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「今、幸せ。でも」 福島からの避難者 思い語ると「風評かも」 それでも伝えたい感謝【#あれから私は】/兵庫 Yahoo!ニュースJapan

東日本大震災の発生から11日で10年を迎える。「節目」という言葉が使われることもあるが、福島第一原発事故の影響で9年前に福島市から兵庫県に避難移住した松尾誠さん(40歳、仮名)は、「節目という言葉に違和感がある。『原発事故は今も続いている』。でも、こう言うと福島で暮らす人にとっては、『風評』ととられかねない。年々、思いを話すのが難しくなりました」と複雑な心境を吐露する。それでも取材に応じたのは、故郷から遠く離れた土地で温かく迎えてくれた人たちに思いを告げたいから。「本当に兵庫に来てよかった。10年目に思うことは地元のみなさんへの感謝です」とほほ笑む。  朗らかに笑い、冗談も大好き。だが、震災の話題になると表情が曇る。  「もう二度と家族に会えないかもしれない。本気でそう思いましたね」  郷里から届いた地元新聞に目を落としながら松尾さんがつぶやいた。脳裏には10年前の光景がよみがえる。

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◆まだ避難してるの  え、まだ避難してるの―。  10年がたち、郷里からそんな言葉を間接的に聞いたことがある。避難していた人たちの中にも福島に戻る人が出ている。  しかし、「まだまだ線量が高いところがあるし、除染が済んでいないところもある。何より原発の廃炉作業はいまだ途中で、今年2月の地震でも格納容器の水位が低下した。水を入れて冷やし続けないと、また爆発するかもしれない。怖くて戻れません」と話す。  一方で、そこに生きている人がいる。「当時、自分たちは30代。動きやすかったから避難できたけれど、動けなかった人もいる。もちろん、なんともないと思った人もいる。そんな人たちが、自分が言っていることを聞いたらと思うと。こういうことを話すとき、いつも頭のどこかに悲しい顔が浮かびます」  復興、原発、風評、避難、風化―。さまざまな問題が絡み合い、どの言葉も安直に言えない状況は、時間がたつにつれ、より鮮明になっている。  「自分は今、幸せです。でも、いつも心に引っ掛かりがある」 ◆「自主避難者」  松尾さんが暮らした福島市の地域は、国の避難区域には指定されなかった。そのため自主的に避難した松尾さん一家は、国の「避難者」の数に入っていない。あくまで「自主避難者」だ。  「避難する権利」を勝ち取ることや事故の責任を明確にするため、松尾さんは東京電力や国を相手にした集団訴訟の原告に名を連ねている。  「裁判結果に一喜一憂したくなかったし、振り回されたくない思いで、最初は原告にならなかった。けれど、これからも災害は絶対に起きる。どこかが第二の福島になるかもしれない。そのためにも、あの時、何が起きたのか。津波は予見できなかったのか。裁判を通してはっきりさせないと、何もなかったことになってしまう。将来のために、これだけはやっておきたい」  冗談交じりに「ひっそりと暮らしたい」という人が、真剣な面持ちで言った。 ◆親の将来考え  5年前、松尾さんは記者に言っていた。  「なくしたものや手放したもの、手に入るはずだったもの。そればかり考えてきたけれど、5年たってやっと、ここで得られたもののことを思えるようになった」  今、改めて心境を問う。  「自分の将来、そして、遠く離れたところで暮らす親や実家の将来を考える日々。どうしたものか」  そして、「ただ、家族で暮らす当たり前の大切さは、今もずっとかみしめています。これも当たり前ですけど、妻と一緒に子どもが一人前に育つのを見守るのが最優先です。当たり前ですけどね」と笑った。

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