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「黒い雨」訴訟、厚労省が控訴検討 「新たな知見ない」 広島市・県は救済要望 via 中国新聞

原爆の放射性物質を含んだ「黒い雨」に国の援護対象区域外で遭い、健康被害を訴える広島県内の原告全84人に被爆者健康手帳を交付するよう広島市と県へ命じた7月29日の広島地裁判決で、厚生労働省が市と県に控訴を求める方向で検討していることが7日、分かった。ただ、市と県は政府の「政治決断」による控訴の見送りと被害者の救済を強く求めており、控訴期限の12日に向けて大詰めの駆け引きが続いている。  複数の関係者によると、厚労省は広島地裁の判決後、原告全員に被爆者健康手帳を交付するのは困難と説明した。長崎原爆で国の指定地域外にいた「被爆体験者」を被爆者と認めなかった最高裁の2017年12月と19年11月の2度の判断や、健康被害を黒い雨の影響とする新たな科学的知見がない点を理由に挙げたという。  このため厚労省は、原告全員について控訴する検討を進めており、市と県へ控訴を求める方向だ。被爆者健康手帳の交付は国からの法定受託事務として市と県が実務を担っており、今回の裁判では市と県が被告となっているためだ。  一方で市と県は、援護対象区域の拡大を長年にわたって国に求めてきた経緯がある。松井一実市長は6日、国が控訴を求めてきた場合に市の判断で控訴を見送る可能性について「被害者の救済が最終目的。区域の拡大が見通せるかどうか見極めたい」と語った。  この状況を踏まえて、厚労省が控訴を求める際、援護対象区域の見直しが必要かどうかを検証する方針を合わせて打ち出し、市と県に譲歩を促すとの観測が出ている。安倍晋三首相(山口4区)が控訴断念を政治決断する余地が残っているとの見方もある。市と県は政府の方針を見極めた上で、最終的に控訴するかどうかを判断する見込みだ。  現行の援護対象区域は、被爆直後の広島管区気象台(現広島地方気象台)の調査を基に、国が1976年に指定した。市や県が2010年、黒い雨体験者たちのアンケートに基づいて拡大するよう国に求めたが、厚労省の有識者検討会は12年、区域拡大に否定的な報告書をまとめ、当時の民主党政権が拡大を見送った。 原文

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終戦後も、使われたはずである。「慰霊」の「霊」は旧字体で「… via 東京新聞

終戦後も、使われたはずである。「慰霊」の「霊」は旧字体で「靈」と難しい。器をかたどっているらしいが、見れば、横一列に並ぶ「口」がある。慰霊に臨む時、人は今この世にいない人々が発する言葉に、耳を澄ますものかもしれない▼きょうは広島原爆忌。午前八時十五分の投下から、「草木も生えない」と言われた七十五年の月日がたって、迎える慰霊の日である▼<ピカは人が落(おと)さにゃ落ちてこん>。耳に響いてくる言葉があるとすれば、「原爆の図」の画家丸木位里さんの母スマさんの嘆きもその一つだろうか。<まるで地獄じゃ…鬼の姿が見えぬから、この世の事とわ思うたが>などの言葉とともに書き留められ語り継がれる▼人が落とすおそれが、この歳月にしてなお消えていない核兵器である。手を合わせながら七十五年の人の営みを問うなら、心にはさらにどんな言葉が返ってこよう▼史上初の核実験から七十五年を迎え、トランプ米大統領は先日、実験を「素晴らしい偉業」と語ったそうだ。地球上にいまだ一万発以上の核弾頭があって、保有国の米中は緊張の渦中にある。核兵器禁止条約は日本が参加せず、発効もしていない▼<しずかに耳を澄ませ/何かが近づいてきはしないか…午前八時一五分は/毎朝やってくる>。生誕百年を迎えた詩人石垣りんさんの『挨拶(あいさつ)』。聴くべきものが多い慰霊の日だろう。 原文

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なぜ黒い雨による「被ばく」は置き去りにされたのか 届かなかった医師の訴え via 毎日新聞

