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福島市の1歳児で少なくとも60ミリ〜甲状腺がん裁判意見書 via OurPlanet-TV

東京電力福島第一原発事故に伴う放射性物質の影響で甲状腺がんになったとして、事故当時、福島県内に住んでいた男女7人が東京電力に損害賠償を求めている「311子ども甲状腺がん裁判」の第4回口頭弁論が1月25日、東京地裁で開かれた。原告側は、放射性ヨウ素131による内部被曝は、吸引のみに限っても、福島市の1歳児で平均約60ミリシーベルトにのぼるとする意見書を提出した。 今回、原告側が提出したのは、黒川眞一高エネルギー加速器研究機構(KEK)名誉教授の意見書。福島第一原発事故当時の放射性物質の詳細なデータはあまり残っていないものの、KEKの平山英夫教授(当時)ら、研究グループが、原発から60キロ地点にあった福島市紅葉山のモニタリングポストに1時間ごとの核種別の線量が残っていたことに着目し、大気中の放射性ヨウ素131の濃度を算出した論文が存在していることを指摘した上で、その時間ごとの濃度をもとに、1歳の子どもの吸引による被曝線量を推計した。その結果、最も放射線量が高かった3月15日から16日の数時間にかぎっても、約60ミリシーベルトの内部被曝をしたと主張した。 原告は、ICRP(国際放射線防護委員会)のLNTモデル(しきい値無し直線仮説)に基づき、放射線被曝による健康影響に閾値はなく、線量が非常に低くても、病気になる可能性はあるとの立場をとる。しかし、UNSCEAR(国連科学委員会)の報告書をもとに、原告らは10ミリシーベルト以下の被曝しかしていないとする被告の主張は、あまりに過小評価であり、信頼性が低いと指摘した。 このほか、この日の弁論では、原告2人が証言台に立ち、意見陳述をした。事故当時、中通りで生活していた20代の男女ひとりずつで、男性はこれまでに4回の手術を経験。7時間におよぶ2回目の手術では、「死んだ方がましだ」とさえ考えた苦しみを、涙声で訴えた。 また、もう一人の女性は、1年前の裁判提訴の新聞記事を見て、原告団に加わった経緯に触れ、自分と同じような境遇の患者による裁判の存在により、心が救われた思いを吐露した。女性は、「坂本三郎さん、野口晶寛さん、原健志さん。」と裁判官の名前を一人ひとり呼び、「私たちは今、匿名で戦っていますが、一人ひとり名前があります。私の名前はわかりますか。」と問いかけ、「かつての私のように、裁判官の皆さんにとっては、ひとごとかもしれません。私がそうだったから、痛いほどわかります。でも、私たちがなぜこのように立たざるを得なかったのか。それだけでも理解してほしいです。」と声を振り絞って訴えた。 次回の第5回口頭弁論期日は3月15日(水)14時から東京地裁103号法廷で開かれる。また、第6回期日は6月14日、7回期日は9月日に決まった。 原文と動画

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水戸喜世子共同代表「判決を受けて」via 子ども脱被曝裁判ホームページ 

