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震災や原発すら「消費」してしまうのか? 舩橋淳×後藤正文対談 via Cinera.net

これは福島第一原発の事故によって故郷を追われた人々の話である。埼玉県の旧騎西高校での避難生活を余儀なくされた、福島県双葉町の人々の姿を克明 に捉えた、舩橋淳監督のドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』。2012年に公開され、国内のみならず、海外でも大きな反響を呼んだこの作品の第 二部が11月15日より公開される。前作から今までの約3年間が記録された本作では、町長と町議会、埼玉に移った人々と福島に残った人々との軋轢や、新た に浮上した中間貯蔵施設の問題などが、前作以上の濃度でカメラに収められている。そう、言うまでもなく、原発事故はまだ収束などしていない。そして、誰も がその当事者であり、責任の一端を担っているということを、この作品は改めて我々に突き付けてくる。 今回舩橋監督が対談の相手として指名したのは、ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文。震災・原発事故以降、積極的にメッセージを発信し、自ら編集長を務める『THE FUTURE TIMES』でこの国をドキュメントし続けてきた後藤は、『フタバから遠く離れて』をどのように見て、何を思ったのか。そして、震災から3年半が経過し、 記憶の風化が進む中、今映画や音楽には何ができるのか。二人の対談が行われたのは、横浜にあるランドマークスタジオ。アジカンが震災後初めて発表したアル バム『ランドマーク』が生まれた場所である。 (略) 後藤:僕は静岡の島田市の出身で、近くに浜岡原発があるんですが、全国の原子力施設を抱えてる市町村の人たちの会議のシーンを見て、「この人たちはホントに他人事みたいに集まってるんだな」って思ったんですよ。ちょうど浜岡原発がある御前崎の市長も出てましたけど……。 舩橋:映画の中で、「もう2年も経ってるんですよ! 再稼働してください!」って言ってた人ですね。 今、僕らは双葉町の人たちが築いてきた歴史や文化や風土をも丸ごと剥ぎ取ってしまっている。それを実感として感じたんですよね。(舩橋) 後藤:僕、福島第一原発の事故を考えるときに、他人事だとは思えないんです。自分にもいくらかの罪があって、自己嫌悪みたいな気持ちになることもあって。 舩橋:なぜそういう気持ちが起きたんですか? 後藤:10代の頃は間違いなくそういうことに無自覚に生きてきて、政治にも興 味がなかったし、むしろコミットするのがダサいと思ってた世代でもあるんです。でも、自分が使ってる電気がどうやって生まれてるのか? っていうことが、 震災前から何となく気になってはいたんですね。日本で暮らしてるといろんなことを無意識のうちにアウトソーシングしているんだけど、それが震災と原発事故 で「露になったんだな」って気持ちがあるんですよね。今の状況はそもそも自分たちが担保してきたものだし、「いい加減気づきなさい」ってメッセージを受け 取らなければならないというか。 舩橋:ホントにおっしゃる通りだなと思います。世界的に見れば、例えばハンコを 作るために象牙狩りの密猟がケニアで行われていたり、ダイヤモンドを採掘するためにジンバブエの子どもたちが強制労働をさせられていたりする。「文明社 会」というのは、その仕組みを見えなくすることなんですよね。 後藤:しかも、それって最近のことのように思いがちですけど、そもそも都市はそうやって発展してきたんですよね。民俗学の本を読むと、「けがれ」も全部外部化して、人々の間に差別を作って、「死」さえもアウトソーシングしてきた。それってすごいことですよ。 舩橋:僕も今は偉そうなことを言ってますけど、震災前はぼんやりとしか考えてな くて、使用済み核燃料の話とかも、「何万年も未来の子どもたちにごみを押しつけるっておかしいよな」ぐらいにしか思ってなかったんです。でも今回、双葉町 の人に寄り添いながら3年半以上映画を撮って気づいたのは、これは遠く離れた問題ではなく、もっと身近なところに犠牲を押しつけてるんだなってこと。今、 僕らは双葉町の人たちが築いてきた歴史や文化や風土をも丸ごと剥ぎ取ってしまっている。それを実感として感じたんですよね。 (略) 舩橋:自分の中でそれを消化するまでには、すごく時間がかかりましたよ。実は震災後に 東北をまわって、陸前高田や気仙沼もほんの少し撮影してきたんですけど、ものすごい罪悪感を感じたんです。人の悲劇を盗み撮りしてるような感覚があって、 とにかくこれは使っちゃいけないと思った。『ニューヨークタイムズ』のデニス・リムという批評家が、「ディザスターツーリズム(被災地観光)」という言い 方をしているんですけど、物見遊山にカメラを回して、「ほら、すごいでしょ?」って見せるのって、他人事の極致じゃないですか? これは映像を撮る人間と して、やっちゃいけないことだと思ったんです。 (略) 舩橋:今回は被災した人たち同士の内部対立を描いているんですけど、それには大変躊躇 しました。要は、映画を作るとき、被写体がどう見えるかまで責任を負わないといけないんです。映画の中で旧騎西高校に避難した人たちに対して、「タダ飯食 … Continue reading

