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政府の廃炉対応は「不真面目」 規制委前トップの直言via朝日新聞

聞き手・福地慶太郎2020年11月18日  東京電力福島第一原発事故の直後、原子力を推進した科学者として国民に謝り、その後は全国の原発の安全対策を審査する組織のトップとなり、再稼働を認めた。いま、ふるさとの福島県で復興に携わる田中俊一さん(75)には、政府の廃炉への対応は不真面目に映る。 […]  ――原発事故の3週間後、田中さんを含む原子力の専門家16人が連名で、事故の発生を国民に陳謝し、事故の悪化を防ぐため、原子炉や使用済み燃料プールの冷却機能回復など異例の緊急提言を行いました。  「ああいう重大な事故が起きたということは、『原子力の平和利用』を進めてきた科学者の社会的責任として、陳謝が必要だと考えました。そして、国全体が一丸となって取り組むべきことを早く示す必要があると判断しました」  ――2011年5月には福島県飯舘村に入り、有志で除染を始めました。  「やらないほうが楽だと思いますが、やはり、何かしなきゃという人生観ですね。11年5月、汚染されて避難が必要な状況で、中に入れるのは飯舘村ぐらいでした。飯舘村は(避難指示が出てすぐではなく、計画的に避難する)計画的避難区域に指定されたから入れたのです」  ――12年9月、全国の原発の安全対策を審査するために発足した原子力規制委員会の初代委員長に就任しました。直前の国会では「(就任を)大変悩みました」と明かしています。  「規制というのは、原発を動かすのが前提です。『原発はやめるべきだ』という空気が社会で強まった状況で、規制に対する信頼を本当に取り戻せるのか、と考えました」  ――それでも、「国民が納得できる規制に取り組むことが日本のためだ」と説明しました。  「国会事故調査委員会は、原発事故前は専門性の欠如などから規制当局が電力会社の『虜(とりこ)』になったと指摘しました。その点は払拭(ふっしょく)でき、規制委への一定の信頼は得られたんじゃないかと思いますが、それは皆さんが判断することです」 ――被災地を支援する一方、規制委員長として全国の6原発12基に再稼働に必要な許認可を出しました。  「規制委の役割は、原発を止めることじゃないんです。二度と福島のような事故を起こさない。その条件として、電力会社から見ると厳しい(安全対策の)要求をします。その影響で、国内の多くの原発が廃炉になりました。規制委員長のころは所掌外だったので言いませんでしたが、私は個人的には原発なしで日本はやっていけないと思っています」  ――その理由は。  「まずエネルギー資源がないですよね。再生エネルギーの割合は増えたけど、まだまだ。原発の運転が見通せない日本は、石油や石炭の割合が高く、(温暖化対策に後ろ向きと認定された国が選ばれる不名誉な)化石賞をもらいました。原発のリスクと温暖化のリスクをどう考えるのか、です」 […] ――原発への国民的理解と事故防止はどうつながるのですか。  「国民的な理解がないままだと、良い人材は集まらないんです。私が原子力を学び始めたころは、大学でも工学部の中で優秀な人たちが集まっていました。いまはなかなか集まらない。社会的な位置づけを明確にするべきです。そのためには、きちっとした議論が必要です」 ――福島第一の処理済み汚染水の処分方法について、議論が続いています。  「私は規制委員長のころから、(国の基準を守って海に)捨てるしかないと言ってきました。廃炉作業で出るほかの廃棄物と比べると、処理水のリスクは小さなものです」  ――他の廃棄物とは。  「最たるものは、(核燃料が溶け落ちた)デブリの始末でしょう。高レベル放射性廃棄物に近い建屋の構造物などもあります。(今年、半分に解体された)排気筒もそうです。福島県は、廃棄物はすべて県外に持ち出すように言っていますが、できるはずがありません」  ――なぜですか。  「どこも受け取るはずがないからです」  ――政府と東電の工程表には「30~40年で廃炉を完了する」とあります。  「それもできません。30~40年後は誰も責任がないから、そう書いているだけです」  「あの場所が更地になるようなイメージを持っている人もいるかもしれませんが、更地にはできません。敷地の一部は出入りできるようになるかもしれませんが、原子炉建屋のまわりはほとんど人が出入りできない土地になると思います」  ――地元はどう受け止めたらいいですか。  「あまり愉快ではないかもしれないですが、それはしょうがないと思います。できないことは、できないんですから。それなのに、デブリを取り出して更地になるように言うのは罪だと思います」  ――いまの政府は、更地にできるように言っているように見えますか。  「そう見えます。パフォーマンスをしていて、非常に不真面目ですよね」  ――現在は飯舘村の復興アドバイザーです。茨城県の自宅と飯舘村から借りた住宅を行き来しながら、村で活動しています。 […] ――一方で、除染土を含む農地で栽培された野菜の安全性を不安に思う人もいます。  「不安に思うなと言うほうが無理だと思います。それを踏まえ、前に進めていくんです。実証事業の内容、検査結果を大いに報道してもらって、少しずつ心の不安を解消してもらうしかないと思っています」(聞き手・福地慶太郎) 全文