広島と長崎に設置されていた米原爆傷害調査委員会(ABCC)の医師が1950年代半ば、米政府の公式見解に異を唱え、原爆投下直後に降った「黒い雨」が住民たちの病気の原因になった可能性があると指摘していた。しかし、被爆75年を迎える今も、黒い雨の健康への影響を巡って論争が続く。なぜ、医師の訴えは届かず、黒い雨による「被ばく」は置き去りにされたのか。【小山美砂】 目に見えない問題に時間割けず  「広島の残留放射線及び放射線による兆候と症状」と題した9ページの報告書。添付された広島市の地図には、48個の小さな丸印が書かれている。原爆の爆心地からの距離は2~6・5キロ。いずれも爆発時に放出された直接放射線の影響がほとんどないとされた場所だ。だが、そこにいた人たちも脱毛や紫斑などの急性症状に見舞われた。「現在入手できる客観的証拠では、原爆投下後の残留放射線は無視できるとされている。なのに放射線を浴びた時の兆候や症状が表れている」。報告書は矛盾を指摘する。  報告書を作ったのはABCCの生物統計部長、ローウェル・ウッドベリー医師(故人)。原爆放射線による人体への影響を調査する研究の中枢にいた。  広島では原爆投下直後、原子雲や火災に伴ってできた積乱雲から、核分裂で飛び散った放射性物質を含む黒い雨が降った。爆風で巻き上げられたほこりやちりも放射性物質とともに広範囲に落ちた。多くの人が浴び、空気や水、食物と一緒に体内に取り込んで被ばくしたと考えられる。  だが、米政府は一貫して直接放射線以外の放射線の影響を否定した。被爆1カ月後の45年9月12日、広島・長崎を視察した原爆製造計画「マンハッタン計画」の副責任者だった米軍准将が「広島の廃虚に残留する放射線はない」と発表し、翌日の米紙ニューヨーク・タイムズが報じた。 「。。。」 放射性降下物が病気を招いたと考えるウッドベリー氏が、米本国のスタッフォード・ウォーレン医師(故人)らに異論を伝えたのはこの頃だ。だが、壁は厚かった。ウォーレン氏はマンハッタン計画の安全対策責任者。放射能を洗い流したといわれる45年9月中旬の枕崎台風の前後に広島と長崎に入り「患者の障害は危険な量の放射能が地上に残った結果ではない」と報告して政府見解を支えた。核開発にその後も関わった放射線研究の権威にウッドベリー氏ははね返され、政府を動かすことはできなかった。  ABCC内部で黒い雨はどう見られていたのか。「組織として『調査をしよう』という動きはなかった」。当時、ABCCの印刷課にいた宮川寅二さん(93)=広島市南区=は証言する。ABCCは広島と長崎の被爆者ら約12万人を対象に55年ごろに始めた寿命調査で「黒い雨に遭ったか」との質問を設けた。質問票の書式を任された宮川さんは「余白ができたから盛り込んだだけだった」と言う。  宮川さんの質問票が使われた61年までの調査に対し、約1万3000人が黒い雨に遭ったと回答した。しかし、75年にABCCが日米共同運営の放射線影響研究所(放影研)に改組された後も、長崎の医師らが回答の存在を2011年に指摘するまで「黒い雨に遭った場所や時間の情報が不十分だった」との理由で解析しなかった。 […] 疑われるなら国は救済を  国による被爆者援護は、原爆投下から12年後の1957年に原爆医療法(現被爆者援護法)が施行されて始まった。対象地域の拡大や手当の創設などが進められ、黒い雨を巡っては76年、広島の爆心地から北西側に広がる長さ約19キロ、幅約11キロの楕円(だえん)状の地域が援護対象区域に指定された。この区域にいた人は無料で健康診断を受けられ、国が「放射線の影響を否定できない」と定める11障害を伴う病気になれば、医療費が免除になる被爆者健康手帳を受け取れる。 しかし、国は80年に厚相(当時)の諮問機関が出した「被爆地域の指定は科学的・合理的根拠のある場合に限定して行うべきだ」との意見書を盾に、区域の見直しをしなかった。黒い雨に遭った人の高齢化も進み、広島市や県は2008年、3万人超を対象にアンケートを実施。援護区域の6倍の広さで黒い雨が降ったとして国に区域拡大を求めたが「60年前の記憶によっていて、正確性が明らかにできない」と退けられた。  黒い雨の健康被害を認めない国がよりどころにするのが、45年8~11月の現地調査などのデータから放影研が作り、被ばく推定線量の計算に使われる評価システムだ。放影研は87年に出したシステムに関する報告書で「残留放射線の影響は無視できる程度に少ない」との見解を示している。  「直接放射線による外部被ばくだけでは、被爆者にもたらされた健康被害の説明がつかない」。19年10月、広島地裁。援護区域外で黒い雨に遭った住民ら84人が被爆者健康手帳の交付を求めた「黒い雨訴訟」で、住民側の証人として出廷した広島大の大瀧慈(めぐ)名誉教授(69)は訴えた。  75年から広島大原爆放射線医科学研究所に勤め、統計学の観点から原爆の影響を見続けてきた。広島市などのアンケートにも携わった研究者に気付きをもたらしたのは、11年3月の東京電力福島第1原発事故だった。  低線量被ばくや内部被ばくが議論される中、広島大が約1万8000人の被爆者を対象に10年までの40年間に実施した健康調査のデータを改めて分析し、黒い雨が降った爆心地の西側では被爆した場所が遠いほど、がんで死亡する割合が高いとの結果が出た。原爆の放射線による健康被害のリスクは爆心地に近いほど高いという「定説」と矛盾する。「放射性物質を空気や水、野菜とともに体内に取り込んだことによる内部被ばくの影響が否定できない」と結論づけた。  放射性物質が体内に入ると、排出されない限り局所的な被ばくが続く。だが、放射線量の測定方法は確立されておらず、がんの発生など健康への影響も解明されていない。被爆者援護法は「他の戦争被害とは異なる特殊の被害」を受けた人々を救済するために制定された。その趣旨を踏まえ、大瀧名誉教授は主張する。「黒い雨の影響で健康被害が生じたと断定できなくても、疑われるなら国は救済すべきだ」。29日に言い渡される判決が、国が内部被ばくと向き合う契機となることを期待している。 全文

