Tag Archives: 福島原発事故

「若い子は精子もだめになっちゃいますよ」 原発潜入記者が見た、被ばく量ごまかしの“カラクリ” via 文春オンライン

 30年近くヤクザを取材してきたジャーナリストの鈴木智彦氏は、あるとき原発と暴力団には接点があることを知る。そして2011年3月11日、東日本大震災が発生し、鈴木氏は福島第一原発(1F)に潜入取材することを決めた。7月中旬、1F勤務した様子を『ヤクザと原発 福島第一潜入記』(文春文庫)より、一部を転載する。(全2回の2回目/前編を読む) ◆◆◆ 除染しない車両 (略) 「メーカーの社員や現場監督なら誰でも知ってる。現実的に……作業員はJヴィレッジから出てこれないんです。汚染がひどくて。車もJヴィレッジから出しちゃいけない。一度中に入れたものをそのまま素通りして出すとかって、考えられない。だから今までの値の感覚がみんなおかしくなっちゃってる。流れ作業でスクリーニングして、はいオッケー。みんな汚染してます。かなり。たとえば現場に行くとき履いた靴はもう駄目なんです。毎日新品に履き替えるわけにはいかないけど、自分はサーベイ持ってたんで、1カ月で10足は靴を替えました」(震災当日から復旧に当たっている地元の協力企業社員)  彼が憤慨しているのは、Jヴィレッジでの車両除染についてだった。  建前上、20キロ圏内に入った車両は汚染を計測し、ひどく汚れている場合は敷地内で除染を行うよう決められている。だが、私自身、20キロ圏内に放置されていたトラックが、そのまま外部に出てくる様子を数回目撃している。そのうちの1台は、私自身が引き上げ作業に関わった。 (略) 除染しても「無駄だから」 〈あんな場所に長期間停めっぱなしだったから除染するだろう。どのくらいの時間がかかるか測ろう〉  鞄にしまってあったデジタル腕時計を取り出し、ストップウォッチで計測した。1本目のタバコを吸い終わらないうちに、そのユニックはIHIの駐車場に到着した。 「なんもしないんですか?」 「無駄だから」  もう1台の車両を引き上げにいった班は、正規の除染作業を行っていた。除染は事前予約制になっており、それを無視出来なかったのだ。30分ほど待たされたが、上会社の社員はたいそうご立腹の様子で「なんでいちいち除染してくんのよ!」と、下請け作業員を怒鳴りつけていた。こうした風景は単なる例外……モラルの低い社員がごく少数存在しているだけと勘違いしていたが、1Fの復旧では日常的な慣習だったのだ。 「除染……やったところでやりきれないってことはあるんです。いま、各地で除染が叫ばれるようになって、保育園とか小学校など、いろんな場所で始まりましたけど、基本的に土壌の除染は表面付近の土を取り除き、汚染されてない土と入れ替える。家なんかは高圧の水で洗う。でも、洗ったあとの水はどうしてるんですか。テレビとかニュースでみるとただ流してるようにしかみえない。だったら今度は土が汚染し、川が汚染し、海が汚染する。完全な除染なんて無理なんです。ゴムなんか絶対除染できない。放射性物質を取り込んで、放射化しちゃうからです。木材なんかもそう。目に見えない穴に入り込んじゃう。それを表に出そうと思ったら、表面を削り取らなきゃいけない。今頃ようやくそれをやり始めた。  電力はばれたら困ると思ってるのか……半減期を過ぎて、ある程度落ち着いたタイミングでやってるのか分かりません。ほんと、なにをやってんのかな、って言いたいんですけど、(東電からは)それで出してくれと言われる。現実問題として、人や車を出さないと復旧作業が進まない。それは理解もできるけど……。 (略) 「本当の放管……ほとんどいませんよ。あいつら、放射能のプロですよ。あの汚染をみたら、とてもじゃないけど敷地内には入れない。たいてい、にわか知識のヤツを集めて、がんばってって送り出すんです。マニュアルしかわかんないのをぽんぽん送っているわけです。ほとんど知識のない人間を一時的に教育して、放管にしちゃう。純粋な……っていったらおかしいかもしれないけど、そんな人はほとんどいない。最初の頃は行ったかもしれないですね。でもいまは来ない。行ってない。怖さが分かるから行けないんです。あいつら勉強してますもん、けっこうどころじゃない。真剣に怖がってます。  一口に被曝っていうけど……免震棟でAPDもらいますよね。あれ、β線とγ線を測れます。でも放射線ってその2つだけじゃない。中性子やα線とか、出てるんですよ。α線は短い距離しか飛ばないし、紙一枚で遮れるっていうけど、股間あたりまでは出てるんですね。そんな場所で地べたに寝転んで何時間も作業するんですよ。若い子とかは精子もだめになっちゃいますよ。放管が最初に現場に行って、放射線測定するんです。でも素人みたいなのが多いから、うちの現場には、もう一回放管呼んできて放射能を測らせる。するとすごい数字が出るんです。 (略) 事故前、1Fでは最大130カウントから180カウントが汚染のリミットだったという。それ以上汚染したものはすべて、敷地内から出せなかったのだ。幅があるのはオートメーション測定器と、手作業での測定との誤差を考慮したためだという。 「事故が起きてから、これまでの基準が一瞬で変わった。一般人の年間線量限度が1ミリから20ミリに引き上げられそうなことは盛んに報道され大議論になったのに、除染の目安が突然引き上げられたことを、なぜ誰も問題にしないのか。IAEAの定める10万カウント……自分たちからみたらあり得ない数値です。これを受け入れるなら、これまで自分たちが守ってきた基準はなんだったのか……どうしても許容できない。  長い間原発で働いていた業者にとっては、500カウントだって完全アウトなのに、Jヴィレッジではつい最近まで、1万3000カウントを超えない限り、モノも人も、そのまま出していた。130カウントを基準にすれば100倍です。除染しきれなかった場合、最終的には10万カウントだったから、750倍以上です。そんな車が平気で街を走ってるんです。狂ってます」 全文は「若い子は精子もだめになっちゃいますよ」 原発潜入記者が見た、被ばく量ごまかしの“カラクリ”

