Tag Archives: 今中哲二

「汚染続いたまま」「被曝避けられぬ」。交錯する現実と心情。「村は安らげる」「東電許していない」~福島市でシンポジウム via 民の声新聞

村民や研究者らでつくる 「飯舘村放射能エコロジー研究会」 の第9回シンポジウム「原発事故から7年、不条理と闘い生きる思いを語る」が17日、福島県福島市の県青少年会館で開かれた。京大原子炉実験所研究員の今中哲二さんらが今なお村内で続く汚染や被曝リスクについて語った一方、既に村の自宅に戻って生活している村民からは「放射能の事は頭から離れることは無いが、土と接しているととても穏やかな気持ちになる。避難先では安らげない」との声も。「村に戻っても村外で暮らすにも課題がある」という指摘もあった。国も東電も原発事故の責任を認めない中、東電はADRの和解案を拒否した。飯舘村民が直面する「不条理」はとても重い。 【「避難指示解除は帰村指示では無い」】 原発事故から7年が経過したとはいえ、飯舘村で生活すれば被曝するリスクは確実に存在する。帰還困難区域の長泥地区を除く避難指示が解除されて間もなく1年。国が「年20mSv以下では健康に影響を及ぼさない」として被曝リスクを認めない中、京大原子炉実験所研究員の今中哲二さんは「余計な被曝をしない方が良い」とした上で「避難指示の解除そのものには反対したことは無いが、避難指示解除は帰村指示では無い。最大の問題は、村に帰りたくない人まで無理矢理帰らせようとする施策をとっている点だ」と語った。 加害当事者である国が「年20mSv」を掲げている点について、今中さんは「根拠を探したが『20mSv以下なら安全・安心です』と述べている行政文書や専門家の見解を見つけることは出来なかった。[…] 日大生物資源科学部特任教授の糸長浩司さん(建築・地域共生デザイン研究室)は、これまでの測定の結果から「除染や自然減衰で村内の空間線量率が下がっているのは間違いない。ただ、それは住宅内や周辺の話であって、山の土壌には相当量の放射性セシウムは残っていて、ガンマ線を発している。こういう状況で避難指示が解除されて自主的避難になってしまっている。理不尽と言わざるを得ない」と指摘。除染済みの農地でも、依然として250~3000Bq/kgの放射性セシウムが残存しているという。「原発事故前は100Bq/kgが基準値だったが8000Bq/kgに引き上げられ、事故前は駄目だった土地で野菜を作っても良い事になっている。法律を超えた〝例外状態〟だ。農作業中の被曝の問題もある」と語った。「帰村か移住かの二者択一ではなく、将来の帰村も含めた飯舘村での居住権の確保と避難先での居住権の確保という『二重居住権』の保障も必要だ」 内科医として村民と接してきた振津かつみさん(医薬基盤健康栄養研究所)は、福島県だけでなく周辺自治体も含めた「被曝者健康手帳」の必要性を改めて強調。「放射線被曝の遺伝的影響は、マウスなどの動物実験では証明されている。差別につながるとの指摘もあり非常にデリケートな問題だが、ヒトでも次の世代への影響が起こり得ると考えて対策を講じていくという姿勢が被害の拡大を防ぐことであり、本当の意味で被害者の人権を守ることにつながる。科学というのはそういうものだと思う」と語った。 【「お金で買えないものが奪われたまま」】 突然降り注いだ放射性物質で日常生活を奪われた飯舘村民は、それぞれに複雑な想いを抱きながら新たな道を歩み始めている。 村で生まれ育った細杉今朝子さんは「孫と遊ぶのが楽しかった」と原発事故前の生活を振り返る。福島市内に避難していたが、避難指示解除を受けて村内の自宅に戻った。戻る決め手となったのは「家を守っていく」という想いのほかに、「安らぎ」だったと語る。 「何よりも土と接したかった。野菜や花を育てていると、とても穏やかな気持ちになります。もちろん、放射能の事が頭から離れたことはありません。でも、避難先では安らげないんです」 つくった野菜を測定しても基準値を超える放射性セシウムは検出されない。「安全ではあるけど安心出来るのかなあ」と細杉さん。それに、こんな想いもある。「村に戻ったからといって東電を許したわけではありません。お金では買えないものが奪われたままですから」。孫たちは進学もあって村外に移住した。楽しかった日常生活は原発事故で一変した。 […] 【東電「9mSv以上の被曝でも影響無い」】 シンポジウムでは、裁判外紛争解決手続(ADR)や裁判を通して加害企業である東電と闘う状況が村民から報告された。 長谷川健一さん率いる「飯舘村民救済申立団」は、3000人を超える村民が加わり、事故や避難に対する慰謝料を求めている。東電は一部、和解に応じたが、初期被曝に対する慰謝料に関する和解案を昨年11月、拒否した。 「今中さんが750人の村民と面談したところ、4か月間の初期外部被曝線量の平均は7・0mSvだった。このうち、9mSv以上の被曝があったと思われる約200人に対して1人あたり15万円の慰謝料増額を求めたが、東電は見事にけっぽってきた」。 原子力損害賠償紛争解決センターに提出した主張書面で、東電は「9mSv以上の被曝をしたことをもって慰謝料の発生を基礎づける程度の身体への影響が生じるとはそもそも考えられません」、「今中試算に基づく被曝線量の推計については実体と大きく乖離している可能性が高い」、「避難指示が出された後も村内に滞在したのは自身の選択に基づくもの」などとして拒否した。「長谷川さんは「年末に『馬鹿にするな』、『冗談じゃない』と声を荒げながら抗議書を提出した。訴訟に向けて進んで行かなければならないのかと考えている」と怒りを込めて話した。 […]       全文