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2020ヒバクシャ 高東征二さん 執念の「黒い雨」降雨図 遺志継ぐ via 毎日新聞

1945年8月6日に米軍が広島に原爆を投下してから75年。あの日、放射性物質を含む「黒い雨」に遭ったものの、今も国の援護を受けられない人がいる。記録報道「2020ヒバクシャ」の3回目は、病に侵されながら、国に被爆者と認めさせるため闘い続ける元高校教諭の姿を通して、黒い雨を巡る運動の歴史をたどりたい。 4月9日。4歳で黒い雨を体験した広島市佐伯区の高東征二さん(79)は市立大大学院で黒い雨の運動史を研究する向井均さん(77)を市内の自宅に訪ねた。 (略) <子どもを連れて行く途中ピカ、顔が熱かった。帰りに夕立のような雨に遭った。髪が抜け薄くなった> 詳細な様子が鉛筆で数十枚にわたってつづられていた。1970年代から国に黒い雨の被害を訴えた被爆者の市民運動家、村上経行(つねゆき)さん(2011年に93歳で死去)が、県境の集落まで訪ね歩いて集めた証言の一部だ 先駆者・村上さんに誓う 国が76年に指定した援護対象区域の外で黒い雨に遭った高東さんは、高校教諭を退職後、02年に「佐伯区黒い雨の会」を設立し、援護対象を広げる運動に加わった。87人の仲間と被爆者健康手帳の交付を求める訴訟をして4年。7月29日に言い渡される判決を待つ。 全ての『黒い雨被爆者』が報われる判決を勝ち取る」。先駆者の村上さんが残した約2800点の資料を前に高東さんは誓った。【文・小山美砂、写真・山田尚弘】 (略) 「黒い雨はもっと広い地域で降り、多くの人が内部被ばくした」。高東征二さん(79)は国が44年前に定めた援護対象区域に異を唱え、被爆者と認めさせるため、黒い雨訴訟の先頭に立ってきた。  4月9日。広島市立大大学院で黒い雨の運動史を研究する向井均さん(77)の広島市内にある自宅で、「黒い雨降雨域図」と墨書された1畳ほどもある地図と向き合った。赤い丸印の爆心地から北西側に描かれた二つの楕円(だえん)。大きな方は、気象台の技師らが終戦直後に実施した住民百数十人への聞き取りなどの調査で黒い雨が降ったとした地域、小さな方は大雨だったとした地域だ。二つの楕円が収まる、青い線で囲われた複雑な形の「新しい小雨域」は、高東さんらが黒い雨が降ったと主張している地域を示す。 (略) 黒い雨が流れ込んだ川の水を飲んだからか。小学3年まで体が弱く、腫れたリンパ節を3回手術した。だがその後は大病をせず、父の後を追って63年、広島大を出て県立高校の生物の教諭になった。 その2年後、作家・井伏鱒二が小説「黒い雨」を発表する。各地で四大公害病を巡る訴訟が相次ぎ、市民運動への関心が高まった。黒い雨を体験した人の救済を求める声も強まり、国は76年、終戦直後の気象台調査による「大雨雨域」を援護区域とし、指定する11障害を伴う病気と診断されれば被爆者健康手帳を交付することにした。 (略) 85年の原水爆禁止大会で「雨があんなにきれいな卵形に降るのか」と村上さんに問いただされた気象学者の増田善信さん(96)=東京都狛江市=は、2000人以上の証言を基に4年後、降雨域は気象台調査の4倍だったとの見解を発表する。国を動かせる科学的根拠だと周囲の期待は高まった。1畳もある「黒い雨降雨域図」は、村上さんが増田さんの見解を紹介するために手作りしたものだ。 (略) だが、県と市の専門家会議は、援護区域外では「(黒い雨による)人体影響の存在を認めることはできない」と退ける。証言や行動記録など村上さんが残した約2800点の資料の中にあったメモには、無力感が弱々しい筆致でつづられていた。 「『もうだめ』という気分」  運動はしばらく停滞する。 (略) それでも、15年に起こした黒い雨訴訟の原告に名を連ねた。この3年前、運動を受けて3万人超にアンケートをした県や市が、援護区域の6倍の範囲で雨が降ったとして国に区域を広げるよう求めたが退けられていた。区域外の体験者を「被爆者」と認めさせるには司法の判断を仰ぐしかない、と考えた。          ■    ■  19年春、裁判所の要請に応じて受けた健康診断で高血圧性心疾患と診断され、脳梗塞(こうそく)で2週間入院した。国が「放射線の影響を否定できない」と定める11障害の一部を伴う病気だった。「わしも被爆しとる。一日一日を大事にこの問題を追及せにゃあいけん」。病気になって芽生えた「被爆者」の自覚が迷いを消し去った。 (略) 提訴から4年が過ぎ、88人だった原告のうち14人が鬼籍に入った。昨年10月、高東さんは法廷で訴えた。「病気だらけの人生でお金に困り、多くの人が死んだ。全ての『黒い雨』被爆者の声を代弁するため、ここに立っています」  75回目の8月6日を迎える直前に判決が言い渡される。「原告になれんかった人も、救済される判決がほしい」。先駆者、そして多くの仲間たち……。半世紀にわたる運動の歴史に終止符を打つ。その日が必ず来ると信じている。【文・小山美砂、写真・山田尚弘】