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課題は「前村長〝独裁〟からの脱却」 日大で物理学んだ杉岡村長が初登庁 「放射線防護の三原則に従う」「開かれた村政目指す」via民の声新聞

2020/10/20 無投票で飯舘村長選挙に当選した杉岡誠村長(44)が27日午前、村役場に初登庁。杉岡村政が船出した。6期24年にわたって君臨した菅野典雄前村長の強引な村政で村の民主主義は破壊され、原発事故による放射能汚染や被曝リスクに対する村民の懸念も否定され続けて来た。杉岡村長はまず、村民との対話と線源の存在を認めたうえでの放射線防護に取り組む。前村長が硬く閉じた村長室の扉は開け放たれるのか。村民の拍手で役場に迎えられた杉岡村長には、前村長が否定し続けた放射線防護と「開かれた村政」の実現が期待されている。 村民不在の〝復興〟を反省】 杉岡村長自ら「すがすがしい秋晴れの日」と表現したように、暖かい陽光に包まれての初登庁。しかし、現実には前任の菅野典雄村長が遺した〝負の遺産〟があまりにも大く横たわっている。午前10時から行われた初めての訓示では、村役場職員を前に「反省」を口にした。まずはそこからだった。 「『復興』という言葉が叫ばれてからもう10年が経とうとしていますが、いつの間にか、この『復興』という言葉が、行政側が一方的に押し付けるようなイメージで捉えられて本当の『復興』を実感すべき住民の姿が、住民自身がおざなりになって来たのではないか。そんな危機感を持っています。本来、手段であるべき『復興』のための様々な取り組みが、いつの間にか目的となってしまった。そういうところがあるのではないかと反省しています」 課題は〝菅野独裁〟からの脱却。前村長は原発事故による放射能汚染と被曝リスクに向き合わず、村民の声を押し切る形で原発事故後の村政を進めてきた。懸念の声が多い中での村内学校再開。道の駅などハコもの建設ラッシュと贔屓にする彫刻家の作品を大量購入。自身に好意的な地元メディアの取材は積極的に受け、広告を次々と出稿した。一方でフリーランス記者には「悪い事ばかり報じる」と敵意をむき出しにした。 「起きてしまった事をいつまで口にしても仕方ない」と被曝リスクへの村民の懸念を否定し続けた。国には「良くやってくれている」とすり寄って交付金を獲得し、原発事故の加害当事者である東京電力を「東電さん」と呼んだ。避難指示解除の住民説明会では、国や東電と同列に並んで村民の怒りを買った。子育て中の母親は「村は嫌いでは無いけど、村民の声に耳を傾けないような村長のいる村に将来は無い」と中通りに移住した。菅野氏が勇退を発表した際には、村政に協力的な村民ですら「村長選挙にきちんと立候補して、惨敗して役場を去れば良いんだ」と口にしたほどだった。〝傷〟はそれほど深いのだ。 【反対意見封じる田中俊一氏】 杉岡村長を迎える村民の輪の中に、原子力規制委員会の田中俊一前委員長の姿もあった。田中氏は委員長退任後に飯舘村に移住。「飯舘村復興アドバイザー」(2018年2月1日から2020年3月31日まで)を委嘱されるなど、菅野氏の〝右腕〟として今も影響力を持っている。 「杉岡さんとは付き合いが長い?杉岡さんは役場の係長をやってたから…」 声をかけると、いつものようにぶっきらぼうな調子で答えた。そして、長泥行政区で行われている除染で生じた汚染土壌の再利用実証について質すと、これまでと同様に反対意見への批判を口にした。 「モニタリングポストの撤去も、汚染土壌の再利用も、汚染水の海洋放出も、反対する方がおかしいんだよ。それしか方法が無いんだから…。それしか無いですよ。陸上保管なんてあり得ないですよ。(汚染)水は永遠に流れて来るし、あり得ないですよ。何のために陸上保管をしなければいけないんですか。安全上の問題など何も無いのに。何も問題無いですよ。50年以上、戦後世界中で皆流しているけれど何か起こったという話は無い。あの基準は国際基準として決まっているんだから」 自分も含めて国の方針が絶対正義で反対する側は悪、という構図こそ、原発事故後の菅野村政がつくりあげてしまった村の姿だった。田中氏は反対する人たちだけでなく、メディア批判も口にした。 「当たり前の事が出来ないとね。そんな事をやってたらあんた、『いちえふ』の廃止(廃炉)なんて出来やしないですよ。廃棄物は山ほどあるし、もっともっとリスクの大きい事がいっぱいある。モニタリングポストもそう、汚染土壌の再利用もそう。もっとリスクを合理的に考えないと。反対してたら福島の復興なんて出来ないですよ。原発事故は原発事故なんだけれども、それをどう克服するかという視点が全く無いのが、あなたとは言わないけど、あなたたちマスコミの…」 「およそ大学で学んだ人たちとは思えない思考力しか無い。まるで反対している人が悪いみたいだって?そうですよ。反対するのは構わないけれど、福島の復興の妨げになるような事はやめなさいって。妨げてますよ、ものすごく。村内にはフレコンバッグがいっぱいあるでしょ。これをどうするんですか? これを毎日見ている人たちは? 村に戻って来たって田んぼの上にあれがあったら何も出来ないでしょ」 「再利用しなくたって良い? 別に良いじゃないですか再利用出来るんだったら。安全上、何も問題無いんだから。問題無いと言い切って良い。言い切れます。そのための実証試験をやってるんです。ものを普通に考える力が無いんだったら、もうやめたら良いんだメディアなんか。何が『民の声』だよ」 杉岡村長は田中氏とどう付き合っていくのだろうか。 […] 全文

