Tag Archives: 東日本大震災・福島原発

高校生が語る”私の10年” 東日本大震災来年10年 福島 郡山 via NHK News Web

東日本大震災と原発事故から来年、10年となるのを前に、高校生がみずからの物語を語る発表会が、福島県郡山市で開かれました。 この発表会は、若者ならではの目線やことばで福島について発信してもらい、震災と原発事故の風化を防ごうと福島県が初めて企画し、郡山市の会場では震災当時、小学生だった県内の高校生22人が発表しました。 (略) 磐城農業高校の塩田智恵さんは会場に集まった人たちにまず「あなたの名前は何ですか」と「困っていることは何ですか」と伝える2つの手話を教えました。 そして兄に聴覚障害があることを明かしたうえで、「震災当時、兄は情報が入らず困っていたので、災害時には勇気を持っていま覚えた手話を使って話しかけてほしい」と呼びかけました。 また、郡山高校の秋山風凜さんは、福島につきまとう震災と原発事故というイメージを変えるためには、自分たちの世代が情報を発信していくことが大切で行動を起こす必要があると訴えていました。 全文は高校生が語る”私の10年” 東日本大震災来年10年 福島 郡山

Posted in *日本語 | Tagged | 5 Comments

【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(中)福島は取り残される via 福島民友新聞

「たとえどのような政権になっても、きちんと福島の原子力災害からの復興を進めていくための法律が必要だった」。前知事の佐藤雄平は2012(平成24)年3月の福島復興再生特別措置法の成立を振り返った。 (略) 主導権握りたい政府  立法化に向けた交渉はおおむね順調に進んだが、政府が復興政策を決める際、福島県知事の意見をどこまで法的に担保するかが争点となった。主導権を握りたい政府と、被災地の意見をできる限り反映させたい県の間で意見が衝突した。国の抵抗は強かったという。  佐藤は状況を打開するため、単純だが、重みのある言葉を投げ掛けた。「国は(原発事故の)加害者ではないか。こっちは被害者なんだぞ」。法案作成の流れは、知事の意見を重視する方向で決まった。  特別措置法では、首相が法律に基づき「福島復興再生基本方針」の案をつくる際、県知事の意見を聞かなければならない。さらに知事は、出来上がった案で納得できない部分があれば「変更提案」をすることができる。提案は重く、首相はその意見を踏まえ、方針案を再度検討する仕組みになっている。  佐藤は「特措法には、こちらが要求していた内容の50%、いやほとんど入れてもらったな。政府の中に福島の復興に全力で対応しなければならないという姿勢があったことも大きかった」と語る。 (略) ―避難指示の基準となった年間20ミリシーベルトについては、政府が示してきたのか。 「そうだ。ただ、当時の内閣官房参与が涙を流して(年間20ミリシーベルトを学校の使用基準にしたことに)抗議した時、保護者が大変心配する事態になった」  ―早い段階から政府に訴えていたことの一つに、本県の原子力災害に特化した法律の制定があった。後に福島復興再生特別措置法が成立するが、その経緯は。 「(11年4月から始まった政府の東日本大震災)復興構想会議があるでしょ。岩手、宮城、福島3県がそろうと、もうね、岩手と宮城は復旧なんだ。インフラ復旧をどうするかとか、どんどん進んでいた。ところが福島は原発災害の全体像が分かっていない段階だ」 「同列になってしまうと、どうしても原発災害(からの復興)が後回しになってしまうから『別にしてもらわないと』と考えた」  ―それで立法を考えたのか。 「あともう一つ。政府はよく(復興政策について)『閣議決定したから大丈夫』と言ってきていた。だけど、閣議決定というのは重いけど、内閣が代わると場合によっては踏襲されない可能性がある。だからどんな内閣になっても、きちんと福島の復興を進めてもらうために、立法が必要だとなったんだ」  ―立法を政府に働き掛けるため特別なチームなどは編成したのか。 「つくらなかった。当時の内堀雅雄、松本友作の両副知事はそれぞれ担当部署を持っていたから『今後の福島県に必要なものをまとめろ。それを特措法の中に出せ』と言った。要望は半分以上、いや、ほとんど認めてもらったな」  ―復興再生基本方針などに知事の意見を入れようとしたところ、政府側の抵抗があったと聞いたが。 「政府は、自分たちが予算を取らなきゃいけないから。自分たちがイニシアチブ(主導権)を握りたがった」  ―どのように解決したのか。 「俺が言ったのは『国は(東京電力福島第1原発事故の)加害者で、こっちは被害者なんだ』と。それで決まりだった」 (略) ―子どもの医療費無料化も実現したが、その時は政府と衝突したのか。 「これはなかった。将来の福島県の中心となる子どもたちは最も大事だから、いくら金をかけてもよい感じで、二つ返事だった」 「とにかく、どのようにして子どもを守るかが重要だった。校庭の除染は、当時の原正夫郡山市長らがどんどん進めたが、政府が補助金を出せないと言ってきたことがある。あの時は政府の担当者を怒って財源を出させたな」 (略) ―11年10月、作付けした1174地点のコメを検査して政府の暫定基準値を下回ったことから、いわゆるコメの「安全宣言」を出したのだが、その経緯は。 「コメの検査結果もあったのだが、そのころ20歳以下の内部被ばく検査で、特別基準より高い人がいないということもあった。一つの安心感があった。それで(コメの安全性などを説明している時に)記者から『それは安全宣言ですか』と聞かれたので『はい、その通り』と言った」 「安全宣言ということになったのだが、その後で(暫定基準値を超えたコメが)出たんだ」  ―どのように思ったか。 「全量検査しないといけないとなった。これも大変だった。どのようにして全量を測ろうか、当時のJA福島五連会長の庄條徳一氏と相談して、県内5カ所ぐらいで検査しようとなった。だけど検査機械の調達に時間がかかった」 「県主導でJAに協力を求め、機器の開発も行った。政府にお金を出してもらった。それで検査態勢を整えた。全量全袋検査では、生産者一人一人がみんな耐えてくれた。『俺は測らない』とか1件もなかった。純粋で素直に努力する県民性が表れたと思った」  ―11年8月には原子力に依存しない社会づくりなどを柱とした「復興ビジョン」を策定した。この時はどのような思いだったか。 「本県は電気エネルギーを関東圏に送り、日本の経済成長に寄与した。それが原発事故で非常に厳しい状態になった。幸い本県は浜通り、中通り、会津と多様性があり、代替エネルギーとなる水力や風力の可能性があった。そこで海や山、川を一体化させて、再生可能エネルギーのモデルとなる県をつくろうと考えた」 全文は【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(中)福島は取り残される 前編は【証言あの時】前福島県知事・佐藤雄平氏(上)原発安全…神話だった