判決要旨を読んだうえでの感想です。枝葉末節の整合性を、事実に基づかない仮定の上に積み上げてみせただけで、肝心かなめ、弁護団が発見したとんでもない法律の空白については触れていないのはなぜでしょう。不思議です。 子どもが毎日通っている学校。親は安全な場所だと絶対的信頼を寄せて、子どもを送り出したものです。学校が安全なのは学校環境衛生基準という法律があって、絶えず、最新の情報に入れ替え、見直しがされ、厳しく管理されているからなんだということを、規則を読んでみて、私も初めて知りました。憲法、教育基本法をこどもの現場で、こんな形で具体化して、子どもの安全を保証していることに、感心しました。 教師をしていた友人に聞いてみたら、そういえば、毎年検査が入っていたね、と教えてくれました。検査項目は多岐にわたっていて、温度、黒板の明るさ、水質、その他様々な有害物質の濃度基準値が全て数値で示されています。ネットで「学校環境衛生基準」と検索すれば、出てきます。お子さんのためにも一度のぞいてみてください。 放射能がばら撒かれて12年が経つというのに、放射性物質についての基準値が書かれていないと気づいた弁護団が指摘したのが事のはじまりでした。調べてみたら、本当にないのです。こんな過酷事故を想定していなかったから当然かもしれません。五重の壁に守られているから絶対事故は起きないと電力会社と一緒になって国も豪語していたのですから。それにしても、事故からすでに12年、文科省も、国会も知らんぷりとは、信じがたい怠慢です。異常な人権無視です。3.11の事故が起きてからの、子どもを持つ親の最大の心配ごとは放射能被ばくの一点でした。多くの親子が、何の手も打たない学校を見限って県外に避難したのです。いっときの除染をしただけで、作業員の基準である年20ミリシーベルトに放置し、何の手も打たなかったから学校に愛想をつかした結果です。残った人は、学校の善意を信頼したのだと思います。 弁護団は規則に放射性物質についての基準値がないことを裁判所に教え、整備されるまで、空白のまま放置するのは、子どもの安全上、許されないとして既存の法律(環境基本法)を根拠に暫定値を試算してみせました。すると現行の年20ミリシーベルト暫定値は、環境基本法が定める基準値の7000倍の死亡率に相当することがわかったのです。そんなところで、子どもを教育することの是非を、裁判所に判断せよ、と迫ったのです。子ども人権裁判の根本的命題です。 ところが判決文には反論もなければ、批判もない。無視しました。法の番人が法の空白を見過ごして、何を根拠に子どもが保護されているのか、いないのか、どうやって判定できるのでしょうか。長々とした説明になりましたが、司法への失望はまたもや絶望的なほど深いです。 三権分立不在!と叫ぶ気力すら奪われるような昨今の裁判劣化ですが、それにもめげずに、裁判に関心を寄せてしまうのは、裁判は私にとって、その分野の専門家の意見が聞けて、その上で自分の見解を持つことが出来る、市民にとっては貴重な学びの場だからです。恐らく多くの市民にとってもそうではないかと思います。勝ち負けももちろん関心がありますが、たとえ負けても、一層真実の所在が際立って理解でき、奮い立つのです。 被ばく。晩発性故に厄介な、核推進派にとってのカクレミノにされてきた事例を、多くの人に知ってほしい。考えられる限りの公害物資を学校環境衛生基準にしっかり組み込んでいるのに、なぜ、放射性物質だけが特別扱いか。放射性物質に対して、大人の5倍から7倍弱い子どもには、せめて学校内だけでも、基準値を決めて、子どもの安全を守らせねばなりません。司法があてにならなければ、親たちがこのことに気づいて声をあげられるように、裁判で学んだ私たちが、世論喚起に本気になって取り組むことが求められていると思います。(了) 原文

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1ミリ以下での学校教育を求めた裁判〜仙台高裁が棄却 via OurPlanet-TV

福島県在住の子どもが、放射線量の低い安全な環境で教育を受ける権利を求めて、国や福島県、市町村を訴えていた裁判(子ども脱被曝裁判)の控訴審判決で、仙台高裁(石栗正子裁判長)は1日、中学生2人の控訴を棄却した。既に卒業している2人の請求は却下した。 裁判所は「人の健康の維持に悪影響を及ぼす程度の放射線に被ばくする具体的な危険が存在するとは認められない」などとして、「安全配慮義務に直ちに反するものとはいえない」と判断した。 判決後の記者会見で、井戸謙一弁護団長は、放射性物質は環境基本法の規制物質になった現在も、基準が出さめられず、ベンゼンなどの化学物質と比べ、7000倍の違いがあると主張してきたが、裁判所に逃げられてしまったと述べた。 また同じく弁護団長の光前幸一弁護士は、「20ミリシーベルトを上回らなければ、裁判上、具体的な危険は認められないということ。他の公害物質と大幅に違うことには踏み込まなかった」と悔しさをにじませた。 2014年の提訴から8年半。当時小学校1年生だった子どもは中学校を卒業するため、最高裁への上告はできない。2011年6月に郡山の子どもが、安全な学校での教育を求めて仮処分の申し立てを行った「集団疎開裁判」からは12年が経過する中、原発事故による被ばくを免れるために、学校単位での集団避難を求めて提起された裁判が終わりを迎えた。 福島県内に住んでいた親子160人が、事故後の被ばく対策が不十分だったことにより、精神的苦痛を受けたとして国と県に損害賠償を求めた裁判、昨年9月に分離された。3月27日に次回期日が開かれる。 原文と動画

