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開沼博の分析に欠けるものー福島県知事選挙をめぐって3 via レーバーネット

フクシマ陽太です。 選挙カーはかぞえるほどしか通らないし、チラシも投げ込まれず、運動員の姿はない。選挙の話題は盛り上がらず、この市は低調だ。グーグルニュースで福島県知事選を探す。ここ数日は、「5分でわかる福島県知事選と日本の政治のいまー社会学者・開沼博」がトップに載る。フクシマ陽太も公示直後はトップに載ったぐらいだから(笑)どのような仕組みで順番が決まるか不明だ。ただ、やはり上位にあるほうが目につきやすい。 開沼博は福島県出身で原発事故後ブレークした人だ。が、「5分でわかる福島県知事選と日本の政治のいま」は大事なポイントが抜けていて分析としては納得できない。ダイヤモンドオンラインという媒体の制約なのか、はたまた開沼氏の見る目のなさか。 ひとつは前知事の原発事故後の対応に対する評価がないことだ。ふたつは、なぜ相乗りになったかだ。副知事は8年間前知事をしっかり支えた。その人が大きくリードと報道されている。 前知事はプルサーマル導入に動いた。原発事故直後3月15日に福島市が通常の約480倍と恐ろしく高い環境放射能値でも健康に影響はないと県当局は言った。3月19日から山下俊一氏らを放射能リスクアドバイザーに委嘱した。山下氏らは健康に全く影響はないから、復興に尽くそうと県内を説いてまわった。山下氏が事故後の県健康管理調査の仕組みを作り、福島医大の副学長におさまった。5月に美味しんぼ問題の時、安倍首相が福島医大を訪問した際50人の甲状腺がん患者には放射能の影響はないと説明したのだ。 […] 県は低線量被曝の心配や避難についての不安等に耳を傾けず、県民に意見も碌にを聞かず、二人三脚で国と進めてきた。これらの県の対応に対する評価が開沼氏にはまるで欠けている。 だからなぜ相乗りになったかもポイントをそらすのだ。政権交代しても専門家グループが君臨して政府・官僚の対応を支えている。つまり、政治家が誰になっても、原発事故後の避難基準等は変えないという姿勢の現れなのだ。だから官僚の言うことをこれからも聞きやすい自治省出身の副知事をかついだのだ。前知事が立候補の意志をいつまでも明らかにしなかったのは、開沼氏が言う通り民主党の福島県選出の国会議員候補をはばみたかったからだろう。民主党色がでなければオール県民党などと自民と公明の相乗りがしやすいし、自民の敗北は避けられると踏んだのだ。野田首相が自爆解散し安倍氏に政権をわたしたことと、前民主党知事が立候補の意思を後出しして副知事に継承させるとしたことが重なって見える。 組織の支援がない3候補が放射能の影響を憂慮して施策を提案しているのは希望かもしれない。この3者の方が原発事故で大量に撒き散らされた放射性物質の影響を真摯に誠実に考えている。国際原子力村の一員である専門家、政府・官僚と明確に対立している。 代議制民主主義は独裁だとは確か的場昭弘氏の言葉だが、それをフクシマは噛み締めている。フクシマのいや東日本の救出という切望はまたしても遠のくのか。 もっと読む。 ◇5分でわかる福島県知事選と日本の政治のいま

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特集ワイド:続報真相 福島県民に聞く、都知事選と脱原発論争 大電力消費地の責務 via 毎日新聞