Posted in *日本語 | Tagged , , | Leave a comment

福島県、震災公文書の収集基準定めず 一部廃棄の自治体も 問われる伝承館での保管・活用 via 河北新報

東京電力福島第1原発事故の教訓を伝えるため福島県が双葉町に整備した東日本大震災・原子力災害伝承館で、震災関連の公文書の収集基準が決まっていない。全県的な文書管理の議論を先送りにしたまま震災から9年半が過ぎ、本年度に一部を廃棄した避難自治体もある。20日開館した伝承館は資料の保管と活用が役割だが、県は「市町村の公文書に伝承館がどこまで関わるかは議論が必要だ」と腰が重い。  県は震災関連資料の収集を2017年度に始め、約24万点を集めた。県や市町村の公文書はほぼ対象外としたが、19年3月改訂の資料収集ガイドラインで「引き続き調整し、アーカイブ拠点施設(伝承館)での保管と活用を検討する」などと位置付けた。 (略) 大熊町は全量保管中の公文書の一部を今後、町が整備するアーカイブ施設へ移す。10、11年度は震災前後の業務を比較するため全て残し、12年度以降については震災関連以外は順次廃棄する方針に基づき本年度に選別作業を始めた。  浪江町は震災関連を含む全ての公文書を規定の年限で廃棄している。震災前後の公文書は「歴史的な価値判断がつかない」として休校中の浪江小に仮置きしていたが、今夏に校舎の解体工事が始まったため保健師の仮設住宅巡回記録などを廃棄した。  こうした公文書を伝承館が直接保管することは確かに「収蔵スペースなどの問題から現実的でない」(同館関係者)。ただ、伝承館開館は今後の活用を踏まえた保管の在り方を問い直す好機でもある。 全文は福島県、震災公文書の収集基準定めず 一部廃棄の自治体も 問われる伝承館での保管・活用