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所沢の作家、原発問題に挑む 市ゆかりの22人 作品展 文化センターで来月6日まで via 東京新聞

(抜粋) 市内在住者の作品や、市内開催の展示会に出品された作品計44点を展示。 志水児王(じおう)さんと飯田博之さんが共同制作した「崩壊音楽」は、トランクケース状の立体物に放射線量計を置き、線量に応じて異なる音を奏でるという。  加茂昂(あきら)さんの油彩画「福島県双葉郡浪江町北井出付近にたたずむ」では、東京電力福島第一原発事故に伴う帰還困難区域の荒涼とした風景が描かれた。  入場無料。西武新宿線航空公園駅東口から徒歩約10分。問い合わせは市文化芸術振興課=電04(2998)9211=へ。 (加藤木信夫) 全文は所沢の作家、原発問題に挑む 市ゆかりの22人 作品展 文化センターで来月6日まで

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原発事故、同じ思いさせたくない 福島からの避難者 via 朝日新聞

川野由起、志村英司、徳島慎也 東京電力福島第一原発の事故で、故郷の福島を離れ宮城に住まいを構えた人たちは、東北電力女川原発の再稼働に向けた動きを、複雑な思いで見つめている。  斉藤広江さん(69)は昨春、福島県南相馬市の自宅を売り、息子の仕事の関係で岩沼市に自宅を新築した。8カ月間の「地元同意」の手続きについて、「本当にあっという間。福島の隣県とはいえ、再稼働反対の声がそれほど上がらなかったのは、原発事故の恐ろしさを分からないからなのか」と首をかしげる。  娘が東北大病院(仙台市)で孫を出産したのは、1号機が水素爆発した3日後。山形や新潟、福島県会津若松市など約10カ所を転々とし、「原発さえなければ、こんな生活しなくて済んだのに」と娘と慰め合った。3年半後に南相馬市の自宅に戻ったが、放射能への不安がぬぐえなかった。  最近、福島の親族や知人の葬儀に参列すると、「原発事故さえなければ、今ごろは……」という話になり、「女川は再稼働するのか」も話題にのぼるという。地元同意を伝えるニュースを見て、新潟や長野の親族らに「もし事故が起きたら、家族でお世話になります」と電話した。避難ルートも改めて確かめた。  一方で再稼働による経済の活性化を願う地元の商工業者の立場も理解できるという。斉藤さんも以前は従業員約100人の建設会社を営んでいた。「女川原発に勤める人たちの生活も大事。震災で事業者も大変だと思うので、反対と大きな声では言えない」と話す。 (略)  原発事故で、男性は家族と車で避難した。幹線道路は地震で寸断され、山側へ抜ける道路は大渋滞。「一時的に逃げるだけ」と思っていた母は、故郷を二度と見ることはなく仙台で亡くなった。92歳だった。  「事故後にいくら補償されても棺に札束は入れられない。他の人に同じ思いをさせたくない」と男性。原発事故が起きるまで「世界一の東電」で事故が起きるわけがないと思っていた。だから、「巨大津波の予測はできなかった」という国や東電の説明は納得できない。「国とは、国民の安全を守るためにあるのではないか。国は原発事故の責任を取ろうとせず、また原発を推し進めるのか」と、批判する。 (略) 事故当時、父親は原発の下請け会社に勤め、地域にも東電関係の社員が少なくなかった。「地震が起きて原発で何かあったら終わりだね、と冗談で言っていたが、知らないことは怖いことだ。自分が被害を受けないと、自分のこととして感じられない」と振り返る。  女性は原発事故からの約10年を振り返り、こういう。「どう対策をしても福島と同じことが起きる可能性はある。そうなった時の代償が、あまりにも大きすぎる。女川は再稼働をしてほしくない」 全文は原発事故、同じ思いさせたくない 福島からの避難者