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【子ども脱被ばく裁判】「判断権者の尋問欠かせないのに…」仙台高裁が福島県知事ら5人への証人尋問申請を全却下 「必要性ない」と裁判長~控訴審第5回口頭弁論via民の声新聞

2022/11/15 19:30 原発事故後の福島県内の被曝リスクや行政の怠慢を正面から問う「子ども脱被ばく裁判」の控訴審。第5回口頭弁論が14日午後、仙台高裁101号法廷(石栗正子裁判長)で行われ、石栗裁判長は控訴人(一審原告)から出されていた5人への証人尋問申請をすべて却下した。高裁は福島県の内堀雅雄知事など判断権者の話を聴かないまま、SPEEDI情報隠蔽や学校再開についての「年20mSv基準」など、国や福島県の原発事故対応について判断する。次回期日は3月27日15時。2月1日には、審理が分離され結審した行政訴訟(子ども人権裁判)についての判決が言い渡される。 【「立証趣旨は理解しているが…」】 石栗裁判長が全員却下を伝えると、「ええええええ」と傍聴席がどよめいた。 5人全員とはいかないまでも、何人かの尋問は実現するだろう。誰もがそう考えていた。開廷前の事前集会でも、井戸謙一弁護士(弁護団長)は「何人かの採用はあるはず」と話していた。しかし、石栗裁判長は言葉遣いこそていねいだったが、控訴人側からの申請を一切認めなかった。 「結論を申し上げます。立証趣旨としてお書きになっているところについては裁判所としては理解しておりますけれども、この5人の方の証拠調べ(証人尋問)が必要であるというふうには考えておりませんので、いずれも採用しないことと致します」 すぐに井戸弁護士が立ちあがった。 「裁判所が必要ないという考えなのであれば、前回わざわざ審理を分離しなくても良かったのではないか。分離してわざわざ今日の期日を設けていただいたということは、何人になるかは分からないけれども、採用していただけるというお考えなのだろうと期待していた。前回期日から今日までに考えが変わられたのか?」 石栗裁判長は「そういうことではありません」と否定した。 「前回期日も、行政事件については十分ご主張が整っているとは思わなかったが、時間的にあの時点で審理を終結しなければ年度内に判決を言い渡すことが難しい状況だったので分離した…あの時点で証拠調べについて何らかの考えを持っていて、それが変わったということはございません」 古川健三弁護士も納得がいかないという様子で立ち上がった。 「すいません、もう一度不採用の理由を説明していただけないでしょうか」 しかし、石栗裁判長は同じ言葉を繰り返すばかりだった。 「控訴人らの立証趣旨について、お書きになっているところは理解しておりますが、立証趣旨との関係で、この方々の人証調べが必要であるというふうには考えていないということです」 古川弁護士は「私どもとしては少なくとも福島県の内堀氏か荒竹氏かは採用していただけると考えていたので非常に残念」と述べたが、裁判所の判断が覆るはずもなかった。 […]  ※弁論の併合と分離について 「子ども脱被ばく裁判」はこれまで、「行政訴訟」(通称・子ども人権裁判)と「国家賠償請求訴訟」(通称・親子裁判)の2つの訴訟を併合し、同時進行で進められてきた。 「行政訴訟」は、福島県内の公立の小・中学生である子どもたち(原告)が、福島県内の市や町(被告)に対し、被曝という点において安全な環境の施設で教育を実施するよう求めた。 「国家賠償請求訴訟」は、3・11当時、福島県内に居住していた親子が原告。国と福島県(被告)の『5つの不合理な施策』(①SPEEDIやモニタリング結果など必要な情報を隠蔽した②安定ヨウ素剤を子どもたちに服用させなかった③それまでの一般公衆の被曝限度の20倍である年20mSv基準で学校を再開した④事故当初は子どもたちを集団避難させるべきだったのに、させなかった⑤山下俊一氏などを使って嘘の安全宣伝をした)によって子どもたちに無用な被曝をさせ、精神的苦痛を与えられたとして、損害賠償(1人10万円)を求めている。 しかし、行政訴訟は子どもたちが中学校を卒業してしまうと原告資格を失うため徐々に原告が減り、来年3月にはついに原告がゼロになる事態を迎える。そこで、控訴人(一審原告)側は仙台高裁に弁論の分離を申請。石栗裁判長は前回9月の期日で分離を認めたうえで行政訴訟を結審。判決を2月1日に言い渡すとことを決めた。一方の「国家賠償請求訴訟」は審理が継続しており、今回の人証申請は「国家賠償請求訴訟」に関するものだった。 2つの訴訟の違いや争点などについては2021年2月20日号で詳報している。 原文