Posted in *日本語 | Tagged , | 5 Comments

原発事故はなぜ起きたか?「危機の時代」に科学と政治ができること 細野豪志×田中俊一【前編】via 日刊ゲンダイ

「3.11」そして福島第一原発事故から9年の月日が流れた。原発を推進してきた立場の科学者として事故直後に「陳謝」を表明、福島の除染に率先して取り組み、翌2012年には原子力規制委員会初代委員長(〜2017年)となった田中俊一氏。現在、福島県飯館村に住みながらボランティアで「復興アドバイザー」を務める田中氏を、2011年当時、菅直人内閣で原発事故担当の総理補佐官を務め、事故の最前線で対応に当たった衆議院議員の細野豪志氏が訪ねた。 あのとき、日本人は何を間違えたのか。今なお福島に置かれている除染廃棄物を、この先どうするのか。新型コロナウイルスという新たな国難が襲ういま、原発事故の過去と現在を考える特別対談。(構成・林智裕、ライター)欠けていた「科学的判断」 細野 田中先生はご出身が福島で、いまも飯館村に住んで福島の実態を見ておられます。先生のことが初めて印象に残ったのは、3.11の後の3月31日に専門家の皆さんを率いて提案された際に、冒頭で明確に謝罪を書いていたんですよね。原子力の専門家の中で、当時あれだけ率直に謝罪をした方はいなかった。どういうお気持ちだったんですか。 田中 これだけの事故を起こしてしまったことについて、それなりの責任、国民に対する謝罪の気持ちを持つのはごく当たり前のことですし、他にも思っていた関係者はかなりおられたと思います。 (略) 東京電力の傲慢さ細野 当時、私が田中先生に原子力規制委員長をお願いしようと考えた一つの理由は、1999年のJCO臨界事故に関わっておられたことでした。JCOの事故と福島第一原発事故を比較して、気になることはありませんか。 田中 JCOは原子力業界の中では非常にマイナーな存在でした。一方、東電は日本の原子力を代表する存在です。しかしだからこそ、JCO事故の反省を踏まえていれば、福島の事故は起こさないで済んだような気もします。 JCOの事故でも、東京電力は事故対応に力を尽くしたとは思いますが、しかし本当の意味での反省はなかった。あれは原子力業界の端っこで起こった事故だとか、事故を起こしたのは当事者であるJCOに知識がなかったからだとか、そういうふうに言ってきたところがある。 (略) 田中 当時感じたのは、東電の中枢でそういう知恵のある人を集めて現場に送り込もうとか、いろいろな立場の人と一緒になって立ち向かおうという姿勢が、東電本社には全くなかったですよね。 当時の武藤栄副社長が、菅直人総理と一緒に現場へヘリコプターで行って東京へ帰ってきましたが、あれが私はいまだに信じられないんですよね。「私は残りますが、総理は帰ってください」と言うのが普通ですよ。本社とのつなぎ役をやるとか、吉田(昌郎)所長のサポート役に回るとか……しかし、彼の性格なのか東電の社風なのか、どうもそういうところがあります。 JCO(事故)のとき、原研(原子力開発研究所)で私は東海研究所の副所長だったので、とにかく研究所のできそうな職員をみんな集めて、原研つまり自分たちの事故ではないんだけど、とにかく止めないと、と思って対応しました。そのうち、いろんな人が真夜中でも、ボランティアみたいに来てくれるようになった。やっぱり、そういう覚悟を持ってやらなきゃいけません。 (略) 田中 福島の汚染がかなりひどいようだということで、とにかく状況を見に行こうと思って、飯舘村に4月の下旬に来たんです。それで、やはり生活空間を中心に除染が必要だと感じて、やり始めたんですね。 (略) 田中 伊達ですね。飯舘村は4月11日に計画的避難区域になって、村長の判断で全村避難になりました。しかし6月の初めまで、少しですが住民が残っていたんですよ。 細野 その前に、私は飯舘村の菅野典雄村長に全村避難をお願いしていたんですよね。我々は「一刻も早く避難した方がいい」という考え方だったんだけど、菅野村長は非常に見識をお持ちで、「避難する時もちゃんと説得をして順番にやらないと、もう戻って来られない」と。戻ってくる時のことを考えてお話をしていたのが、非常に印象的でしたね。 そうした避難の議論をしている時に、もう先生は除染をやられていたんですね。 田中 実際には、その議論をやっていた時はまだ、除染まではできていなかったと思います。ただ、あの当時は福島県立医科大学の山下俊一先生が「100ミリシーベルト以下の被曝では、健康上の問題は起きません」という話をしていて。 山下先生がそう言ったこともあって、帰るときのことを考えて、村から出ていってもいつでも来られるような距離にみんなで避難しようと菅野村長はお考えになったようです。 (略) ただ一方で、除染の基準をどうするかという議論になって、持ち上がってきたのが、ICRPや国内の管理基準になっている、「追加的な放射線量1ミリシーベルト」という数値でした。 私もそのころには、1ミリシーベルトが例えば健康とか、住めるか住めないかという基準とはおよそかけ離れたものだとわかっていたんです。しかし、これまでの基準として1ミリシーベルトで管理することが決まっている以上、全く無視するわけにもいかない。そして福島県側としては、除染の目標は1ミリにしてくれ、という非常に大きな要望もあった。 それで、悩んだ末に「長い時間をかけて最終的に1ミリを目指しましょう」という基準を設けることになった。ただ、繰り返しになりますが、健康基準や居住可能の基準とは全く違いますよ、と強調したけれど、残念ながらなかなかそうは受け止められなかった。 (略) 田中 福島県には2000万袋(2000万立方メートル)くらいの除染土壌があって、飯舘村にはその10%があるんです。 細野 10%もあるんですか。 田中 当初は250万袋くらい、可燃物を除いても200万袋ぐらいありました。避難解除になっても、除染土壌は田畑の真ん中にずっと置かれているわけです。これを全て大熊町や双葉町の中間貯蔵施設に運び、その後30年以内に県外にまた持ち出します、ということになっているんです(※注:除染廃棄物は双葉郡大熊町と双葉町内に造られた施設で中間貯蔵された後、30年以内に福島県外に運び出して最終処分する予定)。 (略) 細野 除染の基準は、本来1kgあたり8000ベクレルですよね。 田中 そうですが、なんとなく5000ベクレルが基準になっているんです。なので、それ以下のものはできるだけ再利用につなげたい。そうすると、中間貯蔵施設で処分しなければならない土壌は半分弱ぐらいには抑えられるでしょう。 全文は原発事故はなぜ起きたか?「危機の時代」に科学と政治ができること 細野豪志×田中俊一【前編】 事故から9年「福島への無関心」「原発への無反省」がもたらす危機  細野豪志×田中俊一【後編】