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伊方原発差し止め判断の広島高裁裁判長 18年の原爆症訴訟で被爆者1人を認定 via 毎日新聞

[…] 森一岳裁判長は申し立てを却下した2019年3月の山口地裁岩国支部の決定を取り消し、四電(高松市)に運転差し止めを命じる決定を出した。11年3月の東京電力福島第1原発事故以降、司法による運転差し止めの判断は5例目。 森裁判長(64)は1982年任官。大阪地裁や東京高裁の判事、千葉地裁松戸支部長などを経て2016年4月に広島高裁判事部総括に就いた。18年2月には原爆症認定訴訟の控訴審を担当し、医師による経過観察も医療措置に該当するとして、1審で申請が却下された原告の被爆者1人を原爆症と認める判決を出している。  今回の抗告審で、森裁判長は19年9月に審尋を開き、住民側と四国電力にプレゼンテーション形式で主張を説明するよう求めた。この際、65歳での定年退官を控えた20年1月中に決定を出したいと伝えたという。【手呂内朱梨】 全文

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被爆地ひろしまが被曝を拒否するvia伊方原発運転差止め広島裁判

「核兵器反対なら原発反対は当然」-今回テーマの意義- 「核兵器反対なら原発反対は当然」テーマの意義(PDF)  私たちは毎回口頭弁論期日ごとにテーマを決めて取り組みを行っています。 今回は8月7日の口頭弁論期日ということもあって「核兵器反対なら原発反対は当然」というテーマで取り組みをすることにしました。 1945年8月6日、広島に原爆が投下された後、45年9月、マンハッタン計画の陸軍側最高責任者レスリー・グローブズは、アラモゴード砂漠の原爆実験場に全米から選抜したジャーナリスト30名を集め、「実験場に残留放射能はない」との声明を出しました。ほぼ同時期に広島を訪れた、グローブズの右腕、トーマス・ファレル准将は記者会見を開き、「広島には放射能はない。死すべきものは死に絶えた」と言明しました。 マンハッタン計画の軍側首脳たちが主張したかったことは、原爆放射線による被曝被害は、核爆発時に放射されるガンマ線・中性子線による高線量被曝被害だけで、残留放射能による低線量被曝被害はなかった、ということです。 このマンハッタン計画首脳の見解は、その後アメリカ政府、日本政府の公式見解となりました。 しかし広島に生まれ、広島に育った私たちは、広島原爆で拡散した放射性物質(「死の灰」)で、極低いレベルでも、放射線被曝被害が存在したことを、身をもって体験しています。マンハッタン計画首脳の声明は有り体にいえばウソだったのです。 広島では、戦後「核兵器は悪だが、核の平和利用はいいことだ」とする言説が幅広く流布しました。あるいは日本全国でも流布したのかもしれません。言い換えれば「核兵器は悪だが原発は善」とする議論です。今でも幅広く広島の地で定着しています。 よく考えればおかしなことです。確かに原発には熱線も、ショックウエーブもありません。しかし放射線被曝被害、特に低線量放射線被曝被害をもたらすという点では、核兵器と原発は全く同じものです。 広島原爆では多くの被曝者を生み出しました。福島原発事故でも多くの被曝者を生みだしています。もうこれ以上放射線被曝者を生みだしてはなりません。放射線被曝の恐ろしさを身をもって体験している私たち広島の人間が「核兵器反対」の先頭に立つと共に「原発反対」の先頭に立たなければなりません。 これが「核兵器反対なら原発反対は当然」のテーマの意義です。 「核兵器反対なら原発反対は当然」-今回テーマの解説- 「核兵器反対なら原発反対は当然」テーマの解説(PDF)  核兵器の実戦使用である広島・長崎への原爆投下は、熱線による被害・爆風による被害・放射線被曝による被害を、非常に多くの人々にもたらしました。熱線や爆風、それを原因とする火災がもたらした惨状は、多くの証言で語られ、ヒロシマを訪れる人たちに強い印象を残しています。 しかし、それに比べて、放射線被曝の被害については、語られることが少ないと思います。 原爆の熱線を浴びた人たちが異様に膨れた顔になって誰とも見分けがつかなかったという話はよく聞きます。