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【傍聴記】311子ども甲状腺がん裁判 via ウネリウネら

《あの日は中学校の卒業式でした。 友だちと「これで最後なんだねー」と何気ない会話をして、部活の後輩や友だちとデジカメで写真をたくさん撮りました。そのとき、少し雪が降っていたような気がします。》  記者は人の話を聞くのが仕事だけれど、こんなに必死になって人の話に耳を傾けたのは、久しぶりかもしれない。プライバシー保護のため、東京地裁103号法廷の中央はパーテーションで仕切られている。その仕切りの奥から、原告の方の声が聞こえてくる。 […] 午後2時の開廷から約1時間後、原告の1人による意見陳述は始まった。その声が聞こえてきた瞬間、法廷の空気は一変した。先ほどまで余裕ぶった表情で裁判に臨んでいた東電側の弁護士たちが、悄然として原告の声に耳を傾けている。 《甲状腺がんは県民健康調査で見つかりました。この時の記憶は今でも鮮明に覚えています。その日は、新しい服とサンダルを履いて、母の運転で、検査会場に向かいました。》 《私の後に呼ばれた人は、すでに検査が終わっていました。母に「あなただけ時間がかかったね。」と言われ、「もしかして、がんがあるかもね」と冗談めかしながら会場を後にしました。この時はまさか、精密検査が必要になるとは思いませんでした。》  この原稿を書いている今でも、原告の声音をはっきり思い出せる。やわらかくて、丁寧で。私は福島に住んで2年余り。数は少ないが、同じ年ごろの人たちと話したことがある。その人たちと同じ声をしている。 《医師は甲状腺がんとは言わず、遠回しに「手術が必要」と説明しました。その時、「手術しないと23歳までしか生きられない」と言われたことがショックで今でも忘れられません。》 《大学に入った後、初めての定期検診で再発が見つかって、大学を辞めざるをえませんでした。「治っていなかったんだ」「しかも肺にも転移しているんだ」とてもやりきれない気持ちでした。「治らなかった、悔しい」この気持ちをどこにぶつけていいかわかりませんでした。「今度こそ、あまり長くは生きられないかもしれない」そう思い詰めました。》  「治らなかった、悔しい」。そう言ったところで、原告の方は少し声をつまらせた。鼻をすするような声も聞こえる。それでも、陳述が止まることはなかった。声がかすれて聞き取れなくなることもなかった。この人は強い、と思った。傍聴席ではもう、みんなボロボロ涙を流していた。 《手術跡について、自殺未遂でもしたのかと心無い言葉を言われたことがあります。自分でも思ってもみなかったことを言われてとてもショックを受けました。手術跡は一生消えません。それからは常に、傷が隠れる服を選ぶようになりました。》 […] 《一緒に中学や高校を卒業した友だちは、もう大学を卒業し、就職をして、安定した生活を送っています。そんな友だちをどうしても羨望の眼差しでみてしまう。友だちを妬んだりはしたくないのに、そういう感情が生まれてしまうのが辛い》   ここのところで、原告の方はもう一度、声を詰まらせた。私は心の中で声援を送ることしかできなかった。 《もとの身体に戻りたい。そう、どんなに願っても、もう戻ることはできません。この裁判を通じて、甲状腺がん患者に対する補償が実現することを願います。》 […] 原告側の井戸謙一弁護士が立ち上がる。 「裁判長、原告側は6人全員の意見陳述の機会を求めます。きょう陳述を行った原告は6人の代表ではありません。皆さん、ひとり一人置かれた状況はちがいます。そのことを裁判官には早期に分かっていただきたい」  裁判長は被告側代理人に意見を求めた。東電側の弁護士が慎重に意見を述べる。 「(原告本人の意見陳述よりも)争点の整理が今後必要です。それを優先してほしいという考えではありますが……、意見陳述については裁判長のご判断にお任せします」  閉廷後の記者会見で、井戸氏はこう話した。 「裁判所は毎回原告の意見陳述をすることには当初から消極的でした。被告代理人も反対でした。今日も明確に『反対』と言うかと思ったら、原告の意見陳述を聞いた直後でしたから、その迫力、うったえる力が大きかったので、被告代理人は『反対』とまでは言えなかったんだと私は受け止めました」  原告の声が、東電側弁護士の耳にも届いたのか?  私はそう信じたい。東電側の弁護士も結局は一人の人間である。一人の人間としてこの日の意見陳述を聞けば、心を動かさない者はいないはずだ。そして、この声がもっと多くの人に届けば、裁判を始めてから原告たちが浴びているという全く正当化できない誹謗中傷など生まれる余地がない。私はそう信じている。 […] 全文