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福島飯舘村避難指示解除で村民は戻ってきたのか via 日刊スポーツ

東日本大震災から6年。今年3月31日に東京電力福島第1原発事故の放射能汚染で全村避難となっていた福島県飯舘村の避難指示が解除された。事故発生当時から現場に入り、放射能汚染の測定を続けてきた科学者がいる。 […] 飯舘村南部の空間放射線量は1時間当たり20マイクロシーベルト以上。この被ばくを1日8時間、1年間以上続けると、約60ミリシーベルト。日本の法律に定められた一般人の年間被ばく限度1ミリシーベルトの60倍だ。 「僕は涙を流すしかない。ここの現状がどうで、どれぐらい被ばくするということは自分の責任である程度は言えます。ただ移住するとか避難するとかはそれぞれの人の判断です。僕からは言えません。専門家ができることは行政や普通の人々が判断できる情報をきっちり出していくことです」 現地調査は10回近くに及び、福島市内では避難中の住民の声を何度も聞いた。科学者としての思いは1つ。専門家として正確な情報を伝える-。 今中さんは86年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故の災害研究の第一人者でもある。90年から科学者グループの1人として現地入りし、調査を重ねてきた。研究テーマは「原発事故という最悪の事態が日本で起きたらどうなるか」だった。 「原発が事故を起こしたら周囲20~30キロの地域と文化が丸ごと失われる。同じことが起きている」 […]   もっと読む。

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「原発の再稼働あり得ない」 京大実験所定年、今中さん /和歌山 via 毎日新聞

京都大学原子炉実験所(大阪府熊取町)を先月定年退職した今中哲二さん(65)の講演会が29日、和歌山市西汀丁の市勤労 者総合センターであった。今月26日で事故後30年を迎えた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故研究の第一人者で、長年、原発の危険性を指摘してきた今中さん は「地震が多い日本でこんなに原発を作ったのが間違い。原発の再稼働はあり得ない」と訴えた。  (略)  現在、同研究所の研究員を務める今中さんは講演で、東京電力福島第1原発事故によって「日本も放射能汚染と向き合う時代になった」と説明。東京を含む汚 染地域で暮らすことは、「余計な被ばくはしない方がいいが、ある程度の被ばくは避けられないという(相反する)ことに、どう折り合いを付けるかだ」と話し た。  また、子どもたちの放射線被ばくの影響について適切な調査がされていないとして、国の責任で健康追跡調査を実施すべきだと訴えた。 全文は「原発の再稼働あり得ない」 京大実験所定年、今中さん /和歌山

