被爆2世の苦しみにも光を 当事者運動を考えるオンライン講座開催へ via 毎日新聞

被爆2世への援護を求め、草創期から運動を続ける森川聖詩さん(67)=川崎市=が12日午後3時、オンライン講座「被爆二世問題・運動の歴史と今後の展望」を開く。遺伝的影響については議論が続くが、森川さんは「2世はあくまで被爆者の苦悩を表す時に語られることが多かった。2世当事者の健康問題や暮らし、心に光を当てたい」と話している。【小山美砂】

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森川さんの父定實(さだみ)さん(当時29歳)は、米軍が原爆を投下した1945年8月6日、爆心地の東約1キロにあった勤務先、広島中央放送局(現NHK広島放送局)で被爆した。9年後に森川さんが生まれ、転勤に伴い川崎市に移り住んだ。森川さんは幼少期から原因不明の発熱に襲われ、小学校へ入学後も下痢や疲労感、風邪の悪化に伴う急性気管支炎に苦しんだ。

 定實さんは66年、同市で被爆者団体を設立。家の内外で被爆体験を話す父の姿を見て育った森川さんは小学4年の時、授業中に「親が被爆した人はいますか」と問われ、抵抗なく手を挙げた。すると、まもなく同級生からいじめを受けるように。「放射能がうつるから近寄るなよ」「放射能って遺伝するんだってな」。原爆が理由とは伏せたが母に相談、転校した。

 それでも精力的な運動を続けた定實さんは71年、全国に先駆けて市による2世への健康診断と医療費補助を実現させた。森川さんも、国による援護を求めて78年に関東被爆二世連絡協議会を結成。さらに、四つの団体に呼びかけて全国的な2世組織としては初めてとみられる「全国被爆二世連絡協議会(準備会)」を設立した。

 だが、障壁も多かった。被爆者には「遺伝のことは言わんでくれ」と懇願されたり「遺伝の問題を知っていたら結婚しなかった」といった話に触れたこともあり、こうした言葉に「私たちは生まれてはいけなかったのか」と傷ついた。「2世が声を上げるのは本当に大変だった」。だからこそ、講演会では病に苦しんできた実体験の他、運動の経緯を伝えたいという。「今も核実験や原発事故で多くの核被害者が生み出されており、2世問題は現在進行形。多くの人と共有したい」

 「神奈川県原爆被災者の会 二世・三世支部」主催。氏名▽電話番号▽所属団体(あれば)▽講座を知った理由を明記し、メール(kanagawa-niseisansei@googlegroups.com)で11日までに申し込みが必要。

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