Posted in *日本語 | Tagged , , , | 8 Comments

なぜ福島原発事故の原因は「地震」ではなく「津波」とされたのか? via Harbor Business Online

田中優 今後想定される地震の規模は、東北地方太平洋沖地震をはるかに上回る!?  2001年の「東北地方太平洋沖地震」まで、日本には54基もの原発が動いていた。それが今の時点で稼働している原発は9基になっている。だいぶ減って、それだけ危険性が和らいだ気がするのだが、ところが人為的に原発を建設したのと同じように、危険性は去ってくれていない。   簡単に言うと、時折政府が発表するように、大地震の起こる危険性はちっとも減っていないからだ。マグニチュードで示される地震の大きさは、ちっとも皮膚感覚的には伝わらない。   人々を恐怖に陥れた「東北地方太平洋沖地震」はマグニチュード(M)9.1(ここでは国立天文台(2011)に基づくモーメント・マグニチュード(Mw)を用いる)とされるが、仮にそれが0.1~0.2違ったとして0.1で1.4倍、0.2で2倍、1違えば32倍増える。 (略) 4月21日、今後想定される津波のために、次に襲ってきそうな大地震を内閣府の有識者会議が発表した。それによると、なんと日本海溝沿いの巨大地震はMw9.1、千島海溝沿いはMw9.3という。実に「東北地方太平洋沖地震」を上回るものだ。   そして、「汚染水処理中の東京電力福島第1原発」では東日本大震災と同程度の高さ13.7mの津波が襲来し、敷地が3m以上浸水すると想定した。   こんなことが想定される日本では、原発など建てられない。マグニチュードは震源での大きさだが、地形によって揺れ方はまったく異なる。 「震度」というのは体感的なものから考えられていて、最大が「震度7」。しかしこれは、客観的な数値と言えない。「震度の最大7」とは「震度6強以上のもの」はすべて含まれてしまい、そこにはもはや震度での区別ができないのだ。 (略) 原発がどれだけ耐震性を上げようとも、日本を襲う地震には勝てない いちおう、日本の原発も耐震性を謳っている。主要な部分だけだが、東海地震が予想されている浜岡原発では、かつて「基準地震動」として450ガルだったものを600ガル、800ガル、1200ガルと耐震性能を上げてきている。   しかし2005年に建設された耐震性能の高い浜岡第三原発でも、その後に大きな変更工事はなされていない。ギネスに対応していないどころか「東北地方太平洋沖地震」の後にも変えられていないのだ。   変わったのは防潮堤の高さだけで、それがどれほど頼りないかは現地を見ればわかる。津波は表面の波だけではなく、底からの海水全体が動くので、とても対応できるはずがない。しかも耐震構造にしたとしても主要部分だけで、すべての部分に耐震性が施されるわけではない。地震動にも津波にも耐えられる保証はない。   4022ガルの場合は、重力の4倍もの加速度がかかって空に飛ぶのだから、それに耐震性ある建物など想定することもできない。もし原発がどんなに耐震性のある建築物だったとしても、日本を襲う地震には勝てないのだ。 (略) 他のものも同様で、福島の原発事故は「津波が原因」ということで定説化している。   しかし、これに異を唱える人物がいた。2013年10月4日、岡山市の長泉寺で、元東電技術者の木村俊雄さんによる講演会が行われた時のことだ。  木村さんは「福島第一原発の過渡現象記録装置のデータ解析を終えて、地震による原子炉停止直後に、本来自然循環するはずの炉内の水が止まっていた」という事実を示したうえで、「原発事故は津波が原因ではなく、地震の揺れによって壊れた」ということを示した。 「大学で、学問の形で原発を学んでも、『現場での実務』を知らなければ、福島第一原発事故の真実は見えてこない。メルトダウンは津波ではなく地震で引き起こされた」と木村さんは述べた。 (略) ところがデータは、その自然循環さえ残さずに冷却能力を失ったことを示し、「打つ手なし」の状況に陥っていた。津波によって電源が失われる前に、原発の小さな配管が破損して、それによって冷却できずメルトダウンしていくことが確定していたのだ。そのことは炉心から漏れ出した冷却水の放射能濃度からも、人が入れなくなった時点からも確かなことだったという。   つまるところ、原発事故を決定的にしたのは「津波」ではなく、「地震の揺れ」によるものだった。ところが原発は「津波原因説」によって“めったに発生しない事態”とされ、一部を改修することで大丈夫だとされ再稼働を始めてしまったのだ。本当の原因が地震にある以上、地震を防げない以上、再び事故を起こす危険性があることは明らかだというのに。 そのことが隠されたのは、再稼働を進めたい側にとって都合が悪かったからだ。そのために、木村さんはまるで“トンデモ論者”であるかのようなレッテルを貼られ、信用を失わされてしまった。   すでに見たように、日本の地震に勝てる建築物などあり得ない。しかも、日本の中に「地震が起こらない地点」を見つけようもない。地震に勝てる原発などあり得ないのだ。   福島原発事故を招いた「細かい配管の破損」は、おそらく「流量計測システムの測定用細管」と見られている。地震当時、発電を停止していた4号炉でも地震で破断していて、1号炉、2号炉とも冷却能力を失っているのだ。   その「流量計測の測定用細管」の耐震性のレベルは、なぜか「三段階のうちの一番弱いレベル」で足りるとされていた。これは明らかに設計上のミスだろう。しかも気づいたとしても、その管を安全側に補強することは困難だ。 … Continue reading