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原発 言っておきたいこと=山田孝男 via 毎日新聞

(略) 「原発は、安全か、危険かという問題ではない。原発は危険だ。原発がある限り、事故は起きる」  今でこそ断言する今中だが、初めは違った。  被爆2世。広島大付属高から1969年、大阪大工学部原子力工学科へ。東工大大学院在学中、大手原発メーカーに職を得るつもりでいたが、石油ショックで求人が冷え、断念。中国電力へ行こうかと迷い、76年、京大原子炉実験所の助手に採用された。  本格的な原子力発電が始まって間もない黎明(れいめい)期。日本はそこから原発大国へ上りつめ、暗転した。その興亡とともに半生を歩んだという感慨がある。  転機は米スリーマイル島事故(79年)だった。原子炉は、水がなければ溶けて破局的災害に至ると思い知った。チェルノブイリ(86年)も、福島も。      ◇  「放射能汚染地域で暮らすなら、余計な被ばくはしないほうがいい。一方、汚染地域で暮らす以上、それなりの被ばくは避けられない。(何が最優先か、人の判断は異なるので)自分で考えて決めるしかない。学者は情報を出す」  −−と今中。  低線量被ばくの長期的影響は不明である。  今中は、縁あって福島県飯舘(いいたて)村で線量測定や聞き取り調査に携わった。その経験から、莫大(ばくだい)な国費投入にもかかわらず、除染が効率 的に進んだとも言えない現状の見直しを要請。被災地の子どもたちの、定期検診と被ばく評価のデータベース化も提言した。 (略)  最終講義の聴衆は150人。昨春、退官した小出裕章元助教(66)が司会を務めた。小出は熊取を去ったが、今中は、しばらく実験所に残るという。  最新統計によれば、世界で運転中の原発は計431基。建設・計画中を合わせれば614。建設・計画中だけで56とズバ抜けて多いのが中国である。 全文は原発 言っておきたいこと=山田孝男

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原子力ムラの対極、熊取6人組の安全ゼミ終わる via BLOGOS (Blog vs. Media 時評)

福島原発事故で原子力ムラが見せた狼狽と無責任の対極にある存在が、京大原子炉実験所を拠点にした批判科学者集団「熊取6人組」でした。2月10日、彼ら が35年余り続けてきた原子力安全問題ゼミが幕を閉じました。グループで最後の実験所職員、助教の今中哲二さん(65)が定年退官するためです。最後の講 演で今中さんが「行政の意思決定や政策実行に係る人々、つまり役人や政治家に間違いや不作為があった場合には個人責任を問うシステムが必要だ」と締めくく りました。世界の原子力史で未曽有の惨状を招きながらぬくぬくとしている原子力ムラの政治家・官僚・学者への痛烈な非難です。 (略) 福島原発事故でこうしたデータ主義と現場主義が鮮やかだった例は『飯舘村南部に広い高汚染地域:現地調査で確認』(2011/04/04) で伝えたケースです。飯舘村での高い汚染が今中さんたちの現地踏査で初めて目に見える地図になりました。これには前段があって第253回「高汚染無視で飯舘村民を棄民する国とメディア」(2011/04 /01)で「国際原子力機関(IAEA)が福島原発の北西40キロ、飯舘村で測定した土壌の放射線レベルが極めて高かったのに、原子力安全・保安院は無視 を決め込み、マスメディアは事態の意味を理解しようとしません。国とメディアが一体になった文字通りの棄民です」と指摘した状況を打ち破る実測データでし た。 その飯舘村の今について今中さんは「除染という名の環境破壊が進み、惨憺たる有様です。国は来年には村民を帰す方針ながら、村民1人当りで何千万円とい う無駄な除染費用を使っています」と主張します。個人の生活再建こそが目的のはずなのに、村の再建に目標がすり替わり、除染しても放射能レベルは半分にし かならないのですから多くの村民は帰村しないでしょう。 今中さんや小出さんたちと福島原発事故の関わりは第258回「在京メディアの真底堕落と熊取6人組への脚光」(2011/05 /11)でまとめています。原子力ムラが発する「がん発生のリスクが高くなるという明確な証拠があるのは100ミリシーベルト以上」とする恐ろしく一方的 な断定を当時のマスメディアが臆面もなく報道する中で、中央官庁に依拠しないオルタナティブ情報源としての熊取6人組の価値が大きく見直されたのです。 この第112回安全ゼミの最後で小出さんが厳しい発言をしています。「福島原発事故で出された原子力緊急事態宣言は5年経っても未だに解除されていませ ん。この宣言があるために放射線防護関連法令が停止され、これから何十年もこのままでしょう。それなのに経済優先の安倍内閣は『アンダーコントロール』と 嘘をついてオリンピックを誘致しました。こんな国なら私は喜んで非国民になります」。他の地域なら放射線管理区域並の汚染として禁じられる場所に、福島で は人が住み、飲食をして寝ているのです。 全文は原子力ムラの対極、熊取6人組の安全ゼミ終わる 当サイト既出関連記事: 京大・今中助教が退職講演 反原発運動で住民側支援via朝日新聞 『迫害され続けた京都大学の原発研究者(熊取6人組)たち 危険性を訴えたら、監視・尾行された』 via 現代ビジネス [講談社]

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