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<ふくしまの10年・元牛飼い2人の軌跡>(1)外に出るな 汚染されている via 東京新聞

東京電力福島第一原発から北西に三十キロ以上離れた福島県飯舘村前田地区。ここで乳牛約五十頭を飼い、地区の区長もしていた長谷川健一さん(67)は東日本大震災四日後の二〇一一年三月十五日夕、地区の住民を集会場に集めてこう伝えた。 「家の外にはできるだけ出ない方がいい。畑の野菜も汚染されてっから、食べちゃなんねえ」。長谷川さんは、原発が極めて厳しい状態だと、東工大大学院で核物理を学び、役場で農政担当をしていた杉岡誠さん(44)=現村長=から聞いていた。 […] 汚染蒸気は風に乗って飯舘村がある北西方向に向かい、運悪く降っていた雨と雪とともに村内一円に降り注いだ。隣接する南相馬市や浪江町から避難してきた人たちもいた。昼ごろから放射線量が急上昇。前田地区では毎時一〇〇マイクロシーベルトを超えていたと後に知った。 「飯舘の酪農は駄目になるかもしんねえな」。長谷川さんは覚悟し、翌十六日朝、長男や孫らを千葉県の弟宅に送り出した。自身は牛の世話があるほか、区長としての務めもあり、妻の花子さん(66)と残った。苦しい年月の始まりだった。 全文

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木質バイオマス発電を考えるオンライン・シンポジウムviaフクロウの会(福島老朽原発を考える会)その他

飯舘村では超高濃度の樹皮を燃やすバイオマス発電建設計画が発表されました。これに象徴されるように、いま、福島では放射能汚染した森林を伐採して燃やすバイオマス発電計画が進められています。放射能汚染木を燃料とする木質バイオマス発電は放射能の再拡散=バラマキという重大な問題をはらんでいます。 放射能汚染問題だけではありません、FIT制度の下に全国各地で急増する木質バイオマス発電は様々な問題を抱えています。膨大な燃料確保のための無秩序な森林伐採が国内外で行われています。これによる生態系の破壊、洪水、土砂崩れの発生、騒音、異臭、事故などの問題を引き起こしています。大型木質バイオマス発電は熱効率が悪くCO2発生を増大させています。 こうした状況の中で、全国各地で木質バイオマス発電問題に取り組む運動があります。心配や危惧をいだいている個人の方々も多くいらっしゃるはずです。こうした全国の状況を共有化し問題解決のヒントを探るためのオンライン・シンポジウムを開催したいと思います。オンライン形式ですので、お気軽に広く全国の皆さまが参加されることを期待します。 ●よびかけ団体 フクロウの会(福島老朽原発を考える会)/放射能ごみ焼却を考えるふくしま連絡会/木質バイオマス発電チェック市民会議(長野県東御市)/ちくりん舎(NPO法人市民放射能監視センター) ●シンポジウムの内容 ◇各地からの現状報告① 長野県東御市から・・木バスチェック市民会議 川端眞由美② 新潟県三条市から・・未来の生活を考える会・三条 鶴巻敏樹③ 福島県田村市から・・大越町の環境を守る会 久住秀司④ 飯舘村その他福島県の状況・・ふくしま連絡会 和田央子 ◇各地からの発言(伊達市から(予定)他)※発言を希望される方は事前にご連絡いただけるとスムーズです。 ◇コメント① FIT制度からみた木質バイオマス発電・・FoE Japan 満田夏花② 木質バイオマス発電の技術的問題・・ちくりん舎 青木一政