(抜粋) 「脱原発」を最大の公約に掲げる候補の登場以来、下の表のように争点の分散化を狙う閣僚の発言が相次ぐ。地方自治法第1条は、自治体の役割を「住民 の福祉の増進を図ることが基本」としている。「福祉」の意味が多岐にわたるのはその通りだろう。だとしても、その長を選ぶ選挙で「国策」を論じ、有権者が 判断基準とすることまで抑制されるべきなのか。 「非核都市宣言を採択する自治体が数多くあるように、国策やグローバルな問題で我が町のスタンスを示す ことはおかしくありません」。いわき市出身の社会学者、開沼博さん(29)=福島大特任研究員=は指摘する。「国は本来、外交や防衛、通貨管理などだけを 担い、他は『民』や地方に任せるべきだとの考え方があります。しかし戦後の日本は経済発展のために『民』や地方にできることにも国が口を出し、権限を握っ てきた。近年はそれを是正する動きも出ています。ある政策は地方で問うべきでないとの主張は、必ずしも根拠の確かなものではないのです」 19日から3日間、福島県内の30人に都知事選で脱原発を争点にすることへの賛否を尋ねた。その結果と、一人一人の思いは左の一覧表の通り。賛成は23人、反対は7人だった。 「17日に『阪神大震災から19年』のニュースを見て、はっとした。自分の記憶が風化していることに気 付いたんです。原発事故だって、やがて忘れられてしまうんじゃないか。放射能の影響は何十年も続くのに……」。「賛成」を即答した相馬市の卸売市場で働く 男性(61)は言った。原発の恩恵を受ける東京の責任などを論じる以前に、忘れられてしまうことへの不安がにじむ。「以前は記者もよく仮設に取材に来てく れたが、最近は減ったね」。ある自治会役員の男性はため息をついた。 「ほら、沖縄でもそう言われてるでしょ」。何度かこの言葉を聞いた。米軍普天間飛行場の移設問題を争点 にした19日の沖縄県名護市長選でも「安全保障は国策。地元とはいえ市長選にはなじまない」との批判があった。「国家」を強調して地方の犠牲を正当化しよ うとする政府への怒りを福島でも感じた。 「最近、この国で起きていることが遠い国のことのように思えるんです」。福島市在住の詩人、和合亮一さ ん(45)は言う。「原発事故で苦しみ続ける人がいるのに原発輸出を急ぐ。特定秘密保護法でも私たちは『原発の情報が隠されないか』と心配しているのに、 議論は尽くしたと。なのに、この違和感は国に届かない。そんな諦めの気分になっていた中で『脱原発』が再びテーマとして浮上した。諦めることはないんだ、 安全な世の中をつくるためにまた頑張ろうと思ったし、同じ気持ちの人も多いはずです」 「東京が脱原発を目指したからって、我々が古里に帰れるわけじゃない。だいたい原発のない東京でなんで 争点になるんですか」。争点化に反対する、避難生活中のある男性の声は冷めていた。東京への厳しい視線は、争点化賛成の人たちにも共通している。「東京で 使う電気なのだから都民が論争して当然」(販売員の女性)。それらの声は都民への期待というより「大電力消費地として責任を負っているのだから義務を果た すべきだ」という叱咤(しった)に近い。 東京電力や国の責任を追及している福島原発告訴団の団長、武藤類子さん(60)は「将来が見えないつら さ、健康被害、立場の違いや補償の格差から生じる人間関係の分断……福島の人々は疲れ果てていますが、被害者として原発事故の責任の所在を問い続ける義務 がある。電力を消費する東京都民も一面では、放射能のホットスポットや食べ物の安全性を気にしなければならない被害者であり、未来への義務を負っている。 知事選を契機として、原発政策をどう是正するかを考えてほしいのです」と話す。 全文は特集ワイド:続報真相 福島県民に聞く、都知事選と脱原発論争 大電力消費地の責務 当サイト既出関連記事:都知事選:「脱原発」問う意義は、市民団体や避難者に聞く via カナロコ

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「ムラの欲望」とは何か -開沼博『「フクシマ」論』における「ムラ」と戦後日本の位置- 清原悠 via 書評ソシオロゴス

