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人間が汚した地・チェルノブイリにただ一人残った老人 「なぜ?」の問いに帰ってきた言葉の衝撃 via 東京新聞

 「人間の汚した土地だろう、どこへ行けというのか」。旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の強制移住地区に一人残り住む牛飼いの老人の言葉を追い掛けて、写真家・映画監督の本橋成一さん(81)は約30年、現地に通い続けている。これまで写真集やドキュメンタリー映画をつくり、今年はこの言葉をタイトルにした40分の記録映像作品を監督した。事故は26日で発生から35年になる。 (鈴木久美子) […] 本橋さんは住民の暮らしを撮った。監督した映画「アレクセイと泉」(2002年)は、大地に根差した自給自足の日々から、ふるさとに住む幸せが事故によって奪われる深い悲しみを描き、ベルリン国際映画祭で国際シネクラブ賞を受賞した。 ◆人間の知恵が自然を破壊、そして彼を殺したのも…  「人間の汚した土地…」は、95年に出会った元教師の牛飼いアルカジイ・ナボーキンさん=当時(83)=の言葉だ。「なぜ移住しないのか?」との問い掛けに返ってきたその一言に、本橋さんはショックを受けた。「自分は思い上がっていた。恥ずかしかった」 ナボーキンさんは牛27頭の世話をし、ジャガイモを育てていた。古びたアコーディオンを演奏し、その音が人生を表現しているようだと映画に撮ろうと考えたが、ナボーキンさんは牛泥棒に殺されてしまった。 「みんな生きものは自然の中で生きているのに、人間だけが知恵をつけて地球の生態系のバランスを崩している。放射能はその最たるもの。コロナもそうでしょう。人間の暮らしを変えなくてはいけない。そのことにナボーキンさんはちゃんと気が付いていた」 ◆通い続けた30年の思い、40分の記録映像作品に  今回の記録映像作品は、一昨年の訪問の様子をまとめた。これまでの映画で主人公になった少女や青年は都市に移住しており、久々に再会して近況を伝えている。ナボーキンさんの教え子だった男性に初めて会い、墓参りもできた。 時は流れる。どこへ行けっていうんだい―。問い掛けは深まっていく。 30日まで東京都中野区の映画館ポレポレ東中野=電03(3371)0088=で上映予定だが、緊急事態宣言期間中は要確認。 全文

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「これで家を壊せる」 福島原発事故後の〝帰れない村〟を映像に、撮った写真家の心に残る住民の言葉 via Withnews

東日本大震災から今年で10年。福島第一原発事故の後、福島県ではいまだ人が住めない「村」があります。浪江町津島地区(旧津島村)。人口1400人ほどだった山あいの集落は放射線量が高く、今も帰還困難区域に指定されています。その地区を一戸一戸、ドローンで空撮するプロジェクトが2019年6月から1年がかりで行われました。「ふるさとの映像を何とかして残したい」。住民の熱意を受け、全520戸の撮影を担当した野田雅也さん(46)に話を聞きました。(withnews編集部・丹治翔) (略) 住民の結びつきの強さ ――全ての撮影が完了するまで約1年かかりました。 映像に残す方法として、「津島地区全体として空撮」「全520戸を一戸ずつ撮影」の二通りがありました。撮影前に、住民がつくった「ふるさと津島を映像で残す会」に尋ねたところ、選んだのは「全員の家を撮る」ことでした。 帰還困難区域ですので地区への入り口は今もバリケードが置かれ、撮影にも役場や警察の許可を得る必要があります。滞在時間も限られますので、手間も費用もかかる。実際、地図を見てドローンを飛ばしたけど、草木が生い茂って一度では住居を探せなかったときもありました。 それでも全ての家を撮影できたのは、「一つも撮り逃したくない」という残す会の強い思いがあったからでした。 撮影中、「ここはねえ、○○ちゃんがいてね。隣の家は○○ちゃんでね……」とみなさん名前で呼び合うんです。 津島地区は周囲を阿武隈山系に囲まれていて、集落の結びつきが強い。1年間で延べ1カ月以上の撮影をしましたが、同行した住民たちが毎回、ふるさとへの思いを語ってくれました。 1年かかったのは、「桜を撮りたい」という要望があったからです。山を切りひらいて建てた家に植えられた桜は、毎年きれいな花を咲かせていました。撮影のスタートが初夏だったので、最後に満開の桜を撮れるよう進めていきました。 撮影で気持ちに区切り ――印象に残っていることは何ですか。 自宅の撮影に同行した女性が「これで家を壊せる」と言ったんです。避難からもうすぐ10年。「ふるさとへ戻りたい」と願っていた人たちの中にも月日が経つにつれ、あきらめの気持ちが出ている人もいます。 ある男性は「避難先で生活の基盤を築いた息子は『もう帰らない』とはっきり言っている。津島の歴史は私の代で終わりです」と話しました。 プロジェクトは空撮だけではなく、住民にインタビューをしたり、津島の自然や伝統芸能を撮ったりもしました。後世にも伝えることができる「ふるさとの記憶」を映像に閉じ込め、自分の気持ちに区切りをつけていた住民の姿が今も心に残っています。 全文は「これで家を壊せる」 福島原発事故後の〝帰れない村〟を映像に、撮った写真家の心に残る住民の言葉

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