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「“金目”ですべてが解決するのか――」原発事故から3年半……原発避難自治体・双葉町を引き裂く“分断”と内部対立 via 日刊サイゾー

『フタバから遠く離れて 第二部』公開直前インタビュー 2012年に公開されたドキュメンタリー映画『フタバから遠く離れて』は、原発事故をきっかけに、埼玉県加須市の旧騎西高校に避難所を設置した福島県双葉 町の姿を追う作品だった。今回、この続編となる『フタバから遠く離れて 第二部』が公開される。12年の正月から14年8月まで2年8カ月を密着し、避難 所の閉鎖、町長の解任、そして中間貯蔵施設の受け入れ問題など、双葉町に起こったさまざまな変化と、その変化がもたらした心の中の葛藤が映し出されてい る。 (略) ――第二部を撮るにあたって、第一部との違いを意識されましたか? 舩橋 前作では、これは原発避難民だけでなく、東京で電気を消費してきた我々にとっての問題でもあるという「当 事者意識」が大きなテーマでした。第二部でも同じ視座は保っていますが、新たに湧き上がってきた、さまざまな形で原発避難民を引き裂く「分断」という問題 にフォーカスしています。放射能によって逃げる人と逃げない人という分断が生まれ、放射線量に基づいて避難指示解除準備区域、居住制限区域、帰還困難区域 という3つの区分が生まれています。これに応じて賠償額も変わってくるので、「通りの向かいに住んでいた○○さんは、うちの倍も賠償をもらっている」とい う心の中の分断が生まれる。そして、現在問題となっている「中間貯蔵施設」もまた分断を生み出します。双葉町の10分の1となる5平方キロメートルを中間 貯蔵施設にしようと国が求めているのですが、この建設予定地に土地を持っている人は、国が土地を買い上げる予定です。双葉町の人の中には「双葉に戻れるか わからないから、いっそのこと土地を買い上げてほしい」と思っている人もいます。中間貯蔵施設の予定地だけが先に買い上げが始まり、補償をもらえる。町の 中で、補償をもらえる人ともらえない人とで分かれてしまう。 ――さまざまな政策が町民の分断という形で働いて、結果的に地域コミュニティのまとまりを壊していく。 舩橋 大飯原発再稼働を差し止める福井地裁の判決では「人格権」(個人の人格的生存に不可欠なものを保護する権 利)という言葉が使われましたが、コミュニティを分断され、仮設住宅に放り込まれてしまうのは人格権の剥奪です。石原伸晃大臣が「金目の問題」という失言 で批判されましたが、人格権を剥奪した結果、「金をやるからいいだろう」という話になっているんです。そもそもすべきことは、何年たって戻れるかわからな いけど、新しい町を作ってみんなが一緒に住んでいた双葉の文化環境を移築することではないでしょうか。まさに、これを「金目の問題」として片付けようとし ているんです。 全文は「“金目”ですべてが解決するのか――」原発事故から3年半……原発避難自治体・双葉町を引き裂く“分断”と内部対立

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