これは単なる火傷ではなく、放射線により、皮膚の深いところまでの細胞そのものが破壊された結果だと思います。また、外観は無傷に見えた人たちが、被爆後数日~数週間経って次々と死んでいったのも、内臓の細胞そのものが放射線によって破壊されていたからだと考えられます。これらは、原爆炸裂の瞬間に発せられた強度の中性子線・ガンマ線による外部被曝の被害です。 さらに、広い範囲の人たちに長期にわたって影響を及ぼしているにもかかわらず語られることが少ないのが、核分裂で生じた核分裂生成物―いわゆる「死の灰」による低線量内部被曝被害です。 後ろに展示している街頭アンケートの結果にも示されていますように、広島の人たちは、実は、圧倒的多数が「広島原爆で低線量被曝被害はあった」と考えています。ただしこれには、「低線量被曝被害とは、黒い雨や入市被曝による被曝被害など」を指す、という注釈を付けることが必要でした。 広島の人たちは、身近な人たちが黒い雨や入市被曝によって確かに健康を害している、という実感を持っています。しかし、それが「低線量被曝被害」だという認識を持っている人は少数だと思います。また、厚生労働省が原爆による「低線量被曝被害」―つまり黒い雨や入市被曝による被曝被害を認めていないということを知っている人も少ないと思います。 ここには、被爆地の人たちの実感を、他の地域の人たちからも、問題の本質からも切り離し、「低線量被曝被害」に人々の目を向けさせまいとする大きな力の存在を見ることができます。 同じ力は、「核兵器」と「原発」を切り離し、「核兵器」は悪であっても「原発」は悪ではなく「原子力の平和利用」なのだという強力な洗脳を、広島の人々に対して行ってきました。 しかし今や、福島原発事故を経て、私たちは、「核兵器」と「原発」に共通する最も深刻な問題は「低線量被曝被害」なのだということを明確に意識しています。 広島原爆による低線量被曝被害は確かに存在しています。そして、原発は、ひとたび過酷事故を起こせば、広島原爆よりもはるかに広範囲の低線量被曝被害をもたらすことを福島原発事故は示しました。原発は通常運転においても、原発労働に携わる人々や風下の住民に低線量被曝被害をもたらしていると考えられます。 「低線量被曝被害」を身をもって実感としてとらえているヒロシマは、「核兵器反対」の先頭に立つと同時に、「原発反対」の先頭にも立たなければならない。これが、「核兵器反対なら 原発反対は当然」という今回8月7日期日のテーマの意味です。 街頭アンケート結果(2019年7月28日) 7月28日日曜日、13時05分~13時36分、旧アンデルセン前にて、街頭アンケートを行いました。 質問は「広島原爆で低線量被曝被害はあったと思いますか?」  ①あったと思う 149人(81%) ②なかったと思う 5人(3%) ③わからない 29人(16%)  合計183人の方に御協力いただきました。 夏休みに入ったこともあってか、高校生や外国人の方が多く歩いていらっしゃいましたがちょうど昼過ぎだったので、昼食のため店に入る人も多いのか本通りを歩く人は、ごった返している、というほどではありませんでした。 「①あったと思う」にシールを貼った人の特徴としては広島の方が圧倒的に多く、高校生が積極的に参加し、迷うことなくシールを貼っていました。なかには、山口と島根の方もいらっしゃいました。 「②なかったと思う」にシールを貼った人は全員男性で30歳代後半から40歳代の方でした。 「③わからない」にシールを貼った人はほとんど広島県外の方でした。 ネパールの研修生の方が、ちょうど日本人の方と一緒に本通りを歩いていて参加してくれたのですがしっかり日本語ができる方で、質問を理解して参加してくれました。3人のうち、わからないに貼った方が2人、あったと思うに貼った人が1人でした。 家族連れの方も楽しそうに参加してくれお子さんを抱き上げて「あったと思う」にシールを貼ってくれました。 今日の特徴はアンケートの内容をしっかり見て参加される方がほとんどでした。 「あったと思う」が圧倒的に多く、また、広島の方が多いことを考えるとやっぱり家族親戚に被爆者の方がいて、肌身であったと実感する人が多いのだなというのが感想です。 もっと読む。