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4000人超が今も戻れず 南相馬の原発避難者、隣県の再稼働計画に「なぜ」via 河北新報

当たり前の日常が東京電力福島第1原発事故で暗転して9年8カ月。「なぜでしょうね」。南相馬市から避難し、関東地方を経て仙台市に暮らす40代女性が語る。11日、東北電力女川原発2号機(宮城県女川町、石巻市)の再稼働に示されたゴーサインに、避難者の苦難が忘れられたような寂しさを感じる。 (略) 「何が起きているの?」。夫、小学生と園児の子どもたちと着の身着のままで車に乗り、大渋滞の中を福島市方面へと向かった。夜中に関東の親族から逃げて来るよう電話があり、今度はひたすら南下した。  数日後、親族方で見たテレビの映像に衝撃を受けた。自宅から20キロほどの場所にある福島第1原発の建屋が爆発していた。  南相馬での暮らしは豊かな自然と共にあった。住み慣れた自宅からは海が見えた。山では新鮮なタケノコやキノコが採れた。春には川沿いの桜並木がピンク色に染まり、夏に相馬野馬追を楽しんだ。  地域が警戒区域に指定される直前、家族4人はわが家に足を運んだ。「おうちがあった」。自分の家がなくなったと思い込んでいた子どもたちが大泣きした。そこで告げた。「ごめんね。ここには帰って来られないからね」  都会での日々になじめず、およそ半年で関東を離れた。放射能への不安や生活環境などを考慮し、新たな移転先に仙台を選んだ。空気の匂いがどこか南相馬と似ていた。  子ども2人は友人や周囲の支えもあり、仙台での暮らしに順応していった。思春期を迎えた今、「人を助けられる仕事がしたい」と思い描いているという。母親として願う。「これから何かあってもくじけないでほしい」と。  いつか夫と古里に戻りたいとは思う。ただ、知り合いが相次いで亡くなったことが気に掛かる。心筋梗塞、脳梗塞、がん…。原発事故との関係が分からず、不安が消えない。  南相馬では今も4000人超が避難生活を続ける。隣県の宮城で粛々と進む再稼働計画を、女性は案じる。「福島の人たちが大変な思いをしているのに。恐ろしいことだと思います」 全文は4000人超が今も戻れず 南相馬の原発避難者、隣県の再稼働計画に「なぜ」

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二つの緊急事態宣言とこの国の政治権力組織via NONUKES voice

小出裕章 フクシマ事故の現状と見通し  二〇一一年三月十一日の東京電力フクシマ第一原子力発電所事故(以降、「フクシマ事故」と表記)から九年半が経つ。国と東京電力は事故収束のための行程表(ロードマップ)を作成し、1,2,3号機の熔け落ちた炉心を掴み出し、容器に封入して福島県外へ運び出すことを事故の収束と呼び、三〇年から四〇年でそれを達成するとした。(注1)そのロードマップでは、圧力容器直下のペデスタル(台座)と呼ばれる円筒形のコンクリート壁内部に、熔け落ちた炉心が饅頭のように堆積していると想定されている。しかし、ペデスタルには定期検査の時に作業員が出入りするための通路が海溝している。私も含め原発事故を専門的に研究してきた人間は、熔け落ちた炉心がその開口部から漏出し、格納容器のステンレス内張を破壊することをずっと危惧してきた。事故から九年半の間に曲がりなりにも進んできた調査によって、熔け落ちた炉心は、予想通り、ペデスタルの通路を通って格納容器内壁とペデスタル外壁の間の空間に流出してしまっていることが明らかになっている。そのため、国と東電はロードマップの書き換えに追い込まれたが、事故の収束まで三〇年から四〇年という目標は変更していない。(注2)[…] 全文