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汚染土壌で栽培した野菜、収穫へ〜飯館村・帰還困難区域 via Our Planet-TV

原発事故後、年間50ミリシーベルトを超える高い放射放射線量が計測されたため、帰還困難区域に指定されている飯館村の長泥地区で今年から、除染土壌を再利用し、農業を再開しようと実証事業が本格化している。 「覆土なし」の汚染土畑をメディアに初公開農地再生計画では従来、除染土の上に汚染されていない土を50センチほどかぶせて、野菜や花を栽培するとされてきた。ところが今年8月、突如、汚染されていない土はかぶせず、汚染土壌にそのまま野菜を育てる計画があることが判明。実際、8月19日に、汚染した土壌に直接、モロッコいんげんとキャベツの種植えが行われた。 その畑が今月6日、メディアに初公開された。線量計で計測したところ、表土50センチほどで毎時0.5マ〜0.7マイクロシーベルト。放射線管理区域を超える高い放射線量にガイガーカンターからはピーピーという緊張感のある音が鳴り響いた。 […] ただ問題は、「覆土なし」で急遽、始められた野菜栽培の理由や目的が一切、明らかにされていない点。市民の間には、セシウムの移行係数が低い野菜を計測することで、汚染土の安全をアピールし、汚染土壌での野菜栽培に道を開くのではないかとの懸念もある。 「汚染土壌の受入れ」〜苦渋の決断を迫られた住民原発事故後、政府が行った避難区域の見直しにより、「帰還困難区域」に指定された地域は、放射線量の高さを理由に当初、避難指示を解除する予定はなかった。しかし2016年に方針を変更。帰還困難区域の一部を「特定復興拠点」に指定して除染を行い、避難指示を解除する方針が打ち出されたのである。 だが長泥地区の「特定復興拠点」として政府から示されたのは、、集会所周辺のわずか2ヘクタールほど。村は拠点の範囲を拡大しようと国と交渉したが、認められることはなかった。 当初示された「特定復興拠点」はピンクのエリアわずか2ヘクタールのみだったが、除染土の受け入れと引き換えに、地区面積の1割に当たる186ヘクタールが復興拠点に指定され除染対象に含まれることとなった。 そんな中で、拠点の拡大と引き換えに、環境省から持ちかけられたのが汚染土壌の受入だった。村内の除染土を受け入れれば、その場所を再生のうちとして拠点に組み入れ、除染も行うというものだ。地元住民は当初、故郷への汚染土持ち込みに躊躇していたが、原子力規制委員会の委員長だった田中俊一氏や伊達市の市政アドバイザーを務める多田順一郎氏らがたびたび地域に入って説得にあたり、徐々に受け入れに傾いたという。 農地再生の方針を話し合っている「飯舘村長泥地区環境再生事業運営協議会」の終了後に開かれた記者会見で、飯舘村の門馬伸市副村長は「いま思えば、あのまま終わっていれば、集会場周辺くらいで終わっていた事業が、このような大規模な事業にできて、将来、作物も作れるということですからよかった」と喜びを口にし、復興再生拠点外の避難指示解除にも意欲を示した。 また長泥地区の行政区長を務める鴫原新一さんは、「除染土を自分たちの部落に入れるのは本当に悩んだ。」「除染も何もしないでただ放っておいたのでは、自分の土地が荒れてしまう」と苦渋の決断を強いられた背景を振り返り、高齢化が進む中、一歩でも二歩でも前に進みたいという気持ちが、地域住民の合意につながったとの述べた。 次回から会議は公開へ また注目を集めている「覆土なし」土壌での野菜栽培については、「安全が基礎となって進めてほしいということで、汚染土の受け入れを決めた」「(汚染土を活用した栽培は)慎重に考えていきたい」と、除染土での野菜栽培に否定的な見方を示した。また「50センチの砂だけでは、作物や農産物を作るのは難しい」とした上で、汚染土とまぜずに、元の土壌と同じような肥沃な土壌が蘇るよう、県や関係者に協力を仰ぎたいと期待を寄せた。 汚染土壌を再利用して、農地を造成するという、前代未聞の「環境再生事業」。10月6日の運営協議会では、会議の持ち方そのものについても検討され、次回から原則、会議を公開することを決定した。 同協議会をめぐっては非公開なうえ、議事録も公開されていないため、審議のあり方に批判があがっていたが、8月に突如、「覆土なし」での野菜栽培が進められていることが判明。議事録や会議の公開を求める声が高まっていた。 次回の開催日程は未定だが、この会議の中で、栽培した野菜の分析結果なども公表される見通しだ。なお今回の協議会で公表された実証時血権による野菜の分析結果によると、「覆土あり」の農地で栽培収穫したかぶに含まれている放射性セシウムは、根の部分が1キログタムあたり1.1ベクレル、葉は2.3ベクレルだった。 もっと読み、ビデオを観る