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広島で被爆した少女を描いた小説の映画化に批判殺到!白人至上主義だ via 東スポWeb

終戦直前の1945年8月6日、当時2歳で広島で被爆し、白血病を発症してわずか12歳で亡くなった佐々木禎子さんの生涯を、ハリウッドが映画化することを決定し、先日主要キャストが発表された。ところが白人女優が主役に抜てきされたことから、米国内ではアジア系市民を中心に「ホワイトウオッシング(白人至上主義)だ!!」と反発が広がっている。 映画「One Thousand Paper Cranes(千羽鶴)」の主人公は、77年に児童向け小説「サダコと千羽鶴」を出版した米絵本作家エレノア・コア。同小説がきっかけとなり、禎子さんが病床で折り続けた千羽鶴の話が世界中に広まった。そのエレノア役にミュージカル映画「アクロス・ザ・ユニバース」のエヴァン・レイチェル・ウッド(31)が決まったのだ。 これにSNSでは「いい映画には白人が必要なんだね」「広島の原爆で1万4000人以上が犠牲になった。ハリウッド↓『そうだ、被爆者を取材した白人女性の映画を作ろう』」など、皮肉たっぷりの批判が殺到している。 (略) 同監督によると本作品は2001年に出版されたイシイ・タカユキ氏による同名の小説が原作。5年前にイシイ氏に映画化について伝え「サダコや他の被爆者の物語を忠実に伝え、最大の敬意を払うため、イシイ氏と綿密な協力関係のもと映画化に取り組んでいる」と明かした。 レイモンド監督はまた「この映画はサダコの視点から語られる作品で、(寺島しのぶを含む)日本人もキャスティングされていて、日本で撮影される」とし、エレノアが中心のストーリーではないことを強調。エレノアについては「サダコの話とは別に展開する」と説明した。 ウッドや寺島の他には英俳優ジム・スタージェスの出演が決まっているが、禎子さん役はまだ発表されていない。 全文は広島で被爆した少女を描いた小説の映画化に批判殺到!白人至上主義だ

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【8.6 ヒロシマ弾圧・抗議声明】勾留決定を許さない!抗議声明第二弾 via 8.6ヒロシマ弾圧救援会