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原発題材の高校演劇、放送を除外 「せりふに差別」主催側と協議 福井のケーブルテレビ via 朝日新聞

原発が立ち並ぶ福井県で昨秋に開かれた高校の演劇祭で、例年なら全作品を放送する地元ケーブルテレビの番組から、ある県立高の劇だけが除外された。同校の劇は原発が題材となり、せりふに差別的な用語が入っていた。どんな経緯だったのか。 […] 劇の中では主人公の女子生徒が、1983年に同県 敦賀市 の当時の市長が講演会で話した言 葉を紹介している。現代では身体障害者への差別を表す言葉を用いて、「 放射能 の影響で将来 に障害のある子が生まれる恐れはあるが、交付金などが入るため原発は誘致すべきだ」との趣旨 を主張する発言。当時から「暴言」と指摘されていた。 高文連演劇部会の顧問らは9月20日と10月8日、農林高の劇について協議した。演劇部会 長の島田芳秀・県立丸岡高校長によると、テレビ側に「そのまま放映した場合、差別表現がある ため、演じた生徒や関係した職員が批判や中傷を受ける可能性がある」と伝えた。放映の是非の 判断は任せたという。 […] 原発題材の高校演劇、放送を除外 「せりふに差別」主催側と協議 福井のケーブルテレビ:朝日新聞デジタル 農林高の部員の一人によると、放送見送りの可能性は演劇祭の翌日、顧問らから伝えられた。 涙を流す部員もいたという。取材に応じた部員は「劇は見られて初めて劇になる。見てもらえず 悔しい」と話す。 顧問会議の出席者の一人は取材に、「9月20日の会議で、『福井ケーブルテレビに原発関係 企業がスポンサーについているかもしれないから大人の判断を』と言った人がいた」と証言し た。高文連が 電力会社 から支援を受けていることを指摘する声も出たという。 島田部会長は取材に、「 反原発 のテーマで上演されたことは問題ない」と述べ、テレビ側に 懸念を伝えると判断したのは、差別表現の存在のためと説明。顧問会議の場で出席者が「大人の 判断」などの発言をしたかという問いには、「記憶にない」と答えた。 敦賀市に原発を持つ 日本原子力発電 が設置する「げんでんふれあい福井財団」(同市)は例 年、県高校総合文化祭( 総文祭 )など高文連の事業に助成金を出しており、21年度は60万 円を助成する。演劇祭も総文祭のイベントの一つだ。 もっと読む(有料記事) ◇福井の高校演劇から表現の自由を奪わないで!顧問会議は『明日のハナコ』の排除を撤回してください。

