできず、今後原発の跡地をどうするかの計画すら立てられない。原発の敷地だけではない。原発の周辺で暮らしていた何万もの人々の多くが従来住んでいた場所には帰れていない。これが長期に及ぶ放射能被害の怖さだ。 私は福島原発事故が起こるまでは、日本の原子力技術者は能力が高いので、チェルノブイリやスリーマイル島のような人為的ミスによる大きな原発事故は起こさないと考えていた。こうした「原発安全神話」を原子力の専門家の多くも信じていた。 しかし実際には世界で最大の原発事故が日本で起きた。日本列島は世界の中でも最も地震の多い地域であり、島国であることから地震に伴う津波も歴史上きわめて多い地域である。それなのに、地震と津波による原発事故の可能性をほとんど考慮していなかったのだ。今ではこのことについての不明を恥じている。日本の海岸沿いに多くの原発を建設し、原発は事故を起こさないと考えてきたことが間違いであったと痛感している。 そこで総理大臣として福島原発事故に直面した政治家の責任として、日本の原発をゼロにすることを総理退任後の政治活動の中心にすると決意した。 (略) 福島原発事故から10年が経過したが、この間、日本では原発の新設はなく、稼働する原発も限られている。近年では、原発による発電量は日本全体の発電量の3パーセント程度で推移しており、再生可能エネルギー発電の6分の1程度に留まっている。実質的には原発ゼロはほぼ実現していると言える状態だ。しかし最近「原子力ムラ」による原発復権を目指す動きが目立ってきた。 そうしたなか、菅すが義偉よしひで総理は2020年10月の所信表明演説で、2050年までにCO2排出ゼロを旗印に掲げた。私もCO2の排出削減には賛成だ。しかしCO2の排出削減を口実に原発回帰を図る自民党の動きが活発化し始めており、警戒が必要だ。 原発の新設は世界的に安全基準が厳しくなり、建設コストも従来に比べ2倍から3倍に高騰し、再生可能エネルギーなどに比べ大幅に割高になることから、採算に合わなくなっている。そのことは大半のエネルギーの専門家には分かってきている。 それにもかかわらず、原子力にかかわる利権を温存継続しようとする日本の原子力ムラは、原発の再稼働や新設に向けて暗躍を続けている。 この10年間で原発が発電した電力量は微々たるもので、原発へのこれ以上の投資は採算が合わない。国民的立場に立てば、原発をあきらめて再生可能エネルギー中心の発電に舵かじを切ることが望ましいことは、今やエネルギー専門家の常識である。 (略) 私はこの本で「原発ゼロ」が実質上すでに実現しており、避けられない道だということを解説したい。将棋で言う投了図の解説を試みたい。 そしてもうひとつ、「原発ゼロ」であってもソーラーシェアリング(営農型太陽光発電)など再生可能エネルギーを活用することで、日本が必要とする電力は100パーセント供給可能であることも、具体的に説明したい。 全文は原発ゼロへ。勝負はすでについている

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福島の避難者集計に3万人以上の差 県と市町村、手法ばらばらvia河北新報

2011年の東日本大震災と東京電力福島第1原発事故の避難者数を巡り、福島県が現在約3万6千人としているのに対し、県内の各自治体が避難者とする総数は少なくとも6万7千人超に上り、3万人以上の開きがあることが30日、共同通信の取材で分かった。 国や福島県、市町村による集計手法は直後からばらばらで、避難者の動きを統一して把握できていない。支援団体などは適切な支援が難しい一因と指摘する。 […] 共同通信は昨年12月~今年1月、避難者の多い福島県浜通りと中通りの42市町村を取材した。一部自治体は避難者数を明らかにしていないため、県公表分との実際の差はより大きいとみられる。 福島県外に避難した人数について、県は昨年12月現在で約2万9千人としている。総務省が稼働させている「全国避難者情報システム」を通じ、都道府県からの報告を反映させている。 一方、市町村側が「県外避難」と答えた合計は約2万4千人だった。 また福島県内に避難した人数で比べると、県公表分が約7200人だったのに対し、市町村合計は4万2千人を超えた。 […] 全文

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「乗組員はスパイとも思える」「損害が誇張されている」終戦9年目、日本人水爆実験被害者にアメリカから向けられた言葉 via 文春オンライン