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除染土使った農地の野菜 環境省「放射性物質十分低い」via 朝日新聞

[…]  環境省は5~9月、除染土を厚さ50センチの汚染していない土で覆った飯舘村長泥地区の農地で、ミニトマトやカブ、キュウリ、トウモロコシを栽培。放射性物質の濃度を調べたところ、いずれも1キロあたり0・1~2・3ベクレルと、国内で販売される食品の基準値(同100ベクレル)を大きく下回ったという。同省は今後、専門家会議に結果を報告し、除染土を農地の造成に利用できるようにする省令改正の検討に活用する。  長泥地区では現在、育ち具合と安全性を比較するため、覆土した農地としない農地でインゲンとキャベツを栽培し、来月末にも結果が出る見通し。  同省はこれまで覆土する方向で検討していたが、今夏、覆土せずに野菜を栽培する試験を行っていたことが判明。有識者からは、住民らと非公開の会議で試験内容を検討してきた同省の姿勢を疑問視する声が出ていた。  こうした事情を踏まえ、同省は6日、会議メンバーの過半数の同意があれば、会議の全部か一部を公開とすることを決めた。同省の川又孝太郎・環境再生事業担当参事官は「(会議メンバーは)情報を発信したいという思いを持っている。相当な部分は公開になる」と説明した。(福地慶太郎) 全文

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福島県飯舘村で「移住者101人」 避難指示解除から3年余り、戻らない住民も多い一方でvia AERA.dot