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シンポジウム“復興の人間科学2021”『福島原発事故10年の経験から学ぶ』~当時小学生だった若者達との対話から via 早稲田大学人間総合研究センター+ ある避難者による感想と報告

原発事故による避難生活という過酷な人生体験を小学生の時期に経験した被災者は、今年で17歳〜22歳となります。 現在大学生となった被災当事者は、あの震災をどう受けとめ,またこの10年間をどのような社会経済状況におかれ、どのような心理状態で、どのように思考を重ね、どのように生き抜いてきたのでしょうか。 […] [第1部.被災当事者学生による講演] 被災当事者学生5名(双葉町・福島市・郡山市・いわき市出身)による講演:「原発事故10年の経験/いま考えること」 【第2・3部】金菱清「現在大学生になる被災当事者との対話から私たちは何が学べるか」・パネルディスカッション 【第4・5部】萩原裕子「被災当事者の語りに耳を傾け学ぶことの意義」・シンポジウムのまとめ 会場で一部始終を見届けた一避難者のレポートと感想です。 8時間に及ぶシンポジウム。中でも避難大学生の講演とパネルディスカッションは圧巻でした ①Kくん:19歳、避難元は福島県いわき市、避難先は都内。都内に避難後、「福島からの避難者」というだけでいじめを受けた。 避難者はスクールカーストの底辺であるという表現にショックを受けた。特筆すべきは、その避難者の中ですらいじめが起こっていたという話。 そうした経験から不登校になり、救いを求めローマ教皇に手紙を出したところ、謁見が実現。手紙を出すという自身の小さな行動が、ローマ教皇との謁見に繋がった事実から、「発信する事」の大事さを学び、福島の原発事故のリアルと自身へのいじめの体験を発信し、二度と同じ悲劇を繰り返さない社会にしていきたいと講演活動を始めたそうです。 ②Aさん:20歳、避難元は福島県福島市。原発事故後、山形、北海道、福島県喜多方市、沖縄を経て京都へ避難後、現在は都内の大学に在学中。 AさんはもまたKくん同様、避難先の学校でいじめに遭う。そのため必死で関西弁を習得しつつ、みんなに馴染もうと努力。 また、福島のことや避難について発信したところ、発言内容についてのバッシングを受けたことから、発信する際の言葉の選び方などについて「誰も傷つけないよりよい伝え方」を探しているそうです。 ③Uさん:20歳、避難元は福島県双葉郡双葉町。原発事故後、栃木を経由し、埼玉へ避難。 Uさんもまた避難先でいじめに遭い、担任に相談するも向き合ってもらえず人間不信に。その後不登校になり、通信高校へ。 そうした中、仏教に出会い、仏教が学べる大学へ進学。少しずつ心の傷と向き合いつつも、まだまだ心は完治しておらず、現在も休学中。 ④Tくん:19歳、避難元は福島県郡山市。原発事故後、神奈川に避難し、現在は都内の大学に通う。 多くの避難者が孤独に避難している中、Tくんは仲の良かったご近所さんともども避難していることから孤立感を感じることなく、スムーズに避難先にもなじめた。 母親が立ち上げた避難者同志のカタリバに関わる中、学習支援を受けていたことから、自身もまた同じ境遇の子どもたちに寄り添いたいと学習支援をしている。 ⑤Kさん:21歳、避難元は福島県福島市。原発事故後、大阪を経て京都に避難し、京都の大学に通う。 放射能汚染から「みんな」ではなく、「自分たちだけ」が避難をすること、また、避難先では、「福島からの避難を隠さなければならなかったこと」に疑問を持つ。高校生の時、日韓高校生交流での体験から国を越えた交流に関心を寄せる。 大学生になってからも日韓青少年交流キャンプに参加をし、そこで原発事故避難者としてのスピーチをした際、韓国の若者が関心と心を寄せてくれたことに感動するとともに「発信すること」の大事さを実感。 しかし原発事故当時の混乱と理不尽さはトラウマとなっており、当時の話をすると感情が乱れてしまう。今回の参加も当初はZOOM参加を考えていたが、現地で生の声を伝えたいと参加を決めた。 5人の大学生の発言内容のレベルの高さが半端なく高いことに驚きを隠せませんでした。その理由を私なりに分析をすると、彼らの10年は、同年代が20-30年でゆっくりと経験することを多感期な10年でぎゅっと経験をしてしまったからではないか? そこには当然歪みが発生する。見た目は子どもでも、知識や思考は大人。 そうしたギャップや、避難先の保護者の不勉強さ、無関心さが複雑に絡み合うことで彼らへのイジメが発生したのではないか?そんなことが想像されるような彼らの冷静かつ的確な分析に、驚くとともに、胸が締め付けられ、そして、勇気をもって発信したことを称賛したいと思いました。 それと同時に、彼らが名前を出して発言していることから、こうした発信が「再び彼らを追い詰めないよう」、私たちは細心の注意を払い、きちんとフォローしていくこともまた次世代を育てていく上で最も大切なことだと感じました。 最後に、主催者のおひとりである早稲田大学辻内先生からのメッセージです。 「様々な意見をお持ちの方がいらっしゃると思いますが、話し合いや議論のキッカケになることを望んでいます。誹謗中傷など、人を傷つける心ない対応のなきようお願いいたします。」