「もしもあの時あの場所にいなければ…」第五福竜丸事件 #2 小池 新 「食べれば原子病にかかる」“原子マグロ”登場  3月16日付夕刊では朝日が「マグロ漁船ビキニで原爆浴びる」を社会面トップで、毎日は「ビキニの水爆?実験で邦人漁夫三十三名被災」を1面左肩で追いかけた。毎日が社会面トップに載せた「売られた“原子マグロ” 食べれば被病 都内では一応押える」の記事はその後の騒動のきっかけとなったといえるだろう。(全2回の2回目。#1を読む) (略)  3月17日朝刊の朝日には社会面3段で「築地で五百貫埋める 各地に流れる福竜丸の魚」の見出しの記事が。 (略)  同じ話題を取り上げた記事に毎日は「原子マグロを土埋め」、読売は「原子マグロ土葬」の見出しを付けた。既に「原爆マグロ」「原子マグロ」が紙面をまかり通っていた。 (略) 同じ日の紙面には、焼津で乗組員の診察や第五福竜丸の船体検査などを続けていた東大などの総合調査団が 1)乗組員らは生命に危険はなく2カ月ぐらいで回復する2)船体を焼いたり沈めたりする必要はない3)魚はサメは危ないがマグロは食べてもよい  との結論を出したことも載っている。 ついにあきらかにされた水爆の事実 「想像を絶した爆発力 測定不能」  3月18日付夕刊各紙には、アメリカ議会原子力委員らを情報源としたビキニ実験の規模などについての記事が掲載された。朝日は「想像を絶した爆発力 測定不能 米科学も驚倒」、読売は、「測定装置役立たず 強力無比の水爆」の見出しだったが、「史上最大・ビキニ『水爆』 広島原爆の六百倍」が見出しの毎日を見よう。 (略) 各機関の調査団が現地へ 交錯する評価  現地焼津には東大のほか、京大など各機関の調査団が入ったほか、広島のABCC(原爆傷害調査委員会=現放射線影響研究所=)のモートン所長らも加わることになり、3月19日付読売朝刊は「日米死の灰調査合戦」の見出しで報じた。 (略) さらに、同じ紙面では、サンフランシスコ特電(INS)で、ビキニの実験場と東京を視察して帰国したアメリカの上下両院合同原子力委員会委員のパストール(パストアと表記した新聞もある)上院議員の談話が「漁夫の火傷は浅い」の見出しで載っている。  同議員は日本滞在中、アメリカ側官憲から第五福竜丸の23人についての「あらゆる資料の提供を受けた」としたうえで「残念なことだが、最初の報告は事件を誇張したものであり、漁夫たちの火傷を実際よりもはるかに重いように伝えたことが分かった」と語っている。 (略) 乗組員はスパイ!? アメリカの思惑  アメリカは3月19日に実験の危険区域を数倍に拡大する一方、実験の被害をなるべく小さく見せようとした。パストール議員から報告を受けたコール委員長はさらに踏み込んだ。  3月24日付産経夕刊には「被爆漁民スパイとも思える コール委員長が重大発言」の見出しでワシントン発AP=共同電が載っている。第五福竜丸の補償について、権限はあくまで議会にあるとしたうえで、最後にこう語っている。 「日本人漁船及び漁夫が受けた損害についての報道は誇張されているし、これら日本人が漁業以外の目的(スパイの行為を意味する)で実験区域に来たことも考えられないことではない」  不幸にも久保山無線長の危惧が的中したことになる。第五福竜丸平和協会編「ビキニ水爆被災資料集」によれば、これに先立つ3月18日、原子力委員の下院議員2人が「部外者が放射能によって被害を受けるほど接近できた理由を議会が調査すべきだ」「そうでなければソ連が潜水艦でスパイ行為をするのを防げないことになる」と述べていた。 … Continue reading

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「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日 via 文春オンライン