[…] 福島県飯舘村。9月下旬の祝日。小高い丘の上にある旧草野小学校の教室に、20人余りが集まった。村に移住してきた人たちやその暮らしに関心がある仲間たち、村の人たちが参加したワークショップで、村の「将来ビジョン」を語り合った。  小原健太さん(42)は、4カ月前に埼玉県から妻と2人で引っ越してきた。「来年から花栽培農家を始め、スターチスを育てます。年収500万円を目指したい」。サラリーマンをやめて、「不便で、知らなかった場所で」、初めての農業にチャレンジする。「稼げる農業モデルを実現できたら、満員電車に嫌気がさしている都会の勤め人は、どんどんやってくると思いますよ」。放射性物質は日常生活では気にならないし、花栽培にも影響はないと思っている。ただ、「山林に入る場合は、まだ線量が高い部分があるので気をつけている」と話す。 「100人目の移住者」となった造園業の塚越栄光さん(45)は、小原さんと新たな「契約」を結んだ。塚越さんは東京・渋谷の商店街にも拠点を持つ。小原さんが手始めに、知り合いの畑で咲かせたシクラメンがこの秋にも、パルコに向かう通りに並ぶことになりそうだ。  2011年3月の福島第一原発の事故の後、当時の住民約6200人の大半が村を出た。原発から半径20キロ圏内の「警戒区域」以外にも避難指示が出たからだ。飯舘村の中心部は原発から約40キロ離れているが、風向きや地形の関係で他地域より積算放射線量が高くなる恐れがあるとされ、全域が計画的避難区域となった。当時、暮らしが消えた村には、牛や飼い犬が牧草地や庭先に残され、たまにエサやりに戻る村人の姿が見られるだけだった。  17年3月、「避難指示」は一部を除いて解除されたが、全国に避難した3800人余りはなお、戻らない。9月1日現在の村内居住者は1472人(震災前の約2割)とされるが、福島市(避難者約2400人)など近隣地区に建てた家との二重生活をしている人も少なくない。 […] 村づくり推進課によると、移住した101人のうち、60代が27人と最も多く、これに次いで働き盛りの40代が19人。50代以上が半分だが、小原さんのように40代、あるいはそれ以下の若い世代も目立つ。移住の理由は、「実家にUターン」が29人ともっとも多いが、「就職、就農」も合わせて25人だった。  村では3年前の避難指示解除で村内に居住が可能になって以来、移住者支援に力を入れてきた。「家の新築には最大500万円、中古には最大200万円のほかに修繕費として最大100万円を補助する」といった、手厚い政策を展開している。101人の「移住者」は厳密に言えば「移住定住支援事業補助金」を受け取った人だ。補助金を受け取らなかった人も含めた「転入者」は全体で182人いる。 ワークショップで小原さんと背中合わせの席にいた、松本奈々さん(28)が話した。「どんな人でもやってきて住むことができる『多様性』を大事にしたい」。松本さんは、昨年の春、「地域おこし協力隊」の一員としてこの村にやってきた。この日の会場になった旧草野小学校を改造して、村外からやってくる移住者やアーティストの活動の場にする作業を進めるため、仲間を募集中だ。近くの民家を、シェアハウスにする事業も、村から任されて進めている。福島市の出身だが、東京の大学にいる時から、飯舘村の支援事業に関わった縁で、村に飛び込んだ。  若い人たちの議論を、教室の後方で聞いていたのが、元物理研究者の田尾陽一さん(79)だ。田尾さんは避難指示解除後、住民票を移し、家を建てて東京から引っ越した。  同村に初めてやってきたのは、11年の震災後間もなくの6月。原発事故の放射性物質を浴びた現場を、医師や研究者、退職した元教師ら17人とともに視察。地元の農業者と「再び農業ができる村をつくる」目標で意気投合。後にNPO法人「ふくしま再生の会」を立ち上げた。 ワークショップの主催者は、田尾さんの娘で今年、東京藝術大学を卒業した矢野淳さん(25)だ。矢野さんは、東京の大学と村を拠点としながら、大学などの仲間と共に、飯舘村の歴史や事故後のあり方を調べてきた。「ふくしま再生の会」の9年余りの活動記録を踏まえ、地域おこし協力隊の松本さんと相談しながら、7月以来2回のリモートワークショップを重ね、村の将来のあり方を探ってきた。  3回目の今回は、初めての対面でのワークショップとなった。矢野さんは「飯舘村だけの特殊な将来像でなく、高齢化、少子化が進み、コロナ禍が広がるなかで、世界にアピールできる課題解決への道を、みんなで紡ぎ出したい」と言う。「世界にアピール」は既に現在進行形だ。田尾さんによると、「ふくしま再生の会」のメンバーが学会や英文誌に発表しているほか、香港の大学研究員が世界各地で報告している。この研究員は昨年の3カ月間、村内の再生の会事務所に泊まり込んで、「ふくしま再生の会」のNPOとしての活動実態を「文化人類学的手法」で調べた。来年にも再来日し、飯舘村の研究を続行する予定だ。 […] (朝日新聞社・菅沼栄一郎) 全文

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【汚染土壌の再利用】「聞いてない」「覆土無しなら進めなかった」 長泥地区での実証事業、環境省方針に飯舘村長が不快感示すもポーズ? 「将来的にはあって良い」とも via 民の声新聞