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6号国道沿いからごみ一掃 福島県広野町などで清掃活動 沿線の1300人が心一つに via 福島民報

福島県いわき市から新地町までの6号国道で清掃活動を繰り広げる「みんなでやっぺ!!きれいな6国(ろっこく)」は20日に各地で催され、約1300人がごみ拾いなどに取り組んだ。 広野町のNPO法人ハッピーロードネットと浜通りの各青年会議所でつくる実行委員会の主催、福島民報社などの後援。住民や浜通りで復興事業に携わる作業員らが参加した。  メイン会場となる広野町の二ツ沼総合公園で行われた開会式には約300人が参加した。実行委員長の西本由美子ハッピーロードネット理事長らがあいさつし、参加者がごみ袋を手に出発した。  参加者はそろいのオレンジ色のTシャツを着て作業に臨んだ。広野町の、ふたば未来学園中・高の生徒も参加した。 原文

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井戸謙一「子ども脱被ばく裁判で見えたこと:福島原発事故と放射線被曝」 via UPLAN

【オルタナティブな日本をめざして(第59回)】 去る3月1日(月)、福島地裁で2014年から続いてきた「子ども脱被ばく裁判」の判決がありました。この裁判で原告らは、地方自治体に対し、子どもたちに放射能汚染地帯ではない安全な場所で教育を受ける権利があることの確認を求め、また、国や福島県に対し、福島原発事故後に国や自治体がした不適切な住民防護対策の結果無用の放射線被曝をさせられたことを理由とする慰謝料(わずかな金額)の支払を求めていました。しかし判決は原告らの訴えのすべてを退けました。今後この裁判は仙台高裁での控訴審に移ります。 他方で、この長期間にわたる裁判では、あの山下俊一(長崎大学教授)や鈴木眞一(福島県立医大教授)の証人尋問を含む弁護団による詳細かつ緻密な調査や証努力の結果、国や自治体による住民防護対策に関する様々な事実が明らかになり、その対策の不合理性や危険性が浮き彫りになりました。 今回は、この裁判の弁護団長である井戸謙一弁護士においでいただき、福島原発事故10年を期してのご講演をいただきます。歴史的な講演になると思われますので、みなさまのふるってのご参加をお待ちいたします。 講師:井戸謙一(いどけんいち)弁護士プロフィール:弁護士、滋賀弁護士会所属、元裁判官、福井原発訴訟(滋賀)弁護団長、子ども脱被ばく裁判弁護団長、「原発を止めた裁判官」(2006年金沢地裁で石川県志賀原発2号機運転差し止め判決)、殺人罪で懲役12年の判決を受けて服役後、再審無罪が確定した元看護助手、西山美香さんの主任弁護人。

