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【志賀賢治さん】広島平和記念資料館前館長 via 北海道新聞

■恐怖より原爆の実相を。死者を記憶し愚直に伝える

 76年前の1945年(昭和20年)のきょう、朝8時15分、広島に原爆が落とされた。被爆者は高齢化し、記憶の継承が課題だ。広島平和記念資料館(原爆資料館)前館長で昨年末「広島平和記念資料館は問いかける」(岩波新書)を出版した志賀賢治さん(68)に、資料館の役割や伝え継ぐ大切さを聞いた。(編集委員 関口裕士)

――志賀さんにとって原爆資料館とはどういうものですか。

 「遺品や被爆資料を集めて保管し、調べて展示し、普及・啓発活動を行う施設です。でも、周りはそうは見ていない面がある。慰霊や追悼の場ととらえる人もいれば、核廃絶のメッセージを発信する場と考える人もいる。さまざまな受け止め方を一本化するのは難しい。私は、原爆とはどんなものかを紹介し、あの8月6日に何があったかを伝える博物館としての機能に徹するべきだと考えています」

 ――館長時代、3度目の大改修を行いました。こだわった点は。

 「どちらかというと、以前の展示は悲惨さを前面に押し出していました。55年の開館直後は『ホラーミュージアム』と表現した米国人がいたそうです。私は小学1年生の時に初めて見学しましたが、被爆者の衣服を着せたマネキン人形が怖かった。夜うなされた記憶があります。恐怖は考える余地を奪う。思考停止を招く。考えてもらう場にするには、恐怖は余計なのではないかと思います」

 ――私が怖かったのは背中が赤く焼けただれた被爆者の写真でした。

 「痛みを感じますからね。弁当箱の前でハンカチを使っている人はいますが、人形の前で泣く人は見たことがありません。歴代館長の中には、あまり残酷な展示はすべきではないと言った人もいます。その人は被爆者として自分自身、悲惨な状況を見ていたからではないでしょうか」

 ――実際はもっとひどかった、ということですか。

 「そうでしょう。人形の顔は男女の区別がつく。髪もバサバサだけど生えている。実際には燃えたはずの服も着ている。当事者を見せ物にしてしまうのは仕方がない。ただ、どう展示するか、こちらの姿勢が問われます」

 ――志賀さんも被爆2世です。

 「館長は歴代、被爆に縁のある人が務めています。でも、いつまでもそうはいかない。誰でも運営に関われるほうがいい。『特殊な広島』的な形ではなく、汎用性の高い運営を目指すべきです。例えば広島に転勤してきた記者は、まず被爆者に話を聞きに行って『おまえは何も分かっていない』と洗礼を受ける。でも、伝える資格のようなものを限定すると継承が途切れてしまいます」

(略)

――10年前の東日本大震災の被災地でも、遺構を残してほしいという人と二度と見たくないので取り壊してほしいという人がいます。

 「原爆ドームの保存は66年に決まりましたが、それまでは原爆遺構を残すかどうか市民の意見は拮抗(きっこう)していたと思います。むき出しの生々しい傷がまだあったのでしょう。やがて平和教育が盛んになり、広島市は修学旅行誘致を打ち出します。ただ大半の被爆者は冷ややかに見ていた気がします。証言活動する人も今は増えていますが、当初はなかなか話をする人はいなかったと聞きます」

 ――忘れたかったのでしょうか。

 「忘れたい。自分では思い出したくない。だけど、どこかに記録というか、とどめておいてほしいという思いはあるはずです。死者の記憶は自分が亡くなった後もどこかで誰かが守ってほしい、と。でないと遺品だって処分するはずです。それがいまだに資料館に預けに来ますから」

 ――届いたものは基本的に受け入れるのですか。

 「亡くなった人の唯一の形見のようなものは基本的に預かります。人は2度死ぬと言いますね。1度目は肉体の死。2度目は人々の記憶から消える時。資料館は2度目の死から守ることをやっているんだなと思うことがあります」

(略)

――著書で志賀さんは「固有名詞」という言葉をよく使っています。詩人石原吉郎の<人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ>という文章も引用しています。

 「数字で被害を語ると死者をなおざりにすることになります。一人一人の死者と向き合うことが大事だと思っています。資料館を案内すると、『何人死んだのか』としょっちゅう聞かれました。でも永遠に分からないでしょう」

 ――広島市のホームページには45年末までに約14万人が亡くなった、と書かれています。

 「あれは推計です。あの日、何人亡くなったか、正確には分からない。川に飛び込んで瀬戸内海に流された。公園の下にまだ埋まっているかもしれない。それが原爆です。通常の爆弾とは違う。固有名詞を奪うどころか数えもさせない。一瞬のうちに亡くなった人は死の自覚さえ奪われたのです。だからこそ資料館は、原爆とはこんなものだと愚直に伝える施設であるべきでしょう。原爆が二度と使ってはいけない兵器だというのは間違いありません」

 ――そもそも悲惨な記録、記憶は継承していかなければいけないのでしょうか。人類がこんなにひどいこと、むごいことをする、できる、ということを子供たちにわざわざ教えなくてもいいのではないかと思うことがあります。

 「どんなひどいことでも、記録し、記憶に残していくほうがいいとは思います。ただ、その伝え方は考えたほうがいい。(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺があった)アウシュビッツの博物館は、14歳未満の入館を制限しています。歴史的な事実をきちんと受け止められる年代になってからのほうがいいと私も思います」

全文は【志賀賢治さん】広島平和記念資料館前館長

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