原発事故後の除染で生じた汚染土壌を減らすべく、再利用して農作物を栽培しても安全だと示すため福島県飯舘村・長泥地区で行われている実証事業。環境省が汚染土壌を汚染されていない土壌で覆わずに食物の栽培実験を行おうとしている問題で、菅野典雄村長は9日、「初めて聞いた」、「覆土無しなら進めなかった」などと語り、不快感を示した。一方で汚染土壌の再利用や将来の覆土無し栽培試験には理解を示す場面も。長泥地区の除染と引き換えに実証事業を受け入れたとされる菅野村長は今期限りで勇退。汚染土壌再利用を含めた村のかじ取りは新しい村長に託される。 【「当然、覆土するべき」】 […] 「私は初めて聞いてびっくりしています。今の段階では当然、覆土をするべきです。もし、覆土をしないでやるという話だったら、私はこの話は進めませんでした。覆土をするという条件があったから、それだったら大丈夫だな、検討して駄目な時には駄目になるし、良い時には良いになるからという事だったんです。最初から覆土しないという話だったら、それは進める話では無いですよ」 […] 【「公開の場で議論を尽くせ」】 除染で生じた汚染土壌の再利用は、中間貯蔵施設に搬入する量を減らすための打開策として浮上。8000Bq/kg以下の汚染土壌を全国の公共事業に活用する事で総量を大幅に減らし、30年後の福島県外への搬出に向けた環境づくりが狙いだ。 「汚染の拡散につながる」などとして再利用に反対する声が多いが、環境省は一貫して「汚染土壌を盛り土に再利用する場合、土砂やコンクリートで50センチ以上の高さで覆えば、通行人や周辺住民の追加被曝は年10μSv以下に抑えられる」と説明して来た。2016年6月に発表された「再生資材化した除去土壌の安全な利用に係る基本的考え方について」では、「再生利用とは、利用先を管理主体や責任体制が明確となっている公共事業等における人為的な形質変更が想定されない盛土材等の構造基盤の部材に限定した上で、追加被ばく線量を制限するための放射能濃度の設定、覆土等の遮へい、飛散・流出の防止、記録の作成・保管等の適切な管理の下で、再生資材を限定的に利用することをいう」と定義されている。 2016年6月8日に国際環境NGO「FoE Japan」が行った政府交渉でも、環境省側は「今回の再利用は覆土とセットでないと駄目だという制度なんです」と説明している。 しかし、龍谷大学の大島堅一教授が行政文書開示請求で入手した非公開文書では、これらの大前提が完全に崩れていた。 「除去土壌の減容再生利用技術開発戦略の具体化に係る調査業務」と題された今年1月15日の会合の議事録では、環境省環境再生・資源循環局環境再生事業担当参事官室の大野皓史参事官補佐が「地元ではいろいろな食用作物の要望があるので、手引き(「福島県内における除染等の措置に伴い生じた土壌の再生利用の手引き」)とは異なる覆土のないパターンも実施し、覆土が無くても問題ないことを証明しておきたい」、「被覆は10μSv/yを担保するために必要。被覆の有無は万が一のことを考えて実施する」と発言。「令和2年度 試験栽培の計画(案)」にも、「※覆土をしないケースについても試験栽培を行う」と赤字で記されている。 大島教授は自身のnoteで「除去土壌で栽培してよい、どこでも使ってもよい、ということを示すための実証実験になるのではないか、という心配をされる方もいるかもしれません。そのようなことにならないためにも、公開の場で議論を尽くすことが必要でしょう」と問題提起している。村長が「知らなかった」と怒ってみせて済まされる話では無い。 【「実証事業は村民にプラス」】 一方で、菅野村長は汚染土壌の再利用や覆土無しでの試験栽培そのものには改めて賛意を示した。 「汚染土壌は出来るだけ減らしておいた方が良いだろうなと私は思う。あれだけの量を中間貯蔵施設に持って行って、30年後に他県に持って行きますという話を、みんな責任の無い所で言っているわけですよ」 「農地は荒れきっているわけです。汚染土壌を再利用する事で全部きれいにしてもらって、再利用出来る土地になる。除染もしてもらったし、解体もしてもらっている。国もかなり一生懸命やってくれています。私らは実証事業を受け入れる事でプラスになると踏んでいるんです。私だって国に理想論を語っている方が楽です。でも、それでは住民のためにならない」 「長泥の場合は『再利用を進めた方が絶対に良いんじゃないですか』という話をしたうえで、住民の皆さんは了解してやっている。でもやっぱり、あなたのようなマスコミに質問されると『いやぁ心配だ』って人間やっぱり言いたくなるんですよ。茶々を入れる人はいますから」 「住民から『食べ物の栽培試験もやってくれ』と初めの段階から言われていたんですからね。最初から言われていたんだから。それを環境省はいろいろ言われると思って2年間、やらないで普通の作物ばかりやってたわけでしょ。やっと3年目になって食べ物をやって調べましょうという話になった」 「(覆土無し栽培は)将来的にはあっても良いだろうとは思うよ。やってみる価値はあると思うが、何も今やらなくたって良いでしょう。ただ、私はまだそこまで急ぐ必要は無いだろうと思っています」 こうもはっきりと言われると、環境省への〝抗議〟もポーズではないかと思えてくる。 これまで汚染土壌再利用の旗振り役となってきた菅野村長は今秋の村長選挙に出馬せず、今期限りで勇退する事を表明した。「長泥の事も含めて選挙で村民に信を問うべきではないか」と質したが、菅野村長は「途中でぶん投げんのか、と言う人もいるでしょうけど、ここでひと区切りですね。それなりにレールは敷きましたから」とかわした。村民からは「立つ鳥跡を濁しまくりだ」との声もあがっている。 全文

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除染土再利用地で野菜試験栽培 via NHK News Web