1 はじめに――主題は何か 本稿は開沼博『「フクシマ」論』の書評論文である。本書は3.11 以前になされた「最後の学術論文」(開沼 2011: 15)として、一般にも広く読まれ、第65回毎日出版文化賞(人文・ 社会部門)を受賞するなど、学術的にも避けて通ることのできない研究書であると言えよう。そこで本稿は、この『「フクシマ」論』が既存の研究に対しどのようなオリジナリティを有しており、またいかなる問題を提起したのかを検証し、著者の問題提起を批判的に継承するために要請される社会学的な方法論を検討する(以下、本書からの引用は頁数のみを記載する)。 著者の問題関心は「翻弄される地方・地域」(25)を主題として論じ「日本の戦後成長における地方の服従の様相を明らかにすること」(37) を分析課題として設定している。副題に「原子力ムラはなぜ生まれたのか」と書かれていることから、しばしば誤解をもって読まれてしまっているが、本書は「原子力」の問題のみを扱った研究書ではない。著者によれば「私が最も迫りたかったのは『中央と地方』という問題だった 」(14) のであり、「 原発」の問題は著者の問題関心からするならば、その一部である。例えば、ダム開発(25-8)や三里塚闘争 (28-9)、そして沖縄(63)を取り挙げながら、自らの立論が原子力(発電所)にのみ当てはまるものではないことを著者は説明しており、沖縄への言及においては「この引用の『沖縄』は『原子力』に代替可能だ」(65)と述べている。実際、分厚い本書の構成において、原子力 / 原子力ムラが直接 扱われている部分は必ずしも多くはない。 […] このような著者の立論に対し、以下、本稿では次のような構成をとって本書の書評を行う。2 章では本書がいかなる問題提起を行っているのかを詳述し、先行研究の文脈の中で著者のオリジナリティを検証する。3章では、本書における「ムラ」概念の理論射程の有効性を検証するため、本書では十分に取り上げていない、福島県内にありながら原発が設置されなかった浪江町を事例にとり分析を行う。なお、著者が述べる「ムラ」には 地元における「原子力ムラ」と原子力推進体制としての中央の<原子力ムラ>があるが、後者は前者からの類比により成立しているため、本稿では前者を念頭において論述していく。4章では『「フ クシマ」論』の中心的な事例である福島第一原発の立地過程の再検証を行い、いかなる事実を取りこぼしたのかを指摘し、著者の背後仮説を明らかにする。5 章では、この著者の議論枠組みを批判的に継承するために、いかなる方法論的課題があるかを検討する。その課題を事例に基づいて検証するため、日本で最も早期に原子力発電所が設置された東海村を本書に対する比較対象事例として取り挙げ、今後の研究の進展のために必要な論点を指摘する。 全文ダウンロードは 「ムラの欲望」とは何か -開沼博『「フクシマ」論』における「ムラ」と戦後日本の位置- 清原悠(PDF)    

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毎日新聞掲載:新聞労連の集会報告記事『なぜ「脱原発」敗れ去った』についての反応 via togetter

毎日新聞 2013年06月05日 福井版に掲載された記事 『今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視』 http://mainichi.jp/area/fukui/news/20130605ddlk18040624000c.html に対する、主に反原発/脱原発派からの反応をまとめました。 同集会で鼎談を行ったのは、 社会学者:開沼博氏 @kainumahiroshi 北海道大学大学院准教授:中島岳志氏 @nakajima1975 映画監督・作家:森達也氏 @MoriTatsuyaInfo の3名。 記事執筆者は毎日新聞:佐藤慶氏。 続きは 毎日新聞掲載:新聞労連の集会報告記事『なぜ「脱原発」敗れ去った』についての反応 当サイト内関連記事 今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視 /福井 via 毎日新聞

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今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視 /福井 via 毎日新聞

「脱原発は、どこへ行った?」と題した集会が先月25日、日本新聞労働組合連合(新聞労連)新聞研究部の主催で東京都内で開かれた。福井県でも1年 前、全国から脱原発を訴える団体や個人が集まり大飯原発の再稼働反対を訴えたが、あの熱気は今はもうない。なぜ脱原発は敗れ去ったのか。集会での議論を報 告する。【佐藤慶】 集会には、社会学者の開沼博氏▽北海道大学大学院准教授の中島岳志氏▽映画監督で作家の森達也氏−−の3氏が招かれた。まず、開沼氏が基調報告を行った。 開沼氏は、脱原発運動は失敗し、現状は原発再稼働を見据えた新しい秩序に向かっているとして、「脱原発は誰にとっての希望だったのか」と問いかけた。 答えを考えるため、脱原発という「希望」に乗れなかった人たちを例に挙げた。福島第1原発事故の前、福 島県大熊町では「原子力最中」が、柏崎刈羽原発のある地域では「原子力つけめん」が売られていたという。開沼氏は「原発が文化になっている。ある種のアイ デンティティーとし、ブランドとして地域を作ってきた。事故があったからといって、手放せるわけがない」と指摘した。 原発を必要とせざるを得ない人たちと、首相官邸前に集まる人たちの間にずれが生じ、「脱原発」の言葉は福島を語りながら福島のためになっていないと説く。 福島にスティグマ(負の烙印(らくいん))を与えて問題を大きく見せ、自らの活動を維持しようとするその手法を開沼氏は「排除による包摂」と呼び、「同意 を得られないものだった」と批判した。 (略) 2氏の論を受け、開沼氏も脱原発運動が抱える排除の論理を疑問視した。「本来なら排除を嫌っていたはずの左派、リベラルにいた人が平然と、かつて排除して いた人と同じ土俵に乗っかっている」と指摘し、「重要なのは誰かを蹴落とすことで自分たちが安全な場所に立てる土俵でない。誰かを救いながら社会に包摂し ていけるような議論の土台に戻る必要がある」と説いた。 続きは今「原子力」を考える:新聞労連・新研集会 なぜ「脱原発」敗れ去った 排除の論理を疑問視 /福井  