「もしもあの時あの場所にいなければ…」第五福竜丸事件 #1 小池 新 (略) 「航海は最初からおかしかった」  1954(昭和29)年1月22日午前11時、「第五福竜丸」は母港の静岡県・焼津港を出港した。140トンの木造漁船。1947年に神奈川県・三崎港所属の漁船として和歌山県で建造され、別の船名で操業していたが1953年、譲渡されて第五福竜丸に。“改名”後、5回目の航海だった。  出航直前、ベテランの甲板長ら5人が船を去り、乗組員が入れ替わった。船に乗り込んだのは23人。久保山愛吉・無線長(39)を最年長に30代が3人。ほかは、10代3人を除いて、船長も、操業の全責任を持つ漁労長(船頭と呼ばれていた)も20代で、平均年齢25歳の若いメンバーだった。 「考えてみると、この航海は最初からおかしかった。首をかしげたくなるようなことばかり起こった」。出航の翌日に20歳を迎えた「冷凍士」で現在も健在の大石又七さんは著書「死の灰を背負って」にこう書いている。 (略) 静けさの中の閃光「西から太陽が昇った」  記述は水爆実験の瞬間に入っていく。  夜明け前の静かな洋上に、稲妻のような大きな閃光がサアーッと流れるように走った。午前1時から始まった投縄作業がついいましがた終わり、一区切りついた体を船室の戸口に近いカイコ棚のベッドに横たえて、開けっ放しになっている暗い外をぼんやり眺めていた。午前3時30分、船はエンジンを止め、かすかな風に流れを任せている。さっきまでの目の回るような忙しい作業と騒音がうそのような静けさだ。閃光はその時である。光は、空も海も船も真っ黄色に包んでしまった。はじかれたように立ち上がり、外へ飛び出した。きょろきょろと見回したが、どこがどうなっているのか見当がつかない。左の空から右の空まで全部黄色に染まって、まるでこの世のものとは思えない。 その時のことを、広田重道「第五福竜丸」は「突然誰かが叫んだ。『太陽が上がったゾ!』。恐怖に震える声だった」「『西から太陽が昇った』。これがみんなの実感だった」と記している。「死の灰を背負って」によれば、デッキには見崎漁労長や船長らがいて左舷をじっと見ていた。  一段と鮮明な黄白色が大きな傘状になって、水平線の彼方で不気味な光を放っている。「あそこだ」「なんだ、あれは」。声にならない。心の中で叫んだ。今にも、どでかい太陽が昇ってきそうな感じだ。  光は微妙に色を変えた。黄白色から黄色、オレンジがかって、かすかな紫色が加わり、そして赤く変わっていった。それも、少しずつ少しずつゆっくりと。誰もが無言で息をころし、立ちすくんだまま、目はその光景に吸い付けられるように、じっと成り行きを見守っていた。1954(昭和29)年3月1日午前4時12分。南太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁北東約90マイル(約170キロ)、北緯11度63分、東経166度58分。  乗組員は慌てて延縄を引き揚げ、朝食をとった。「そのときだった。『ドドドドド!』。足元から突き上げてくる轟音は、海ごと船を揺さぶった」。縄を揚げる作業に戻ると、久保山無線長(「局長」と呼ばれていた)の大きな声がした。 (略) 久保山無線長は「中央公論」1954年11月号掲載の「絶筆 死の床にて」という手記で、2月27日に「虫が知らせたのか、私は見崎漁労長、筒井船長に『終戦後も原爆実験はやっているのだから、禁止区域には接近しない方がいいだろう』と注意した」と書いている。彼は戦争中、海軍に徴用されていたという。戦争中の感覚が体に染みついていたのだろう。 (略)  漁は最後まで不漁で、乗組員は「デッキにたまった白い灰も海水で洗い流し、自分たちも裸になって、髪の毛や耳などについた灰を洗い落としてほっと一息」。船は焼津港に向かって北へ。しかし……。 「灰をかぶった時点では誰も口には出さなかったが、作業中にめまいがしたり、縄を揚げ終わるころには頭痛や吐き気、夜になると下痢をする者も何人かいた」(同書)。 降り注いだ白い灰…続いた乗組員の体の異常  久保山無線長は危険を感じていたのか、甲板員に「水で体を洗え」と何度も言った。甲板員の1人が、戻って見てもらうため、白い灰を拾ってひとつかみ袋に入れていた。乗組員の体の異常は続いた。 (略) 「みんな異様な黒い顔に目玉をきょろきょろさせ、手足にできた傷も気になっていたが、次の出港までにはなんとか治るだろう。そんなふうに軽く思っていた」。3月14日午前5時50分、ひっそりと焼津に帰港。  事情を聞いた船主の勧めもあって、全員が午前中、焼津協立病院で受診。当直医は翌日、傷がひどい山本忠司機関長ら2人を東大付属病院に回した。 (略) 「焼けたゞ(だ)れた グローブのような手」が見出しの別項記事では、記者が東大付属病院で乗組員から聞き出した当時の模様を書いている。また、被爆者研究で知られた都築正男・東大名誉教授の談話も。 「外傷などから判断すると、広島、長崎の原爆の場合と違う」「今度の場合は、直接灰をかぶって2、3日後に顔が火ぶくれになったというが、その灰は水爆か原爆かの破片が落ちてきたものだ。いわば原爆のカケラの放射能そのものにやられたわけで、かぶった直後、丁寧に洗い流せばなんでもないのだが、放置しておくと、放射能が体を突き通し、火ぶくれのようになる」。 (略)  佐野眞一「巨怪伝」も「この時代、どこの新聞社も放射能についての知識をほとんど持ち合わせていなかった。それが読売に限って、焼津通信部員からの一報だけでピンときたのは、この年の元旦から『ついに太陽をとらえた』という原子力開発の解説記事を連載していたためだった」と書いている。 読売の特ダネは、アメリカの核実験が周知の事実だったように書いているが、多くの日本国民にとってはそうではなかっただろう。同紙の3月2日付夕刊は1面2段で【ワシントン特電1日発】で次のような2本の記事を載せている。 【AFP】アメリカ原子力委員会のストローズ委員長は、第7合同機動部隊がマーシャル群島にある原子力委員会の太平洋実験場で原子力装置を爆発させたと1日発表した。この爆発は一連の実験の最初のものである。 【INS】米政府当局はある種の“原子装置”の実験がマーシャル群島で行われたと1日、簡単な発表を行ったが、その直後、超強力の水爆“地獄爆弾”が爆発されたのだという推測が行われている。原子力委員会及び海空両軍当局は、厳しい口止めをされていると語ったが、完成された水爆が実験されたとみてよいようである。 “地獄爆弾”とはすさまじいが、16日の特ダネがこの記事を参照していたことは間違いない。「水爆か」という見出しにも根拠があったわけだ。 全文は「西から太陽が昇った」太平洋に降った死の灰 歯ぐきの出血に脱毛…日本人が核の恐怖を最も感じた日