除染で出た土の上に、ほかの土をかぶせて作られた飯舘村の畑で、ことしから野菜や花の栽培が始まり、今月から放射性物質の検査が行われることになっています。 この畑は、原発事故による帰還困難区域となっている飯舘村の長泥地区にあり、環境省が作物への放射性物質の影響を確かめる実証事業を行っています。10日、取材を申し込んでいた報道機関が初めて撮影を行いました。6アールほどの広さの畑は除染で出た土を、50センチほどの厚さのほかの土で覆って整備されました。5月ごろからトマトやキュウリ、カブなどが栽培されていて、10日は地元の住民が実を間引く作業を行いました。農業ハウスではトルコギキョウなどの花も育てられていて、環境省は、今後、摘み取った野菜や花の放射性物質の検査を行い、市場には流通させません。また、長泥地区では、除染で出た土を再生利用する新たな34ヘクタールの農地の造成工事が今週から始まっています。 […] 全文

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帰還困難区域の解除 「除染なしでも」と言えない理由 via 朝日新聞

 東京電力福島第一原発の周辺に残る帰還困難区域を除染せずに解除する新たな方針について、政府の原子力被災者生活支援チームは1日、原子力規制委員会で検討内容を説明した。しかし、支援チームは「除染が不要」という核心について、まるで既成概念かのように説明を省いた。背景には何があるのか。 土地利用のための解除を追加  政府の委員会での説明によると、これまでの避難指示解除の目的は「住民の帰還・居住」だったが、今後は居住を除く「土地活用」のための解除方式を加えるという。  具体的には、これまでは①放射線量が年20ミリシーベルト以下になる②十分な除染とインフラ整備をする③地元と十分協議する、の3要件をすべて満たして解除してきた。追加する新方式では、①と③は採用しながら、人が住まないことが想定される場所について、地元が土地活用を要望していれば、「線量低減措置」を講じて解除するという。 […] 規制委委員長「除染要件 科学的でない」  逆に、規制委側が支援チームの意をくみ、「除染なしの解除」を前提に意見を述べた。事前に政府の新方針について報道があったためと見られる。  伴信彦委員は「除染は放射線を防護する手段にすぎないのに、目的と化してしまった」、更田豊志委員長は「除染を(解除の)要件とするのは科学的とは言えない」と発言。線量が自然に年20ミリに以下に下がっていれば、除染は必要ないとの考えを支持した。  石渡明委員は「(帰還困難区域の)放射線量が下がったといっても普通の土地の10倍高い。表面の放射性物質を取り除く努力はするべきだ」と、除染を不要としたい支援チームの考えにクギを刺した。 […] 発端は飯舘村  たしかに今回の「除染なし解除」の発端は、帰還困難区域を抱える飯舘村が2月に要望したことだった。ただ、村の要望に乗じる形で、政府・与党は除染不要を一般的な解除要件に組み込もうとしているわけだ。  この動きが6月に報道されると、帰還困難区域を抱える福島県の町村長らが神経をとがらせるようになった。それまで「(解除に)除染はこだわらない」と主張してきた飯舘村だけの問題ではなく、「徹底除染」を求めている自分たちの町村も、新たな解除方式の対象になると分かったためだ。  政府は地元の要望がなければ新方針を適用するつもりはない。従来通りの解除を望めば、除染は実施される。だが、政府が地元に説明しても信用されない。それが原発事故以来の、国と地元との常だ。  第一原発の北西にある浪江町では町議会が6月18日、除染なし解除の方針撤回を求める意見書を採択した。新方針のきっかけを作った飯舘村はいま、足並みを乱したと周りの自治体から陰口をたたかれている。 なぜ除染はいらないのか  支援チームがあえて「除染不要」と明言しなかったのは、そんな地元の空気を察知してのことだった。なにせ「支援チーム」とは名ばかりで、実態は経済産業省の出向組だ。いわば原発事故を防げなかった責任者側であり、被害者の地元の動向には気を使う。直接的な表現で地元に波風を立てたくないという心理が働く。  ところが、この配慮によって、「なぜ除染は要らないのか?」という大きな疑問が残ったままになる。「飯舘村の要望に応えるため」(支援チーム)では説明になっていない。  原発事故が起きてから、除染は「福島復興の一丁目一番地」(前知事の佐藤雄平氏)の事業だった。これまで3兆円が投じられた。自然減衰で年20ミリを下回った地域でも、これまで除染は実施されてきた。  それが9年たつと、なぜ不要になるのか。除染しても住民は2割弱しか戻っていないという諦めのせいか。費用との兼ね合いか。  除染は「国の責務」と法律で定められている。事業を縮小させるなら、きちんと説明する責任がある。飯舘村の要望を盾に、説明を省略することは許されない。(編集委員・大月規義) 全文

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