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【東日本大震災から10年】県議目指し活動中。「黙っていたのは逃げ……自分で行動しようと決めました」/磯貝潤子さん via LEE

2016年4月号のインタビューから5年。東日本大震災関連の報道が減る中で、彼女たちが日々、どんな葛藤や奮闘を続けてきたのか。 新型コロナの流行で現地取材がままならない中、今回はオンラインでじっくりとお話を伺いました。ぜひ彼女たちの思いを共有してください。 5年目インタビューより 郡山市で被災。放射能対策をしながら暮らしていましたが、1年後、県外への自主避難を決断し、娘2人を連れて新潟県の借り上げ住宅に引っ越します。夫は郡山市に残り、二重生活に。甲状腺の検査では娘にも自分にもたくさんのコロイド嚢胞が見つかりました。子どもたちの健康を守るため、放射能や、水や食べ物の安全性について必死に学ぶうちに、沖縄や安保などの社会問題にも目を向けるようになっていきます。 「ママ、本当に戦争になっちゃうの?」……「この法律が成立したら、なるかもしれないね」と答えると娘さんは泣いたと言います。2015年、安保関連法案が国会に提出され、多くの反対の声が上がっていました。 「どうしたら泣く娘を慰められるんだろう。私たちは原発から離れた場所なら安全に暮らせると思って新潟に避難したけれど、もしも戦争になったら、今度はどこに避難すればいいんだろう。大丈夫だよと言える根拠がひとつも見当たらなくて、だったら止めなくちゃならないと思いました」 SNSを通じて「安保関連法に反対するママの会」が全国に広がっていき、磯貝さんもその活動に加わります。たくさんのママが集まった渋谷のデモにも参加しました。けれども2015年9月、安保関連法成立。12月には「安保法制の廃止と立件民主主義の回復を求める市民連合(通称:市民連合)」が発足し、磯貝さんは市民連合@新潟の共同代表を務めることになりました。 「私は原発事故の前は選挙に行ったこともありませんでした。でも震災後、娘たちの安全を守りたい一心で学び始め、いろいろな社会問題にも目が向くようになり、黙っていられなくなってきて。全ての子どもたち、新しい世代の人たちが安心できる世界にしたいという思いが、どんどん強まっていきました。 新潟で流れる柏崎刈羽原発のCMを見て、その反対運動にも関わるようになっていました。安保関連法のときは、私と同じように、それまで政治に目を向けていなかった人たちもたくさん声を上げた。すごく心強くて、こうして立ち上がっていくことで何かが変わる、変われる気がしていました。 […] 進学で上京する娘がくれた手紙 […] 「ママ、18年間ありがとう。毎日かかさずお弁当を作ってくれて、放射能から守るために避難してくれて、やっと今になって本当に感謝しています。空気を気にしないで沢山走って、遊んで、ママのおかげで成長できました。選挙でママが勝つと思うよ。今まで頑張ってきた努力やママの想いが伝わりますように」 […] 起きてしまった事故は磯貝さんの罪ではないのに、なぜそこまで自分で背負うのでしょう。 「すごく期待していたんだと思います。助けようと思えば助けられる人たちがいたであろうに、政府とか、財界とか、どこでもいいですよ、例えばなぜ急いで子どもたちだけでも避難させなかったのか。 私は期待していたんです。いつ始まるんだろう、いつ起こるんだろうと思っていたけど、待てど暮らせどそんなことはなくて、結局、みんなが我慢したり、自分たちの力で何とかするということになって、今に至っているわけですよね。 私も黙っていたけど、それは逃げだった。そのしわ寄せは子どもたちがくらってしまう。だから自分で行動しようと決めたんです。 洗い物をしてひび割れた手で議会に行って、夕飯の献立も考えながら政治のことも考えられる、そういう人がいないと、いつまでたっても私たちにとって政治は遠いものです。頭が悪くてもいい、間違えてもいいから、ワカメの味噌汁を作りながら政治を変えていかないと、と」 […] 全文

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