Posted in *日本語 | Tagged , , , | 3 Comments

福島 大熊町 原発事故の帰還困難区域で初の田植え via NHK News Web

福島第一原発周辺は330平方キロメートルが帰還困難区域に指定されていて、これまで立ち入りが制限がされていましたが、政府はことし3月、一部で規制を緩和し、避難指示を続けながら日中は立ち入りができるようになりました。 このうち大熊町の下野上地区で22日、帰還困難区域での初めての田植えが行われ、町から依頼を受けた農家がおよそ9アールの田んぼに田植え機を使ってコシヒカリの苗を植えていきました。 今回は「試験栽培」に位置づけられ、収穫されたコメは市場には流通させず安全性などを確認することになります。 続きは福島 大熊町 原発事故の帰還困難区域で初の田植え

Posted in *日本語 | Tagged , , | 3 Comments

1歳児の甲状腺被ばく、国連報告より低く 国際医療福祉大など推計 福島第1原発事故 via 毎日新聞

東京電力福島第1原発事故で避難指示が出た福島県7市町村の1歳児の甲状腺被ばく線量は、市町村別で平均1・2~15ミリシーベルトになるとの研究結果を、国際医療福祉大(栃木県)などのチームが英科学誌電子版に発表した。国連放射線影響科学委員会(UNSCEAR)が2013年に報告した15~83ミリシーベルトより大幅に低くなった。 チーム代表の鈴木元・同大教授(放射線疫学)は「50ミリシーベルト以下は、健康影響が出ることはほとんどなく、がんのリスクを心配する線量ではない」としている。UNSCEAR報告は住民が屋外で一日中被ばくしたと仮定するなど、精度が不十分な面があったという。 チームは避難中の行動を聞き取った福島県の問診票を基に、当時1歳だった7市町村の約900人を、11年3月11~25日の避難日時や経路によって37グループに区分。放射性物質を大量に含む放射性プルーム(雲)の動きや、屋内退避の防護効果などを考慮して被ばく線量を推計した。 市町村別では、南相馬市(小高区)の15ミリシーベルトが最も高く、富岡町の1・2ミリシーベルトが最低だった。 グループ別で最も推計量が高かったのは、南相馬市原町区・鹿島区で避難開始が遅れ、北へ避難したグループで、約20ミリシーベルト。 続きは1歳児の甲状腺被ばく、国連報告より低く 国際医療福祉大など推計 福島第1原発事故

Posted in *日本語 | Tagged , , | 3 Comments

新型コロナと闘う福島第1原発 感染防止へ神経とがらせ via 産経新聞

新型コロナウイルスの感染拡大が、廃炉作業が進む東京電力福島第1原子力発電所の現場に強い緊張感をもたらしている。事故後の福島第1原発の安定状態を保つため、24時間体制で勤務を続けている当直員に新型コロナウイルスの感染者が続出すると、勤務シフトを組めなくなる恐れがあるからだ。“見えない敵”との闘いに、関係者は神経をとがらせている。 (芹沢伸生) ◆現場には4千人 事故を起こした福島第1原発では、原子炉内で高温になり溶け落ち、金属などと一緒に固まった「燃料デブリ」の安定を保つことが不可欠。そのため、絶え間なく冷却水を循環させ、その過程で出る汚染水をセシウム吸着装置や多核種除去設備などで処理する作業を並行して行っている。 約4千人が働く現場で、特に重要なのが原発のプラント維持を担う当直員だ。一連の設備の操作や監視、定期点検のほか、急なトラブルなどにも対処する。仕事は多岐に渡り、専門の訓練を受けた東電社員が担当している。 当直員の仕事場は、事故を起こした1~4号機に関係する機器が設置されている免振重要棟の緊急対策室と、5・6号機の中央制御室。また、水処理設備担当の当直員も緊急対策室に詰めている。1~4号機、水処理、5・6号機のそれぞれ6~7人で構成する当直班が5班ずつ。この陣容で2交代勤務、24時間体制で仕事を行っている。 (略)  他のスタッフとの接触を極力避け、感染リスクを下げるための措置として、福島第1原発では視察の受け入れも現在は中止している。徹底した感染防止対策で現在のところ福島第1原発の従事者の中に東電、協力企業を含めて感染者・感染疑い者は出ていないが、感染拡大が収束するまで気の抜けない日々が続く。 全文は新型コロナと闘う福島第1原発 感染防止へ神経とがらせ