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原子炉建屋 壁の傷痕は何を語る? 福島第一原発を歩く via 朝日新聞digital

[…] 2月1日、撮影のため東京電力福島第一原発に入った。3号機の原子炉建屋北面にこの壁があった。 コンクリートの壁表面には、無数の傷と吹きつけられた放射性物質の飛散防止剤の痕、事故後の測量で記された数値や記号があった。高さ約15メートルの津波の威力と、現場でのこれまでの作業を想像させられた。  構内は現在、汚染レベルの高い順に、R(レッド)、Y(イエロー)、G(グリーン)の3ゾーンに区分されている。防護服なしで動けるGゾーンのみを歩く4時間ほどの取材中、わずか数メートル先のYゾーンに見えた作業員40人ほどの動作が脳裏に焼き付いている。 3号機タービン建屋の近くでは、配管を整備する作業員が全面マスクをかぶり側溝にもぐっていた。原子炉建屋内のがれき撤去の準備が進む1号機の脇では、防護服の上に安全帯を締めた作業員が大型クレーンのフックにワイヤを引っかけていた。 取材中の放射線量は、高い場所で毎時300マイクロシーベルトほどで、胸ポケットに入れていた線量計から2度ほど、累積20マイクロシーベルトを知らせるアラーム音が鳴った(100マイクロシーベルトは東京―ニューヨークを飛行機で移動した際に自然界から受ける被曝(ひばく)線量)。Yゾーンにいた作業員がどれほどの放射線量にさらされているかは定かでないが、防護装備を身につけていることを除けば、普通の工事現場の労働者と変わらず、当たり前のように淡々と作業をこなす様子が印象的だった。 […] 廃炉の最終的な姿は国や東電から示されていない。廃炉が宣言されたとき、この壁はどのような姿なのか。(伊藤進之介) 全文

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