※不当逮捕に遭ったのは、原発避難者の支援者です。先の声明では誤解を与えるような記述となってしまったことをお詫び致します。[…] ●8.6の広島で原発避難者の反被ばくアピールにも大きな共感 広島原爆が投下された8月6日、福島原発事故から関西へ避難した「Go West, Come West!!! 3.11東北・関東 放射能汚染からの避難者と仲間たち」も、広島市内の各種の平和集会に参加しました。広島の原爆、福島原発事故はともに核災害、放射能の被害であり、つなげるためです。そして最も多くの人が集まる6日夜の平和公園内で、原爆死者の追悼と原発事故被害のアピールを行いました。 東日本の放射能被害の英語スピーチやチラシ、横断幕に対し、大勢の外国人や日本人が立ち止まって受け取り、聞き入り、関心の高さが明確でした。自分から英語チラシをマイクで読み上げてくれる米国人も。また広島の被爆二世の方も、広島と福島の被害は一直線につながっていると熱くアピールすると、地元の方も大勢立ち止まり、拍手に包まれました。想定以上の豊かな交流との場となりました。 ★配布した英語チラシ: https://www.gowest-comewest.net/statement/20170825english.html ★避難者のスピーチ原稿と映像: https://danatsu86.hatenablog.jp/entry/2018/08/10/065424 ●アピール後、不当逮捕した広島県警 ところがそこにミリタリールックの謎の通行人がカメラを構えて大声で文句を言い、妨害目的の撮影を始めました。私達はアピールを続けつつ片付けを始めた所、彼は何ら接触をしていないのに「カメラを壊された!」と110番通報をしました。 そして駆けつけた広島中央警察署が帰る私たちの行く手を塞ぎ、職務質問を開始。私たちは何ら接触していないし、邪魔したい人の言いがかりであり、暑さで体調不良の仲間も出たので帰りますよと言い続けても、執拗に足止めして帰しません。 そして上司から指示を仰ぎ続け、ある時態度が急変。「カメラを壊した目撃証言が取れた。警察署に連れて行く!」と強行に来たため、誰の証言だ、そんな事はしていないと拒否していたら、「逃亡の容疑!逮捕する!逮捕理由は署で話す!」と支援者の女性Aさんに手錠をかけ、体を大勢で宙吊りにしてパトカーに放り込みました。広島県警本部に連れていかれ、「器物損壊罪」で不当逮捕されました。 これはまさに無法な拉致監禁です。器物損壊の事実も検証も一切なく、現行犯逮捕の条件も一切満たさないまま連れ去ったからです。 抗議する仲間たちの体を羽交い締めにし、カメラの謎の通行人や「証言者」と話すらさせない拉致監禁に、住民からも「何やってんだよ警察!」「彼らは何もしてないだろ!」と罵声が飛びました。警察は逮捕と同時に逃げるように全員撤収しました。 つまり、当初は現場警官が通常のトラブル処理対応をしていたが、スピーチやチラシの特徴を聞いた上層部が「そいつらは平和集会に参加したりビラ配りをしている=政治的だ」と判断し、狙い打ちで拉致・逮捕をさせたという事ではないでしょうか。 ●広島原爆と福島原発事故のつながりを止めたい政府 日本政府は、福島の「史上最悪の核事故」を「被害はゼロ」と世界へ公言。放射能被害を最大のタブーにし、帰還政策や東京五輪により全力で隠しています。この不当逮捕は、政権が原発被害者の声が国内外に広がることや、それが核被害の世界的象徴である原爆の被害とつながることを、つぶそうとしたからだとしか考えられません。広島慰霊の翌日の8月7日、隣県の島根原発3号機の新規稼働を島根県知事らが了承。長崎原爆慰霊の翌日10日に、中国電力が安全審査を申請しました。原爆と原発の被害を切り離しているからです。 作家の山口泉氏は弾圧に対し「現在の安倍晋三による日本型ナチズムが歴代自民党のいずれと較べても常軌を逸しているのは、安倍自身が責任を負う東京電力・福島第1原発事故という終末的事態が根底に隠蔽されているから。その人類史上最悪の核公害への告発に対しては、この弾圧。加速するファシズム・警察国家化への抵抗に連帯する。」とツイートしました。 ●黙秘への報復で勾留は許されない。多くのご支援を! その後、広島地検刑事部のタカイ検事が勾留請求し、広島簡裁の橋本裁判官が8月18日までの勾留を認めてしまいました。Aさんは広島県警本部に監禁されています。最大で8月28日まで勾留される危険があります。 検事・裁判官は取り調べに黙秘しているから「逃亡や証拠隠滅の恐れがある」と勾留決定しましたが、黙秘権は自分を守る憲法の権利です。隠滅する証拠など無いし、やってもいない事をやったと言われたらえん罪を作られるし、名前や住所を言ったら即座に警察がマスコミへリークし、犯罪者報道をされるのが今の日本だからです。それでも黙秘で勾留するのは、人権の行使を「お上に逆らう罪」として報復・処罰することであり、許されません。 早期釈放の要求が必要です。私たちは全力で動くので、ぜひ皆さまの力を貸して下さい。 8.6の広島で、被ばく反対のアピールをしていたら不当逮捕される。これは絶対にあってはならない事です。Aさんを返せ!と抗議を集中させて下さい! 勾留している広島県警本部 082-228-0110 捜査してる広島中央警察署 082-224-0110 ★救援には多くの費用が必要です。弁護士費用などの救援カンパをお願いします! ・ 郵便振替口座: 00140-2-750198  加入者名:みんなのQ(キュー) ・ その他の銀行からは ゆうちょ銀行 店番号 019 当座0750198 8.6ヒロシマ弾圧救援会 メール: … Continue reading

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8.6広島行動に参加した原発避難者への弾圧 via レイバーネット