Posted in *日本語 | Tagged , | 5 Comments

「処理水」にも新型コロナ影響 国と地元・福島…一層深まる溝 via 福島民友新聞

東京電力福島第1原発で増え続ける、放射性物質トリチウムを含んだ処理水の扱いを巡り、新型コロナウイルス感染拡大の影響で国と地元の溝が一層深まっている。 2年後とされる処理水の貯蔵タンク容量の限界を見据え、国は今夏にも処分方針を決めたい意向で、今後、県外でも関係者の意見を聞く場を設ける考え。一方、地元は緊急事態宣言の対象地域が全国に拡大され、事態の収束も見通せない中、国民の関心は高まらないとして、結論を急ぐように映る国の姿勢を危ぶむ。  ◆◇◇密集のリスク 対象地域の拡大に先立つ13日、国は福島市と富岡町で関係者から意見を聞く2回目の会合を開いた。座長の松本洋平経済産業副大臣らは感染拡大防止を理由に会場に現れず、東京都内からテレビ会議を使って2会場に集った浜通りの市町村長ら計12人から意見を聞いた。「延期の選択肢はなかったのか。地元に密集のリスクを負わせてまで開いた会合。スケジュールありきだと勘繰ってしまう」。双葉郡のある自治体関係者は苦言を呈した。 東電の保管計画では2022年夏にも貯蔵タンクの容量が満杯になる。仮に海か大気中への処理水の放出が決まった場合、原子力規制委員会の許認可や準備工事に2年程度かかる見込みで、逆算すれば今夏が期限と想定される。報道陣から、感染拡大の中で会合を開いた理由を問われた松本氏は「タンク容量の問題もあり、どこかで一定の結論を得ないといけない状況」と強調した。その発言からは今夏を念頭にした処分方針の決定に向け、意見集約を急ぎたい思惑が透けて見えた。 ◇◆◇視聴数伸びず 会合の様子は国民の関心を高める狙いで動画投稿サイト「ユーチューブ」で配信されたが視聴回数は23日までに福島市の会場が約800回台、富岡町の会場が600回台と伸びなかった。国の小委員会で処分方法を検討してきた福島大食農学類の小山良太教授は「関心の低さの表れ」と分析した。 (略) ◇◇◆若い世代にも また、テレビ会議を使った運営方法について「出席者が(事前にまとめた)意見を述べただけだった。国側の表情も反応も分からず、意見の背景を掘り下げるやりとりもない。アンケートを取るのと変わらない」と疑問視した。国民的な議論を深めるために「少なくとも緊急事態宣言の解除後、各組織の代表だけでなく将来を担う若い世代にも意見を聞く場を設けるべきだ。韓国など諸外国の理解を得る努力も重要」と提言した。 全文は「処理水」にも新型コロナ影響 国と地元・福島…一層深まる溝

Posted in *日本語 | Tagged , , | 3 Comments

福島第1原発事故で汚染 養生シート紛失 練馬区、公表遅れ /東京 via 毎日新聞

2011年の東京電力福島第1原発事故で汚染され、練馬区立小学校の校庭から撤去された芝生の養生シートが保管先の区役所倉庫から無くなった。区が23日に発表した。区は18年12月に紛失を把握していたが、公表していなかった。 区によると、紛失したシートは計3枚。区立中村小で使われ、11年12月時点の放射性セシウム濃度は1キロあたり8260~5万3400ベクレルだった。国基準(1キロあたり8000ベクレル)を超える指定廃棄物とされ、12年以降、区役所の地下1階倉庫で保管していた。 (略) 存在が最後に確認されたのは17年3月だったという。 発表の遅れについて、区は報告書をまとめて事前に区議会に報告するためとしている。牧山正和・学校施設課長は「調査結果を重く受け止め、再発防止に努める」と述べた。【川村咲平】 全文は福島第1原発事故で汚染 養生シート紛失 練馬区、公表遅れ /東京

Posted in *日本語 | Tagged , , | 4 Comments