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42年間の経験では震災を語れない Twitterでありのままを紡ぐ詩人の想い via ダイヤモンドオンライン

(抜粋) 和合 きっかけは2012年2月の朝日新聞の記事です。ベン・シャーンの絵が福島だけ貸し出し禁止になったこと が書かれていました。僕は、前年の12月、葉山でベン・シャーンの絵を見て詩を書くというワークショップを開催しています。僕はベン・シャーンの絵の雰囲 気が福島の人にとってものすごく重要だと思うんですよ。彼の絵はウソをつかない風刺の雰囲気を持っています。そのなかでも、戦場で瓦礫になった街で遊んで いる子どもの絵はそうです。ベン・シャーンが書いたものを福島の人に見せるべきだと思いました。 開沼 なるほど。 和合 開沼さんも同じかもしれないけど、「詩の礫」でありのままに書いていくことについて、僕自身も悩んだんですよ。でも、みんなが「そのまま書いてくれてありがとう」と言ってくれました。その都度、励まされてきたんです。 だからこそ、ありのままに書かれているベン・シャーンの絵を福島の人に見せることは重要だと思いました。そうしたら、アメリカの美術館が福島だと いう理由だけで貸し出し拒否。それを見てものすごく腹が立ちましたね。朝、それを見た瞬間に、久しぶりにTwitterに怒りの詩を書いたんです。 開沼 『詩の礫 起承転転』にも詳細な記述がありますね。非常に印象的でした。 和合 「ベン・シャーンよ、あなたは、何を想う。あなたの手がけた絵が、福島に届けられないのだ。私は悔しい。 ベン・シャーンよ。あなたは、何を想う。私は、悔しい。」から始まります。朝からずっとtweetしたんです。そしたら、すごい数のRetweetがき て。それまで「詩の礫」を続けようか迷っていましたが、本気で怒りがやってきたら何も考えずにやっちゃうんだなって自分で気がつきました。そこからまた始 めるきっかけをもらったという感じですね。 全文は42年間の経験では震災を語れない Twitterでありのままを紡ぐ詩人の想い

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東浩紀氏ら、「福島第一原発観光地化計画」を本格始動 via ケンプラッツ

 批評家の東浩紀氏は3月9日、同氏を発起人としたプロジェクト「福島第一原発観光地化計画」について、これまでの検討内容と今後の活動予定を明らかにした。 「福島第一原発観光地化計画」では、東日本大震災による原発事故から25年後の2036年をめどに、(1)福島第一原子力発電所の事故跡地の観光 地化、(2)その観光拠点となるビジターセンターの建設を提案する。原発跡地は、更地にするのではなく水素爆発直後の建屋の状態を復元して、観光客が見学 できる施設とする。そして、跡地を見学するバスツアーの発着所に加え、原発事故を伝える博物館、ショッピングモール、宿泊施設などで構成するビジターセン ターを建設するという構想だ。 プロジェクトは、東氏を中心とした実行委員会が中心となり進めている。2012年9月に活動を開始した。コアメンバーは、東浩紀氏(批評家・作家)、津田 大介氏(メディアアクティビスト)、清水亮氏(ユビキタスエンターテインメント代表取締役)、開沼博氏(社会学者)、藤村龍至氏(建築家・東洋大学理工学 部建築学科専任講師)、速水健朗(フリーランス編集者・ライター)、梅沢和木氏(現代美術家)、井出明氏(観光学者)の8人だ。 (略) 加えて、地元住民の消費の場であり娯楽の場でもあるショッピングモールと対になる形で、震災がれきのモニュメントや原発事故を伝える博物館ををつくるこ とによって「消費の場を支えるものとして原発の悲惨な事故があった、という構造をつくりたい」(東氏)という考えもあるという。事業面では、モールの収益 を博物館の運用に充てるというモデルを想定している。 全文は東浩紀氏ら、「福島第一原発観光地化計画」を本格始動

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