寺島より 記 最も多くの人が集まる6日夜の平和公園内で、 原爆死者の追悼と原発事故被害のアピールを行いました。 東日本の放射能被害や避難者の苦境を書いた英語スピーチやチラシ、横断幕に対し、 大勢の外国人や日本人が立ち止まって聞き入り、話しかけられ、 関心の高さが明確でした。 また広島の被爆二世の方も、 広島と福島の被害は一直線につながっていると熱くアピールすると、 地元の方も大勢立ち止まり、拍手に包まれました。 私たちも想定以上の豊かな交流の場となりました。 ところがそこにミリタリールックの謎の通行人がカメラを構えて大声で文句を上げ、 妨害目的の撮影を始めました。 私達はアピールを続けつつ、そろそろ片付けを始めた所、 彼は何ら接触をしていないのに「カメラを壊された!」と100番通報をしました。 そして駆けつけた広島中央警察署が 帰る私たちの行く手を塞ぎ、職務質問を開始。 私たちは何ら接触してないし、邪魔したい人の言いがかりであり、 暑さで体調不良の仲間も出たので帰りますよと言い続けても、 執拗に足止めして返しません。 そして上司から無線で指示を仰ぎ続け、ある時態度が急変。 「カメラを壊した目撃証言が取れた、警察署に連れて行く!」と強行に来たため、 誰の証言だ、そんな事はしていないと拒否していたら 「逃亡の容疑!逮捕する! 逮捕理由は署で話す!」と 仲間1名に手錠をかけ、体を大勢で宙吊りにしてパトカーに放り込み、 中央署に連れていきました。 これはまさに無法な拉致監禁です。 抗議する私たちを羽交い締めし、 カメラの謎の通行人や「目撃者」と話すらさせない拉致監禁に、 住民からも「慰霊の日に何やってんだよ警察!」 「彼らは何もしてないだろ!」と罵声が飛びました。 […] 夜遅かったため、未だ弁護士接見を入れられず、 仲間は中央警察署に監禁されています。 9日までには検事送検で釈放されるか、プラス10日間も勾留されるかが決まるため、 いま早期釈放の要求が必要です。 私たちは全力で動くので、ぜひ皆さまの力を貸して下さい。 8.6の広島で、被ばく反対のアピールをしていたら不当逮捕される。 これは絶対にあってはならない事です。 … Continue reading

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世界最大・最悪の嘘「原爆神話」 大学教授、新聞記者の二人の民間人が生み出したものだった! via Aera.com

  […] ■なぜアメリカは核廃絶に向かわないのか なぜアメリカの核廃絶は一向に進まないのか? ひとつの答えは、アメリカの人々が原爆をどう理解しているかに見出すことができます。 「善きもの」――多くのアメリカ人にとっての原爆は、軍事基地を破壊し日本を直ちに降伏させ、その結果、戦争の長期化を防いで50万~100万人のアメリカ人の命を救った救世主なのです。善きものをどうして捨て去ることができるのでしょう。また、神がアメリカの原爆開発を成功に導き、さらにアメリカは神の付託を受けて実戦で使ったと信じている人も少なからずいます。こうした理解を「原爆神話」といいます。 アメリカが核廃絶へと向かわない理由は、原爆神話を信じていること、つまり、日本人のように原爆核兵器を理解していないことが理由のひとつです。原爆は広島と長崎の人々を無差別に大量虐殺した究極の大量破壊兵器であること、また、放射能の深刻な影響は長く残りいまだに苦しまれている被爆者がいることを知っているアメリカ人は意外と少ないのです。 もちろん、安全保障戦略を練り上げる政府・軍では、アメリカの国防と世界覇権の維持の視点から核兵器戦略が考えられています。また、アメリカが他国を圧倒する数と高性能の核兵器を保有することによる核の抑止力で全面戦争を防いでいると、リアリズム(パワー、軍事力を中心にすえる理論)の政策決定者や学者は正当化しています。 ただ、一般の人々が核兵器を持ち続けなければと考える理由は、心情的なものです。神話は信仰のように根強いもので、人々の思考を導き、価値判断の基準にもなります。■NYタイムズ記者とハーヴァード大学長によるフェイクニュース拡散 アメリカ人の原爆理解を操作し神話を確立させた首謀者は、政府役人や軍人ではありません。ニューヨークタイムズの記者(ウィリアム・L・ローレンス)、そして、ハーバード大学の学長(ジェイムス・B・コナント)の二人です。 拙書『アメリカの原爆神話と情報操作』(朝日選書)では、アメリカ人の原爆理解がどのように作り出されてきたかについて、二人に焦点を当てました。陰に隠れた彼らの策略を説明しながら原爆神話の形成と確立、そして虚構を解き明かしたつもりです。 タイムズ紙記者とハーバード大学長の貢献なくしては、今も続く原爆神話が確立されはしなかったでしょう。軍と裏取引をしたローレンス記者は原爆を世界に告げた大統領声明からメディアに提供された資料や模範記事まで準備し、放射能とその影響を否定する記事(例えば「原爆後の広島に放射能はない」)を書き続けました。つまり、フェイクニュースの拡散者でもあったのです。 ハーバード大学長となり原爆開発の統括責任者を務めたコナントは、若いころは毒ガスの開発と大量生産の第一人者でした。学長としてホワイトハウスの戦時内閣入りし、アメリカ人の原爆理解(例えば「原爆は多くの命を救った」)の決め手となった情報操作を自ら企て、神話を確立させました。さらに、人口密集地を原爆の標的としたのは、彼の提唱によるものです。 SNS時代の現象のように感じられるフェイクニュースとその拡散ですが、70年以上前の原爆神話の形成もフェイクニュースによるものでした。その影響は今も続いています。(広島市立大学国際学部教授・井上泰浩)         全文

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