震災10年「変われない日本」 脱原発デモ参加者の思い via 朝日新聞

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「結局、何も変えられなかったのかなあ」。東京都小平市で食肉販売業を営んできた永井忠さん(76)は自宅でため息をつく。震災翌年の12年3月、官邸前でデモが始まると「地震は待ってくれない」と記した手製の看板を抱え、電車を乗り継いで官邸前に通った。体力的にデモへの参加が難しくなり、地元でエネルギー問題の勉強会を続けてきたが、それもコロナ禍で打ち切りとなった。

 岸田政権が今月22日に閣議決定したエネルギー基本計画は、温室効果ガスの抑制を理由に、30年度の発電量に占める原発比率を従来の目標同様20~22%とし、「必要な規模を持続的に活用していく」とした。永井さんは「あれだけの事故が起きても方向転換せず、小型原子炉の活用案まで語られ始めた。選挙戦でも、原発はほとんど話題になっていない」と嘆く。

 震災翌年の朝日新聞社の世論調査で「原子力発電を段階的に減らし、将来はやめることに賛成」と答えたのは70%。首相に声を直接届けようと、ツイッターなどSNSを通じて数千、数万人規模の市民が毎週集まり、官邸前は脱原発デモの象徴的な場となった。

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どうすれば、政治を変えられるのか。従来の市民運動は党派の影響で分断されがちだったが、同連合は「脱原発」で団結しようと訴え、連携して集会を開くなどしてきた。17年の衆院選では野党共闘を呼びかけ、メンバーが個別に候補を応援した。日本の原発事故がきっかけとなり脱原発へ政策転換した台湾を視察して交流も続けてきた。

 ただ、官邸前デモは運営の人手が不足し、参加者も減少。今年3月26日の400回目の後、休止中だ。

 この間、何が見えてきたのか――。ミサオさんは「変化への抵抗がとても強く、なぜか変われずにいる日本」と話す。一方で、デモという形で反対の世論の存在を示してきたからこそ、新規制基準の下で再稼働に至った原発の数を10基に押しとどめ、新増設を難しくしてきたと思う。

 同連合は今月22日、衆院選に向けて声明を出し、「10年前の原発事故の記憶」を思いだそうと訴えた。

 「すぐには変われないかもしれない。普段は生活に忙しいかもしれない。それでも選挙のときは、震災のときに感じた思いを忘れずに投票してほしい」とミサオさん。

 メンバーたちは「官邸前デモは終わってはいない」と言う。何かのとき再開できるよう、メガホンなど機材を自宅に保管している。(西本秀

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