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Fukushima may have scattered plutonium widely via Physics World

Tiny fragments of plutonium may have been carried more than 200 km by caesium particles released following the meltdown at the Fukushima Daiichi nuclear power plant in Japan in 2011. So says an international group of scientists that has made … Continue reading

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横浜の保育園で“汚染”土騒動 園児2人が白血病発症 市は動かず via AERA.dot

 横浜市内の保育園に埋められている“土”を巡って、騒動が起こっている。 【保育園で線量測定をしている市職員】  2011年3月11日の東日本大震災による東京電力福島第一原発事故で、各地へ拡散した放射性物質。市によると、保育園などでは汚染の可能性のある土や砂塵(さじん)を一時的に取り除き、ポリ袋に入れて密閉した後、園内などで保存していた。その後、市は一部を保管庫である北部汚泥資源化センター(鶴見区)に移したが、残りは園内に埋まったままだ。 「残りの汚染土も掘り起こして、保管庫に移してほしい」  こう訴えてきたのは、市民団体「神奈川・子どもを守りたい」の中井美和子共同代表。団体は同様の趣旨の署名約5400筆を、5月27日、林文子市長宛てに提出した。  なぜ一部は保管庫に移され、一部は園に埋められたのか。市こども青少年局保育教育運営課の小田繁治さんはこう説明する。 「横浜市が定めた対応すべき放射線量の基準の目安は、地上1センチの高さで、毎時0・59マイクロシーベルトです。16年6月の時点で測定した結果、14施設で線量が高いことがわかった。その後、再測定をして、そのときも対応の目安を超えていた9施設について、センターに移した」  残りの“土”については、「対応の目安となる基準より低いため、(対応する)必要はないと考えている」という。  港南区にある保育園では、敷地の裏手にフェンスが建っている。その内側、地表から10~15センチのところに、ビニール袋などで封をした“土”が埋められている。今年4月、市職員が市民らとともにその周辺の空間線量を測定したところ、毎時0・05マイクロシーベルトの放射線が確認された。 「柵をしなければならないものを、園内に埋めるという市の感覚を疑う」と太田正孝市議。5月27日に開かれた市のこども青少年・教育委員会で土を撤去するよう請願した。市は151の保育園に“土”が埋まっているとした上で、「(移す)必要性はない」(市こども青少年局の齋藤聖局長)と説明した。 […] 全文

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東電、避難住民と争う姿勢 原発訴訟で地裁口頭弁論 via 日本経済新聞

東 京電力福島第1原子力発電所の事故で避難を余儀なくされ精神的苦痛を受けたとして、福島県飯舘村の村民ら5世帯14人が東電に慰謝料計約2億6400万円 を求めた訴訟の第1回口頭弁論が23日、東京地裁(白井幸夫裁判長)で開かれた。原告側によると、原発事故で避難した住民の集団訴訟で弁論が開かれるのは 初めて。 原告らは20~80代の男女で、福島市や仙台市などに避難している。 東電側は「政府の原子力損害賠償紛争審査会が公表した中間指針に基づいて賠償を進めており、原告の主張する精神的損害への慰謝料も賠償額に含まれている」とする答弁書を提出し、請求棄却を求めた。 続きは 東電、避難住民と争う姿勢 原発訴訟で地裁口頭弁論

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原発事故調 菅前首相を28日に聴取 via nikkansports.com

国会が設置した東京電力福島第1原発事故調査委員会(国会事故調、黒川清委員長)は18日、菅直人前首相を28日の調査委員会で参考人として聴取すると発表した。聴取の模様は公開され、事故発生時に対策の指揮を執った前首相の発言に注目が集まりそうだ。菅前首相は事故発生翌日の昨年3月12日、ヘリコプターで第1原発に乗り込み事故状況を視察したほか、東電が原発から撤退の意向を申し出た15日未明には本店に行き「撤退したら東電は百パーセントつぶれる」と叱責(しっせき)した。 続きは原発事故調 菅前首相を28日に聴取

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